第19話 鍵を掛ける Ⅱ 

文字数 5,923文字

 四人の魔女が話し合っているころ、仮寓の城へ近づく陰があった。最初に、それに気付いたのはラウンヒルトの御者を務めるフロームーテだった。
「……あなたは!!」
 背後から忍び寄る不穏な気配を感じて振り返ったのも束の間、フロームーテは相手の正体を知った瞬間には手斧で首を刎ねられていた。
 次に、その侵入者の存在を察知したのはギスマラだった。正確には、ギスマラとフロームーテの間に数名のはぐれ魔女がいたが、彼女たちは全員死んでいた。
「ブリトヒルデ、ラムベルタ、返事をしなさい! わたしの声が聞こえないのですか!」
 禍々しい魔力を持った何者かが侵入したことを知覚すると、ギスマラはこれに対処するため信頼のおけるはぐれ魔女を呼んだ。しかし、返事はない。最悪の胸騒ぎを覚えながら城内を捜すと、惨殺されたブリトヒルデとラムベルタの遺体が廊下に放置されていた。


 帝都で起った出来事に、どう対処すべきかヴィルルーンとラウンヒルトが意見を交わしている。
「問題は、ハルツの魔女ですわ。リントガルトの姉ということは、フレルクから同じ手術を受けているはずです」
「ハルツの魔女を殺すためには、ハルツの魔女自身から取り上げた剣を用いなければならぬというのじゃな? なんたるジレンマか……」
「いっそ、わたくしたちは何もせず、姉妹で殺し合うのを見ていればいいのではありませんか?」
「そういうわけにもいくまいて。わらわたちを差し置き、姉妹で手を結びあう可能性もあるじゃろう? ましてやハルツの魔女までが呪いの連鎖に堕ちることがあれば、わらわたちにはどうすることもできなくなる。今のうちに何とかせねばなるまい」
「だったら、ハルツの魔女と一緒に戦えば?」
 二人の会話に割って入って、スヴァンブルクがいった。他の者たちは意外な顔をしたが、それも選択肢の一つであることは否定できなかった。苦肉の策ではあったが。
「なるほどのう……万が一にもわらわたちとハルツの魔女が共倒れでもすれば、フレルク一人を利するだけじゃな……」
「そのフレルクについては、何か掴めましたの?」
「皆目じゃ……生きておるのやら、死んでおるのやら、それすらも分からぬ」
「でしたら一時的にでもハルツの魔女へ共闘、いいえ休戦を持ちかけてみるのも良いかもしれませんわね。彼女も妹を呪いの魔女にしたままでは、わたくしたちと戦いづらいでしょうから」
「……条件次第じゃな。ファストラーデの意見も聞いてみんことには、わらわたちだけでは決められぬ。もっとも、他に良い手があるとも思えぬが……」
 魔女たちの結論はルーム帝国との休戦に傾く。提案者であるスヴァンブルクは安心する。それがリッヒモーディスの希望であったように思われた。
 魔女たちの討議が一段落した時だった。城内に発生した正体不明の魔力をシュティルフリーダが感じ取った。
「どうしたのですか?」
 ヴィルルーンが訊ねる。車椅子を押す沈黙の魔女が警戒している。
 銀のマスクに閉ざされたシュティルフリーダの唇は、常に固く結ばれたまま、何を問いかけられても開くことはない。それでも同じ血肉を分け合った仲間に言葉で意志を伝える必要はなく、コミュニケーションにおいて不便をきたすことはなかった。
 シュティルフリーダが起こした緊張の波紋は、すぐに他の魔女にも伝わる。
「なんじゃ、この暗鬱たる魔力は……」
「いいえ……これは魔力というよりも怨念。怒りや恨みで歪んだ人間の感情そのものですわ」
 魔女たちは、悪意ある何者かが城内に侵入したことを察知した。その魔力は強大で、異質で、敵意を隠そうともしない。
「ギスマラは何をしておるのじゃ!」
「見張りのはぐれ魔女たちはどうしたのですか?」
 ラウンヒルトとヴィルルーンは、城内に侵入者を許したことを責めた。
 とはいえ魔力の大きさ、悪意の強さからして、これを止められる者がいるとも思えない。二人は警戒しながら、魔力が近付いてくるのを待った。
 その傍で、シュティルフリーダはスヴァンブルクが震えていることにも気づいた。
 他の三人には侵入者の正体を突き止めることができなかったが、帝都で同じ空気を吸った翼の幼女には、それが誰なのか恐怖とともに予測できた。
「ねえ、逃げようよ!」
 スヴァンブルクがいった。が、三人はなぜ自分たちが逃げなければならないのかと鼻白んだ。
「……愚か者めが、ここがどこかも知らずに忍び込んだようじゃのう」
「いた仕方ありませんわね……」
 侵入者の正体は不明だった。フレルクが送り込んできた刺客の可能性もあった。三人は他に出迎える魔女がいないのなら、自分たちで対峙するしかないと考えた。
 魔女たちが、侵入者が現れるのを待っていると本人が姿を見せるよりも先に声が聞こえた。
「この城、嫌いなんだよね。迷路みたいに入り組んでてさあ。未だに、何処に何があるのか分からないや。前のアジトが壊れちゃったから仕方ないんだけど……って、壊したのはボクなんだけどね……」
 その声は、聞き覚えのあるものだった。この先に四人の魔女がいることを知って、わざと聞こえるように言っていた。
「ただいま。みんな集まって、ボクの帰りを待っててくれたんだ。やっぱり、持つべきものは仲間だよね」
 皮肉たっぷりに言いながら、侵入者が姿を現した。
 それは三人にとって想像を絶するものであり、一人にとっては予想どおりの相手だった。
「おぬし……リントガルトなのか!」
「その身体は、いったいどうしたのです……!」
 城へ帰還した今なお同胞と呼ぶべきであろう魔女は出陣前とはまるで別人の、思わず目を背けたくなるような変貌を遂げていた。
 身体の左半分に黒い陰が浮かび、フレルクに植え付けられたオッティリアの目玉だけが夜空に浮かぶ明星のように爛々と輝いている。
 三人の魔女は、スヴァンブルクの話を聞いても、心のどこかでリントガルトが魔女の呪いに堕ちたことを完全には受け入れられないでいた。しかし、変わり果てたその有り様を目撃しては、事実を認めるしかなかった。
「何をしに戻ってきたのじゃ!」
 ラウンヒルトが強く冷たい言葉を浴びせかける。その問いかけは、矛盾に満ちたものだった。
「変なこと聞かないでよ。ここはボクたち(・・・・)のアジトでしょ? 戻ってくるのがあたりまえじゃないか。それとも、ボク(・・)は初めから仲間じゃなかったっていうの?」
 リントガルトの反問は、魔女たちの痛く苦しい胸の内側を突き刺すものだった。
「そうだよ……お前なんか仲間じゃない。お前のせいで、リッヒモーディスが死んだんだ!!」
 答えに窮した魔女の中で、唯一声を挙げたのはスヴァンブルクだった。
「リッヒモーディス? ああ、そこに転がってる死体のこと? ボクが殺したんじゃないよ。自分でかってに力を使い果たして死んだんだろ?」
 棺に横たわる白髪の魔女を指して、嘲るようにいった。その言葉には、自分のせいで命を落とす結果になったことを悔やむ様子も、同胞に対する友情や憐れみといった感情も一切ない。
「それが、あなたの答えですか……」
 静かにヴィルルーンが激高した。それでもリントガルトは、まるで意に介さない。
「そうだよ、それがどうしたの? お前たちの方こそボクを殺すつもりだったくせに!」
 さらに強くリントガルトが言い返した。四人の魔女は、事実に対して黙り込むしかなかった。
「何か言い返してみろよ? それとも、ホントのことだから何も言えないの? まあいいや……ここでみんなに八つ当たりしても、つまんないしね。それより、ファストラーデはどこ? まだ眠ってるの?」
 リントガルトは余裕を見せつけると、昂りかけた魔力を一旦押しとどめた。
 今のリントガルトは手負いの獣だった。四人が一丸となっても勝つことは難しい。彼女たちに一縷の望みがあるとすれば、ファストラーデが目覚めてこの場に加わってくれることだった。
「……ファストラーデはまだ眠っておる。おぬしのことも伝えてはおらぬ」
 ラウンヒルトが答えた。それを聞いて、リントガルトは笑みを浮かべる。
「そっか……じゃあ、これから行って起こしてくるよ。地下室はどっちだったけ?」
「お待ちなさい。あなたをファストラーデの処へは行かせません!」
 ヴィルルーンがいった。
 リントガルトの考えは分かっていた。ファストラーデの口から真実を聞き出そうというのだ。そして、もしその答えが自分の期待していたものと違った時には、激情のままファストラーデを手に掛けるつもりだった。
 ヴィルルーンが続ける。
「……あなたには謝罪しなければなりません。その通り、わたくしたちはあなたを騙していました。わたくしたちとは異なるあなたを恐れ、あなたの身体に植え付けられた魔女の血肉に呪いが宿らないよう、皆であなたを監視し、あなたを刺激しないよう気遣っていたのです。あのフレルクでさえ、あなたの扱いには手を焼いていました。ですが、そんなあなたを庇い、仲間の一人として受け入れようと決めたのがファストラーデでした。彼女の優しさ、慈しみ、責任はすべて自分が負うといった潔さに、わたくしたちは心を動かされ、彼女の意思を尊重しました。もしもあなたが呪いの連鎖に囚われた時は、皆であなたを殺してやろうといったのもファストラーデです」
「だったら、今すぐボクを殺してみろよ!」
「残念じゃが、それはわらわたちには不可能じゃ。おぬしを楽にしてやるためには、ハルツの魔女が持つランメルスベルクの剣が必要じゃからのう」
「……でも、二度と出てこられないように閉じ込めておくことはできるよ」
 強い眼差しでスヴァンブルクがいった。
「ボクを閉じ込める……?」
 魔女たちに憐みの感情はあっても、躊躇いや妥協の意志はなかった。その言葉の意味を理解すると、さすがのリントガルトも焦りの色を浮かべた。
 フレルクによって呪いの魔女の両目を分け与えられた姉妹のうち、姉は体質が合わずに心臓が停止したと判断されると、荼毘に付された。
 辛うじて胸の鼓動を失わなかった妹には、その後もさらなる実験が行われたが、不安定すぎる精神を制御することができず、フレルクによって地下牢よりもさらに深い、深淵の牢獄に生きたまま閉じ込められた。
 もう一人の姉と敬愛する魔女がその扉を開け放ってくれるまで、音も光もない世界にリントガルトは繋がれていた。
「そんなこと出来るもんか! もうフレルクもいないし、ボクを閉じ込めていた前の城も壊れたからね!!」
「……おぬしを閉じ込めるのに、フレルクの力は必要ないのじゃ。少々荒療治になるがのう。そのための新しい城も用意しておる」
「わたくしたちはミッターゴルディング城の再建に取り掛かりました。かつての呪いの魔女の居城だったあの城でなら、あなたを生きたまま永遠に閉じ込めておくことも可能です」
「ボクをまた暗闇に……」
「リントガルトが帰ってくるからだよ……あのままハルツの魔女に殺されてれば良かったのに! みんなリントガルトが悪いんだ!!」
 泣きながらスヴァンブルクが叫んだ。他の魔女も心の中で泣いていた。
「勝手なことばかりいいやがって……やれるもんなら、やってみろよ! お前たちに、ボクを閉じ込められるもんか!!」
 感情を暴発させながらリントガルトが敵意と殺意を募らせた。四人の魔女も、これに呼応するように魔力を解放する。
 愛しいからこそ避けられない戦いだった。リントガルトにしても自分を救い、居場所を与えてくれた仲間だったからこそ、この裏切りにも等しい行為を許すことができなかった。
「まずは、おぬしの動きを止めさせてもらうぞ!」
 ラウンヒルトが銀の指環をはめた左手をかざした。
 魔力を凝縮させた光の輪が放たれ、リントガルトの首や手足を絞め上げる。
 その拘束力は野生の悍馬を抑えつけ、鋼鉄の鎧を着込んだ騎士さえも(くび)り殺す。たとえ命を奪えぬ相手であっても、自由を奪えぬわけではない。ただし、そのためには相応の対価を支払う義務があった。
 魔女でいられなくなるほどの魔力を消費しつくさなければ、呪いの連鎖に堕ちたリントガルトを捕らえることはできない。それでも、四人の魔女に悔いはなかった。
「なんだ、こんな物!!」
 リントガルトは力づくで、ラウンヒルトが放った光の輪を引き千切った。
「何じゃと!」
 ラウンヒルトに手加減をした覚えはなかった。自らの魔女性を失うことを覚悟した攻撃だった。
 呪いの魔女の本領に目覚めたリントガルトの腕力や体力が、単純にラウンヒルトの魔力や精神力を上回っただけである。
「今度はこっちの番だ!」
 手斧を振り上げ、リントガルトが襲いかかった。
「そうはさせない……」
 スヴァンブルクが翼を広げ、凍てついた魔力を解放する。
「氷の中に閉じ込めて動けなくしてやる! シュネー・シュトゥルム!!」
 魔力が雪の結晶となり、暴風雪がリントガルトを襲う。燃え盛る炎も凍りつかせる、スヴァンブルクの必殺技だ。
「空を飛べるだけが取り柄かと思ってたけど、こんな力まで隠してたんだ……」
 リントガルトの身体が氷に覆われて固まっていく。しかし、その表情には余裕があった。
「氷なんかで、ボクが凍えて動けなくなると思うな!」
 リントガルトは魔力を高めると、身体にまとわりついた氷を砕いた。
「先に、スヴァンブルクから殺してやるよ!」
 ラウンヒルトからスヴァンブルクに標的を変え、手斧を振り上げた。が、その刹那、ほんの僅かに生じた隙をシュティルフリーダが逃さなかった。
「アァァァァーーーー!!!!」
 銀のマスクを通し、魔力を込めた音波を吐き出す。不意をつかれたリントガルトは声の圧力に押され、弾き飛ばされる。壁に衝突し、そのまま張りつけにされた。
「ぐぅ……いつも黙ってるくせに、こんな時だけ大声出しやがって……!!」
 必死に抗うとリントガルトは自分も大きく息を吸い込み、シュティルフリーダに向かって叫び返した。
「うわあああああああ!!!!!!」
 その声量が、沈黙の魔女の魔力を帯びた音波を押し返した。シュティルフリーダは全身に大音声(だいおんじょう)を浴びると、反対側の壁まで吹き飛ばされた。
「シュティルフリーダ!」
 背中から壁に激突し、崩れ落ちる魔女の名前をヴィルルーンが叫んだ。
他人(ひと)の心配をしてる場合じゃないだろ!」
 自由になったリントガルトは、ヴィルルーンに襲いかかった。
「仕方ありませんわ……」
 車椅子の魔女は銀の靴を履いたつま先に魔力を集めると、間一髪で立ち上がる。
 無人となった車椅子をリントガルトの手斧が砕く。一瞬でも遅れていれば、ヴィルルーンの身体が引き裂かれていただろう。呪いの連鎖に堕ちた魔女に容赦はなかった。
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