第1話 帝都襲撃 Ⅱ

文字数 6,530文字

 城壁に並んだ弓兵が、空中を舞う純白の翼を持った幼女を狙う。
 無数の矢が夜空に放たれるが、幼女は自在に宙を飛び、他愛なくこれを躱す。逆に、その白き翼から放たれた刃のごとき羽が弓兵を切り裂いた。
 青白い月の光を真っ赤な潜血が染めたころ、帝都の別の場所でも戦闘が繰り広げられていた。
「ホーッホッホッホッホッホ! もろい、もろすぎる。これがルーム帝国最強の宮廷騎士団とは。人間なぞ、所詮この程度であろうな!」
 漆黒の衣をまとった魔女が高笑いを上げる。
 周囲には半死半生の兵士が倒れ、ある者はうめき、またある者は血を吐く。中には何の反応もなく、ただ白目を向いている者もいた。
「ひるむな、一斉に取り囲め!」
 それでも兵士を指揮する隊長は部下を鼓舞し、突撃を命じる。
 魔女は兵士を相手取ると悠然と薬指に銀の指環をはめた左手をかざし、手のひらに魔力を束ねると光の輪を形作った。
 銀色に輝いた光輪は兵士たちを打ち倒し、民家の壁や屋根に大穴を穿つ。
「何度やっても無駄じゃ。そなたらでは、わらわに近づくことすらできぬ」
 妖婦はほくそ笑み、兵士を(そし)る。
 深夜に始まった戦闘は騎士や兵士だけでなく、騒ぎに気づいて目を覚ました市民も巻き込み、被害を大きくした。
 魔女によって破壊された民家では、逃げ遅れた子供や老人が瓦礫に埋もれ、救助を求める。だが、救助と邀撃を同時に行うことはできず、兵士たちは止むなく魔女への対処を選択する。そのため助けられるはずの命も助からず、犠牲者の数はさらに増えた。
「どうした、その程度でおわりか?」
 魔女は兵士が怯えるほどに気分を好くし、青白い頬に笑みを浮かべた。
 再び左手をかざすと、今度は隊長めがけて光の輪を形作る。
 その輪が隊長の首に絡みつき、頸動脈を絞め上げた。
「どうじゃ、ひとつ取引と行かぬか? 皇帝の下までわらわを案内せよ。さすれば、そなたの命は助けてくれようぞ」
「だ、誰が貴様など……」
「そうか、残念じゃのう」
 魔女は陰惨に微笑むと広げていた手を閉じ、隊長の首に絡まった光の輪を急速に縮めた。
「う、うぅ……ぐふぅっ!」
 隊長の頸椎は(くび)れ、胴体と切り離された頭部が地面に転がった。
「興が冷めたわ。皇帝の下へは、わらわ一人で赴くゆえ、そなたらはもう下がってよいぞ!」
 魔女は兵士に向かって両手を広げると、残った者もことごとく光輪でなぎ倒した。


 別の場所に、口に銀のマスクをつけた背の高い女が立っていた。手足も長く、並の男より頭一つ分は長身である。
 そこへ、兵士を率い、さらに立派な体躯の騎士が駆け付けた。
「貴様が魔女か。想像していたのとずいぶん違うな。もっと醜く、しわだらけの老婆を思い浮かべていたわ!」
 騎士は大きく豊かな胸郭から生み出される声量でがなり声をあげる。
 深夜である。大声を出すのは慎まれた。魔女は人差し指を立てると、口を閉じるようにとマスクに当てた。
「ぬぅ……?」
 騎士には、その挙措の意味が分からなかった。
「し、静かにしろと言っているのではありませんか……?」
 恐縮しながら部下が説明する。
 もっともな注意である。が、騎士にしてみれば、だとしても、こんな時間に攻め入ってきたお前たちに言える道理かと憤慨した。
「魔女め、己の立場をわきまえぬ外道! ならば代わりにこの鉄槌で、貴様の悲鳴を轟かせてやるわ!!」
 騎士は巨大な戦槌を振り上げた。
 相手は並の男よりも長身であるとはいえ、肉体的には線の細い女である。筋骨隆々の大男が振り上げる鈍重な凶器を食らえば、ひとたまりもない。
 それでも魔女は取り乱すことなく大きく息を吸い込むと、風船のように腹部を膨らませた。
 次いで、蓄えた空気を甲高い声に変えて、銀のマスクの下から吐き出した
「アァァァァァァーーーーーー!!!!!!!!」
 それはさながら超音波だった。聴く者の鼓膜を叩き、脳を揺さぶる。
「な、何だこれは、うぅ……頭が割れる!!」
 騎士は振り上げた鉄槌を投げ捨て、両手で耳を押えたが、指の隙間からしみ込んでくる魔女の声を止めることはできない。
 他の兵士も同じだった。耳を塞ぐも耐えられずに膝をつき、中には泡を吹いて失神する者もいた。魔女の発する音波の下で、まともに動ける者はいなかった。
 その声は人間だけでなく建物の壁や柱、さらには地面をも揺さぶり、兵士の足下の石畳に亀裂を走らせる。
 建物が崩壊し、兵士が気絶すると、ようやく魔女は声を吐き出すのを止めた。
 兵士たちが完全に沈黙すると、周囲に静寂が戻る。
 その静けさに満足すると、魔女はまるで何事もなかったかのように、衣擦れの音一つ立てることなく、無音のままその場を去った。


「魔女を捕らえよ! これ以上の侵入を許すな!」
 帝都の一角に宮廷騎士団の兵士が集まり、仲間の来援に向かわんと急いでいた。
 そんな緊切する事態の中で、突如彼らが足を止めた。不審な人影を目撃したからだった。
 すり鉢状になった野外劇場の舞台に車椅子の少女がいた。少女は銀の靴をはき、夜空に浮かぶ月を見上げている。
「今夜は、とても月が綺麗ね。こんな夜は、誰かと踊りたくなるわ……」
 兵士たちは本能的な危機を察知し、独白する少女を取り囲んだ。
「おい、そこの娘、こんな所で何をしている!」
 少女は声に気づくと、兵士の方を向いて答えた。
「王宮の騎士様ですね?」
 一見して無垢な表情だった。明らかに異様な存在ではあるが、邪悪な物を一切感じさせないその様子に、兵士らは戸惑った。
 少女は地面につま先を着くと、ひじ掛けを掴む手に力を加えて立ち上がろうとする。
 足元はぎこちなく、弱々しく震える。それでも、どうにかバランスを保って立ち上がると、兵士に向かっていった。
「お医者様は、わたくしの脚は一生治らないとおっしゃられたわ。ですが見てください。今では、こんなに長く立っていられます」
 少女はふらつき、いまにも倒れそうな有様だったが、表情には誇らしさが備わっていた。兵士の中には、そのあまりにもきゃしゃで儚げな姿に、思わず手を差し伸べたくなる者さえいた。
「誰からですか、わたくしと踊っていただけるのは?」
 少女が問いかけた。兵士は対応に窮した。
 兵士たちの見解としては、彼女が魔女であることに間違いはなかった。しかし、魔女といっても相手は脚の不自由な少女である。一人で立つことさえままならない少女を、大勢の男が取り囲んで抑えつけるのは躊躇われた。
 それでも任務には従わなければならない。誰から行くかと兵士らが顔を見合わせていると、少女は待ちきれないように自分から踵を浮かせ、つま先で滑るように舞台の上を移動した。
 瞬間、兵士たちは少女を見失った。そのスピードに、視力が追い付かなかった。
 気が付くと、少女は空になった車椅子を残し、兵士たちの後に立っていた。両手に、兵士の鞘から抜き取った剣を握っていた。
「今夜は、とっても気分がいいの。アァ、ほんとによかった。魔女になって……わたくしと、朝まで踊っていただけますか。剣の舞を……」
 少女は恍惚の表情で、兵士たちを相手に死の舞踏を堪能した。


 騎士団本部を出動したディートライヒ・フォン・グリミングとフォルクラム・フォン・レッターハウスは、皇帝の居城であるシェーニンガー宮殿へ接近する魔女を迎え撃つため、二手に分かれた。
 東の大通りを死守しに向かったフォルクラムは、そこに広がる無残な光景に戦慄した。
「何だこれは……」
 まるで蜘蛛の巣に落ちた虫けらのように、大勢の兵士や民間人が、全身を糸のようなものに絡め取られて絶命している。
 フォルクラムは近づき、手を伸ばして糸の正体を確かめた。すると、更なる驚愕が彼を襲った。
「これは、女の髪……」
 確かにそれは、美しい金色の光沢を持った毛髪だった。しかし、量が尋常ではない。民家や市庁舎や教会の鐘楼にまで、広範囲にわたって絡みついている。
 魔女の仕業かと思ったとき、女の声が聞こえた。
「なにさ、まだ生きてる奴がいたの?」
 魔女は曲のある長い金色の髪に、銀の髪飾りをつけていた。フォルクラムたちを見ると、軽く腕を組んだまま面倒臭そうに呟いた。
「貴様か、兵士ばかりか、無辜なる市民をもこんな目に合せたのは!」
「そうよ。それが何か問題でも?」
 憤りながらフォルクラムがいうと、魔女はさも気だるそうに答えた。まともに顔を合わせようともしない。
 ふしだらなその態度に、フォルクラムは一層怒気を膨らませた。
「……自分はこれまで、たとえ相手が魔女だったとしても、女性である以上は最大限の敬意を払い、騎士として礼節を貫こうと考えていた。しかしたった今、その考えを捨てることにした。帝都の静謐と、罪なき人々の尊厳を踏みにじった貴様を女性として、いや、人として扱うわけにはいかない!」
「やるの? やらないの? ぐだぐだしゃべってないで、早く決めなさいよ」
 魔女はフォルクラムの怒りなど、どこ吹く風といった様子だった。
「兵士らよ、手を出すな。この女だけは、我が剣にて滅ぼさなくてはならない。レムベルト皇太子の魂にかけて、このふしだらな売女に相応の報いをくれてやる!!」
 フォルクラムは剣を抜いた。兵士に手出し無用といった以上、騎士団の名誉にかけて負けることはできなかった。絶対的な自信と必勝の信念を込めて、切っ先を魔女に向けた。
 金髪の魔女は、そんなものには興味無いといった風に、()れた口調で答えた。
「口数の多い男。よほど自分に自信がないのね。まあいいわ。面倒だから、全員まとめてあの世へ送ってあげる」
 魔女は総髪を逆立たせると、一対一を望んだフォルクラムを無視し、黄金色の波頭で兵士を呑み込んだ。
 フォルクラムは毛髪を切り裂かんと剣を突き立てたが、魔力を帯びた女の髪は鋼鉄よりも硬く、まるで歯が立たない。
 やがて魔女の髪は男たちの首を絞めつけ、さらに目や耳や鼻や口といった部分を塞いで窒息させる。
「バカな、こんなことが……」
 騎士団でも一二を争う実力者のフォルクラムが、まるで為す術がなかった。
 口を閉じてもそれをこじ開け体内に侵入してくる女の髪におぼれながら、フォルクラムは何もできずに意識を失う。
「すまぬ、ディートライヒ。まさか、こんなところで……すまぬ…………」
 もはや明朝の食事を奢ってやることさえできず、フォルクラムは親友であり好敵手である男の名前を呼んでは、何度も謝罪しながら息絶えた。


 同じくフォルクラムと別れ、西の大通りへ向かったディートライヒも、すぐに魔女の犠牲者の遺体に直面した。
 こちらには巻き込まれた民間人はいなかったが、数十名に及ぶ兵士の一団が全滅している。その身体には、切り刻まれた無数の傷痕が残されていた。
「……これはどういうことだ。精鋭を誇った宮廷騎士団の兵士たちが一方的に……見張りの報告では七人の魔女が侵入したといっていたが、もしやそのすべてが、ここに集結していたというのか……」
 屈強な兵士たちが、たった一人の魔女に全滅させられるはずがなかった。
 ディートライヒならずとも、常識にとらわれた人間ならば、そう判断するのが当然だった。だが、常人の発想を嘲笑うのが魔女の常である。
「なにいってんのさ。全部、ボク一人でやったにきまってるでしょ。だらしないなあ。帝都の兵隊って、こんなに弱かったの?」
 現われたのは、左目に銀の眼帯をつけた少女だった。右手に血のついた斧を、左手に楯を装備している。
 一見、少年のような風貌の魔女に、ディートライヒは面食らった。
「卿が兵士らを相手取ったと……?」
「そうだよ。全部で何人いたかなぁ。二十人ぐらいまでは数えてたけど、途中で分からなくなっちゃった」
「………………」
 そんな言葉を真に受けるつもりはなかったが、屈託もなく語る相手にディートライヒは忌避を覚えた。
「卿らの目的は何だ。何の如何があって帝都を侵す?」
「そんなの決まってるでしょ。ルーム帝国を滅ぼすためだよ」
 不敵に、そして不遜に言い放った魔女の顔には、自分が何を言っているのか、何を行っているのかも理解できていないような、無邪気な子供の笑みが浮かんでいた。
「ところで、皇帝のお城ってどこ? このまま真っ直ぐでいいのかな?」
「私に、そんなことを訊いてどうするつもりだ?」
「分からない人だなぁ……ルーム帝国を滅ぼすっていってるんだから、皇帝を殺しに行くにきまってるでしょ?」
「陛下の御命を……」
「そうさ。ボクたちはみんなで競争してるんだよ」
「……競争だと?」
「誰が最初にお城に着いて、皇帝を殺せるかのね。だから邪魔しないでよ。君たち兵隊の命なんて興味無いからさ、教えてくれたら見逃してあげるよ」
 放言する魔女に、ディートライヒは全身を燃えつくさんばかりの怒りを覚えた。帝国と帝室に対する忠誠こそが騎士道の精華だと考える男にとって、聞いているだけで耳を汚す悪態だった。
 それでも残されたわずかな理性で感情を抑えつけると、ディートライヒは魔女に言い返した。
「ならば、その競争に勝者は誕生せぬ。卿を含めて、すべての魔女はこの私が掃滅するからだ」
 ディートライヒが宣言すると、眼帯の魔女は一瞬キョトンとしたが、直後、嬉しそうに微笑んだ。
「……へぇー、君がね。自信あるんだ。たぶん、ボクと勝負したって、足下にも及ばないと思うけど」
「卿は何も知らぬため、そのような口が利けるのだ。我が祖父はレムベルト皇太子の側近を務め、かのオッティリアとの戦いにも参加した勇者だった。我が手にあるのは、その時多くの魔女と戦い勝利を呼び寄せたグリミング家の宝刀。祖父は私にこう言われた。レムベルト皇太子は最後に魔女オッティリアの心臓を一突きにし、止めを刺した。万が一、再びルーム帝国に魔女の災禍が降りかかるときは、この剣を用いてお前が国家と人々を救えと。今その言いつけを果たすため、卿の心臓を我が手で討たせてもらう」
「できるものならやってごらんよ。ボクの楯だって、樹齢千年を超える菩提樹の幹でできてるんだよ。この斧を使って、ボクが自分で切り倒したんだから。大変だったんだよ。そんな剣じゃ、たぶんボクの心臓に穴をあけるどころか、この楯に傷をつけることもできないと思うけどね」
「楯を穿つつもりはない。ただ一つ、卿の心臓に風穴を開けられればそれでいい」
「じゃあさ、ボクは一歩も動かずここに立ってるから、君はその剣でボクの心臓を突き刺してごらんよ。ボクはそれを、この楯で防ぐから、どっちの剣と楯が上か、勝負だね」
「よかろう。我が剣が仕損じた時は、その斧でこの首を刎ねるがいい」
「分かったよ。さあ、かかっておいで。心臓はここだよ。よく狙ってね!」
 魔女はディートライヒに胸をさらした。
 見守る兵士たちは魔女を相手にそんな取引をしていいのかと案じたが、騎士としての矜持がディートライヒを引き下がらせなかった。
 騎士は剣を構えた。そして、魔女の心臓に狙いを定めて攻撃に移った。
 その剣技は騎士団でも並ぶものなく、好敵手のフォルクラムさえ一目おいた。
 切っ先は閃光となり、兵士の目にも止まらないほどの速度で魔女へ迫る。
 だが、あと半歩とない距離にまで達したところで、グリミング家の伝家の宝刀は固く、どんなに押しても微動だにしない大樹に衝突したかのように前進を阻まれた。
「バカな!!」
「残念でした」
 ディートライヒの攻撃は、魔女の楯に防がれた。
 勝ち誇った魔女が嘲笑すると、ディートライヒは死と敗北を受け入れた。
「惜しかったね」
 魔女は斧を振り上げ、公約通り騎士の首筋へ振り下ろした。
「無念……」
 心の中で呟いたその言葉を最後に、ディートライヒの意識は潰える。
 魔女の楯には、たった一つの傷もついていなかった。
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