第35話 伝えたい想い Ⅰ

文字数 3,173文字

 父に無意味な魔女狩りをやめるよう説得に向かったフロドアルトは、ライヒェンバッハ領のハイミングという町で話し合いの機会を持つことができた。
 町を見下ろす古城で、父が息子を歓迎する。ルペルトゥスは各地で勃発する魔女の蜂起を鎮圧して回る途中だった。
「父上、壮健そうでなによりです」
「よくぞ参ったフロドアルト。どうだ、帝都での宮仕えは退屈であろう? 我が軍の活躍を聞きつけ、お前も戦いに参加したくなって駆けつけたか?」
「いえ、そのようなことは……」
「ハッハッハ。嘘を申すな。お前は、わたしと同じで狭い檻に閉じこもっていられる性分ではない。おおかた、陛下の目を盗んで抜け出してきたのであろう?」
 ルペルトゥスは上機嫌だった。息子の困り顔が面白くて、冗談半分にからかう。
 ライヒェンバッハ軍の勢いは凄まじかった。彼らを前にしてはちっぽけな魔女集団などひとたまりもない。戦いを欲していたルペルトゥスは快哉を叫び、病弱だったはずの肉体には息子も見違えるほどの精気が吹き込まれていた。
 父子はテーブルをはさんで向かい合う。部屋には他に、数名の側近がいるだけだった。
 フロドアルトは実直な顔を作り直すと、父に向かって口を開いた。
「本日、わざわざ父上に時間を割いていただいたのは、陛下の御意を伝えるためです」
「ほう、陛下の御意とな?」
「率直に申し上げます。陛下は魔女狩りを望まれておりません。あくまで平和的な解決を目指されています。速やかに兵を引き上げ、エスペンラウプへお戻りください」
「何だと!!」
 フロドアルトの言葉を聞くや、ルペルトゥスは顔を真っ赤にした。
「父上には、ご納得いただけない内容であることは承知しています。ですが、フロドアルトも陛下と考えを同じくするものです。重ねて申し上げます。今すぐ兵を引き、エスペンラウプへお戻りください」
「黙れ、フロドアルトよ! お前までがレギスヴィンダの世迷い言に感化されるとは思ってもいなかったぞ!」
「畏れながら、わたしは決してそのようことは……」
「レギスヴィンダが魔女に対して、寛大すぎる理解を示していることは知っている。だが当の魔女どもはどうだ? 皇帝の慈悲に甘えて改心するどころか、図に乗って凶行の限りを尽くしているではないか! 奴らのために、どれほどの尊き血が流されたと思っている!」
「父上のお言葉も、ご尤もです。ですが罪ある者だけでなく、その疑いがあるというだけで領民を捕え、公平な裁判も受けさせないまま極刑に処すというのは賛同いたしかねます。栄誉あるライヒェンバッハ家の家名にも瑕を遺します」
「人と魔女の融和を妨げているのは、奴ら自身であろう! それとも、お前は魔女どもによって我らが一方的に犠牲になるのが平和的な解決だというのか!」
「そうは申しておりません。魔女たちの行為には、陛下も心を痛めておられます。陛下は決して、手を血で赤く染めた者たちを許しはしません。エルズィング子爵らを殺害した菩提樹の枝の魔女についても正体を突き止め、身柄を拘束するため尽力されています。どうか父上も御寛恕あって、一度兵をお引きください」
「ならぬ! ここで兵を引けば、我らは魔女に屈し、逃げ出したと天下の笑い者になろう。ライヒェンバッハ家の令名に、よけいに瑕をつけることになるわ!」
 息子が来援に駆け付けたと思ったルペルトゥスは大いに落胆し、激怒した。
「フロドアルトよ、わたしが何のためにお前を帝都へ遣わしたか分かっているのか? お前がもっと上手くレギスヴィンダを手なずけていなくてどうする! お前には諸侯を束ね、ルーム帝国を統べる義務があるのだぞ!」
「もちろん、心得ております……ですが、それにはまず、魔女の災禍を治める必要があります」
「いいや、お前は何も分かっておらぬ。諸侯を率いるために必要なのは力だ。そのためには魔女どもを屈服せしめ、誰がこの国の統治者に相応しいかを証明せねばならぬのだ!」
 二人の考えは根底から違っていた。折り合うための接点も見つけられず、父子の対話は決裂した。
 ルペルトゥスは、自分の息子がこれほど不甲斐ない愚か者だったとは思わなかった。
 フロドアルトは、自分が不甲斐ないとも愚か者だとも思っていない。ただ、情理を尽くしても説得できない父の変貌ぶりにこそ、驚きと戸惑いを覚えるばかりだった。
 父が息子に帝都へ帰れと言いかけた時だった、ハイミングの古城に急報がもたらされた。
「ルペルトゥス様、たった今デルツェピヒ監獄が陥落したとの報せがありました」
「それは、本当か!!」
 ルペルトゥスが声を上げる。その報せはフロドアルトを含め、その場に居合わせた者たち全員を驚愕させるものだった。
 デルツェピヒは帝国内で最も古く、また悪名高い収容所だった。
 古来には捕虜や奴隷が捕らえられ、その内側では拷問や酷刑が繰り返された。現在でも凶悪犯が収監され、暗い地下牢に死ぬまで閉じ込められている。
 その警備は厳重で、これまでにたった一人の脱獄も許したことがないことを誇りにしていた。いかなる犯罪者もその名を聞くだけで震え上がるほどだった。
 フロドアルトは当惑しながら、ヴィッテキントを見やった。
「デルツェピヒを陥とすとは、いったい何者の仕業だ……」
「わたくしにも見当がつきません。この国にまだ、そのような力を持った魔女がいたとは……」
 忠実な副官も信じられないと首を振る。
 菩提樹の枝の魔女は凶悪であるが、その犯行は個人を標的にした暗殺ばかりで、大規模な襲撃を得意としているようには思われない。そのため、今回の出来事は別の魔女によるものと推測された。
 もちろん菩提樹の枝の魔女がまったく関与していないとは断言できないが、フロドアルトたちが把握していない強大な力を持った魔女、あるいは集団が、いまもこの国に存在することを認識させる出来事だった。
 フロドアルトはすぐにもこの事実を帝都へ伝え、当該魔女の特定を行うようヴィッテキントに指示した。だが、ヴィッテキントが「分りました」と答えるよりも先に、父の口から謎の魔女に対する怒号が発せられた。
「おのれ、またも風来の魔女集団か!」
「風来の魔女集団……?」
 聞きなれない名称に、フロドアルトが困惑する。すぐに、ルペルトゥスの側近が説明した。
「各地の収容所や諸侯軍を攻撃してまわる人と魔女の混成集団です。彼らは神出鬼没で、我が軍も手を焼いております」
「人と魔女の混成集団だと……」
 本当なのかといった表情で顔を見合わせるフロドアルトとヴィッテキントに、今度はルペルトゥスが答えた。
「フロドアルトよ、よく覚えておけ。我らの敵は魔女だけではない。帝国に従わぬ叛逆者どもが、魔女の走狗となって暴れている。そのような者どもが、いかに醜く凶悪で、破壊と殺戮の限りをつくすのか、お前も知ることとなるだろう。人と魔女の融和とは、こういうことなのだ!」
 魔女だけでなく、人間までもが一緒になって行動しているということが、フロドアルトにとっては衝撃だった。にわかには信じがたいことだったが、ならず者の中に魔女に加担する者が現れても不思議ではなかった。
「風来の魔女集団はライヒェンバッハ家の威信にかけて成敗せねばならぬ。フロドアルトよ、お前はこの城に残れ!」
「父上……」
「帝都で不抜けたその性根をたたき直さなければならぬ。わたしが奴らを討ち滅ぼして戻ってくるまで、一歩も外へ出ることは許さぬぞ。帝国に歯向かった愚か者どもがどのような末路をたどるか、お前自身の目でとくと見届けよ!」
 父は息子を古城に軟禁すると、勇んで出陣した。
 残されたフロドアルトは為すすべもなかった。人と魔女が一体となって帝国へ反旗を翻したこともショックだったが、それ以上に人が変わってしまった父のことが気がかりでならなかった。
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