第8話 燃やし尽くす Ⅵ

文字数 2,976文字

 ヘルヴィガはファストラーデを炎の檻の中に閉じ込めた。しかし、すべてを滅却するには至らなかった。
 遠くから戦いを見守るオトヘルムが呟いた。
「苦戦しておられるようだ……」
「あたりまえだ。ヘルヴィガ様は、我々の治療のために相当な魔力を使われた。こんな事なら、ひと思いに殺されていた方がましであったわ!」
 口惜しそうにブルヒャルトが答えた。そんな騎士の言葉をヘーダが否定する。
「バカなことをいうもんではない。お主らを治療したくらいで、ヘルヴィガの魔力が枯渇するものか」
「ですが、現にヘルヴィガ様は苦戦されています。わたくしたちも加勢すべきではありませんか?」
 レギスヴィンダがいった。ヘーダは、それも否定した。
「そうではない。ヘルヴィガにはもう、戦うだけの魔力がないのじゃ」
「え……」
 レギスヴィンダは当惑する。ハルツを統べる魔女たちの長に戦う力がないとはどういうことかと訊ねた。
「ヘルヴィガは七十年前の戦いですべての力を使い果たしたのじゃ。命にかかわるような傷を負ってな。むしろ、今までよく生きてこられたというべきじゃ……」
「そんな……では、なおさらわたくしたちがお助けしなくては!」
「無駄じゃ。そんなこと、あ奴は望んでおらぬ。ヘルヴィガは、死に場所を探しておるのじゃ」
「死に場所……」
 レギスヴィンダたちにとって、その言葉は意外なものだった。
「ヘルヴィガは姉妹とも呼べるオッティリアを討ちながら、自分だけが生き残ったことに負い目を感じておった。オッティリアの遺体をハルツに埋葬したのも後悔と寂しさを紛らせるためじゃった。それがそもそもの過ちじゃった。それでもヴァルトハイデという後継者を得て、あ奴は救われた。自分の身代わりとなって罪を償ってくれる若き魔女の出現にすべてを託したのじゃ。見ておれ、ヘルヴィガの最期の戦いを。ヴァルトハイデのために、自分の命を灰になるまで燃やし尽くそうとする魔女の姿を……」
 祈るように語ったヘーダたちの前で、ヘルヴィガの炎は激しく、情念をもって燃え盛った。
「この程度の炎、普段ならば一息で吹き消せるものを!!」
 炎の檻に囚われたファストラーデは脱出することもできず、少しずつ身を焼かれていく。
「魔女の呪いを背負わされたあなたに恨みはありません。すべては、わたくしの個人的な感情から産み落とされた過ち……せめてもの罪滅ぼしに、わたくしの命も燃やしつくしましょう!」
 魔力を振り絞り、命を燃料にしてヘルヴィガの炎は燃えあがる。
「おのれ! ハルツの魔女め!!」
 必死にファストラーデも耐えようとするが、炎の勢いはさらに強まる。胸甲の魔女は、このまま灰となってハルツに消えるかと思われた。瞬間だった。
 ヘルヴィガの背中を、巨大な鎌が貫いた。
「ファストラーデ様!」
「御無事ですか!」
 ラギンムンデとマールヴィーダが呼びかける。
 炎は消え、二人の魔女はファストラーデを助けるため駆け寄った。
「お前たちか……助かった、感謝する……」
 体力や気力の限界を超えて、ファストラーデの意識はもうろうとする。倒れそうになるのを、二人の魔女が支えた。
「しっかりしてください!」
「わたしたちがお守りします!」
 ファストラーデは深刻な火傷を負い、自力で回復するだけの魔力も残っていない。
「大丈夫だ……この通りランメルスベルクの剣は手に入れた。撤退するぞ……」
 ハルツの魔女との決着はついていなかったが、最大の目的は果たした。これ以上の戦闘継続は不可能と判断し、二人に乗ってきた大鷲を呼び寄せるよう命じた。
「ヘルヴィガ!」
「ヘルヴィガ様!」
 二人の魔女が現れたのとまったく同じタイミングで、ヘーダとレギスヴィンダが叫んでいた。
 大鎌の先端は胸部を突き破り、体外にまで露出している。
 自らの過ちを贖うため、命の炎を燃やし尽くさんと試みたヘルヴィガにとって、これはまぎれもなく致命的な痛撃となった。
 斃れかかるヘルヴィガに、ヘーダやレギスヴィンダたちが駆け寄ろうとする。しかし、魔女の長は瞳でこれを拒否すると、心の中で後始末は一人で行うと訴えた。
 寸でのところで崩れ落ちるのを踏みとどまると、ヘルヴィガはさらに魔力を灯し、消えかけた炎を再燃させた。
「……まだ、わたくしは死ぬわけにはまいりません!!」
 自らの肉体を発火させ、炎の化身となって森を、魔女たちを包み込む。
 再び紅蓮の牢獄に囚われたファストラーデたちは、こんどこそ逃げ場を失った。
「しぶとい奴だ! わたしの鎌は、完全に奴の身体を貫いたはずなのに!!」
 唖然と驚嘆にとらわれながらラギンムンデが吐き捨てる。
「御安心ください! この程度の炎、わたしたちの命と引き換えてでも吹き消して見せます!!」
 マールヴィーダは魔力を放出し、迫りくる炎を押し返そうとする。
 そんな二人の忠節に、ファストラーデは否定的な言葉を返した。
「やめろ、無駄な魔力はつかうな。相手はハルツのヘルヴィガだ。お前たちの敵う相手ではない……それよりも、この剣を持ってお前たちだけでも城へ帰れ。今ならまだ、脱出できる……」
 上空には、ファストラーデたちを運んできた大鷲が舞っていた。タイミングを合わせ、大鷲に掴れば助かることも可能である。ただし、自分ではもう動くこともできないファストラーデを(かえり)みなければであった。
 脱出の道があるのなら、二人の魔女に迷いはなかった。
「ファストラーデ様、わたしたちのような女を拾っていただき、感謝しています。最後まで、ファストラーデ様にお仕えできなかったことを、お許し下さい」
 すっきりとした顔でラギンムンデがいった。
「ファストラーデ様がお創りになる魔女の国を見とうございました。残念ですが、わたしたちには、それは叶わないようです……」
 同じくマールヴィーダがいうと、二人は残された魔力のすべてを使って炎を押し返した。
 煉獄の檻の中に、ほんの一瞬、小さな脱出口が開いた。
 ラギンムンデは指笛を鳴らし、大鷲を呼び寄せる。
 翼をたたんで炎の中に舞い降りると、マールヴィーダがその背にファストラーデを乗せた。
「お前たち!」
「こんなところで、ファストラーデ様はお斃れになってはいけません」
「必ず、悲願を成し遂げてください」
 別れの言葉もなく、大鷲は舞い上がる。
 見上げる二人の魔女の顔に後悔はなかった。
「ラギンムンデ! マールヴィーダ!」
 ファストラーデの声が届くよりも先に、二人は炎に呑まれて聴覚を失った。
「逃しはせぬぞ!」
 飛び立った大鷲に向け、ヘーダが魔力を放った。
 ファストラーデが持ち去ろうとしたランメルスベルクの剣を操り奪い返す。
「くっ……」
 せめてもの戦利品だった剣も、身魂尽き果てたファストラーデには守りきることはできなかった。
 特別な銀で造られた剣は、キラキラと陽の光を反射させながらハルツの牧草地に落下し、大地に突き刺さった。
 もはや意識も潰えようとするころ、遠ざかる大鷲を無念の瞳で見つめる魔女がいた。
「ああ、オッティリア……あなたは、どうしてもわたくしを拒否するのですね……この手の届かないところへ行ってしまうのね……また、わたくしを一人残して…………」
 どんなに炎の手を伸ばそうとも、飛び往く大鷲の翼に届くことはなかった。
 ヘルヴィガは失意と後悔を抱いたまま燃え尽き、戦いは幕を下ろした。
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