第15話 招かれざる客 Ⅰ
文字数 3,320文字
渓谷の本拠地を失った魔女たちは、一時的に身をひそめるための仮寓の城へ移った。そこで状況の伝達と確認を行った。
「ギスマラから報せがあった。エルシェンブロイヒがやられたそうだよ」
左目に銀の眼帯をつけた魔女が口を開いた。
「帝国もやるもんだねぇ。あたしは今度こそ、プライゼンも陥ちると思ったんだけど」
金色の長髪に、銀の髪飾りをつけた魔女が答えた。
「帝国軍によるものではあるまいて。恐らくは、例の者が加わったのじゃ」
左手の薬指に銀の指環をはめた魔女がいった。
「それって、ファストラーデを傷つけたハルツの魔女のこと?」
銀糸を編んだ衣服を纏った幼年の魔女が訊ねた。
眼帯の魔女は頷いて答える。
「エルシェンブロイヒの不死の術を斬り裂けるのは、ランメルスベルクの剣だけさ。会いに行かなきゃね。落とし前をつけるために」
「それは構いませんが、何もまた、全員で押し掛ける必要もないのでは? わたくしたちには、他にもやることがありますし」
銀の靴を履いた、車椅子の魔女がいった。その後ろで、背の高い銀のマスクの魔女も無言のまま同意する。
「分かってるよ。ヴィルルーンたちは新しい城の建設を続けてればいい。ファストラーデの棺の番もいるし、ハルツの魔女を殺してランメルスベルクの剣を奪ってくるぐらい、ボク一人でも十分だ」
眼帯の魔女が答えると、髪飾りの魔女が反対した。
「バカをいうな。お前一人を行かせたら、ハルツの魔女どころか帝都の住民を皆殺しにしかねない。面倒だが、あたしもついて行ってやるよ」
「それでは、わらわはここに残るとしよう。行方をくらませているフレルクについても調べねばならぬのでな」
指輪の魔女がいった。
「あたしも、リントガルトについて行っていい? もう一回、帝都で遊んでみたい」
「いいよ。じゃあ決まりだね。ボクとスヴァンブルクとリッヒモーディスで帝都へ行って、ハルツの魔女を殺してランメルスベルクの剣をもらってくる。それでいいよね?」
眼帯の魔女が訊ねると、反対する者はいない。
「待っていろ、ハルツの魔女。ボクがバラバラに切り刻んでやる!」
三人の魔女が帝都へ向けて、仮寓の城を飛び立った。
その日、ゼンゲリングの戦いに勝利した帝国軍が、帝都プライゼンへ凱旋した。
皇帝皇后を失い、存亡の危機にあったルーム帝国を救ったのは、若干十六歳の皇女レギスヴィンダだった。
自ら戦場で指揮を執り、諸侯を束ねて死者の軍勢を打ち破った手腕は、帝位を継承する者として申し分ない実績となった。国民はレギスヴィンダに対し、救国の大英雄レムベルト皇太子の再来を予感した。
帝都の住民はこぞって帝国軍を出迎えると、レギスヴィンダに向かって割れんばかりの歓声をあげる。
「新英雄 !」
「新皇帝 !」
「グローセス・ルームライヒ。大ルーム帝国万歳!!」
新たな英雄の誕生を祝福する人々の声に、レギスヴィンダに変身したフリッツィが馬上から手を振る。
「……いいのかな、あたしで」
「構わないさ。事実、指揮を執っていたのはフリッツィだ。もっと胸を張って堂々とすればいい」
「そうだけど、なんだか気がひけるわね……」
並行するヴァルトハイデにいわれてレギスヴィンダのふりを続けるが、申し訳ないやら誇らしいやらで、複雑な気分だった。
そのころ宮殿では、勝利を祝うため夜会の準備が行われていた。
市中で行われているパレードには目をくれる暇もないほど、大勢の召使や下男下女が慌ただしく動き回っている。そんな慌ただしさの中、人知れず皇女の下を訪れる者がいた。
一足早く帝都へ帰還したフロドアルトだった。
「ゼンゲリングでは大変な戦いだったと聞きました。従兄 様が無事で何よりでした」
「大変なものか。わたしは帝国に不要な灌木を間引いただけだ。労いの言葉なら、例の魔女たちにかけてやるのだな」
汚れ役に徹したフロドアルトには、ゼンゲリングの戦いに参加して死者の群に勝利したという自覚はない。ましてや自分は一度彼らに完敗しており、その相手を見事に討ち果したハルツの魔女に対して、好意的な感情を抱けるはずがなかった。
フロドアルトは苦み走るコーヒーの入ったカップを置いて、本題を切り出した。
「例の暗殺計画、やはり事実であった」
「ディンスラーゲ侯爵の件につきましては、すでに伺っています。事前に把握できていたのであれば、他にやりようがあったのではありませんか?」
「やりようとは?」
「命まで奪う必要はなかったのではと申しているのです。ディンスラーゲ侯爵に不満があり、あのような手段に訴えなければならないほど追い込まれていたというのであれば、やはり皆の前でもう一度話し合い、すべて説明すべきだったのではとわたくしは思っているのです」
「あいかわらず甘いな。理由がどうであれ、ディンスラーゲは帝室に弓を引いたのだ。本来ならば一族郎党までも罪を負って処断されるべきところを、今回は奴の命だけで済ませてやったのだ。むしろ寛大な処置だと感謝されるべきではないか?」
フロドアルトは、ディンスラーゲ侯爵の皇女暗殺未遂事件を表ざたにはしなかった。
より強大な敵に対して結束しなければならない現状に置いて、有力諸侯の中から謀反人を出すわけにはいかなかった。
ディンスラーゲ侯爵はあくまでも戦闘によって散華したのであり、帝国に殉じた英雄の一人として御霊を安んじられた。
このような状況もあって、レギスヴィンダは心から勝利を喜ぶ気にはなれなかった。しかし、フロドアルトはだからこそ現実から目をそらさせるためにも、盛大に勝利を祝い、散華した者たちを英霊として祭り上げる必要があると主張した。
死者との戦いを、叛逆者を排除するための機会として利用し、その排除された叛逆者の魂さえも、ゆるぎない帝国の礎を固めるための材料として再利用するフロドアルトのやり方に、レギスヴィンダは大いなる価値観の相違を感じずにはいられなかった。
それでも今はまだ、手段の違いはあっても目指している場所は同じであると信じた。
皇女と公子が会談を行っているころ、パレードを終えたヴァルトハイデとフリッツィがシェーニンガー宮殿に帰着した。
「あぁ疲れた……お姫様役なんてこりごりよ。こんなに肩がこるなんて思わなかったわ……」
フリッツィは部屋へ戻るなり、皇女の衣装のままぐったりとソファーに腰かけた。
「最後まで大変だったわね……」
感心するやら、同情するやら、苦笑交じりにゲーパが労った。
戦いの指揮を執っていたころから偽者だとばれないように気を使い、慣れない言葉使いや挙措に四苦八苦していた。肉体はもちろん、重圧から来る精神的な疲労は計り知れなかった。
「今回の戦いの最大の功労者はフリッツィだったかもしれないな」
おだてやお世辞ではなく、本心からヴァルトハイデがいった。
「まあね。でも、あの娘も立派よ。こんなこと毎日続けてるんだから。皇帝の娘になんて生まれるもんじゃないわね……」
歓喜する人々がシャワーのように降らせた花びらが、髪の間に絡まっていた。それをつまむと、フリッツィはフッと吹き飛ばした。
「そのお姫様が、ご褒美じゃないけどパーティーを用意してくれてるわよ。グローテゲルト伯爵夫人も来るんだって」
「フェルディナンダが? 戦いには参加しなかったくせに、ご褒美だけ貰いに来るなんてずうずうしいわね」
「伯爵家は騎士団を有していなので仕方あるまい。フリッツィの活躍を聞けば、さぞ喜ぶだろう」
「そうね。ところでパーティーがあるんなら、あなた達にもこれを渡しておかないとね」
何やら意味深に呟いて、ある物を取り出した。
「……何だそれは?」
「決まってるでしょ。マスクよ、マスク。貴族のパーティーっていったら、こういうのをつけて見知らぬ男女が一夜のアバンチュールを楽しむものなのよ」
フリッツィが取り出したのは、蝶が羽を広げたような仮面だった。
「二人ともおくてなんだから、こんな機会でもないといい男捕まえられないでしょ。感謝しなさいよ。ほんとあなた達って何も知らないんだから」
何やら間違ったイメージを抱いているようだったが、ヴァルトハイデもゲーパも誤解を解こうとはしなかった。
「ギスマラから報せがあった。エルシェンブロイヒがやられたそうだよ」
左目に銀の眼帯をつけた魔女が口を開いた。
「帝国もやるもんだねぇ。あたしは今度こそ、プライゼンも陥ちると思ったんだけど」
金色の長髪に、銀の髪飾りをつけた魔女が答えた。
「帝国軍によるものではあるまいて。恐らくは、例の者が加わったのじゃ」
左手の薬指に銀の指環をはめた魔女がいった。
「それって、ファストラーデを傷つけたハルツの魔女のこと?」
銀糸を編んだ衣服を纏った幼年の魔女が訊ねた。
眼帯の魔女は頷いて答える。
「エルシェンブロイヒの不死の術を斬り裂けるのは、ランメルスベルクの剣だけさ。会いに行かなきゃね。落とし前をつけるために」
「それは構いませんが、何もまた、全員で押し掛ける必要もないのでは? わたくしたちには、他にもやることがありますし」
銀の靴を履いた、車椅子の魔女がいった。その後ろで、背の高い銀のマスクの魔女も無言のまま同意する。
「分かってるよ。ヴィルルーンたちは新しい城の建設を続けてればいい。ファストラーデの棺の番もいるし、ハルツの魔女を殺してランメルスベルクの剣を奪ってくるぐらい、ボク一人でも十分だ」
眼帯の魔女が答えると、髪飾りの魔女が反対した。
「バカをいうな。お前一人を行かせたら、ハルツの魔女どころか帝都の住民を皆殺しにしかねない。面倒だが、あたしもついて行ってやるよ」
「それでは、わらわはここに残るとしよう。行方をくらませているフレルクについても調べねばならぬのでな」
指輪の魔女がいった。
「あたしも、リントガルトについて行っていい? もう一回、帝都で遊んでみたい」
「いいよ。じゃあ決まりだね。ボクとスヴァンブルクとリッヒモーディスで帝都へ行って、ハルツの魔女を殺してランメルスベルクの剣をもらってくる。それでいいよね?」
眼帯の魔女が訊ねると、反対する者はいない。
「待っていろ、ハルツの魔女。ボクがバラバラに切り刻んでやる!」
三人の魔女が帝都へ向けて、仮寓の城を飛び立った。
その日、ゼンゲリングの戦いに勝利した帝国軍が、帝都プライゼンへ凱旋した。
皇帝皇后を失い、存亡の危機にあったルーム帝国を救ったのは、若干十六歳の皇女レギスヴィンダだった。
自ら戦場で指揮を執り、諸侯を束ねて死者の軍勢を打ち破った手腕は、帝位を継承する者として申し分ない実績となった。国民はレギスヴィンダに対し、救国の大英雄レムベルト皇太子の再来を予感した。
帝都の住民はこぞって帝国軍を出迎えると、レギスヴィンダに向かって割れんばかりの歓声をあげる。
「
「
「グローセス・ルームライヒ。大ルーム帝国万歳!!」
新たな英雄の誕生を祝福する人々の声に、レギスヴィンダに変身したフリッツィが馬上から手を振る。
「……いいのかな、あたしで」
「構わないさ。事実、指揮を執っていたのはフリッツィだ。もっと胸を張って堂々とすればいい」
「そうだけど、なんだか気がひけるわね……」
並行するヴァルトハイデにいわれてレギスヴィンダのふりを続けるが、申し訳ないやら誇らしいやらで、複雑な気分だった。
そのころ宮殿では、勝利を祝うため夜会の準備が行われていた。
市中で行われているパレードには目をくれる暇もないほど、大勢の召使や下男下女が慌ただしく動き回っている。そんな慌ただしさの中、人知れず皇女の下を訪れる者がいた。
一足早く帝都へ帰還したフロドアルトだった。
「ゼンゲリングでは大変な戦いだったと聞きました。
「大変なものか。わたしは帝国に不要な灌木を間引いただけだ。労いの言葉なら、例の魔女たちにかけてやるのだな」
汚れ役に徹したフロドアルトには、ゼンゲリングの戦いに参加して死者の群に勝利したという自覚はない。ましてや自分は一度彼らに完敗しており、その相手を見事に討ち果したハルツの魔女に対して、好意的な感情を抱けるはずがなかった。
フロドアルトは苦み走るコーヒーの入ったカップを置いて、本題を切り出した。
「例の暗殺計画、やはり事実であった」
「ディンスラーゲ侯爵の件につきましては、すでに伺っています。事前に把握できていたのであれば、他にやりようがあったのではありませんか?」
「やりようとは?」
「命まで奪う必要はなかったのではと申しているのです。ディンスラーゲ侯爵に不満があり、あのような手段に訴えなければならないほど追い込まれていたというのであれば、やはり皆の前でもう一度話し合い、すべて説明すべきだったのではとわたくしは思っているのです」
「あいかわらず甘いな。理由がどうであれ、ディンスラーゲは帝室に弓を引いたのだ。本来ならば一族郎党までも罪を負って処断されるべきところを、今回は奴の命だけで済ませてやったのだ。むしろ寛大な処置だと感謝されるべきではないか?」
フロドアルトは、ディンスラーゲ侯爵の皇女暗殺未遂事件を表ざたにはしなかった。
より強大な敵に対して結束しなければならない現状に置いて、有力諸侯の中から謀反人を出すわけにはいかなかった。
ディンスラーゲ侯爵はあくまでも戦闘によって散華したのであり、帝国に殉じた英雄の一人として御霊を安んじられた。
このような状況もあって、レギスヴィンダは心から勝利を喜ぶ気にはなれなかった。しかし、フロドアルトはだからこそ現実から目をそらさせるためにも、盛大に勝利を祝い、散華した者たちを英霊として祭り上げる必要があると主張した。
死者との戦いを、叛逆者を排除するための機会として利用し、その排除された叛逆者の魂さえも、ゆるぎない帝国の礎を固めるための材料として再利用するフロドアルトのやり方に、レギスヴィンダは大いなる価値観の相違を感じずにはいられなかった。
それでも今はまだ、手段の違いはあっても目指している場所は同じであると信じた。
皇女と公子が会談を行っているころ、パレードを終えたヴァルトハイデとフリッツィがシェーニンガー宮殿に帰着した。
「あぁ疲れた……お姫様役なんてこりごりよ。こんなに肩がこるなんて思わなかったわ……」
フリッツィは部屋へ戻るなり、皇女の衣装のままぐったりとソファーに腰かけた。
「最後まで大変だったわね……」
感心するやら、同情するやら、苦笑交じりにゲーパが労った。
戦いの指揮を執っていたころから偽者だとばれないように気を使い、慣れない言葉使いや挙措に四苦八苦していた。肉体はもちろん、重圧から来る精神的な疲労は計り知れなかった。
「今回の戦いの最大の功労者はフリッツィだったかもしれないな」
おだてやお世辞ではなく、本心からヴァルトハイデがいった。
「まあね。でも、あの娘も立派よ。こんなこと毎日続けてるんだから。皇帝の娘になんて生まれるもんじゃないわね……」
歓喜する人々がシャワーのように降らせた花びらが、髪の間に絡まっていた。それをつまむと、フリッツィはフッと吹き飛ばした。
「そのお姫様が、ご褒美じゃないけどパーティーを用意してくれてるわよ。グローテゲルト伯爵夫人も来るんだって」
「フェルディナンダが? 戦いには参加しなかったくせに、ご褒美だけ貰いに来るなんてずうずうしいわね」
「伯爵家は騎士団を有していなので仕方あるまい。フリッツィの活躍を聞けば、さぞ喜ぶだろう」
「そうね。ところでパーティーがあるんなら、あなた達にもこれを渡しておかないとね」
何やら意味深に呟いて、ある物を取り出した。
「……何だそれは?」
「決まってるでしょ。マスクよ、マスク。貴族のパーティーっていったら、こういうのをつけて見知らぬ男女が一夜のアバンチュールを楽しむものなのよ」
フリッツィが取り出したのは、蝶が羽を広げたような仮面だった。
「二人ともおくてなんだから、こんな機会でもないといい男捕まえられないでしょ。感謝しなさいよ。ほんとあなた達って何も知らないんだから」
何やら間違ったイメージを抱いているようだったが、ヴァルトハイデもゲーパも誤解を解こうとはしなかった。