第49話 この腕の中に Ⅲ

文字数 3,007文字

 瓦礫に沈んだ魔女を見やって、ゲーパが叫んだ。
「ヴァルトハイデ!」
 やはり、今のヴァルトハイデではつぎはぎの魔女に及ばない。
 強い想いだけでは越えられない壁もある。ランメルスベルクの剣なしでは、たとえヴァルトハイデであってもすべての魔女に打ち勝てるわけではなかった。
「もうやめて!」
 これ以上見ていられないと、ゲーパが声をあげた。しかし、つぎはぎの魔女の耳には届かない。
 ゲーパは無駄だと分かっていたが、ヴァルトハイデを助けるためには自分も戦うと覚悟を決めた。
 そこへ、二人の騎士が駆け付ける。
「ゲーパ!」
「ゲーパ殿!!」
 オトヘルムとブルヒャルトだ。
「ヴァルトハイデ殿は!」
 オトヘルムが訊ねた。
「ちょうどいいところに来てくれたわ。お願い、二人でヴァルトハイデを助けてあげて!」
 すがるようにゲーパが頼んだ。
 ヴァルトハイデがやられたことを知ると、オトヘルムは「任せておけ!」と叫んで剣を抜いた。
 だが、ブルヒャルトがそれを止めた。
「よせ! とてもではないが、わしらの太刀打ちできる相手ではない!」
「そんなことは分かっている! だからといって、このまま指をくわえて見ていられるか!」
「そうではない。おぬしもゲーパ殿も、落ち着いてよく見ろ。ヴァルトハイデ殿は、まだやられておらぬ!」
 瓦礫が動くのが見えた。ゆっくりとだがヴァルトハイデが立ち上がる。
 ゲーパは安堵し、オトヘルムは踏みとどまった。
 ヴァルトハイデは立ち上がると、つぎはぎの魔女を睨みつけた。
「どうした、わたしはまだ生きているぞ……呪いの魔女と呼ばれたお前の力はこんなものなのか……?」
 余裕のあるふりをするが、負ったダメージは小さくない。全身の肉と骨がきしみ、口の中に血の味が広がる。それでも相手を挑発するように、赤くにじんだ唾を吐き捨てた。
「無理をしないで。わたしの目的はあなたを苦しめることじゃないわ。じっとしていれば、すぐ楽にしてあげる」
「優しい言葉をかけてくれるのだな。だが、わたしは往生際の悪い性分でな。最後まで、抗わせてもらう!」
 ヴァルトハイデは剣を握り直し、つぎはぎの魔女に斬りかかった。しかし、結果は変わらない。つぎはぎの魔女は易々と攻撃を躱す。
「いくらやっても無駄よ。あなたではわたしには勝てない。大人しくわたしと一つになりなさい。そうすれば、あなたの探しているものも見つかるのよ」
「生憎だが、わたしが探しているものはすでに見つかっている。お前の手を借りるまでもない!」
 何度打ちのめされようとも、ヴァルトハイデは立ち上がることを諦めない。剣を砕かれようとも、そのたびに騎士たちに新たな剣を要求する。
 もはやそれは、考えがあるというレベルではない。単なる意地か、奇蹟に期待するといった、悪足掻きにすぎなかった。
「……まだだ、まだわたしは戦える!」
「もうやめなさい。あなたは充分に戦ったわ。楽になってもいいのよ……」
 ボロボロになりながらも向かってくるヴァルトハイデに、つぎはぎの魔女は虚しさを募らせる。だが、そんな姿が過去に一度、どこかで経験したことがあるような、憎しみとも愛おしさともつかない感覚を甦らせた。

 ――目を覚ませ、オッティリア! わたしの言葉を聞いてくれ!!

 つぎはぎの魔女の耳に、誰かの声が聞こえた。
 女は足をとめ、レムベルト皇太子の像を見上げる。
「やっぱり、わたしはこの男の人を知っている……」
 そう思った瞬間だった。死角を突いたヴァルトハイデの剣がつぎはぎの魔女の心臓を狙った。
 つぎはぎの魔女は手を伸ばして魔力の壁を展開するが、ヴァルトハイデの踏み込みの方が早く、ただの鉄の塊であるはずの切っ先が、つぎはぎの魔女の手のひらを突き刺した。
 死体をつなぎ合わせた肉体は痛みを感じることも、血を流すこともない。それでも、手のひらから伝わる女の意地や、いつか聞いたことがあるような誰かの声が、つぎはぎの魔女の精神を切なさと懐かしさで疼かせた。
「どうした……こんな(もの)では、お前を斬ることはできないのではなかったのか……?」
 息をするのも苦しそうにヴァルトハイデがいった。
 つぎはぎの魔女にとって、その程度の攻撃は斬られたうちに入らない。傷みゆく肉体に、ほんの少しの負荷が加わっただけ。
 だが、そんな痛みにもならない(きずあと)が、失くした記憶を刺激する。
「あなたは不思議なヒト。あなたを見ていると、忘れた何かを想い出せそうな気がする……」
「なに……?」
「いいわ。あなたの望みどおりにしてあげる。これからは、本気で戦ってあげるわ!」
 つぎはぎの魔女の魔力が高まった。
 皮膚をつなぎ合わせた顔の傷が開き、銀の冠を黒く染め上げる。
 ヴァルトハイデは危険を察知すると、魔女の手のひらから剣を抜いて距離を取ろうとした。
「逃がさないわ!」
 つぎはぎの魔女は強力な魔力の渦でヴァルトハイデを拘束すると、五体を締め上げた。胸郭が圧迫され、息を吸うことも悲鳴を発することもできない。
「もっと苦しみなさい! そして、もっと抗って、その剣をわたしに向けなさい!」
 つぎはぎの魔女はヴァルトハイデの身体を空高く持ち上げると、石畳に叩きつけた。
 地面が陥没し、骨の折れる音がする。血しぶきが四散し、ヴァルトハイデは動くこともできなくなった。
「いやぁー!」
 思わずゲーパは目をそむけ、オトヘルムに寄り掛かった。騎士たちは、声すら出せなかった。
「どうしたの? 立ち上がってみせなさい! そんなものじゃ、わたしの記憶は甦らないわ!」
 つぎはぎの魔女は、執拗にヴァルトハイデの身体を痛めつけた。ハルツの魔女は抵抗もできず、意識は薄まり、徐々に痛みも苦しみも感じなくなる。
 肉体も魂も死にかけ、これが自分の限界なのかと最期の時を悟った。
「すまないゲーパ、ヘルヴィガ様……これ以上、わたしは戦えそうにありません……陛下、どうか不甲斐ないわたしを許してください……でも、お前は認めてくれるよな、リントガルト…………」
 ヴァルトハイデの瞳に現実の光景が映ることはなかった。先に逝った妹が、優しく迎えてくれているような幻が見えた。
 つぎはぎの魔女は、抗うことをやめた相手からは何も感じるものがなかった。
「……あなたも、わたしから去ってしまうのね……いいわ、楽にしてあげるわ。二人で探しているものを見つけましょう」
 ヴァルトハイデから記憶を引き出すのを諦めると、当初の目的通り身体を奪い取ることにした。
「これ以上は見てられん! 止めても無駄だぞ。オレは、ヴァルトハイデ殿に加勢する!」
「しかたあるまい……こうなっては玉砕覚悟で挑むしかないようじゃ!」
 他に打つ手もなく、オトヘルムとブルヒャルトが助太刀を決める。広場を封鎖していたディナイガーたちも思いを同じにした。
 つぎはぎの魔女は動かなくなったハルツの魔女を無理やり立たせた。
 意識を失くしたその手から剣が落ちると、つぎはぎの魔女は魔力でそれを拾い上げ、切っ先をヴァルトハイデの心臓へ定めた。
「さようなら、わたしに似たヒト。でも、寂しくないわ。これからは、ずっとわたしが傍にいてあげるから……」
 つぎはぎの魔女がヴァルトハイデの胸を貫こうとした瞬間だった。広場に声が響いた。
「やめて! 彼女を殺さないで!!」
 誰もが声の方を振り返る。
 閉じようとしていたヴァルトハイデの瞳が開くと、かすんだ視界にレギスヴィンダが映った。
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