第28話 菩提樹(リンデンバウム) Ⅰ

文字数 3,558文字

 黒き森に朝陽が昇る。
 魔女と同盟を結んだ騎士は、昨夜のうちにミッターゴルディング城の間近まで迫っていた。
「夜討ち朝駆けは兵法の鉄則だ!」
 そういって、すぐにも敵の本丸へ乗り込もうとした。
「待て、暗闇は負の感情を刺激する。わざわざ不利な条件で戦う必要はない」
 ファストラーデはオトヘルムの提案を退けると、森の片隅で朝が来るのを待つことにした。
 小鳥が目を覚まし、梢で歌う。木々の間からは、陽射しが差し込んだ。
 オトヘルムは出立の準備を整えると自分に気合を入れた。
「……よし、行くぞ!」
 敵に気取られぬよう静かに闘志をみなぎらせる。ファストラーデは先に目を覚まし、偵察にでていた。
 近くの茂みが音を立てた。胸甲の魔女が戻ってくる。
「目が覚めたか。城へ乗り込むぞ。準備は出来ているな?」
「勿論だ……」
 オトヘルムは、今さら当たり前のことを聞くなとばかりに答えた。が、あることに気づいて戸惑った。
 ファストラーデの胸甲に返り血がこびりついていた。
「これか? リントガルトの手下に遭遇したのでな」
「戦ったのか?」
「安心しろ。気づかれる前に殺した。死体も処分しておいたので見つかることはない」
「そうか……」
 オトヘルムはファストラーデの非情さに面食らうも、自分たちはそういう(・・・・)場所に来ているのだということを再認識した。
「行くぞ」
「お、おう!」
 魔女は事もなげに歩き出す。騎士は、その後に続いた。
 黒き森の最深部。峨々たる岩山のふもとにミッターゴルディング城は聳え立つ。
 いつ誰が最初にこの場所に城を建てたのかは定かでない。一説にはルーム帝国が成立するよりも古い時代に、ハルツと対立する魔女の集団が隠れ住むために使用したと云われている。
 ファストラーデは岩山の道を進んでいくと、あるところで足を止めた。
 城門に、二人の女が立っていた。
「ヘルツェライデ、ヘルツェロイデ……お前たちもか…………」
 まるで何か考え違いがあったかのように、ファストラーデが二人の名前を呼んだ。
 女たちは同じ顔、同じ背丈、同じ魂と魔力を持った双子の魔女である。二人はリントガルトが呼び寄せた、城を守る最強の門番だった。
「この城に近づく者は何人たりとも生かしてはおかない」
「ファストラーデ、あなたであってもだ」
 胸甲の魔女は、表情をこわばらせた。
「悪いが、オレたちはリントガルトに用がある。城の中へ、入れてもらうぞ!」
 オトヘルムが戦闘準備に入ろうとした。ファストラーデが、それを制止する。
「やめろ、お前の歯の立つ相手ではない」
「なっ……オレを見くびるつもりか!」
「そうだ。お前がいても足手まといになるだけだ。わたしが相手をする。下がっていろ」
 承服しかねるオトヘルムを無視し、胸甲の魔女が歩み出る。
 双子の魔女は悲しそうにファストラーデを見つめた。
「ヘルツェロイデ、これも運命か……」
「ヘルツェライデ、ならばしかたない……」
 双子の魔女は互いに呼びあうと、首から下が翼をもった獅子へと変化する。
 二頭の魔獣は鋭い爪の生えた前脚を振り上げ、ファストラーデに襲いかかった。


 レギスヴィンダたちはアスヴィーネの遺体を森に葬った後、沢のほとりで夜を明かした。
「では、わたしは一足先にエルラを連れて村へ戻ります」
「頼みましたよ」
 エルラは意識を失ったまま、ディナイガーの背中にくくられる。彼女が目を覚ました時、もうそばに姉はいない。なぜ姉が亡くなったのかも、覚えていないだろう。あるいは、その方が幸せかもしれないが。
 ディナイガーを見送ると、レギスヴィンダたちはアスヴィーネが残した真っ赤な道標に沿って歩きだす。が、その前に、フリッツィが指をさした。
「あれ、どうするの?」
 大柄な魔女と小柄な魔女が、ツタの縄で縛りあげられている。意識はもどっているが、もう手向かう気力は残っていない。
「このままにしておいて構いません。わたくしたちがいなくなれば、自力で縄を解くでしょう」
 その後は好きにすればいいとレギスヴィンダは答える。なおも執拗に追ってくるようなら、その時は改めて引導を渡すしかない。だが、そんなことをしても無駄なことは理解しているようだった。


「ファストラーデ、しっかりしろ!」
 片膝をついた胸甲の魔女にオトヘルムが駆け寄る。双子の魔女は大地に斃れ、元の姿で息絶えていた。
「大丈夫だ。少し、息が詰まっただけだ……」
 ファストラーデは気丈に答えるも、その胸部を覆った銀の甲冑はほぼ全体を黒くくすませている。
 これ以上魔力を使い続ければ、その両胸に植えつけられた呪いの魔女の乳房が肉体を蝕み、最後には精神までも侵して自滅をさそうだろう。
 そうなれば、ファストラーデは生命も魔力もすべて使い果たして絶命する。悪ければ死ぬことさえもできず、呪われた魂を汚れた肉体の檻に閉じ込めたまま、死者と生者の間を永遠にさ迷うことになる。
 もしも魔女の呪いを抑える特別な力を持った金属があれば、ファストラーデに許された残りの時間を長らえさせることも可能だが、本人はそんなことすら望んでいなかった。
 敵であるはずの七人の魔女のリーダーだった女を見やりながら、オトヘルムは複雑な感情をもてあました。
「……いまこんなことを言うのは間違っているかもしれないが、オレはお前がリントガルトと共倒れになればいいと願っている。しかし、お前には生きていてもらわなければ困る。生きて罪を償え。それがレギスヴィンダ様の願いだ!」
 ファストラーデは相反する命題を突きつけられて腐心する。それでも正直な騎士の言葉に奮い立たずにはいられなかった。
「勝手なことをいう男だ。いいだろう、胸の片隅ぐらいには留めておいてやる…………」
 このまま倒れてしまえば楽になれただろう。そんな思いがなかったわけではない。それでもファストラーデは折れそうな脚に力をいれて立ち上がった。
 騎士と魔女は最後の戦いに向け、ミッターゴルディング城の門を開いた。
「ようこそおいで下さいました、ファストラーデ様」
 迎え出たのは股肱の魔女キューネスヴィトだ。
「久しぶりだな、キューネスヴィト。今ではお前がこの城のナンバー・ツーか。成り上がったものだな」
「わたくしは、そのような立場にはございません。本日は、どのような御用向きでお越しいただいたのでしょうか?」
「決まっている。リントガルトはどこだ?」
「残念ながらリントガルト様はご多忙のため、事前にご予約の無い方とはお会いになりません。お引き取り下さい」
「では勝手にさせてもらう。行くぞ、オトヘルム」
「お待ちなさい。どうしてもお引き取り願えないというのであれば仕方ありません。わたくしがお相手させていただきます!」
 城内へ踏み入ろうとするファストラーデの前に立ちはだかり、キューネスヴィトが両腕に魔力を集中させる。そこへ声が響いた。
「かまわないから通してあげなよ。どうせ、そんな奴らには何もできないさ」
 オトヘルムが身構える。聞き間違えるはずのない魔女の声だ。
 周囲を見渡すも、声は城内に反響して、どこから発せられているのか特定できない。
 キューネスヴィトは道を開け「どうぞ、お入りください」と首を垂れた。
 城の内部は静まり返り、陰鬱な空気に支配されている。奥を覗こうにも暗闇が邪魔をし、広さや造りを把握することさえできない。
 入城こそ許されたものの、足を踏み入れるのは躊躇われた。
「こっちだ。ついてこい」
 どっちへ進んでいいのか戸惑うオトヘルムに、ファストラーデがいった。
 胸甲の魔女も、再建されたミッターゴルディング城へ入るのは初めてだった。それでも迷うことはなかった。暗闇の底から手招きするようなリントガルトの魔力が、進むべき道を教えている。
「おい、大丈夫なのか……?」
 ファストラーデの後をついていきながら、オトヘルムが心配げに訊ねた。暗闇の中に息を潜め、手下の魔女が襲ってくるかもしれない。
「安心しろ。城の中に、リントガルト以外の魔力は感じられない。他の魔女はすべて、帝国軍を迎え撃つために出払っている」
 ファストラーデは、何も恐れていなかった。
「しかし、万が一ということも……」
「そんなに怖ろしいのなら、お前は城の外で待っていろ」
「バカなことをいうな! オレは、お前と同盟を結んだ。最後まで見届けさせてもらう。それに、いったはずだ。お前に、オレの剣を貸してやると!」
 バカ正直な騎士の言葉に、ファストラーデは「フッ」と表情を和らげた。
 ファストラーデは理解していた。ここから先は、自分とリントガルトの一対一の戦いだと。
 オトヘルムもまた、自分の力がファストラーデやリントガルトに遠く及ばないことを自覚している。
 それでも、同盟者である胸甲の魔女と運命を共にする覚悟だけは変わらなかった。
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