第16話 水より濃いもの Ⅲ

文字数 4,894文字

「本物のハルツの魔女はどこだ! いわないと、今度こそ殺すよ?」
 フリッツィが逃げたため、リントガルトの矛先はフロドアルトへ向けられた。
「待て……そういきり立つな。今のはほんの手違いだ。あの使い魔が勝手にしたことで、わたしが命じたことではない……本物のハルツの魔女は、わたしの部下がいま捜しに行っている…………」
「本当だろうな?」
「……間違いない、すぐに連れてくるだろう」
「すぐっていつだ!」
「それは……」
 フロドアルトは返答に窮した。そんなことまで分かるはずがない。
 苛立つリントガルトの殺気が手斧にこもりかけた時、再び広間の入り口から声が響いた。
「わたしならここだ!」
 入口にはヴァルトハイデ、レギスヴィンダ、ゲーパ、グローテゲルト伯爵夫人、そして騒ぎを知って駆けつけたガイヒと兵士の姿があった。
 リントガルトはフロドアルトへの興味を無くすと、入口へ向き直って訊ねた。
「お前が本物のハルツの魔女か?」
「そうだ。わたしの名はヴァルトハイデ。お前たちを滅ぼすために帝国へ遣わされたハルツの魔女だ」
「ヴァルトハイデ……」
 名前を聞いた瞬間、リントガルトが鼻白んだ。
「聞いたかい、リントガルト? あたしたちを滅ぼすだとさ」
 嘲笑うようにリッヒモーディスが答えると、今度はヴァルトハイデが戸惑った。
 二人の魔女は互いの顔を見つめ、正反対の感情で呟く。
「リントガルト……」
「嘘だ……死んだはずだ…………」
 リントガルトは否定的な言葉とともに、顔色を青ざめさせた。
「まさか、お前だったのか……」
 ヴァルトハイデは困惑の中にも、わずかな歓喜を含ませる。
 そんな二人のやり取りに、周囲の人間も妙な違和感を覚えた。
「どうしたのですか、ヴァルトハイデ。彼女のことを知っているのですか?」
 レギスヴィンダが訊ねた。ヴァルトハイデのそれは、明らかに親しい者に向ける眼差しだった。
「おい、リントガルト。何を怯えている?」
 同じようにリッヒモーディスが声をかけた。眼帯の魔女の顔には相手を忌避し、恐怖し、拒絶するような色が張り付いていた。
「……わたしだ、リントガルト。わたしのことが分からないのか?」
「黙れ! 気易くボクの名前を呼ぶな!!」
 ヴァルトハイデが一歩近づくと、その分だけリントガルトが後ずさる。
 それでもヴァルトハイデは前進と呼びかけを止めなかった。
「わたしをよく見ろ。この右目を。フレルクの下でオッティリアの両目を分け合った、この姉のことを忘れたのか!」
 切なげな声でヴァルトハイデが訴えると、その場に居合わせた者たちすべてにこれまでにない衝撃が走った。
「ヴァルトハイデ、いまのは本当ですか……!?」
 耳を疑うようにレギスヴィンダが訊ねた。
 あくまでリントガルトは否定する。
「さあ、知らないね! 誰かと勘違いしてるんじゃない?」
 しかし、その声が感情的になるほど真実がどちらにあるのか、誰の目にも容易に見極めることができた。
「……リントガルトのお姉ちゃんなの?」
 躊躇いながらスヴァンブルクが訊ねた。
「違う、ボクに姉なんていない! ボクにいるのはフレルクに逆らい、一緒に魔女の国を創ろうと決めた仲間だけだ!!」
 自分が姉だと呼びかけるヴァルトハイデと、それを否定するリントガルトのやり取りに、居合わせた者たちは口を挟むことさえできずに静まり返った。
 そこへ、招待客を避難させ終えたオトヘルムが戻ってくる。
「あれは!!」
 広間の中央でヴァルトハイデと侵入した魔女の一人が向き合い、言い争っているのが見えた。二人の会話の一つ一つまでを正確に聞き取ることはできなかったが、言い争う魔女の両手にある物を見れば、それが何者であるのか理解できた。
「……見つけたぞ、お前だったのか!」
 楯と斧を装備したリントガルトの姿は、まぎれもなく兄ディートライヒの命を奪った魔女の特徴と合致していた。
「リントガルト、本当にわたしのことを忘れたのか? それとも術をかけられているのか?」
 ヴァルトハイデは説得を諦めなかった。
「……お前のことなんか覚えていない! ボクに術をかけられる奴なんてこの世にいない! だから、それ以上ボクの名前を呼ぶな!!」
「何故だ、リントガルト!!」
「お前なんか知るか! ボクに近づくな!!」
 楯と斧を装備した魔女が、自らを姉だと叫ぶハルツの魔女を大きな声で拒絶した瞬間だった。誰もが戸惑いと不信で動けずにいる空気の中で、その僅かな刹那をついて復仇に及ぶ者がいた。
 オトヘルムは兄の形見となった伝家の宝刀を抜くと背後から忍び寄り、一突きの下に心臓を串刺しにした。
「リントガルト!!」
 傷ついた妹の名をヴァルトハイデが叫んだ。一瞬の出来事に、姉も為す術がなかった。
「うぅ……何だよ、これ……?」
 突然の衝撃、突き上げるような痛みに、リントガルトは訳も分からず自分の胸から突き出た剣の切っ先を見やりながら、不可思議に呟いた。
 次の瞬間、勝ち誇ったようなオトヘルムの声が広間に響いた。
「どうだ、眼帯の魔女! 兄の仇、討たせてもらったぞ!!」
 必死の形相でオトヘルムが剣を抜くと、リントガルトは大量の吐血を漏らしてその場に崩れた。いや、崩れるかに思われた。
 リントガルトは胸に開いた風穴を手で押さえつけると、自らを襲った相手の顔を振り返った。
「なんだ、お前は……!」
 それが特別な力を宿した銀の剣であったなら、リントガルトの命脈は断ち切られていただろう。だが、ただの鋼鉄の刃では魔女に止めを刺すことはできない。ダメージこそ与えたものの、反撃の力まで奪ったわけではなかった。
「……よくもボクの身体に傷をつけたな!!」
 リントガルトは感情を持て余すまま、オトヘルムに斧を振り上げた。
「危ない!!」
 咄嗟に剣を抜いたのはヴァルトハイデだった。オトヘルムとリントガルトの間に割って入り、振りおろされた手斧をランメルスベルクの剣で受け止める。
 期せずして二人は互いの呼気や体温を感じ合うほど顔と顔、体と体を接近させた。これにより、吹っ切れたのはリントガルトだった。
「……やっぱり、お前はボクのお姉ちゃんじゃないや。ホントのヴァルトハイデなら、ボクを傷つけた奴を庇ったりしない!」
 その言葉は、ヴァルトハイデにとって致命的な戦意の喪失につながるものだった。
 不可抗力とはいえオトヘルムを見殺しにすることはできない。かといってリントガルトを敵と認識し、返す刀で切りつけることもできない。
 板挟みになるハルツの魔女に対して、眼帯の魔女は一方的に攻撃するかに思われた。だが、それにも待ったをかける女がいた。
「リントガルト、お前も離れろ! スヴァンブルク、撤退するよ!!」
 金髪の魔女リッヒモーディスだった。
 オトヘルムにつけられた傷は命を脅かすほどのものではなかった。しかし、精神的に負ったダメージは、リントガルトの冷静さを完全に破壊した。
 この状態でランメルスベルクの剣を装備したハルツの魔女と戦うのは賢明ではない。三人の中で最年長のリッヒモーディスは出直すことにした。
「撤退!? 何いってるんだ! このまま、こいつら皆殺しにしてランメルスベルクの剣を奪えばいいじゃないか!」
「そんなことはいつでもできる。それより、お前の傷を治す方が先だ」
「こんな傷、なんてことないよ。ボク一人でも、こいつら皆殺しにしてやるよ!」
「あたしのいうことを聞け! 構わないスヴァンブルク、リントガルトを連れて先に城へ帰れ」
「リッヒモーディスは?」
「あたしのことは心配しなくていい。早く行け!」
「うん……」
 スヴァンブルクは翼を広げると、背中からリントガルトを抱きかかえた。
「放せ、スヴァンブルク! あいつら皆殺しにしてやるんだ!!」
「ダメ、そんな感情で戦ったら、リントガルトまで呪いの魔女になっちゃう」
「それがどうした! ボクたちはオッティリアの生まれ変わりだ。この世を呪い、人間を皆殺しにして、ボクたちだけの国を創るために生れて来たんだ!!」
「そうじゃない、リントガルト。そうじゃないんだ……」
「あたしが、あいつらを引きつけている間に早く行け!」
「リッヒモーディス、無理しないでね……」
「当たり前だ。あたしもすぐに後を追う。さあ、行きな!」
「うん……」
「放せスヴァンブルク! リッヒモーディス! ボクも戦うよ! リッヒモーディス!!」
 リントガルトは叫び続けた。それでもスヴァンブルクは振り返ることもせず、入って来た時と同じ割れたガラスの窓から夜空へ飛び立った。
 二人が撤退したことを確かめると、リッヒモーディスはヴァルトハイデに向き直った。
「……さて、困ったことになったもんだね。まさか、あんたがリントガルトの姉さんだったなんて。ホントなのかい?」
「フレルクによってわたしにはオッティリアの右目を、リントガルトには左目を移植された。この目を見れば、分かるだろう」
 リッヒモーディスはヴァルトハイデの右目を覗きこんだ。瞳孔の奥に黒い陰が張りつく。
「どうやら、本当らしいねぇ……だったら、あんたもあたしたちの同類じゃないか。どうだい、今からでもあたしたちの仲間にならないかい?」
「断る。わたしは、お前たちを滅ぼすためにここにいる。オッティリアの血肉は一片たりともこの世に残しておくことはできない」
「だったら、リントガルトも殺すのかい? 自分の妹を?」
「……無論だ!」
「酷なことをいうねぇ……あんた自身も、オッティリアの血肉を移植されて魔女になったんだろ。どうしてそこまで人間に肩入れする?」
「人間にではない。わたしを救ってくれた、居場所を与えてくれたハルツの魔女の恩義に報いるためだ」
「恩義……」
「そのためなら、この命を燃やし尽くそうとも本望」
「……立派な心意気じゃないか。殺すには惜しい女だ。でも、あたしたちの邪魔をするってんなら、そういうわけにはいかないね!」
 リッヒモーディスは頭髪を伸ばすと、その場にいた者たち全員の手足を絡め取った。
「姫様、下がって!」
 間一髪、ゲーパは曾祖母から教わった防御魔法を行使し、レギスヴィンダとグローテゲルト伯爵夫人を守る。
「おや、もう一人いたのかい? やるもんだね。あたしの髪を、いいやオッティリアの毛髪を抑え込むなんて」
「ハルツの魔女をなめないでよね。あなた達と戦ってるのは、ヴァルトハイデ一人じゃないんだから!」
「そういえば、さっき逃げ出した使い魔がもう一匹いたねぇ」
 表面上リッヒモーディスは余裕を見せていたが、内心はそうでなかった。
 三人いればファストラーデを退けたハルツの魔女にも勝てると考えていたが、立場は逆のものになっていた。
「ヴァルトハイデ!」
 レギスヴィンダが呼びかけた。ヴァルトハイデもまた、金色の頭髪に手足を捕われている。しかし、容易に抜け出せないほどのものではない。
 ヴァルトハイデが拘束を振りほどこうと右目に魔力を集めるのを見やると、リッヒモーディスは次の手に打って出た。
「悪いけど、あたしはいつまでもこんなところであんたたちと遊んでるつもりはないんでね」
 隠し持っていたナイフを取り出すと、自らの頭髪を掴んで切り落とした。
「楽しいパーティーだったよ。それじゃあね!」
 乗ってきた箒を手に取ると、先に撤退した二人の後に続いて夜空へ飛び出した。
「待て!!」
 髪の毛を振り解いたヴァルトハイデが後を追う。だが、すでにリッヒモーディスは飛び去った後だった。
「くっ!」
 まんまと逃げられたかと思った瞬間だった。離陸した直後の金髪の魔女を、宮殿の屋根の上で待ち構える者がいた。
「にゃあ!!」
 黒猫姿のフリッツィだ。フリッツィは屋根から飛び降りると、リッヒモーディスの首筋に後ろから噛みついた。
「この使い魔、まだいたのか!!」
「フゥーーーー!!!!」
 噛みついたまま爪をたて、逆毛をおっ立てる。
「しつこい猫だね!」
 リッヒモーディスはフリッツィの首根っこを掴んで離そうとするが、無理に引き剥がそうとすると余計に爪や牙が肌に喰い込む。
 その内に箒はふらふらとバランスを崩し、庭木に衝突して墜落した。
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