第41話 夜と朝のあいだ Ⅲ

文字数 3,293文字

 ベロルディンゲンの地下牢を抜け出したフリッツィは、城内のどこかに監禁されているルートヴィナの両親を探した。
「やっと見つけたわ。こんなところに閉じ込められていたのね」
 木の枝の上で、城内の一室に囚われた二人を発見する。枝を伝って窓辺へ近寄ると、爪を使ってカリカリと引っ掻いた。
 部屋の中では、夫妻が寄り添っている。
 口から出る言葉といえば、自分たちのことよりも、他の者たちの心配ばかりだった。
「冷えてきましたね」
「そうだな。今頃、ルートヴィナが寒空のどこかで凍えてなければいいが……」
「リカルダも、あの後どうなってしまったのでしょう?」
「たとえ皆が無事だったとしても、もう元の生活に戻ることはできない。いっそこのまま処刑されてしまった方が楽なのかもしれないな……」
「あなた……」
 二人は長い虜囚生活の中で、精神的にも肉体的にも疲れ切っていた。
 慰め合う気力もなく、争いの道具として利用されるぐらいなら、自ら命を絶つべきではないかと考えるほどだった。
 会話が途切れると、どちらからということもなく、窓の外で小さな音がするのに気づいた。
「あなた、あんなところに猫が……」
 ルートヴィナの母が、なぜ難攻不落の要塞に猫がいるのかと首をかしげる。
「誰かが、この城で飼っているのだろうか?」
「さあ、どうでしょう……」
 ともかく、夜の冷たさは猫にとっても堪えるはずである。夫は妻に向かい、入れてやりなさいと答えた。
 窓があき、中へ入れてもらうと、フリッツィはテーブルに飛び乗って二人に挨拶した。
「始めまして。あら、意外といい部屋ね。あたしたちが入れられた地下牢とは大違だわ。人質を取るような奴だから酷いことされてるんじゃないかと思ったけど、結構丁寧に扱われてるみたいね。そこだけは評価してあげるわ」
 室内を見回し、感想を述べる。突然、人の言葉でしゃべりだした黒猫に夫婦は驚いた。
「あ、あなたはいったい……?」
 恐る恐るルートヴィナの母が訊ねた。
「あたし? あたしの名前はフリッツィ。こう見えても、皇帝陛下のお使いよ」
「皇帝陛下の……!?」
「そ。あなたたちでしょ、ルートヴィナの両親って?」
「ルートヴィナを御存じなのですか?」
 父が訊ねた。
「もちろん。心配しなくても、今は帝都で皇帝陛下に保護されてるわ」
「ルートヴィナが皇帝陛下に……」
「リカルダもあたしたちが助けたわ。仲間と一緒に、クラウパッツにいるわよ」
「いったい、なにがどうなっているのですか……?」
「そうね。いきなりこんなこと言っても分からないわよね。端的にいえば皇帝陛下に頼まれて、あなたたちを助けに来たの」
「皇帝陛下がわたしたちを……?」
 夫妻は互いの顔を見合った。にわかには、信じがたい内容である。目の前でしゃべる猫のことも含めて、すべてが夢のことのように思われた。
 フリッツィは、そんな驚く二人を面白がりながら話を続けた。
「夢じゃないわ。皇帝陛下はみーんな、お見通しなの。悪いのは、あなたたちでもライヒェンバッハ公でもないわ。一人の魔女と、ライヒェンバッハ公の主治医が始めたことなの。もうすぐ正義の味方がやってきて、その二人を退治てくれるから、もう少しだけ我慢してね」
「は、はい……」
 果たして、フリッツィの説明だけで、二人が事情を理解できたかは定かでない。もっと詳しい話をしたいところだったが、そんな時間はなかった。
「誰か来るわね……」
 フリッツィの耳がピクンと反応した。廊下に靴音が響く。
「兵士の見回りだと思います」
 ルートヴィナの母が答えた。
「じゃあ、長居はできないわね。時間があったら、また来てあげるから元気出しなさい。もうすぐお嬢さんにも会えるから、希望を捨てちゃだめよ」
 励ますように言い残すとフリッツィは入ってきた窓から出て、木の枝に飛び移った。
 その直後だった。
「飯の時間だ!」
 夕食を運んできた兵士が部屋のドアを開けた。フリッツィはすぐに枝の陰に隠れて見つからなかったが、兵士は窓が開いているのを見て不審に思った。
「なにか、あったのか?」
「いえ、なんでもありません……」
 ルートヴィナの母が答えるが、兵士は念のため窓の外を確認する。とても人間が出入りできる場所ではない。
「逃げようなんて気を起すなよ!」
 兵士は窓を閉め、二人に言い残すと、部屋の戸に外側から鍵をかけて立ち去った。


 当初の目的を果たし、ルートヴィナの両親を発見できたフリッツィだったが、そのままヴィッテキントたちのところへ戻ることはなかった。
 気ままな猫は長い夜をもてあますように、別のことを思いついた。
「このまま地下牢へ戻ってもつまらないわね。そうだ。せっかくだから、ライヒェンバッハ公爵の顔でも拝んでおこうかしら」
 木の枝から降り、ルペルトゥスの寝室を探して城内を探索する。だが、中庭を通り抜けようとしたとき、見張りの兵士に見つかった。
「見ろ、あんなところに黒ネコが!」
「どこから入ったんだ。縁起でもない!」
「捕まえて連れだせ! 殺してしまってもかまわんぞ!」
 フリッツィは兵士に追いまわされると、ルペルトゥスの顔を見に行くのを諦めて、仕方なく地下牢へ逃げ戻った。
「ただいまぁ……ああ、疲れた。ひどい目に会ったわ……」
 鉄格子の内側へ入り込むと、人の姿に戻る。
「お疲れ様でした。目的の御仁には逢われましたか?」
 労いながら、ヴィッテキントが訊ねた。
「まあね、もうすぐ助けが来るから頑張りなさいとはいっておいたわ。ルペルトゥスの方は無理だったけど」
「ルペルトゥス様の所へも行こうとされたのですか?」
「一度くらい、どんな奴なのか見ておきたいじゃない。でも、途中で兵士に見つかって、しつこく追いまわされたわ」
「それは大変でしたな……」
 ヴィッテキントは、大胆な女性(ひと)だと思わずにはいられなかった。
「疲れたから少し横になるわね」
「どうぞ、お構いなく」
 フリッツィはだらしなく寝転がると、そのまま話を続けた。
「ところでルオトリープのことだけど、どんな奴だか知ってる?」
「若くハンサムで、一見すると医師の様には見えない男です」
「彼が公爵に魔女狩りを唆したんでしょ。その目的って、何だと思う?」
「何だと申されましても、ヴァルトハイデ様を仇としてつけ狙うためではないのですか?」
「それは、あたしたちが会った魔女の方よ。魔女狩りをしたからって、ヴァルトハイデと戦えるわけじゃないわ。それに、リントガルトの遺志を継ぐつもりなら、仲間にできるはずの魔女を殺させたりしないでしょ」
「そういわれますと確かに……では、二人は別々の目的を持っているというのですか?」
「たぶんね。あたしの勘だけど、ルオトリープは単に魔女が憎いとか、誰かの仇とか、そんな理由で公爵に近づいたんじゃないと思うの」
「そういえば、フロドアルト様から聞かされたのですが、ルオトリープは捕えられた女たちを連れ去っていたそうです」
「女を……何のために?」
「分りませんが、魔女狩りよりもさらにおぞましい何かを企んでいるのではないかと、フロドアルト様はおっしゃられていました」
 ヴィッテキントの話を聞いて、フリッツィはルオトリープがさらに七人の魔女のような娘たちを造り出そうとしているのではないかと考えた。だとすれば、フレルクの命令でルオトリープが動いている可能性も疑われたが、牢の中では確かめようがなかった。
「……考えても無駄ね。本人にあって訊いてみるしかないわ……それより、あなたたちも今のうちに休んでおきなさい。じきにヴァルトハイデが来るわ。その時にここを抜け出すわよ。はいこれ」
 フリッツィは考えるのをやめると、くすねてきた鍵の束をヴィッテキントに渡した。
「こんな物まで……さすが、抜け目がありませんな」
「ヴァルトハイデが来たら、あたしはルートヴィナの両親の所へ行くから、あなたたちは公爵を何とかしなさいよ」
「お任せください。ルペルトゥス様は、我らがお守りいたします」
「今度こそ見たいものね。ライヒェンバッハ騎士団の底力を」
「お約束いたします」
 フリッツィは仰向けに寝転んだ。よくない胸騒ぎがしてならなかった。
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