第33話 公爵の望み Ⅲ

文字数 4,157文字

 菩提樹の枝の魔女の正体を掴むべく、ゲーパとフリッツィはレーゲラントへ赴いた。
 万が一に備え、レギスヴィンダは護衛のため宮廷騎士団を伴わせる。その隊長にオトヘルム・フォン・グリミングが抜擢された。
 ゲーパとオトヘルムはレーゲラントに着くと、執事に案内されて最初の事件が起きたエルズィング伯爵の寝室へ向かった。
「伯爵が殺害されたのは深夜でしたね。目撃された方はいないのですか?」
 一通り部屋の中を見終わった後、ゲーパが執事に訊ねた。
「皇帝陛下にもご報告申し上げた通り、魔女の姿を見た者はおりません。なにぶん時間も遅く、物音ひとつありませんでしたので……」
 帝都からの調査団ということで緊張はしているものの、白髪の執事は丁寧に答える。非常にまじめで伯爵家に対する忠誠心は篤い。
 ゲーパは少し意地悪な質問を投げかけてみることにした。
「なのに犯人は魔女だとおっしゃるのですね?」
「それは……魔女の他にこのようなことをする者がいるとは思えませんので……」
「そうでしたね。エルズィング伯爵は頑なな人柄で諸侯からも支持され、決めたことは必ず成し遂げる信念の持ち主だったと伺っています。魔女以外(・・・・)からは恨みを買うことはなかったでしょう」
「ご容赦ください……」
 執事は額に汗を浮かべて身を小さくする。
 ゲーパも犯人が魔女であることは疑っていない。ただ、事の発端がエルズィング伯爵にある以上、無条件で伯を被害者として扱うことに抵抗があった。
 ゲーパは窓際へ歩み寄った。
「ここからエルズィング伯爵は転落したのですね?」
「窓を突き破る音を聞き、当直の兵士が駆けつけて火を消そうとしたのですが間に合いませんでした」
 エルズィング伯爵は火だるまのまま三階の窓を突き破って転落死した。窓は修復され、落下した場所にも痕跡は残されていない。
 部屋の中も入念に清掃が行われた。現在は開かずの間となって使用されず、近づく者もいない。
「魔女が残していったという菩提樹の枝はどうしましたか?」
「ベッドの上に置かれていましたが、伯爵夫人が気味悪いとおっしゃるので処分いたしましたが……問題だったでしょうか?」
「いえ、処分に係わった者に異変がなければ構いません。この部屋にも他に怪しい点は見当たりませんので安心してください」
 菩提樹の枝は魔女が自分の存在をアピールするためのもので、それ自体に特別な術や魔力が込められているとは考えていない。処分されたとしても、一向に構わなかった。
 執事に礼を言ってゲーパは城を出た。
「手掛かりになる物は何もなかったわね……」
 残念そうに呟く。レギスヴィンダに必ず成果をあげると宣言した以上、手ぶらのまま帝都へ戻ることは避けたかった。
「まだ調査を始めたばかりだ。続けていれば、手掛かりはきっと見つかるはずさ」
「そうね。フリッツィが何か見つけてきてくれるかもしれないし」
 同行するオトヘルムに励まされながら、ゲーパは街の中を歩いた。
 やがて、目の前に噴水のある広場が見えてくる。宮廷騎士団が待機しており、噴水の前でフリッツィがハトを集めて話を聞いていた。
「フリッツィ!」
 ゲーパが呼びかける。ハトが飛び去り、二人が戻ってきたことに気づくとフリッツィが答えた。
「ゲーパ、オトヘルム、お帰り。どうだった?」
「ぜんぜん……手がかりらしい物は何も見つからなかったわ。そっちは?」
「こっちもさっぱりよ。猫やネズミにまで訊いて回ったんだけど、目撃情報はなし。ただ、ハトの中に、魔女が出た日の真夜中に、北に飛んでく流れ星みたいなのを見たっていう子がいたわ」
「流れ星……何かしらね?」
「さあ。自分で訊いといてなんだけど、あんまり信用できる話じゃないわよ。だって、鳥ってみんな夜中は眠ってるもの。寝ぼけて何かと見間違えたんじゃない?」
 フリッツィは当てにならない話だと切り捨てたが、ゲーパは何かが気になった。
「北っていうと?」
 オトヘルムに訊ねる。
「真北だと、ライヒェンバッハ家の所領エスペンラウプだ」
「ライヒェンバッハ……」
 ゲーパの脳裏にフロドアルトが浮かぶ。あまり良いイメージではない。
 犠牲になった諸侯の中に、ライヒェンバッハ家とつながりのある人間はいない。今のところは。
「……そうね。あそこは守りが堅いし、何かあればすぐに帝都へ報せるでしょうから、今回は無理していく必要はないわね」
 予定は限られており、時間をかけている暇はない。早く結果を出さなければいけないという焦りがゲーパに二の足を踏ませた。
 調査団はレーゲラントを離れ、二番目の事件が起きた街へと向かうことにした。


 ゲーパたちがレーゲラントを離れたころ、その北に位置するライヒェンバッハ領エスペンラウプでは馬上槍試合が催されていた。
 各地から腕に自信のある騎士が集い、互いの実力を競い合っている。
 主催したこの地の領主が、娘を連れて観戦していた。
「どうだルオトリープよ、今の帝国内において、これだけの数の騎士を集められるのはわたしをおいて他にはいまい?」
 自画自賛しながら、傍らに控えた主治医に同意を求める。
「まったく、その通りでございます。彼らはみな、ルペルトゥス様の御前だからこそ、命をかけて試合に臨んでいるのです。それだけの価値と、この試合が催された目的を、彼らも理解しているということです」
「よく言ったルオトリープよ。ルームの栄光を守ることができるのは魔女との協和などではない。純然たる武力(ちから)だ。そのためには常に腕を磨き、いくさの準備を整えておかねばならぬ。わたしにはその責任と、実行するための意志がある」
 思いどおりの返答にルペルトゥスは満足する。今やルオトリープへの信頼は絶大で、公爵は何をするにも主治医を傍に置いて意見を求めた。
 甲冑に身を包んだ屈強な男たちがぶつかり合うたびに歓声が上がり、試合会場は熱気でむせかえる。
 そしていよいよ興奮が最高潮に達したところで、この日の試合で最もルペルトゥスが期待を込め、出番を心待ちにしていた騎士が現れた。
「見ろ、ルオトリープ。あれこそが素手で熊を殺したこともあるというベルンドルファーだ!」
 注目の騎士の登場に、ルペルトゥスは身を乗り出す。そんな父とは対照的に、隣の席に座る娘は倦んで疲れたような表情を浮かべた。
「どうされたのですか、ゴードレーヴァ様。ご気分が、優れないようですが?」
 主治医はすぐに、公女の様子に気づいた。
「なんだ、ゴードレーヴァよ。もう飽きてしまったのか? いよいよ、真打の登場という時に」
「いえ、わたくしは……」
 娘は、試合を催した父の意図を読み取っていた。
 ルペルトゥスは菩提樹の枝の魔女を討伐するための騎士や兵士を集めていた。
「……お父様、皇帝陛下は菩提樹の枝の魔女を捕らえるための調査団を発足したと伺いました。そのような折に、このような大規模な行事を催す必要があるのでしょうか?」
 元々魔女への理解が深かったゴードレーヴァは、魔女との共和を謳ったレギスヴィンダの考えに賛同した。にもかかわらず、ルペルトゥスは菩提樹の枝の魔女を討伐するためだけでなく、軍事力そのものを拡充しようとしている。その目的は魔女との全面対決を想定したものであり、皇帝の御意に真っ向から反するものだった。
 ゴードレーヴァは、こんなことを行えば魔女との共存どころか、帝国内の秩序さえも破壊してしまうのではないかと不安を抱かずにはいられなかった。
 そんな娘の胸の内など顧みることもなく、父は苛立つように答える。
「ゴードレーヴァよ、帝国に牙を剥くのは菩提樹の枝の魔女だけではない。無数の妖婦どもが闇に身をひそめ、虎視眈々と攻撃の機会を窺っているのだ。奴らに甘い顔を見せてはならぬ。お前も、魔女と分かり合えるなどという幻想は捨てよ。いつまでも、子供ではないのだぞ。フロドアルトが皇帝と成婚すれば、お前がライヒェンバッハ家を継がねばならぬということを肝に銘じておけ!」
 娘の言葉など聞く耳もなく、父はお気に入りの騎士に声援を送る。
 騎士が勝利すると父は歓喜し、大会の成功に自信を深めた。


 馬上槍試合が終了した後、ライヒェンバッハ公の主治医であるルオトリープは自宅を兼ねた研究室へ帰った。
 一人の女と一羽のフクロウが、男の帰りを待っていた。
「大変、盛況だったみたいね? 街中にまで歓声が響いていたわ」
「ライヒェンバッハ公はご満悦だ。多くの騎士を発掘し、これで帝国は安泰だと自画自賛している」
 ルオトリープは疲れたようにイスに腰かけ、テーブルに置いてある度の強いアルコールの瓶に手を伸ばす。フクロウが男の肩にとまった。
 女は冷めた口調で続けた。
「あなたもよくやるわね。あんな死に損ないの相手を」
「これも仕事のうちさ。わたしはライヒェンバッハ公から多大な支援を頂いている。その分は、喜んで働かせてもらうつもりさ」
「よくいうわ。あなたが何を考えているのか、わたしにもさっぱり分らないわ」
「今のわたしはただの奉仕者さ。ライヒェンバッハ公の希望をかなえるためだけに生きている」
「それがかなった時には、いったいこの国はどうなるのかしらね?」
「それは公の望み次第さ。彼は満たされない欲求を抱えている。そのためなら、命を捨てても構わないと願うほどのね。まるで君と同じじゃないか?」
 ルオトリープは皮肉な笑みを浮かべる。
「だったら好きにすればいいわ。でもね、手を差し伸べる相手を間違えると、その手を掴まれたまま一緒に地獄へ落ちることになるわよ」
「忠告、肝に銘じておくよ。でも、君はそんなことしないだろう?」
「……どうかしらね」
 イドゥベルガがそっぽを向くと、ルオトリープは苦笑したままアルコールをあおった。
「それより、君を捕まえるために皇帝が調査団を組織した。遅ればせながらといったところだけど、用心はしておいた方がいい」
「いらないお世話よ。わたしが人間なんかに捕まると思って?」
「しかし、皇帝には例の魔女がついている。今の君では、まだ彼女には敵わない」
「分かっているわ。今は、まだね……」
 ルオトリープはアルコールの瓶をテーブルに置く。イドゥベルガはそれを手に取り、自分の口へ運んだ。
 吐き出される酒気に敵愾心がこもる。フクロウは静かに、男と女を見つめた。
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