第27話 糾う Ⅲ

文字数 4,376文字

 ゲーパたちがグーニルトの相手をしているころ、別の場所でもう一つの戦闘が行われていた。
「レギスヴィンダ様、ここは危険ですのでお下がりください」
 投げ放たれた喬木を躱したヴァルトハイデは、安全な場所までレギスヴィンダを退避させる。
 トゥスネルダはその動きを見て、相手の正体に感づいた。
「お前だね、ハルツの魔女というのは? さすがに身のこなしだけは素早いようだね。でもスピードだけじゃ、わたしには敵わないよ! こいつで頭蓋骨をかち割ってやる!!」
 沢に転がる巨岩を抱えると、頭上高々と持ち上げる。先ほどの喬木よりも重く、大きく、硬く、押しつぶされれば、ぺしゃんこになるのは避けられない。
 トゥスネルダは沢の蛙でもつぶすように、ヴァルトハイデに巨岩を叩きつけた。
 岩は地面にめり込み、振動で木々が揺れる。
「どうだ!」
 トゥスネルダは間違いなく、ハルツの魔女を圧殺したと思った。が、背後から殺したはずの女の声がした。
「どこを見ている?」
 岩と地面の間ばかりに意識を向けていた大柄な魔女は、驚いて振り返った。
「いつの間に……!」
 トゥスネルダは驚きを隠せない。頭に血を登らせると、手刀を作って斬りつけた。
 魔女の剛腕は巨木や岩石を真っ二つに叩き割るも、俊敏なヴァルトハイデの肢体には触れることもできない。
「力だけでは、わたしには敵わないぞ」
 ヴァルトハイデは軽々と攻撃を躱すと、言われたことを言い返す。
 トゥスネルダは益々怒り心頭に発し、冷静さを失った。
「ハルツの魔女が図に乗るな! わたしの力はこんなものではない! この鋼の筋肉で、こんどこそお前を挽き肉にしてやる!!」
 トゥスネルダは顔を真っ赤にし、全身を怒張させる。魔力で筋肉が肥大した。
「うおおおおおお!!!!!!」
 すでに十二分に身体は膨れ上がっていたが、怒りに冷静さを欠いた魔女はそれでも物足りず、攻撃も防御も忘れて筋力を強化することだけに集中する。そのため、自分が無防備状態にあることさえ気付こうとしなかった。
 ヴァルトハイデが、そんな隙を見逃すはずがなかった。剣さえ抜かず、拳を握ると筋肉に覆われた女のミゾオチへ叩きこむ。
 不意討ちを喰らったトゥスネルダは腹部を抑えて蹲った。
「ひ、卑怯だぞ、ハルツの魔女……こちらの準備が整わないうちに、攻撃するなんて…………」
 恨み事を言いながら、大柄な魔女は気絶する。
「だから、力だけではわたしには敵わないといったのだ……」
 虚しい勝利だった。
「ヴァルトハイデ、終わったのですか……?」
 キョトンとしながら、レギスヴィンダが訊ねた。
「はい、殿下。危機は去りました」
 怪力の魔女が動かなくなるのを確認すると、レギスヴィンダは安堵する。が、もう一人魔女がいたことを想い出し、ヴァルトハイデにそちらも何とかするよう命じた。
「いえ、その必要はないようです」
 ヴァルトハイデが答えると、戦い終わったゲーパたちがやってきた。
「みな無事だったのですか?」
「はい。なんとか、もう一人の魔女も撃退できました」
「お姫様にも、あたしの活躍するところ見せてあげたかったわ!」
 自画自賛しながらフリッツィが答えた。
 大小二人の魔女には勝利した。だが、全員が無傷だったわけではない。ヒグマとの戦いで、痛めていたディナイガーの左肩はこれまでになく悪化した。
 レギスヴィンダは奮闘した騎士を労うと、それ以上無理をするなと命じた。
「ディナイガー、ご苦労でした。この先、案内は必要ありません。あなたは村へ戻りなさい」
「いいえ、姫様。これしきのこと何でもありません。最後まで、お供いたします!」
 なぜ再び、自分だけが森から離脱できようかとディナイガーは訴えた。
 レギスヴィンダには、彼の不満や騎士としての矜持や忠義を大切にする気持ちが理解できた。しかし、騎士を途中で引き返させるのは、なにも本人のためだけではなかった。
「いいえ、ディナイガー。あなたには、別の任務を与えます。アスヴィーネとエルラを連れて、村へ帰るのです」
 皇女の命令を聞いて戸惑ったのは、糸と針の術を使う魔女の姉妹だった。
「お待ちください。わたくしには、レギスヴィンダ様をミッターゴルディング城へ案内する役割がございます」
 魔女自身が、自らの罪滅ぼしにと申し出たことだった。レギスヴィンダには、その心も潔く尊いものに思われたが、アスヴィーネも傷を負っており、ディナイガー同様、無理ができる状態ではなかった。加えて、彼女が連れる幼い妹のことを考えれば、再び魔女の城へ戻るような危険はさせられなかった。
 レギスヴィンダは、改めて魔女の姉妹に命じた。
「他に、行くあてもないのでしょう? 心配いりません。あなたたちが保護を求めるのであれば、わたくしは無碍には扱いません。ディナイガーとともに、この森から去るのです」
 慈悲に満ちたレギスヴィンダの言葉にアスヴィーネは葛藤する。
 敵であり、あまつさえ騎士を手にかけた自分に、ルーム帝国の皇女はそこまで情けをかけてくれるのかと胸を打たれた。
 恨みや憎しみに突き動かされている魔女の城の主とは、頂に立つ者としての雅量が違う。アスヴィーネはそう思い知ると、この戦いにリントガルトが勝利することはもはやないと悟った。
「お姫様の言う通りにしなさいよ。あなたは良くても、これ以上妹ちゃんを巻き込むわけにはいかないでしょ?」
 フリッツィがいった。ヴァルトハイデやゲーパや、傷つけあった騎士たちまでもが、皇女の御諚に逆らうなと無言で言い聞かせる。アスヴィーネは差し延べられた手を握り返した。
「……分りました。その代わりに、ミッターゴルディング城までの抜け道をお教えします。レムベルト皇太子が通られた道を進むよりも安全で、行程も短縮することができます」
「感謝します、アスヴィーネ。わたくしたちはこの国の人と魔女との間にはびこる呪いの根を断ち切り、七十年にもわたるいさかいの歴史に幕を下ろすため先へ進みます。必ずその時が来るよう、あなたたちも祈っていてください」
「はい、殿下……」
 アスヴィーネは深々と首を垂れ、恩に報いるべく魔女しか知らない道を教えようとした。
 その時、突然エルラの顔つきが変わった。
「裏切り者、殺す……ミッターゴルディング城の場所を知る者は生かしておかない……リントガルト様の命令…………」
 眼球が黒く濁り、吐き出す呼気に悪意に満ちた魔力が混入する。
「……どうしたの?」
 最初に、異変に気づいたのはゲーパだった。ぶつぶつと独り言のように繰り返すエルラに近づき、何を言ってるのか訊ねた。
「離れろ、ゲーパ!!」
 咄嗟にヴァルトハイデが叫んだ。
 エルラが人差し指を向けた瞬間、ゲーパの頬を細く鋭利な何かが掠め飛んだ。
「え……」
 引っ掻かれたような痛みを覚え、手を当てる。血が出ていた。
「危ない、姫様!」
 今度はフリッツィが叫んだ。
 レギスヴィンダに向けられたエルラの指先から、針状に細く鋭く尖らせた魔力の散弾が撃ち出される。ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣を抜くと、これをなぎ払った。
 なおも攻撃しようとするエルラをブルヒャルトが羽交い絞めにする。
 困惑した姉が、妹の名前を叫んだ。
「エルラ、何をしている!!」
 その問いかけに答えたのは幼い魔女ではなく、大柄な魔女トゥスネルダだった。倒れたまま、顔だけを姉妹の方へ向けてほくそ笑んだ。
「フフフ……リントガルト様の術が発動したようだね……」
「どういうことですか!?」
 レギスヴィンダが糾問した。
「この二人が裏切ることは分かっていた……だからエルラに術を施していたのさ。お前たちが敵に情報を売り渡すようなことがあれば、その場にいる者を皆殺しにするようにと……」
「いつの間にそんなことを!」
 アスヴィーネが怒鳴りつけた。
「お前が眠っている間に決まっているだろう……フフフ、すべてはリントガルト様の計画通り。エルラを正気に戻したければ、姉のお前の手で殺してやるんだね…………」
 トゥスネルダは嘲笑いながら、それだけ言うと再び意識を失った。
「エルラを殺す……わたしの手で?」
 そんなこと、できるはずがない。
 絶望の淵へ突き落されたアスヴィーネに、冷たくヴァルトハイデが言い聞かせる。
「あの魔女がいったことは事実だ。エルラにはリントガルトの呪いが植えつけられている。これを解くには、ランメルスベルクの剣で命を絶つしかない。お前ができないのなら、わたしが代わりにしてやろう」
「やめろ、やめてくれ! わたしはどうなっても構わない。だから、エルラだけは!!」
「気持はわかる。だが、どうしようもない」
「そんな……」
 アスヴィーネの痛みやつらさは、誰よりもヴァルトハイデが共感するものだった。だからこそ、非常に徹するしかないと迫った。
 それでも姉は妹への説得を諦めなかった。
「エルラ、しっかりしろ! わたしの声が聞こえないのか! そんな術に惑わされるな!」
 どんなに訴えようとも、魔女の呪いに感染したエルラの耳には届かない。
 少女とは思えない怪力でブルヒャルトを振り払うと、さらに人差し指をレギスヴィンダに向けた。
「やめるんだ!!」
 咄嗟だった。アスヴィーネはエルラの手をつかむと自分へ向けた。
「うっ……!」
 放たれた魔力の針がアスヴィーネの胸を撃ち抜いた。
 糸車の魔女は朱に染まり、妹の手をつかんだままうずくまる。
 エルラは姉の身体に風穴を開けておきながら、それでも術から醒めることなく、なおも血を欲するように指先を他の者へ向けた。
「やむを得まい……」
 他に手段はなかった。ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣を握ると、刃を小さな魔女の胸に突き立てた。
 魔女の呪いを断つ剣は少女にかけられた悪辣な術を解いて魂を救済する。だが、その代償は命で支払われた。
 エルラの身体は崩れ落ち、先に傷つき、魔力も体力もほとんど残っていない姉の腕に抱きかかえられた。
「エルラ……大丈夫だ。お前を死なせはしない。今ならわたしの術でお前を助けてやれる…………」
 アスヴィーネは自分の傷を塞ぐことを諦めると、残りの魔力を使い果たして妹の傷口を縫い合わせる。
 さらに足りない魔力を補うように、自らの血と命を紡いで真っ赤な糸を森へ這わせた。
「レギスヴィンダ様……エルラに罪はありません。もしも妹を哀れと思うなら、どうかわたしの命に代えて、この子をお守りください。最期に、お約束通りミッターゴルディング城までの道をお教えします。これでわたしたち姉妹をお許しください…………」
 糸車の魔女は謝罪し、妹のために許しを請いながら目を閉じた。
 誰が呼びかけようとも、もはや答えることはない。
 レギスヴィンダたちにはアスヴィーネが残した真っ赤な糸が、人と魔女の未来を結ぶための道標であるかのように見えた。
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