第28話 菩提樹(リンデンバウム) Ⅲ

文字数 3,977文字

 アスヴィーネが残した命の糸を手繰って、レギスヴィンダたちが魔女の城へ迫ろうとしていた。
 不意に、先頭を歩くヴァルトハイデが立ち止まる。
「どうしたのですか?」
 レギスヴィンダが問いかけた。
「何者かが戦っている……」
 強い魔力の波動を感じる。同じように、ゲーパとフリッツィも立ちすくんだ。
「ファストラーデとリントガルトですね……?」
 もう一度、レギスヴィンダが訊ねた。
 先にミッターゴルディング城へ向かった騎士と魔女が、戦闘を開始したのだと思った。
「いいえ……」
 ヴァルトハイデは否定する。正確には迷っていた。魔力の一つはファストラーデのもので間違いない。しかし、他の魔力が誰のものなのか判断つかない。
「いったい何者が?」
「……分りません。ですが、リントガルトやファストラーデにも匹敵するほどの魔力が、あと四つ感じられます」
「四つも……まだ、それほどの魔女がミッターゴルディング城にはいるというのですか……?」
 レギスヴィンダはリントガルトの配下のうち、主だった者は帝国軍を迎え撃つために出払っていると考えていた。たとえ四人であっても、リントガルトやファストラーデに匹敵するほどの魔女が控えているとなると、ヴァルトハイデ一人でこれに立ち向かうのは困難に思われた。
「ともかく、急ぎましょう。ファストラーデやオトヘルム殿だけでは手に余るはずです」
 ヴァルトハイデが答える。
 ファストラーデたちと共闘できれば勝機はある。先に向かった者たちを助けるためにも、レギスヴィンダたちは道を急いだ。


 玉座の間に、ファストラーデの名を呼ぶオトヘルムの声が響いて消えた。
 柱に打ち付けられた女は(くずお)れ、立ち上がる力もないかに思われた。
「どうしたの、ファストラーデ? たったそれだけ? 今ならまだ許してあげるから、ボクのところへ帰っておいでよ。二人で、魔女の国を創ろうよ!」
 リントガルトが呼びかける。
 ファストラーデは潰えそうな意識をどうにか保ち、顔をあげて玉座の魔女に答えた。
「……リントガルト、確かにお前は強い。魔女の呪いに囚われていなくても、わたしの力ではお前に勝つことは難しいだろう。だが、わたしとて七人の魔女のリーダーだった意地がある!」
「リーダーだったから、ボクのいうことは聞けないっていうの?」
「そうだ。わたしは誇り高き胸甲の魔女ファストラーデ、誰の風下にも立ちはせぬ……!」
 ファストラーデは敢然と答え、立ち上がる。
「ルームの騎士とは手を組んだくせに!」
「あの男と結んだのは対等の同盟関係。お前のように、かつての仲間を人形のように操り、自分の寂しさを紛らわすための道具にはしない!」
「ボクが寂しい……?」
「そうだ、リントガルト。分っているぞ。お前が魔女の国にこだわるのも、わたしを屈服させようとするのも、そこにかすかな記憶の温もりを感じているからだ!」
「記憶の温もりだと……そんなものあるもんか! ボクがお前に求めてるのは、惨めに這いつくばって命乞いさせることだけだ! いつまでも、自分が愛されてるなんて思いあがるな!!」
「ならばやってみるがいい。お前の足下に、見事わたしを這いつくばらせてみよ!」
 ファストラーデはグリミングの剣を構えた。
「仕方がないね……ボクがこんなに許してあげるっていってるのに……みんな、あの女を死なない程度に痛めつけてよ。とどめは、ボクがさしてやるから!!」
 リントガルトは怒り心頭に発すると、四人の魔女をけしかけた。
「ヴィルルーン、ラウンヒルト、シュティルフリーダ、スヴァンブルク……こんなわたしに、よくついてきてくれた。感謝する……ギスマラ、今こそわたしに力を貸してくれ!」
 ファストラーデは残る魔力をすべて解放すると、猛然と四人に斬りかかった。
 最初の一太刀でラウンヒルトの左腕を刎ね、返す剣で足を振り上げたヴィルルーンの右膝を切断する。スヴァンブルクへは宙へ逃れるよりも早く詰め寄ると、白刃を横一線に振りぬいて胴体を上下二つの半身に薙いだ。
 最後に、上段に構えたグリミングの剣でシュティルフリーダを袈裟掛けにすると、そのまま余勢を駆って玉座の魔女に迫った。
「リントガルト、お前への想いは偽りではなかった。もしも生まれ変われたなら、今度は人の国で再会しよう……!」
 ファストラーデに容赦はなかった。鍵をかけた心が、かつての仲間に対する躊躇いを捨てさせた。
 迫りくる切っ先を前にしても、リントガルトは脇息に肘をついたまま微動だにしない。まるでファストラーデの想いが届いたかのように、潔く救いの刃を受け入れるかに思われた。
 が、正確にリントガルトの心臓を狙ったグリミングの剣は、直前になって気勢をそがれた。
「どうした、ファストラーデ!」
 最大の好機になぜ攻撃をやめるのかとオトヘルムが叫んだ。
 やめたのではない。やめさせられたのだ。床を突き破り、脚に木の枝が絡みついていた。
「……これは、菩提樹の枝!」
 それが何かを確かめ、ファストラーデが驚きの声を上げた。
 リントガルトがほくそ笑む。
「ご名答。やっぱりボクを守る最強の楯は菩提樹(これ)だからね。この城を修理するときに種をまいておいたんだ。しかも、ただの種じゃないよ。魔力を吸って成長する特別なものさ。なかなか芽を出さなかったけど、ファストラーデが暴れてくれたおかげで目が覚めたみたいだね!」
「くっ……」
 胸甲の魔女は脚に絡みついた菩提樹を切り払おうとした。が、それよりも早く、無数の枝葉が床を突き破って絡みつく。
 菩提樹は幹の中にファストラーデを閉じ込めると、天井へとどかんばかりに成長した。
「ファストラーデ!!」
 再びオトヘルムが叫んだ。
 魔女は身動きもとれず、残りの魔力までも吸いつくされる。手にしていた剣は床に落ち、脱出するすべさえ失った。
「惨めだね。足下に這いつくばらせることはできなかったけど、ボクが勝ったことに変わりはないよね?」
 リントガルトが勝ち誇る。ファストラーデは、万策尽きた。
「くそっ! こんなときにオレは、ただ見ていることしかできないのか……!」
 助けに入ろうにも圧倒的な力の差が、それを許さない。オトヘルムは何もできない自分をなじった。が、諦めかけたとき、ある物が目に映った。
「あれは……!」
 床に落ちたグリミングの剣だった。
 兄から受け継いだ剣に誓って、魔女に屈するわけにはいかなかった。オトヘルムは剣を取り戻せばまだ戦えると考え、そのためのタイミングを見計らった。
 リントガルトは玉座に腰かけたまま、ファストラーデ以外のことは見ていない。
 傷つけられた四人の魔女は息絶えてはいないものの、動ける状態ではない。
 今ならと、オトヘルムが駆け出そうとした瞬間だった。それを予期していたように、横から手を伸ばす者がいた。
「リントガルト様の邪魔をすることは許しません。これは、わたくしが預かっておきます」
 キューネスヴィトである。
 股肱の魔女は、自分の身長の何倍もの長さに肘を伸ばすと、その場から一歩たりとも動くことなく剣を奪い去る。
 オトヘルムは失念していた。この城にまだ魔女が残っていたことを。
「なんだお前、まだいたの?」
 リントガルトは思い出したようにオトヘルムへ視線を向けた。
 万事休すだった。胸甲の魔女は身動きもとれず、騎士は伝家の宝刀を奪われ為す術を失った。
「ちょうどいいやキューネスヴィト、その剣を貸してよ。それで、ファストラーデの心臓をえぐり出してやるから!」
「はい、リントガルト様」
 リントガルトは玉座から立ち上がり、ファストラーデに歩み寄る。剣を受け取ると、ニヤニヤしながら幹に呑まれた魔女の顔を覗き込んだ。
「どうなの、今の気持は? 誇り高いファストラーデには、さぞ屈辱だろうね。そうだ。最後にもう一回だけ聞いてあげる。今からでも降参しなよ。ボクの人形にして、かわいがってあげるから」
「何度いわれても同じことだ。済まない、リントガルト。お前を救ってやれなかったわたしを許してくれ……」
「それが答えなの? 最期まで強情なんだね……だったら、ホントに殺してやるよ!」
 リントガルトは苛立ちを募らせると、魔女の胸甲に切っ先を向けた。
「やめろ! そんなことをすれば、お前は本当に人でも魔女でもいられなくなるぞ!!」
 オトヘルムが叫んだ。リントガルトは白けたように答える。
「うるさいな。ファストラーデを殺したら、次はお前をあの世に送ってやるから、そこで大人しくしてなよ!」
 改めてファストラーデに向き直ると、今度こそ切っ先に殺意を込めた。
「何か、言い残したことがあったなら聞いてあげるよ?」
「……そんなものあるものか。さあやれ。わたしを殺すことで、少しでもお前の気が晴れるのならそれでいい。レムベルトがオッティリアの心臓を貫いたように、同じ傷口にその剣を突き立てろ」
 ファストラーデは観念した。これ以上、抗う力は残されていない。次に来るであろう魔女に願いを託し、潔く散ることを決めた。
「フフフ、それでこそファストラーデだ! 這いつくばって命乞いする所も見たかったけど、ファストラーデは最期までファストラーデのままじゃないとね。さよなら。嘘でもボクを仲間にしてくれてありがとう。みんなと過ごした、あのころはホントに楽しかったよ。せめて、苦しまずに殺してあげるね!」
 リントガルトがグリミングの剣を握りしめる。ファストラーデは目を閉じ、この世との別れを覚悟した。
「やめろーーーー!!!!」
 オトヘルムが叫んだが、その声は届かない。
 リントガルトがファストラーデの心臓の位置へ狙いを定めた時だった。
 玉座の間に別の誰かの声が響いた。
「そこまでだ、リントガルト!」
 名前を呼ばれた魔女は手を止め、声の方向へ視線を向ける。
 広間の入り口に、ヴァルトハイデの姿があった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み