第9話 焔の決意 Ⅰ

文字数 3,470文字

 ファストラーデがハルツに降り立ったころ、渓谷の古城で留守居を任された七人の魔女の一人リントガルトは、尖塔の窓から空を眺めていた。
「ハァ……退屈だなぁ、ファストラーデ早く帰ってこないかな……」
 左目に銀の眼帯をつけた魔女は、ハルツの空に向かってため息をつく。
 七人の魔女のリーダーであり、姉のように慕うファストラーデがようやく目覚めたかと思った矢先、ハルツにランメルスベルクの剣があると知って飛び出していった。
 七人の中で純白の翼を備えた最年少の魔女スヴァンブルクに次いで年少のリントガルトにしてみれば、寂しくもあり、つれなくもあった。
 ため息の花を咲かせるリントガルトの下へ、尖塔の階段を上がってくる者がいた。
「リントガルト様」
「……なんだ、ギスマラか。どうしたの?」
 チラッとだけ振り返り、すぐにまた空を見上げる。
「地下室の魔力が高まっています。間もなく、残りの方々もお目覚めになるでしょう」
「そっか、ご苦労さん……」
 ギスマラは妙齢の魔女である。ファストラーデたちに出会うまでは正体を隠し、貴族の屋敷で働いていた。現在は古城の管理や棺の番を行っている。
「何をされていたのですか?」
 ギスマラが訊ねる。
「ファストラーデが早く帰ってくるよう祈ってたのさ」
「ご心配ですか?」
「そんなわけないだろ! ハルツの魔女なんかに、ファストラーデが負けるもんか」
 一瞬、気色ばんで答える。心からファストラーデを信頼し、万に一つも疑いを持っていない。
「ファストラーデが帰ってきたら、ボクが最初に出迎えるんだから邪魔しないでよね」
「承知しております」
 背中を向けた眼帯の魔女にギスマラは微笑んで答える。世界を滅ぼす悪なる魔女の集団に身を置きながら、リントガルトの精神は純粋な少女のようだった。
「それにしても退屈だなぁ……こんなことなら、ボクも一緒についてけばよかった」
「ファストラーデ様は、リントガルト様を御信頼しているからこそ、存分に戦えるのです。他のどなたに、棺の番を任せられましょう?」
「そうだよね。ボクが一番ファストラーデに愛されてるよね? ギスマラもそう思うよね?」
「はい」
「そうだ! いいこと思いついた。ファストラーデが帰って来た時に、喜んでもらえるように、ボクが大掃除をしておいてあげよう!」
 ひらめいたように声を上ずらせると、リントガルトは純粋だが狂気を秘めた瞳でギスマラに訊ねた。
「ねえ、フレルクはどこ?」
「ドクターなら、いつものように研究室にいるはずですが」
「そっか、じゃあ、ちょっといってくるね……」
 ただ、愛しい人に喜んでもらいたいという一心のみで、リントガルトは魔女としての生みの親である男の下へ、尖塔の階段を下って行った。


 薄暗い廊下。昼間でも肌寒く、空気は湿気を帯びている。
 渓谷の古城がいつ、何者によって建てられたのかは不明である。
 城内には幾つもの隠し部屋や秘密の通路が存在し、七人の魔女でさえすべてを把握しているわけではない。
 この城と魔女たちの主であるフレルクは研究室にこもり、昼夜、怪しげな実験を行っていた。
 白髪の小柄な老人であるフレルクの素性を知る者はいない。彼がどうやってハルツにオッティリアの遺体が眠っていることを知り、それを盗み出したのかも謎だった。
 揚々と研究室へ向かうリントガルトは、廊下の先にフレルクが歩いているのを見つけた。
「博士!」
 無邪気な子供の明るさで呼び止める。
 フレルクは立ち止ると、振り返った。声を聞いて、相手が誰なのかすぐに分かった。いつも通りの声だった。
「……リントガルトか、どうした、何か用か?」
 感情的な物を含まない、無機質な声で答える。
「博士の方こそどうしたの、研究室じゃなかったの?」
「実験用のモルモットが死んだのでな、処分してきたところだ」
「へェー……」
「それよりも、その眼帯は正しく機能しているか? お前は他の者たちよりも移植片との融合率が高い。その分、魔女の力を抑制するための眼帯にかかる負担も大きく劣化が早い。少しでも異常を感じたらすぐに報しなさい。新しいものと交換してやろう」
「分かってるよ……」
 謎の多い人物ではあるが、フレルクの持つ魔女や魔術への知識は豊富で、リントガルトやファストラーデも一目置いていた。また、オッティリアの肉片の暴走を防ぐために欠かせない銀製の拘束具を作成できるのもフレルクしかおらず、意志とは関係なく、従わざるを得なかった。
 フレルクは言い終えると、研究室へ戻ろうとした。それをリントガルトが呼び止める。
「ねえ、待ってよ。博士は、ファストラーデがどこへ行ったか知ってるの?」
「なんだ、知らぬのか? ファストラーデはライヒェンバッハへ向かった。そこにレギスヴィンダが身を寄せているというのでな」
「違うよ、ファストラーデが行ったのはハルツさ」
「なんだと……」
 リントガルトが答える、フレルクは意外な顔をした。
「ホントのこと教えてあげようか、ファストラーデが何しにハルツへ行ったのか?」
 眼帯をつけていない反対側の瞳が不穏な色を浮かべる。フレルクは警戒心を募らせた。
「ハルツの魔女が、レムベルト皇太子の剣を持ってたのさ。博士なら、その意味が分かるよね。魔女の呪いを封じ込めるランメルスベルクの剣が手に入ったら、ボクたちがどうするか、簡単に想像つくよね?」
「……お前たち、まさかこのわたしを裏切るつもりか?」
「裏切る? 変なこといわないでよ。誰も最初からお前の味方なんかしてないよ。帝国を潰したかったら、自分でやりなよ。ボクたちは、お前に付き合わされて、嫌々戦ってただけなんだからさ」
「嫌々だと……魔女の国を創りたかったのではないのか?」
「もちろん、それはちゃんとするよ。ボクたちだって、自分の国は欲しいからね。それに、たくさんのはぐれ魔女のことも放っておけないから。でも、お前は違う。お前はもう、用済みさ」
 憐れみと嘲りを混ぜ合わせて嗤うと、リントガルトは背中に隠していた手斧を取り出した。
「ファストラーデはホントにやさしいよね。みんなお前を嫌ってたんだ。みんなお前を殺したがってたんだ。なのに、みんなじゃなくて、その役目をボクに与えてくれた。ボクが一番ファストラーデに愛されてるんだ。さあ、どんな風に殺してほしい? 今まで、たくさん女の子を殺してきたんだろ? おんなじように、ボクがお前の身体をバラバラに切り刻んでやるよ!」
 リントガルトが手斧を振り下ろすと、発生した風圧がフレルクの頬を切り裂いた。
「ひっ!」
 フレルクは命の危険を感じ、背中を向けてかけ出した。
「逃げられると思ってるの?」
 リントガルトはフレルクを追いかけると、さらに手斧を使って切りつける。
 背中がざっくりと割れ、フレルクは転倒する。それでも這いつくばって、さらに薄暗い廊下の奥へ逃れようとする。
「アハハハハ! 無様だね。そんなになって、まだ逃げるつもりなの? そうだ、いいこと考えた。ボクが十数えてあげるから、その間にどこでも好きな所に隠れなよ。見つけたら、殺してあげるから!」
 リントガルトは嘲笑うと、大きな声で「いーち、にーい、さーん……」と数え始めた。
 カウントが十に達すると、リントガルトは「もーいーかーい?」と訊ねて耳をそばだてた。
 返事があるわけない。それでも、くすりと笑うと、リントガルトはゆっくり歩き始めた。
「さーて、どこに隠れたのかな? 見つけやすい場所だといいんだけど」
 わざと聞こえるように大きな声を出す。
 リントガルトにしてみれば、急ぐ必要はなく、捜す必要すらなかった。廊下に、点々と血痕が残されていた。
 それを追っていくと、鋼鉄のドアで閉め切られた部屋の前に着いた。
 大きな錠前が開けられており、血痕は扉の前で途絶えている。
「ここって確か……」
 城の中には立ち入り禁止の部屋が複数存在した。リントガルトたちは、その中に何があるのか知らず、普段から近づくこともなかった。
「フレルク、出て来いよ! こんなところに隠れても無駄だぞ。ボクがお前のいうことを聞いて、入ってこられないと思ってるんだろ! もう、お前のいうことなんか聞かないっていっただろ!」
 部屋の中へ呼びかける。返事はない。ならばと、扉を開けた。すると、そこにいたのは傷ついた白髪の老人ではなく、一つ目一角の巨大な化け物だった。
「……フレルクめ、やってくれたな!!」
 単純だが、効果的な罠だった。
 謀られたと気づいた時には遅く、化け物は丸太のような腕を振り上げリントガルトに襲いかかった。
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