第38話 風立ちぬ Ⅲ

文字数 2,316文字

 審理が続けられる。
「古い話ですが、被告の旦那には兄がいました。真面目で働きものでしたが流れ者の女と恋に落ち、駆け落ち同然で村を出て行きました。その後は音沙汰もなく、何年もたったころに罪を働き絞首刑になったと聞きました。もしかしたら、あの時の女が魔女だったのかもしれません」
「若い女が夫婦の家で働いていたことは、わたしも知っていました。ただ、その女は遠縁の者で、両親を亡くしたので引き取ることにしたと聞きました。名前ですか? リカルダといったはずです……」
「ルートヴィナは、もう長い間村へ帰ってきていません。どこへ行ったのか、生きているのかも知りません。両親が捕まった夜に、魔女と逃げたそうです。生きているのなら、今も魔女と一緒にいるんじゃないですか」
 この裁判が悪辣で巧みに仕組まれていたのは、証人たちが事実を基に証言していることだった。そのため内容にはリアリティが伴い、当初は懐疑的だった傍聴人たちも、徐々に二人が有罪だと思い込むようになっていた。
 ひと通りの証言が出そろうと、審問官が訴えた。
「以上のことは、すべて事実です。被告が魔女と密接に係わっていたことは疑いようがありません。もし、このまま被告を生かしておけばどうなるか、すでに誰もが理解しているはずです。各地で続発する襲撃事件同様、魔女の集団が大挙してこの村へ押しかけ、力ずくで被告を奪い去るでしょう。そうなれば我々はもちろん、無関係の村人や、ここに集まった傍聴人にも被害が及びます。ですから裁判長、私は法と正義とこの村の安全のために、被告夫婦に極刑を求めます。それも、速やかなる刑の執行をです。被告が亡くなれば、魔女が現れることもないでしょう」
 これが決め手だった。魔女のとばっちりを怖れる村人や傍聴人たちは、多少の同情や無罪の可能性があったとしても、自分たちの身を守るためには夫婦に犠牲になってもらうより他にないと考えた。
「被告人両名に訊ねる。これらの証言に間違いはあるか?」
 裁判官が訊ねた。
 間違いはない。ただ、公平でもなければ、純然たる事実のみを証言したわけでもない。しかし、今さらそんなことを訴えてもどうにもならないことを夫婦は知っていた。これでもまだ、拷問されて自白を強要されないだけましだった。
「いえ、ありません……」
 ルートヴィナの父親が答えた。
「では、これより陪審員による評議を行う」
 裁判官が言うと、もう一度ルートヴィナの父親が声を上げた。
「お待ちください、裁判官様。その前に、発言をお許しください」
 評議を行うまでもなく、すでに判決は決まっている。いまさら何をいったところで無罪が言い渡されることはない。夫婦も覚悟を決めている。
 裁判官は、せめて最期に言いたいことがあるのなら言わせてやろうと発言を許可した。
 父は「有り難うございます」と礼をいってから話し始めた。
「我々夫婦は決して、日々の暮らしに不満があったわけでも、皇帝陛下の御意志に背いたわけでもありません。つつましやかな生活の中にも幸せを見出し、神に感謝する気持ちを忘れたことはありませんでした。我が家では羊を飼っていました。群れで暮らす羊は、一頭では生きてはいけません。人であれ、魔女であれ、それは同じことです。群れからはぐれ、傷つき、怯える者を私たちは見捨てることができませんでした。それが罪だというのなら、罰を受けるしかありません。ですが、皇帝陛下はおっしゃられました。人と魔女が理解し合う、争いなき世の中のほうが好ましいと――」
「黙れ、皇帝陛下の思し召しに逆らい、争いを始めたのは魔女の方であろう!」
 発言を遮って審問官が反論する。裁判官は静粛にと注意し、ルートヴィナの父に続けるよう促した。
「我が家に魔女がいたのは事実です。とても優しく、とても聡明な娘でした。冷たい風の吹く夜のことです。リカルダは生まれたばかりの子羊を抱き、凍えないよう温めてやっていました。その姿を見た時に確信しました。人も魔女も違いはない。同じことに喜び、同じことに怒り、同じことに悲しむ。そして、同じような情けを持っているのだと。皇帝陛下は魔女と戦い、魔女に勝利し、私たちと同じように魔女の真実に触れ、魔女を許されたのではないでしょうか。大いなる慈悲の心で……リカルダは皇帝陛下を尊敬していました。ですが、迫害を受ける仲間を見捨てることはできないといって出て行きました。彼女の心は、今も変わっていないはずです。罪を許して欲しいとは申しません。ただ、魔女たちにも人と同じ心があることを理解していただきたいのです……」
 ルートヴィナの父が話し終えると、広場に集まった傍聴人たちは静まり返った。
 裁判官は改めて陪審員に評議を行うよう命じる。とはいえっても、判決は決まっていた。
「当法廷は被告両名を有罪とし、死刑を命じる。刑の執行は即日、絞首刑をもって行うものとする。以上」
 判決が言い渡された時もルートヴィナの両親はうろたえることなく、不当だと反論することもなかった。


「風来の魔女は現れませんでしたね……」
 村役場から広場を眺めるルペルトゥスの傍らで兵士が呟いた。
 しょせん魔女など薄情な連中。たとえ恩があろうとも、命をかけてまで二人を助けにはこない。こうなってはルペルトゥスの命令通り、村人を皆殺しにして誘き出すしかないかと兵士は思った。
 その時である。
 廷吏に連れられ、夫婦が退廷させられようとする広場につむじ風が立った。
 法廷を叩きつけた突風は竜巻のように天へと駆け昇り、再び地上へ吹きつける。
 砂ぼこりが舞い、誰もが目をつむる中で、傲然とルペルトゥスだけが一部始終を目撃していた。魔女が現れる瞬間を。
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