第17話 最強の剣と楯 Ⅴ

文字数 5,064文字

 仲間たちへの制裁を後回しにすると、リントガルトは姉であるはずのヴァルトハイデに向き直った。
 その体内から発せられる呪いに汚濁された魔力は先ほどまでとは比べ物にならず、すでに限界に達していたヴァルトハイデとの差は圧倒的に開くばかりだった。
「死ね!」
 リントガルトは破壊と殺戮の衝動に突き動かされると、一方的に手斧を振った。これに対し、ヴァルトハイデは身を守るだけで精いっぱいになる。
 姉妹の戦いを見つめていたリッヒモーディスは固い決心を抱くと、心穏やかにスヴァンブルクに語りかけた。
「今からいうことをよくお聞き。あたしはリントガルトの息の根を断つ。自分の命に代えてもね」
「リッヒモーディス……」
「そんな顔するんじゃないよ、みんなで決めたことだろう?」
「だったら、あたしも一緒に……」
「いいや、スヴァンブルクは城へ帰んな。このことを他の連中に伝えなきゃならないからね」
「……他にリントガルトを止める方法はないの?」
「ないね、残念だけど。なに、まだ死ぬときまった訳じゃないよ。あたしだって、死ぬのは嫌だからね。それに、みんなで決めたもっと大事なことがあったろう?」
「魔女の国を創ること?」
「そうさ。魔女の国ができたら、あたしは学校を創るのさ。誰でも自由に学べる学校をね。だから、それまで死にはしないよ」
「……その時は、あたしも一緒に手伝うね」
「ありがとう、スヴァンブルク。あんたは、ホントにいい子だよ……」
 感謝の言葉を述べると、リッヒモーディスは銀の髪留めを外した。金色の乱れ髪が意志を持った生物のように脈打ち始める。
「リントガルト! あたしが相手だよ! さあ、かかっておいで!!」
 リッヒモーディスの頭髪が爆発的に伸びた。金の波頭となってリントガルトを呑み込む。
「なんだ、こんなもの! ボクには通用しないっていっただろ!!」
 髪の毛の渦に全身を絡め取られながらも、リントガルトは逆にこれを呪いの連鎖で汚染し返す。リントガルトの魔力を吸ったリッヒモーディスの髪色が、金と黒に染め別れた。
「あんた一人を魔女の呪いに落としはしない! あたしも一緒に行ってやる! だから最後ぐらい、いうことを聞きな!!」
「お前のいうことなんか聞くもんか! 一人で死ね! ボクに仲間なんか必要ないんだ!!」
 金色の魔女の髪が、どんどん黒く浸食されていく。それでもリッヒモーディスは全身全霊で魔力を絞り出して毛髪の再生速度を上げた。
「くそっ、こんなもの……」
 さすがのリントガルトも連戦による疲労もあり、命を賭したリッヒモーディスの金波からは浮かびあがれないかに思われた。
「今だよ、ハルツの魔女!!」
 リントガルトの魔力が弱まると、リッヒモーディスが呼びかけた。
 ヴァルトハイデも、今度こそは敵である金髪の魔女が命がけで用意したこの機会を裏切るわけにはいかなかった。だがリントガルトの魔力は萎むどころか、身体にまで範囲を及ぼした怨嗟の陰をさらに広げることでなおも高まった。
 左半身の腰骨から、左ひじの先まで魔女の呪いが覆っていく。
「ボクを舐めるな! ボクが最強の魔女、オッティリアの生まれ変わりだ!!」
 その瞬間、リントガルトの魔力が絶頂を迎えた。絡みついていたリッヒモーディスの髪を完全に侵しつくし、一瞬、周囲の空間までも黒一色に染まる。
 そして止まった時間が動き出すように、景色の中に色彩が戻り始めると、リントガルトを捕らえていたリッヒモーディスの髪は燃え尽きた灰と同じ色に変わっていた。
「アッハッハ! 力を使い果たしたようだね?」
 倒れたリッヒモーディスをリントガルトが嘲笑った。
「リッヒモーディス……!」
 泣きながらスヴァンブルクが手を伸した。白髪の魔女と化したその身体には、もはやわずかな温もりとともに、ひとかけらの魔力が残されているだけになっていた。
「……逃げな、スヴァンブルク。あれはもう、あたしたちの仲間だったリントガルトじゃないよ…………」
 最期を悟ったリッヒモーディスが、翼の魔女に言い聞かした。
「逃げたきゃ逃げなよ。そんなことしても無駄だけどね。あいつを殺してから、後を追いかけてお前も殺してやるよ!」
 リントガルトはスヴァンブルクに言い放つと、まるでお前など眼中にないと言わんばかりに背中を向けた。
 その魔力量は圧倒的で、いつでも誰でも自由に殺せるという自信と威嚇を放っていた。だが、スヴァンブルクは逃げなかった。
「逃げるもんか……お前なんか、怖くない!!」
 純白の翼を広げると、鋭利な刃物と化した羽を放った。
「こんなので、ボクに挑もうなんて百年早いよ!」
 リントガルトは軽々と菩提樹の楯で攻撃を防いだ。
「バカだね。逃げれば、少しは生き延びられたのに。いいよ、そんなに殺してほしいんなら、今すぐあの世へ送ってやるよ!!」
 リントガルトは標的をスヴァンブルクへ変えた。手斧を振り上げ、翼の魔女が空中へ回避するよりも早く襲いかかる。が、それよりもさらに先に魔力を高める者がいた。
「鉄鎖の桎梏、服従せぬ者を縛りなさい! ケッテン・ファング!!」
 空を駆けるもう一人の魔女が、リントガルトを鎖で縛りあげた。
「ゲーパ!」
 ヴァルトハイデが名前を叫んだ。思わぬ伏兵にリントガルトは意表をつかれ、鋼鉄の鎖で身体をグルグル巻きにされる。
「ひいお婆ちゃんの術よ。これぐらい、あたしにだってできるんだから!」
 得意気にゲーパがいった。しかし、リントガルトを縛り続けるには年季が足りなかった。
「……ろくに魔力も通ってないこんな鉄くずで、ボクを縛れると思ったの!」
 魔力を放出させるまでもない。リントガルトは力づくで鎖を引きちぎる。
「背中ががら空きよ! 猫魔術、カッツェン・クラウエン! ニャニャニャーーーー!!!!」
 鉄鎖の拘束を逃れたかに思われた瞬間、無防備になった背中にフリッツィが爪を立てた。が、怒りと呪いで極限まで強化されたリントガルトの身体には、猫の爪ごときで傷を負わせることはできなかった。
「……使い魔め、まだいたのか!」
 リントガルトが睨みつけると、フリッツィはすくみあがって逃げ出した。
「どいつもこいつも、悪あがきが好きだね。大人しく殺された方が楽なのに……ホント、イラつくよ!!」
 もはや安易な攻撃はリントガルトを逆上させるだけだった。
 ヴァルトハイデは、自分も最後の手段を切るしかないと考えた。妹と同じ力を発動させる。
「殿下、あの力を使います……」
 遺言となるかもしれない言葉をレギスヴィンダに託す。託された方も、それだけで何を行おうというのか理解できた。
「ヴァルトハイデ……」
「分かっています。だからこそ、殿下にお願いしたいのです。もし再び、わたしが己を失うようなことがあれば、殿下がこの剣でわたしの心臓を貫いてください」
 ヴァルトハイデにとって、それは賭けだった。自我を失うほどの呪いの力にすがっても、必ずリントガルトに勝てるという保証はない。
 また、リントガルトを呪いの連鎖から救い出せるのなら、自分の命を差し出しても構わないという悲痛な覚悟でもあった。
「……分かりました。わたくしが、あなたを討ちましょう。だから、必ず勝って下さい」
「はい、殿下……」
 レギスヴィンダには、ヴァルトハイデの心が痛いほど理解できた。
 悲しみでもない、憎しみでもない、理由の分からない涙がこぼれおちる。これが呪いの魔女と戦うことなのだと、七十年前の英雄の血を受け継いだ皇女は、己が定めに従うしかなかった。
「リントガルト、これから最後の力を使い、お前を討つ。姉であるわたしに、してやれるたった一つの償いだ。それでももしお前が生きていれば、この姉を殺すがいい。わたしは暗闇の底で、罰と裁きを受けよう……」
「なんだよ、ようやく殺される覚悟ができたの? いいよ、かかっておいでよ。どんな力を使おうと、ボクに勝てるはずがないからね!」
 ヴァルトハイデは右目に魔力を集中させた。
「ハァ!!」
 ハルツの魔女の瞳の奥に呪いの陰が広がっていく。
 かつてオッティリアを呪いの魔女に変えたのは、自分を裏切ったレムベルトへの怒りであり、恨みであり、復讐心だった。しかし、今のヴァルトハイデが妹へ向ける感情は、そのどれでもない。不甲斐ない自分への悔悟であり贖罪だった。
 ヴァルトハイデの周囲に、猛烈な魔力の渦動が生じる。一見して荒々しく、しかしその中心点は穏やかに、ヴァルトハイデの心を映したように静まっている。
「見える、リッヒモーディス。ハルツの魔女が泣いてるよ……」
 倒れた白髪の魔女に寄り添いながら、スヴァンブルクが語りかけた。
 声こそ上げないものの、伝わってくるヴァルトハイデの魔力が慟哭している。
「……まさか、死ぬ気なの?」
 ヴァルトハイデを見つめながらフリッツィが呟いた。
「やめてぇぇぇぇぇーーーー!!!!」
 同じように死を予感したゲーパが叫んだ。しかし、ヴァルトハイデ自身に死への恐怖や覚悟はなかった。ただ、空白の心が静かに妹だけを見つめていた。
「愛していたよ、リントガルト。お前の姉でいられた日々は、わたしに幸せを与えてくれた。だからこそ、お前をわたしの妹のままこの場で殺す!」
「フンッ! どんな力かと思えば、結局ボクと同じじゃないか! お前だって、呪いの力に頼るんだろ! お前こそ、呪いの魔女じゃないか!!」
 想いと力のすべてを込めて、ヴァルトハイデがランメルスベルクの剣をかざす。これに対し、リントガルトは樹齢千年の菩提樹で造った楯を構える。
 最強の剣は最強の楯に衝突し、轟音と衝撃波を周囲にまき散らした。
「無駄だよ。どんな力でどんな武器を使おうと、ボクとボクの楯に勝つことはできない!」
「違う、これはお前の楯ではない。わたしたちの楯だ!!」
「なにっ!?」
「今こそ分かった。この楯こそは、あの村に生えていた菩提樹で造られたもの。リントガルト、お前も覚えていたのだろう? 母が名づけた、お前の名前の由来になったあの樹のことを……」
 姉妹の脳裏に、幼い日の記憶がよみがえった。小麦畑の広がる小さな村で育った二人は、いつも大きな菩提樹(リンデンバウム)の傍で遊んでいた。平和で幸せだったころの想い出だった。
「……そんなもの、覚えているもんか!!」
 必死に否定するリントガルトの魔力が、わずかに弱まった。
「二人で還ろう、あのころに……」
「黙れ! ボクにはまだこの斧がある! これでお前の首を断ち切ってやる!!」
 リントガルトが手斧を振り上げた。だが、その腕に絡みつく灰色の毛髪が攻撃を止めた。
「リッヒモーディス!!」
 リントガルトが振り返る。死んだと思った魔女が髪を伸ばしていた。
「今だよ、ハルツの魔女…………」
「おおおおおおおうぅぅぅぅ!!!!!!!!」
 命を賭した敵の助けによって、ヴァルトハイデがランメルスベルクの剣を振りぬいた。
 菩提樹の楯にヒビが入り、過去の想い出ごと妹を切り裂く。
 リントガルトは袈裟掛けに討たれ、血しぶきを夜空に飛ばした。
 力を使い果たしたヴァルトハイデは意識を失いその場に倒れる。
 最後にリントガルトの魔力が弱まった分だけ、呪いの力を使い切らずに済んだ。無意識に、妹が姉を救ってくれたのかも知れなかった。
「……ボクが死ぬ? こんなところで……?」
 リントガルトは即死こそ免れたものの、ふらふらと後ずさった。
 左の黒く淀んだ瞳からはその感情を読み取ることはできなかったが、右の生来の純真な少女の瞳には受け入れがたい現実と恐怖が張りついていた。
「いやだ……こんなところで死んでたまるか。ファストラーデに会って確かめるんだ。ホントにボクを殺すつもりだったのか、ボクを利用していたのか……もしホントにそうなら、ファストラーデも……!!」
 リントガルトは最後の力で手斧を地面に叩きつけた。石畳が裂け、帝都の地下に張り巡らされた地下水路が露出する。
 這いつくばりながらその流れの中に身を沈めると、深い深い水脈の中へと消えた。
「ヴァルトハイデ!!」
 レギスヴィンダが駆け寄る。ハルツの魔女は辛うじて命脈を保っていた。
「うぅ、リッヒモーディス……」
 しかし、倒れたもう一人の魔女は息を引き取っていた。悲しみをこらえながらスヴァンブルクが抱きかかえる。
 朝焼けの空に、遺体を抱いた翼の魔女が飛び立つ。
 レギスヴィンダを含め、その場にいた誰も後を追いかけようとはしなかった。そんな力も敵対心も残っていない。
 リントガルトが捨てた銀の眼帯だけが夜明けの街に残されていた。
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