第10話 出陣 Ⅰ

文字数 3,758文字

 ファストラーデがハルツを襲撃した数日後、傷を癒し終えたレギスヴィンダたちは帝都へ帰還する時を迎えた。
「準備はよろしいですね?」
 客人用の庵で、レギスヴィンダが二人の騎士に下問する。
「勿論です。とうの昔に準備も覚悟も出来上がっています」
「一度は失いかけたこの命、今さら惜しむつもりはありません」
 オトヘルムとブルヒャルトがそれぞれ答えた。
 二人の心構えを確認すると、レギスヴィンダは感謝を込めて訓示を述べた。
「わたくしたちは長くハルツに留まりすぎました。そのために、この地に対する愛着や敬意は以前にもまして深まっています。ですが、わたくしたちには帰らなければならない場所があります。わたくしたちは皇帝陛下から、重大な使命を託されました。帝国を侵略し、ルームの栄光を失墜させようと目論む悪しき七人の魔女を討ち滅ぼすことがそれです。わたくしたちがハルツへ来なければ、この地の魔女たちは平穏に過ごせたかもしれません。わたくしたちのせいで、魔女の聖地に取り返しのつかない傷を残してしまいました。これを運命という言葉だけで片付けてしまうほど、わたくしは愚かでも、虫のいい女でもありません。ですが……いえ、だからこそ、わたくしたちは立ち止ることを許されないのです。さあ、行きましょう。ハルツに対して負ってしまった無限の責務を果たすために、人と魔女の真なる理解と共存のために、負けることのできない戦いへ赴くのです!」
 それは偽らざる心境の吐露であり、自分自身への戒めだった。
 三人が出発の準備を終えたころ、庵をノックする者がいた。
「姫様たち、支度はできました?」
 真新しい箒を携えたゲーパが出発の時を告げに来る。
 レギスヴィンダは「はい」と答えると、二人の騎士を伴って庵を出た。
 表には、ヴァルトハイデが待っていた。さらに、ヘーダとブリュネが見送りに立っている。
 レギスヴィンダはヘーダの前まで行くと、感謝と別れの言葉を述べた。
「ヘーダ様、大変お世話になりました。ハルツの皆様から頂いた温かな情誼(じょうぎ)をレギスヴィンダは一生忘れることはありません。ハルツとルームが手を取り合い、平和で豊かな未来を築くため、命を賭して戦って参ります」
「うむ」
「本当に有り難うございました。必ず悪しき七人の魔女に勝利し、大いなる慈しみと慰めを与えてくださったヘルヴィガ様の墓前に報告をしに戻って参ります。どうかそれまでヘーダ様も、ブリュネ様も、ハルツのすべての皆様が創建であられますように」
「うむ」
「それでは、行って参ります」
「うむ……」
 レギスヴィンダが頭を下げ、旅立とうする。それを制すようにヘーダが呼び止めた。
「待たれよ、殿下」
「……何でしょうか?」
 まだ何か話があるのかとレギスヴィンダは怪訝に立ち止った。
「わしらのことに責任を感じているのなら、気に病むことはない。何度もいったが、ヘルヴィガは自分の意志で戦ったのじゃ。むしろ、わしらがあ奴を狭い鳥籠の中に閉じ込めてしまっていたのかもしれん。殿下が来てくれんかったら、ヘルヴィガは後悔を抱いたまま飛び立つこともできんかったじゃろう。本当に感謝しているのはわしらのほうじゃ。すまんかったのお……」
 ヘーダもずっと苦しんでいた。
 七十年前の戦いの後、愛憎に囚われて理解し合うことを拒んだのはルームだけの責任ではなかった。ハルツもまた、なすべき努力をなさなかった罪と後悔を抱えていた。
 レギスヴィンダはヘーダに「はい」と答えると、同じ過ちは二度と繰り返すまいと心に誓った。
 ルーム帝国の皇女に臣従するハルツの魔女が、剣の師に旅立ちの挨拶を行う。
「では、行って参りますブリュネ様」
「ヴァルトハイデも気を付けてください。本当なら、わたくしも殿下にお供したかったのですが、ヘルヴィガ様なきハルツを離れるわけにはいきません。後のことはヘーダ様を中心に取りまとめますので、わたくしたちのことは構わず、存分に戦ってください」
「ブリュネ様に教えて頂いたことを忘れず、殿下をお守りし、必ず勝利の御旗を持ち帰ってくるとお約束いたします」
 ブリュネは優しく、旅立つ愛弟子を見送った。
「こりゃ、ゲーパよ、わしの箒を貸してやるといったじゃろう」
「いやよ、あんな古いの。あたしはこれでいいの。ひいお婆ちゃんの方こそ、あたしが居ないからって無茶なことばかりしちゃだめよ。もう、歳も歳なんだからね」
「バカ者! わしの心配をするなど百年早いわ! 殿下の足を引っ張らず、すこしは風の声が聞こえるようになって帰ってくるのじゃぞ。くれぐれも、人間の男なんぞにうつつを抜かすでないぞ」
「そんなわけないでしょ!」
 ゲーパは赤くなった。
 レギスヴィンダたちがハルツを発つ。
 去りゆく者たちへ、残された者たちは、一人も欠けることなくこの地へ帰ってこられるようにと祈りを込めた。


 レギスヴィンダがハルツを出発して数日後、皇女が帰還するよりも一足早く、各地より兵を挙げた諸侯が帝都を目指していた。
 未だ七人の魔女の素性も所在もつかめていないフロドアルトにとっては気の早いことだと呆れることもあったが、それだけ自分が支持されているのだと悪い気もしなかった。
 フロドアルトがアウフデアハイデ城の司令室で侍従の淹れたコーヒーを味わっていると、腹心のヴィッテキントが血相を変えてやってきた。
「フロドアルト様!」
「なんだ騒々しい?」
 穏やかな空気に満ち足りた午後のひと時である。優雅な一服を邪魔するヴィッテキントを、フロドアルトは疎んじた。
 今頃は悪なる魔女も昼食を終えて昼寝でもしているはずだとからかうが、それどころではなかった。
「たった、今レギスヴィンダ様のご無事が確認されたと報せがありました」
「なんだと!?」
 耳を疑う内容だった。誤報の可能性もあるが、侍従にコーヒーを片付けさせると詳しく話を聞いた。
「兵士の報告では、ハルツ近くのフュルンクランツという町でレギスヴィンダ様を発見されたそうです」
「ということは、やはり魔女の山へ向かっていたのか……」
 その目的がなんであるかは未だ不明だったが、フロドアルトにとってコーヒーよりも苦い報せとなった。
「それで、内親王殿下はなぜそんなところへ? 予測通り、ハルツの魔女との接触を目的としていたのか?」
「報告ではレギスヴィンダ様御一行の中に、すでに二人の魔女が加わっていたとのことです」
「……なんということだ! 本気で魔女を制するのに魔女を用いるつもりなのか!? そんなことをすれば、後で何を要求されるか知れたものではないぞ!!」
 フロドアルトは激昂した。
 これより数日前、皇后ラウレーナと自殺を図りながら一命を取り留めた侍女に会って話を聞き、レギスヴィンダがハルツへ向かった目的が魔女に協力を依頼するためだということは確認されていた。
 フロドアルトは間違いであってくれと願ったが、報告を聞いてその望みは完全に断たれた。
「バカな事をしてくれたな! 皇后陛下もレギスヴィンダも何を考えているのだ! ハルツの力など借りなくとも、ルームの諸侯が結集すれば魔女になど屈するはずがなかろうに!!」
「ですが、これも皇帝陛下の御叡慮(ごえいりょ)によるものだったとのことです」
「ジークブレヒト陛下が……」
「皇帝陛下は形見とも言うべき銀のペンダントを託され、ハルツの魔女を味方につけよとお命じになられたとのことです」
「あのペンダントを……どうりでどこを探しても見つからないはずだ。まさか陛下は協力の見返りに、帝権の象徴ともいうべき銀のペンダントを魔女にくれてやったというのか?」
「いいえ、ペンダントにつきましては、今もレギスヴィンダ様が御所持されていることを兵士が確認しております」
「どういうことだ? 魔女たちへの土産のために、ペンダントを持ち去ったのではないのか……」
「さあ、わたくしには判断しかねます」
「だとしても、あれほど魔女を憎まれていた陛下がハルツに協力を求めるというのは解せんな……陛下は我らの結束よりも魔女に頼る道を選ばれたというのか……」
 どんな事情があるにせよ、フロドアルトはこれが事実だとすれば、帝室による自分たち諸侯への裏切りにも等しい行為と受け取った。
「レギスヴィンダ様はフロドアルト様がご心配なされていることを知ると大変に驚かれ、安全上のためからも一切の連絡を絶っていたことを深謝されたそうです。また、ご自身が不在の間帝都を取りまとめ、混乱を最小限に抑えられたことにつきましても感謝の意を述べられていたとのこと。大本営につきましてはレギスヴィンダ様御自ら皇帝陛下の代理として、フロドアルト様をそのまま総司令に任ずると令旨(りょうじ)を頂きました。レギスヴィンダ様が帝都へ還御(かんぎょ)なされるその時まで、フロドアルト様のご判断で帝国と臣民をお守りくださいとの御諚を賜っております」
「内親王が帰ってくるまでの間か……」
 レギスヴィンダが無事であることが判明したのは喜ばしいことではあったが、フロドアルトには不満の方が大きかった。
 帝都には諸侯が集結し、フロドアルトを支持している。彼らはレギスヴィンダがハルツへ向かったことを知るはずもなく、なんならこのまま知らないうちにいなくなってくれた方が好都合だと、不穏な思いを募らさずにはいられなかった。
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