第8話 燃やし尽くす Ⅱ

文字数 3,660文字

「あの魔女め、何という強さじゃ……たった七人で帝都を蹂躙せしめたのも頷けるわい……」
 戦いを見守っていたブルヒャルトが複雑な心境で呟いた。
「納得している場合か! このままではヴァルトハイデ殿がやられてしまう。オレたちも加わるぞ!」
「……うむ、そうじゃった。感心して眺めている場合ではなかったのう。姫様、よろしいですか?」
「勿論です。あなた達で、ヴァルトハイデを助けてあげてください」
 レギスヴィンダも苦戦するヴァルトハイデを案じた。
「参るぞ、オトヘルム!」
「おお、奴にルーム騎士の底力を見せてやる!」
 レギスヴィンダの許可を得てブルヒャルトとオトヘルムが戦線に加わった。
 ヴァルトハイデは全身に傷を負い、もはや立っているのがやっとの状態だった。
「どうだ、これがわたしと貴様の力量差だ? 貴様は、どうあがいてもわたしには勝てない。それでもまだ、このわたしを憐れむというのか?」
「力の差ではない……わたしには、お前の剣が泣いているように見える。力を誇示し、戦うことでしか存在することを許されない自分を呪い、憐れんでいるかのように……」
「まだ、そのような戯れ言をほざくか……」
 ファストラーデは不快さを表情に浮かべると、さらにヴァルトハイデを切り刻んだ。
「うぅ……」
 さすがに耐えられなくなり、ヴァルトハイデは地面に膝をつく。
「無残だな。貴様はわたしに勝てない。そして、その右目に植え付けられたオッティリアの血肉によって、満足に死ぬこともできない。辛かろう? 苦しかろう? 楽になりたくば、我らの仲間になれ!」
「何度もいわせるな……ご免こうむる……」
「ならばその目をえぐり、貴様の肉体が完全に動かなくなるまで切り刻んでやろう!」
 ファストラーデが剣を振り上げた。
「待てい!」
 ブルヒャルトの声が響いた。
 ファストラーデは声の方を振り返り、二人の騎士に冷ややかな視線を向ける。
「……何だ、貴様らは?」
「我らはルーム帝国の宮廷騎士。ブルヒャルト・フォン・ゲンディヒ!」
「同じく、オトヘルム・フォン・グリミング!」
「帝国とハルツの間で交わされた盟約に従い、ヴァルトハイデ殿に助太刀いたす!」
「深夜の帝都を蹂躙し、多くの命を奪ったその罪、万死に値する。この場で正義の刃を受けるがいい!」
 二人は名乗りをあげ、口上を述べるが、ファストラーデにとってはどこ吹く風だった。
「……後にしろ。今はこの女を血祭りにあげるのが先だ」
「ええい! 我らを無視する気か? 剣を構えよ。我らは騎士。たとえ魔女が相手であっても、無抵抗の女人を攻撃するわけにはいかぬ!」
 尚もブルヒャルトが続けると、ファストラーデは気だるそうに息を吐いた。
「愚かな人間ども……そんなに死に急ぎたいのなら相手をしてやろう。かかって来い。二人同時に相手をしてやる」
 ファストラーデが答えると、騎士たちは怒りに身を奮わせた。
「オトヘルムよ、我らもなめられたものだな。二人同時に相手にすると申しおったぞ!」
「上等だ! 小生意気な減らず口を二度と利けなくしてやる!」
 ならばと、二人は遠慮なく斬りかかった。
 老いたりとはいえ、ブルヒャルトの切っ先に衰えはなく、オトヘルムも実戦経験こそ少ないものの、その剣技は兄譲りの一級品だった。
 二人とも皇帝ジークブレヒトが愛嬢レギスヴィンダのためを思って護衛に指名した経歴、見込みともに申し分のない騎士である。主君の仇を討つため、目の前で危機に瀕する同盟者を助けるため、騎士たちは持てる力を振り絞って挑んだ。が、魔女ファストラーデの前には、それらの思いも通用しなかった。
 二人は同時に攻撃を仕掛けた。しかし、ファストラーデは二本の剣を悠然と躱すと、まず一振り目の反撃でオトヘルムの右わき腹を水平に薙いだ。
 朱に染まり、若い騎士が地面に倒れ込む。
「オトヘルム!」
 悲鳴に似たレギスヴィンダの声が響いたのもつかの間、魔女は二振り目の刃を年長の騎士に浴びせた。
「ぐはっ!」
 ブルヒャルトは胸部を袈裟掛けに斬られ、力を失って膝から崩れ落ちる。
 あっけない幕切れだった。
 二人は無残に這いつくばり、当然といっていい結末にファストラーデは勝ち誇ることもなく、淡々とヴァルトハイデに言い放った。
「見ろ、この憐れな人間を。これが力なき者の姿だ。わたしは、この力を気に入っている。魔女であることを楽しんでいる。お前も心の底では人間どもを軽蔑し、自分の力を誇示したいと思っているのではないか?」
「誰が、そんなことを……」
「そうか……ならば我らは永遠に分かりあえぬということだ。もはや、これ以上の言葉は無意味。ヴァルトハイデよ、死ぬがよい!」
 ファストラーデがヴァルトハイデに止めを刺そうと歩みかけた瞬間だった。レギスヴィンダが剣を引くよう叫んだ。
「もう止めてください! あなたの目的はわたくしの命を奪うことだったはず。わたくしはどうなっても構いません。ですからこれ以上、無意味な殺戮は止めてください……」
 切実な願いだった。
「姫様……」
 かろうじて意識のあったオトヘルムがレギスヴィンダに視線を投げかける。
 命を賭けてでも守るべき対象に、命を助けられようとしている。騎士として、これ以上の不名誉はなかった。
「見上げた心意気だ。さすがはルームの姫君といったところか。しかし、今となっては貴様の命などに興味はない。無論、生かしておくつもりはないが、それでも先に殺してほしいというのなら、望みどおりにしてやろう」
 ファストラーデが標的をレギスヴィンダに切り替えようとした時だった。
「ハルツに在りしすべての鉄器よ、我が意のままに踊り狂え!」
 戦場に間に合った老いた魔女が杖を振るった。無数の刃物が上空からファストラーデへ降り注ぐ。
「ヴァルトハイデよ、何をしておる! 斃れるにはまだ早いじゃろ。わしが、あ奴を足止めしている間に、姫様と騎士らを連れて下がれ!」
「ヘーダ様……」
 何とも頼もしい言葉だった。
 ヴァルトハイデは閉じかけた瞳を見開くと、もう一度精神を集中した。
「ハァァァァァ…………」
 無理やり魔力を絞り出し、身体に刻まれた傷口を塞ぐ。一時的な止血効果にすぎないが、レギスヴィンダたちを連れて撤退する程度の体力は回復できた。
 動けるようになると、ヴァルトハイデは素早くオトヘルムに駆け寄った、
「面目ない……助けるつもりが、逆に助けられるとは……」
「しゃべるな、傷に障る」
 抱え上げられながら、情けなくオトヘルムが呟く。
 それでも彼はまだましだった。完全に意識を失っているブルヒャルトには、一刻も早く、手厚い治療が必要だった。
 ヴァルトハイデはヘーダに感謝し、騎士たちを抱えてレギスヴィンダと共に森の奥へ退避する。それを見送ると、ファストラーデに向けてヘーダが杖を振り上げた。
「どこを見ておる。お主の相手はわしじゃ!」
 隙を突いて鉄器を操る。
 老いた魔女にしてみれば、こんな不意打ちが通用する相手だとは思っていない。それでも、ヴァルトハイデが態勢を立て直すだけの時間を稼げればよかった。
「どうした、侵入者よ? ヴァルトハイデならこれしき、目をつぶっても百や二百は簡単に避けきるぞ?」
 相手を挑発し、意識を自分へ集中させる。
 単純な術だが、空中を飛び交う凶器の群れに、ファストラーデは足止めを余儀なくされた。
「年寄りが、いい気になるな!」
 ファストラーデは憤慨し、剣を振りかざして乱舞する鉄器を叩き落とす。
 やはり老いた魔女の術では、圧倒的な力を持った悪意ある魔女の前には通じないかに思われた。だが、そう思わせるのも老獪なヘーダの策略だった。
「かかりおったな、そりゃ!!」
 ヘーダが杖を振るうと、地中に潜ませておいた無数の鎖がファストラーデに襲いかかった。
 まるで蜘蛛の巣に落ちた蝶のように、ファストラーデの身体は錆びた鎖によって幾重にも縛りあげられる。
「やってくれたな、老いた魔女よ。空中を飛び交う刃をカモフラージュに、地上に用意しておいた罠へわたしを誘い込んだか……」
「あたりまえじゃ。お主のような小娘とは年季が違うわ。どうじゃ、心を入れ替えるというのなら、助けてやらんでもないぞ。この山で、わしがみっちり性根から鍛え直してやる」
 これには、ファストラーデも一杯喰わされたと素直に認めるしかなかった。
「フン!」
 力を込めて鎖を振りほどこうとするも、びくともしない。しかしファストラーデの顔に、観念や諦めの色はなかった。
「ハルツの魔女がここまでやるとは想像していなかった。さすがは魔女の聖地。だが、わたしを見くびってもらっては困る。またしばらく眠りにつかねばならなくなるが、仕方あるまい……」
 ファストラーデはカッと目を見開くと、これまでにない魔力を集中した。
「オォォォォ…………」
 高まる魔力に反応し、銀の胸甲が黒くくすんでいく。
 ファストラーデを縛り上げる鎖がきしんだ。
「ハァ!!」
 気合いもろとも魔力を放出すると鎖はずたずたに切り裂かれ、若き魔女は自由を取り戻した。
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