第22話 宣戦布告 Ⅱ

文字数 4,782文字

 仲間を手にかけファストラーデを追放したリントガルトは、はぐれ魔女を率いてルーム帝国へ攻撃を開始した。
 その手始めに選んだのが、旧家の名門ホーエンローエだった。


 その日、ホーエンローエ家の所領であるベンゲストラーテは快晴に恵まれた。都市の広場には自慢の品物を持ちよった商人が集まり、(マルクト)が立てられていた。
 ホーエンローエ家は七十年前、レムベルト皇太子亡き後の帝位継承争いに加わり、あと一歩で至尊の座に手が届くところまで迫った。しかし、レムベルト皇太子の御子を宿したユングベック家のゴーデリンデ妃の後ろ盾となったライヒェンバッハ家に敗れ、現在まで貴族社会において反主流派の扱いを受けてきた。
 それでも当主であるホーエンローエ候エギナルトは交易に力をいれ、経済面においては過去のどの時代よりも成功を収めた。
 エギナルトは現在の帝室をライヒェンバッハ家によって支配された傀儡とみなし、いずれホーエンローエ家によって正しい形へと変革されなければならないと信じていた。
 その時に力となるのが、蓄えこんだ富だった。
 陸路の要衝に位置するベンゲストラーテには国外からも多くの商人や旅人が集まる。市の立つ広場では、様々な言語で丁々発止のやり取りが繰り広げられていた。
 昼を過ぎ、すでに品物を売りきった屋台や露店が撤収にとりかかろうかとしている時だった。商人の一部が最初の異変に気付いた。
「……なんだ?」
 小刻みに地面が揺れ「ゴォォォ……」という低い音が聞こえる。
 直後、何者かの叫び声が広場に響いた。
「鉄砲水だ!!」
 茶色く濁った土石流が丘をかけ下り、ベンゲストラーテへ押し寄せる。
 人の背丈をはるかに超える波頭が都市の城壁を打ち付け、土砂や流木が凶器となって襲いかかった。
 瞬く間に市は渦の中に呑み込まれ、人も物も賑わいさえも押し流す。
「何事であるか!」
 城の窓から外を見渡したエギナルト老侯が、側近に問いただした。濁流が都市に溢れ、悲鳴と助けを求める声が錯綜する。
「河川が氾濫し、大水が城下に流入した模様です!」
 側近の返答を聞いて、エギナルトは鼻白んだ。
「大水だと? バカなことを申すな! この数日、雨など一滴たりとも降っておらぬではないか!」
「ですが現実に各所から出水し、排水設備が追い付いておりません!」
「ぬぅぅ……いったいどこから、これだけの水が湧いて出たというのか!!」
 突然の天変地異である。ベンゲストラーテ一帯に大きな川はなく、過去にも水害に見舞われたという記録はない。
 時ならぬ大洪水にエギナルトは困惑し、怒りのぶつけどころに事欠いた。
「ともかく人命救助を優先せよ!」
 エギナルトの命令で、逃げ遅れた人々が助け出される。しかし、どうにか建物の屋根や高所に這い上がれた者たちを、さらに目を疑う不幸が襲った。
「なんだあれは……」
 押し寄せる濁流の彼方を見やりながら、人々は唖然とする。
 逆巻く波を蹴立て、帆を広げた巨大な船が丘を走り下るのが見えた。
 船はそのまま城壁に衝突すると、舳先を都市の内部へ喰い込ませた。
「アハハ! 愚かな人間たちが驚いて声も出せないでいるよ!」
 船の上で高笑いをあげる魔女がいた。リントガルトだ。
 海賊船の船長のような帽子とマントを身につけ、怖れ慄く人々を見下ろしている。
「今日はマルクトが開かれてるんだろ? ボクも参加させてよ。とっておきの商品を用意してきたんだ。破壊と殺戮っていう、最高の品物をね!」
 リントガルトが合図すると、船に乗り込んだ数多の魔女が姿を現し人々に襲いかかった。
 魔女は武器を手に取り、あるいは異形の怪物に姿を変え、火を吐き、稲妻を走らせ、大津波となって都市に居合わせた者を無差別に攻撃する。
「どうだい、気に入ってくれただろ? 遠慮しないで受け取ってよね。代金は、みんなの命で払ってもらうから!」
 リントガルトは都市が水没し、人々が一方的に虐殺されるのを笑いながら眺めた。


 ベンゲストラーテでの変事は、すぐに帝都へ伝えられた。
 息をひそめていた悪しき魔女が行動を開始したことを重く受け止めたレギスヴィンダはアウフデアハイデ城からフロドアルトを招集し、ヴァルトハイデたちと協議した。
「フロドアルト公子もすでに聞き及んでいると思いますが、悪しき魔女によってベンゲストラーテが襲撃されました。都市は破壊され、行方不明だったホーエンローエ候は遺体となって発見されたと、今朝になって連絡がありました」
 レギスヴィンダが告げると、集まった者たちは一様に沈痛な面持ちを浮かべる。たとえ帝室との関係が良好なものでなかったとしても、帝国を代表する名門貴族の命が奪われたのだ。そのショックは大きく、悪しき魔女に対する敵愾心は燃え上がった。
「ホーエンローエって、エルシェンブロイヒとの戦いに参加しなかった人よね?」
 誰もが弔意を示す中で、フリッツィだけが普段と変わりない調子で発言した。
「その通りだ。帝国中の諸侯が、いや騎士や領民にいたるまでが、かかる危機にあって互いの利害を超えて結束しようとしていたときに、ホーエンローエは自己の利益を優先して派兵を拒んだ。やつらは一滴の血も流すことなく、我らの戦いを傍観していたのだ。此度のことは戦うべきときに戦わなかった者たちの末路、皇帝陛下の恩寵に背を向けた忘恩の徒にふさわしい報いといえよう」
 冷たく、厳しく、また個人的な恨みを込めてフロドアルトが答えた。
 ライヒェンバッハ家とホーエンローエ家は犬猿の仲ではあるが、故人に対してあまりにも辛辣ないいようではないかと皆が思った。が、フロドアルトは感情論だけでエギナルトを誹謗するほど狭量な人間ではなかった。
「だが、そんな虎の子の騎士団を温存していたホーエンローエでさえ、魔女には為す術もなく敗れ去った。同じことが別の場所で起こったとき、我らはこれを防ぎきれるのか?」
 フロドアルトはホーエンローエ家の実力を認めていた。潤沢な資金に下支えされた騎士団も、いまだ衰えぬ他家への影響力も侮れぬ存在だった。
 フロドアルトの突きつけた命題は深刻で、即座に回答できる者はいなかった。
「ヴァルトハイデは、どう思いますか?」
 レギスヴィンダが指名すると、誰もが固く口を結んだ中で当人だけが明瞭な声で答えた。
「ベンゲストラーテを襲撃した魔女集団の規模を見ても、その勢力がこれまでになく伸張されていることは明白です。フロドアルト公子がいわれたとおり、諸侯が分裂したままではルーム帝国に勝機はないでしょう。ですが再び諸侯連合のようなものを組織したところで、かえって各地の守りを手薄にするだけで敵魔女集団に付け入る隙を与えることになります」
 ヴァルトハイデの慧眼は正しく状況を見定めていた。魔女は神出鬼没で、守るにしても攻めるにしても、どこへ兵力を集中させればいいのか見当もつかない。
「……でも、七人の魔女って仲間割れしたんじゃなかったの?」
 躊躇いがちにゲーパがいった。
 ヴァルトハイデの妹であるリントガルトが魔女の呪いに囚われたことは悲劇であり、敵味方を含め誰もそんなことを望んでいなかった。しかし、沽券にかけて悪なる魔女を打倒しなければならない帝国にとって、これは最大の好機でもあった。
 少なくとも仲間どうしで争っている間は、帝国への攻撃は止むだろうと考えていた。あわよくばそのまま自滅して戦いに終止符が打たれるのではないかと期待さえしていた。
「攻撃を再開させたからには何かしらの方法を用いて、内紛の火種を取り除くことに成功したのであろう」
 淡々とフロドアルトが答えた。
「火種って……あぁ、ヴァルトハイデの妹のことね……」
 無意識に自問自答しながら、皆がぼやかしていたことをフリッツィが口にした。さらに考えながら、フロドアルトのいわんとするところを理解して大声をあげた。
「つまりそれが取り除かれたってことは……ヴァルトハイデの妹が殺されたってこと!?」
 フリッツィは立ち上がり、静まり返る議事室に声を響かせた。
 他の者はとっくに気づいていたように押し黙る。居たたまれない空気が、フリッチィにのしかかった。
「ごめん……」
 黒猫の使い魔はヴァルトハイデを見やり、無神経な発言を謝罪して着席した。
 ヴァルトハイデ自身は、心の中まではどうであったかは定かでないが、表面上は平静を保っていた。フリッツィに対しても、謝る必要はないといった態度を示した。
「お待ちください。例の眼帯の魔女については、内紛によって取り除かれたのではなく、帝都から逃げ去った後、どこかで力尽きた可能性もあります」
 宮廷騎士団のガイヒがいった。
 帝都での戦いの後、騎士団は魔女の行方を追ったが手掛かりはつかめなかった。
 それでもリントガルトについては、あれだけの傷を負っては生きていられるはずがないと、直後に死亡したとの見方が強まっていた。
「死体は見つかったのか?」
 フロドアルトがいった。
「いえ、ですが……」
「ならば、甘い憶測は捨てよ。魔女に対しては、常に最悪の状況を想定しておかねばならない」
「……公子のいわれるとおりです」
 叱責され、ガイヒは口をつぐんだ。交代するようにレギスヴィンダが口を開く。
「いずれにしても倒すべき敵の数が減ったのであれば、わたくしたちにとっては好都合です。このまま敵魔女集団を内部崩壊へ誘う手もあるのではないでしょうか?」
 力尽きたのであれ、仲間に殺されたのであれ、すでにリントガルトが死亡しているのだとすれば、それがヴァルトハイデにとっての悲報であることに変わりはなかった。しかし、姉妹で殺し合わなければならないことに比べれば、まだこのほうがましなのではないかとレギスヴィンダは感じた。
「畏れながら、わたしはそうは思いません」
 ヴァルトハイデに対して思いやりある発言をしたはずのレギスヴィンダに、否定的な見解を述べる者がいた。ヴァルトハイデ自身だった。
「わたしはリントガルトが死んだとは思えません。むしろリントガルトが、他の魔女たちを排除したのではないかと考えます」
 ヴァルトハイデの発言に、一同瞠目する。
 姉として、妹の死を受け入れられないというのであろうか。だとしてもリントガルト一人で残り五人の魔女を排除できるであろうか。
「なぜ、そう考えるのですか?」
 レギスヴィンダは見解を聞かずにはいられなかった。
 恐らくは姉として、また同じ魔女の血肉を分け合った者としての超感覚がリントガルトの生存を確信し、その息吹や魔力や波動のようなものを感じているのではないかと思った。
 誰もがヴァルトハイデの返答に固唾を呑んだ。
「……ただ、そう思うだけです」
 覇気もなくヴァルトハイデが答えると、議事室にため息のような空気が漏れた。
「……ともかく、今はまだ七人の魔女がどうなったのか、どういう形で内紛を治めたのか、彼女たちの次の目的がなんであるかを判断するには情報が少な過ぎます。諸侯には悪しき魔女集団の挑発に乗らず、守りを固めて付け入られる隙を作らないようにと伝えて下さい。帝国はなおも結束と忍耐を必要としています。自制し、いかなる状況にも対処できるよう心がけて下さい」
 レギスヴィンダが指示をまとめるも、その内容に具体性が伴うことはなかった。
 残念ながら現段階では帝国側から打って出ることはできず、どうしても受け身にならざるを得ない。協議に参加した者たちは、そんないら立ちや焦りを隠しきれなかった。
 ただ一人だけ、理由もなく妹の生存を信じ、再び雌雄を決する時が来ることを静かに覚悟している者もいた。
 それだけは避けたい、再び姉妹で殺し合うことなどさせてはいけないと願いながらも、なぜかレギスヴィンダもリントガルトが生きているのではないかと、不幸な予感を振り払うことができなかった。
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