第47話 わたしは待つ Ⅰ

文字数 3,544文字

 眠りについた帝都プライゼンを、白い月が照らす。
 出歩く者もいない深夜に、帝都の広場に立つ女がいた。
「ここが、ルーム帝国の都……」
 ルオトリープからヴァルトハイデを連れてくるよう言われたつぎはぎの魔女は、すぐにその指示を実行した。
 とはいえ、彼女はヴァルトハイデを知らない。帝都へ来るのも初めてだった。
 右も左も分からず広場に立ち尽くしていると、自分を見つめるような石像があるのに気づいた。
「救国の大英雄……わたしは、この男を知っている?」
 レムベルト皇太子の像を見上げながら呟いた。初めて見るはずなのに、初めてじゃない気がする。記憶の断片が刺激された。
「そこで何をしている!」
 突然の誰何(すいか)だった。
 夜警の兵士が、不審な女を発見して声を放った。女はゆっくりと振り返り、兵士に答えた。
「ここに、ヴァルトハイデという魔女がいると聞いたわ。あなた、知っている?」
「ヴァルトハイデだと!?」
「知っているのね?」
 兵士がそれらしき反応を示すと、女は魔力を解き放った。
「うっ……」
 女から放たれた魔力が兵士を押さえつけ、金縛りにする。兵士は重圧で、呼吸が止まりそうになった。
「ヴァルトハイデがどこにいるのか、教えてくれる?」
 女が問いただすと兵士は意識と無関係に右腕をあげ、シェーニンガー宮殿を指差した。
「そう。あそこにいるのね……」
 宮殿を見やると、女は夜の暗闇に溶け込むように姿を消す。解放された兵士は意識を失い、その場に倒れた。


 皇帝の居城では寝室の窓をあけ、レギスヴィンダが帝都を去った魔女に呼びかけていた。
「ヴァルトハイデ、あなたはどこにいるのですか?」
 月は何も答えずに、淡い光で地上を照らす。彼女の居場所を教えてくれる者はいない。
 それでもレギスヴィンダは、いつか戦いを終わらせ、この国に本当の平和をもたらして魔女が帰ってくると信じた。
「……あなたは、ヴァルトハイデを知っているの?」
 不意に、窓を閉じようとしたレギスヴィンダの背後から声がした。
 驚きながら振り返ると、部屋の隅に銀の冠をかぶった顔に皮膚を縫い合わせた痕のある女が佇んでいた。
 いったい、どこから侵入したのか、いつから居たのか、気づきもしなかった。ひとつだけ理解できたのは女の特徴が、もっか問題となっているもう一人の魔女に酷似していることだった。
 女は威嚇するでも命令するでもなく、夜のしじまに声を響かせた。
「わたしも、ヴァルトハイデに会わせてくれますか……?」
 レギスヴィンダは、幻でも見ているかのような印象を受けた。
 女は存在自体が非現実的で、敵意や脅威も持ち合わせていない。なのに女の手のひらに命を握られているような、生きた心地がしなかった。
「……ヴァルトハイデは、ここにはいません」
 レギスヴィンダは何と答えていいのかわからなかった。嘘をついてもすべて見透かされるような気がして、本当のことをいうしかないと思った。
「どこへ行けば会えるの?」
「分りません。ヴァルトハイデは帝都を去り、姿を消してしまいました」
「どうして?」
「……ある魔女を滅ぼすためです」
「ある魔女?」
「その魔女は銀の冠をかぶり、顔に皮膚を縫い合わせたような痕を残し、何かを探しているといっていました……そう、今のあなたのようにです」
「……ヴァルトハイデは、わたしを滅ぼそうとしているの?」
 レギスヴィンダが「はい」と頷くと、女は理解できないといった様子で寂しそうに答えた。
「どうして、わたしを滅ぼそうとするの?」
「それは、あなたが存在していてはいけないからです」
「わたしが?」
「あなたは、わたしの命を奪うため、ルオトリープに命じられてここへ来たのでしょう?」
「ルオトリープ……?」
「あなたを生み出した張本人です」
「……違うわ」
「何が違うというのです?」
「あなたには、興味がないわ。わたしが会いたいのは、ヴァルトハイデだけ」
「わたくしには、興味がないと……?」
「彼がいったの。ヴァルトハイデと一つになれば、わたしの探している物はきっと見つかると」
「彼とは、ルオトリープですね?」
「そうよ」
「なのに、わたくしには興味がないというのですか?」
「彼は、他のことは何もいわなかったわ」
「他のことは何も……では、あなたはいったい何を探しているというのですか?」
「分らないわ……」
 女との会話は曖昧模糊とし、レギスヴィンダにはまるで内容が掴めなかった。それでも彼女が嘘をついたり、誤魔化したりしているといった印象は受けない。
 不思議なほど彼女に対しては正直に、彼女もまた真実のみを語ってくれているような気がした。
 そんな女に、レギスヴィンダは生命の危険を感じながらも、強く興味をひかれた。
 彼女がまるで、生まれたての少女のように、純粋で、無垢で、汚れを知らぬ存在に見えたからである。そして彼女が何を探しているのか、とても気になった。
「あなたは、自分でも分からないものを探しているというのですか?」
「そうよ。わたしが目を覚ました時から、この胸に欠けた何かが、わたしにそれを見つけてほしいと訴えかけるの……」
「いったい、どうやって?」
「分らないわ……でも、ヴァルトハイデに会えば、きっとそれを見つけられる」
「なぜ、ヴァルトハイデに会えば見つけられると思うのですか?」
「彼がいったの」
「ルオトリープが……?」
「わたしは一人じゃ生きられない。この命を維持するためには、多くの魔女の身体が必要なの。でも、他の魔女じゃ、すぐに身体が傷んで使い物にならなくなる。だから、わたしと同じ目を持つヴァルトハイデの身体が必要だと……」
「ヴァルトハイデの身体が……あなたの目的は、ヴァルトハイデの命ではないのですか?」
「命は必要ないわ。わたしが欲しいのは身体だけ。ヴァルトハイデの身体があれば、わたしは今よりもずっと長く生きられる。そうすれば探している物も、いつか見つけられるでしょう?」
 レギスヴィンダは戦慄した。女の要求は、ただ命を奪うという単純なものではなく、はるかに異常で、とても容認できるものではないと思われた。
「そんなことのために、ヴァルトハイデを……」
「そんなことじゃないわ。わたしにはとても大切なこと。それに、わたしと一つになることは、ヴァルトハイデにとっても幸せなことのはずよ」
「なぜ、あなたと一つになることが、ヴァルトハイデにとっても幸せなことなのですか? それも、ルオトリープがいったのですか?」
「違うわ。彼女は、わたしを滅ぼそうとしているのでしょう? そんなこと、できるはずがないわ。だったら、無駄に傷つけあうよりも、ともに生きることを選びましょう。人も魔女も、争う必要なんてないのよ」
 レギスヴィンダにとって、女の主張はとうてい受け入れるものではなかった。それでも、彼女を拒絶することもできなかった。
 おそらく彼女は純粋すぎるため、自分がしようとしていることが理解できていないのだろう。そこをルオトリープに付け入られ、いいように利用されているのだ。
 レギスヴィンダは、自分が彼女の探している物を見つけてやることができればルオトリープの呪縛からも逃れ、戦わずに済むのではないかと思った。
「もしも探している物が見つかったら、あなたはどうするのですか?」
「なにもしないわ。わたしは、ただ静かに眠りたいだけ。心の声が、それを邪魔するの……」
「それは、死を受け入れるということですか?」
「……分からないわ。でも、わたしは、この時代に目を覚ましていてもいい存在じゃない。ずっと、そう感じているの」
「ルーム帝国やハルツを滅ぼしたいのではないのですね?」
「違うわ。人にも魔女にも興味はないわ。わたしが欲しいのは、穏やかな静けさだけ。そのために、ヴァルトハイデの身体が必要なの……」
 つぎはぎの魔女は誤魔化すことなく、はっきりと意思を持った言葉で答えた。
 レギスヴィンダは、彼女を信じた。その純粋さが、彼女自身にも嘘をつけさせないのだと思った。
「……分りました。たとえそれが事実だとしても、あなたとヴァルトハイデを会わせるわけにはまいりません。その代わりに、わたくしがあなたの探している物を見つけて差し上げます。だから、ルオトリープの言葉に惑わされないでください」
「あなたなら、わたしの探している物を見つけられるの……?」
「この身にかけて約束します」
「あなたはいったい……」
「わたくしはこの国の皇帝、レギスヴィンダ・フォン・ルームライヒです」
「あなたが、ルームの皇帝……」
 つぎはぎの魔女は、レギスヴィンダの首にかかる皇帝の証である銀のペンダントに気づいた。
「それは……」
 かすかに何かを想い出したようだった。
 レギスヴィンダを見つめるつぎはぎの魔女の視線が、敵意に変わった。
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