第40話 合意なき成立 Ⅰ
文字数 3,391文字
風来の魔女集団が野営する森の中で、リカルダが目を覚ました。
介護していたゲーパに付き添われ仲間のところへ行く。
「リカルダ、大丈夫なのか!」
横笛の魔女、オーディルベルタが訊ねた。
「心配をかけたな。ヴァルトハイデたちのおかげで助かった。感謝する……」
リカルダは礼を言うと、仲間に混ざって焚火の前に腰かけた。
アルンアウルトで何があったのかは、ヴァルトハイデたちも詳しくは知らない。リカルダは一部始終を語った。
「……じゃあ、ライヒェンバッハ公爵はわざと止めを刺さずに、リカルダを置いてきぼりにしたの?」
話を聞き終わって、フリッツィが訊ねた。
「そうだ。もう一度わたしに仲間を率いて向かって来いと言い残して」
「その後、ライヒェンバッハ公はどこへ?」
ヴァルトハイデが訊ねた。
「ベロルディンゲンで待つといっていた」
「それはまた厄介な場所を指定したな……」
オーディルベルタが呟いた。他の魔女も頭を抱える。
「それって、どんな場所なの?」
ゲーパが訊ねた。
「険しい山に囲まれた要塞だ。これまでに解放してきた収容所とは比べ物にならないほど守りが堅い。二人を救出するにしても、一筋縄ではいかないだろう……」
オーディルベルタは悲観的に答えた。他の魔女も、今度ばかりは諦めるしかないといった空気を漂わせる。
「そんなことないよ。リカルダも無事だったんだし、今度はハルツの魔女も味方についてる。みんなで戦えば、今まで通り何とかなるはずさ!」
重たい雰囲気を振り払うように、最年少魔女のエメリーネが声を上げた。
「残念だけどライヒェンバッハ公は、そんなに甘い相手じゃないわ」
ゲーパがいった。
「そうね。それに、これ以上リカルダに無理させるわけにもいなかいでしょ?」
フリッツィが続けた。
仲間を鼓舞したいというエメリーネの気持ちは伝わったが、相手の思惑どおりに徒党を組んで押し寄せても、返り討ちにされるのが目に見えている。
「じゃあ、どうしたらいいんだよ!」
エメリーネが言うと、静かにヴァルトハイデが口を開いた。
「ベロルディンゲンへは、わたし一人で行く」
すぐにゲーパとフリッツィが、反対と不満の意志を示した。
「一人でなんて無茶よ。あたしたちもついていくわ」
「ゲーパのいうとおりよ。おいしいところをひとり占めしようなんて許さないわよ!」
ヴァルトハイデは、そんなつもりで言ったのではないと答えた。
「勘違いしないでくれ。戦いに行くのではない。あくまでも陛下は対話を望まれている。わたしたちは、そのために遣わされたのだろう?」
「そうだけど……」
ゲーパが答えた。ヴァルトハイデが続ける。
「ライヒェンバッハ公は風来の魔女集団をおびき寄せ、一網打尽にしようと考えている。それだけは阻止しなければならない。争いの火種となるようなことは、できるだけ排除しておきたい」
そういうと、フリッツィを見た。
「なによ、あたしがライヒェンバッハ公爵に飛びかかるとでも思ってるの?」
「そうではないが、できるだけ穏便に話がしたい」
「同じじゃない!」
ふくれっ面のフリッツィを見て、ゲーパは「なるほどね」と理解する。それにしても、一人で行くというのは無茶に思えた。
「心配はない。わたしは皇帝陛下の勅使として行くのだ。ライヒェンバッハ公も、話も聞かずに門前払いというわけにもいくまい」
「でも……」
「どうか、わたしに任せてくれ」
「いいじゃない。ここはヴァルトハイデのいうとおり、邪魔者は大人しく留守番でもしてましょ。あーあ、こんなことなら無理してついてこないで、帝都に残ってたほうがましだったわ」
拗ねたようフリッツィがいった。ヴァルトハイデは、申し訳なさそうな顔を作った。
「リカルダたちも、それでいいか?」
「ああ、わたしたちには他に手立てがない。ここは、皇帝陛下の勅使殿に一任する」
風来の魔女たちも了承した。
誰もが、話し合いによってルートヴィナの両親が解放されることを望んだ。だが、この時すでにヴァルトハイデはベロルディンゲンの方角から生じる不穏な魔力の胎動を感じとっていた。
万が一、荒事が生じたとしても、自分一人なら切り抜けられるはずである。それが、ゲーパやフリッツィを残していく本当の理由だった。
ベロルディンゲンから退去を命じられたフロドアルトは側近を引き連れ、街道を進んでいた。
父があそこまで息子を疑い、主治医ばかりを頼るようになっているとは思いもしなかった。フロドアルトのショックは大きく、城を去ってから黙り込んだまま一言も発さなかった。
「フロドアルト様、このままでよいのでしょうか……?」
たまらずヴィッテキントが話しかけた。
「よいわけがなかろう!」
ようやくフロドアルトが口を開いた。機嫌の悪さが伝わってくる。ヴィッテキントは、そっとしておくべきだったと後悔した。
とばっちりを受けないようにと側近たちも口を塞ぐ。誰もが、そのままハイミングへ戻るかと思われた。が、突然フロドアルトが馬をとめた。
「どうされたのですか、こんなところで?」
ヴィッテキントが訊ねた。ベロルディンゲンからは遠く離れ、振り返ってもかすかに城の尖塔が見えるばかりである。ハイミングへはさらに遠く、周囲には町や村はおろか、一軒の家さえない。他へ続く道もなく、立ち止まることに何の意味があるのかと側近たちも真意を測りかねた。
「……ルオトリープを暗殺する」
突然の声明だった。ヴィッテキントたちに衝撃が走った。
フロドアルトにとっては、突発的な思いつきではなかった。ベロルディンゲンを追い出された時から決めていたことだった。ハイミングへ戻るふりをしながら、人影がなくなる場所を探していた。
「お待ちください! フロドアルト様のお気持ちは分かります。ですが、そのように大それたことをなさっては……!」
「ダメだ。もう決めたことだ。あの男を殺す以外に、父上を正気に戻す方法はない」
ヴィッテキントが諌めたが、フロドアルトの決意は変わらなかった。眦に強い意志がこもる。
止めても無駄だと悟ったヴィッテキントは、とりあえず命令を諾うふりをして時間を稼ごうとした。
「分かりました……ではハイミングへ戻り次第、適任の者を選び、決行の準備を整えます」
今は頭に血が上っているが、時間が経てば冷静になるはずだと考えた。が、フロドアルトは、それさえも拒否した。
「ハイミングへ戻る必要はない。今夜、わたしの手であの男を討つ!」
さすがにそれは無茶である。側近たちも全員が反対した。
「なりません! いくらなんでも性急すぎます。暗殺を成功させるためには綿密な計画を立て、しかる後に必要な人、物、場所、時宜を揃えねばなりません。少なくとも、フロドアルト様が関与された証拠を残すようなことがあってはなりません!」
「そんな悠長なことをいっている時間はない。これは父上を御救いするための非常手段だ。邪道な汚れ仕事だということも分かっている。だからこそ、わたし自身で行わねばならないのだ!」
かつての公子であれば、すべて部下に任せ、自分の手を汚すことはなかっただろう。良くも悪くも、これはフロドアルトにとっての成長であり、それほどまでに追い詰められているという証拠でもあった。
ヴィッテキントは折れるしかなかった。
「分かりました……ですが、ルオトリープはベロルディンゲンにいます。あの城にいるかぎりは、手出しできません」
「心配ない。確かにベロルディンゲンは難攻不落の要塞だ。正面からでは、大軍をもってしても攻略は難しい。だが万が一に備え、城内には抜け穴が用意されている。そこからならば侵入することも可能だ」
これはフロドアルトにとっての賭けだった。成功すれば父を救えるだろうが、失敗すれば死罪を言いつけられるかもしれない。それでも危険な賭けだからこそ、自らの手で行わなければならないと思った。
さらに、フロドアルトには秘策があった。
ルオトリープには魔女と係わっているという疑いがある。城内ですれ違った時にも、女が付き添っていた。もしあの女が魔女であるならば、ルオトリープを断罪するための証拠を掴むことができるはずだった。
フロドアルトはベロルディンゲンから死角となる地点で転進し、誰にも気づかれぬよう城内へ通じる抜け穴へと向かった。
闇が迫り始めた荒野に、一羽のフクロウが舞っていた。
介護していたゲーパに付き添われ仲間のところへ行く。
「リカルダ、大丈夫なのか!」
横笛の魔女、オーディルベルタが訊ねた。
「心配をかけたな。ヴァルトハイデたちのおかげで助かった。感謝する……」
リカルダは礼を言うと、仲間に混ざって焚火の前に腰かけた。
アルンアウルトで何があったのかは、ヴァルトハイデたちも詳しくは知らない。リカルダは一部始終を語った。
「……じゃあ、ライヒェンバッハ公爵はわざと止めを刺さずに、リカルダを置いてきぼりにしたの?」
話を聞き終わって、フリッツィが訊ねた。
「そうだ。もう一度わたしに仲間を率いて向かって来いと言い残して」
「その後、ライヒェンバッハ公はどこへ?」
ヴァルトハイデが訊ねた。
「ベロルディンゲンで待つといっていた」
「それはまた厄介な場所を指定したな……」
オーディルベルタが呟いた。他の魔女も頭を抱える。
「それって、どんな場所なの?」
ゲーパが訊ねた。
「険しい山に囲まれた要塞だ。これまでに解放してきた収容所とは比べ物にならないほど守りが堅い。二人を救出するにしても、一筋縄ではいかないだろう……」
オーディルベルタは悲観的に答えた。他の魔女も、今度ばかりは諦めるしかないといった空気を漂わせる。
「そんなことないよ。リカルダも無事だったんだし、今度はハルツの魔女も味方についてる。みんなで戦えば、今まで通り何とかなるはずさ!」
重たい雰囲気を振り払うように、最年少魔女のエメリーネが声を上げた。
「残念だけどライヒェンバッハ公は、そんなに甘い相手じゃないわ」
ゲーパがいった。
「そうね。それに、これ以上リカルダに無理させるわけにもいなかいでしょ?」
フリッツィが続けた。
仲間を鼓舞したいというエメリーネの気持ちは伝わったが、相手の思惑どおりに徒党を組んで押し寄せても、返り討ちにされるのが目に見えている。
「じゃあ、どうしたらいいんだよ!」
エメリーネが言うと、静かにヴァルトハイデが口を開いた。
「ベロルディンゲンへは、わたし一人で行く」
すぐにゲーパとフリッツィが、反対と不満の意志を示した。
「一人でなんて無茶よ。あたしたちもついていくわ」
「ゲーパのいうとおりよ。おいしいところをひとり占めしようなんて許さないわよ!」
ヴァルトハイデは、そんなつもりで言ったのではないと答えた。
「勘違いしないでくれ。戦いに行くのではない。あくまでも陛下は対話を望まれている。わたしたちは、そのために遣わされたのだろう?」
「そうだけど……」
ゲーパが答えた。ヴァルトハイデが続ける。
「ライヒェンバッハ公は風来の魔女集団をおびき寄せ、一網打尽にしようと考えている。それだけは阻止しなければならない。争いの火種となるようなことは、できるだけ排除しておきたい」
そういうと、フリッツィを見た。
「なによ、あたしがライヒェンバッハ公爵に飛びかかるとでも思ってるの?」
「そうではないが、できるだけ穏便に話がしたい」
「同じじゃない!」
ふくれっ面のフリッツィを見て、ゲーパは「なるほどね」と理解する。それにしても、一人で行くというのは無茶に思えた。
「心配はない。わたしは皇帝陛下の勅使として行くのだ。ライヒェンバッハ公も、話も聞かずに門前払いというわけにもいくまい」
「でも……」
「どうか、わたしに任せてくれ」
「いいじゃない。ここはヴァルトハイデのいうとおり、邪魔者は大人しく留守番でもしてましょ。あーあ、こんなことなら無理してついてこないで、帝都に残ってたほうがましだったわ」
拗ねたようフリッツィがいった。ヴァルトハイデは、申し訳なさそうな顔を作った。
「リカルダたちも、それでいいか?」
「ああ、わたしたちには他に手立てがない。ここは、皇帝陛下の勅使殿に一任する」
風来の魔女たちも了承した。
誰もが、話し合いによってルートヴィナの両親が解放されることを望んだ。だが、この時すでにヴァルトハイデはベロルディンゲンの方角から生じる不穏な魔力の胎動を感じとっていた。
万が一、荒事が生じたとしても、自分一人なら切り抜けられるはずである。それが、ゲーパやフリッツィを残していく本当の理由だった。
ベロルディンゲンから退去を命じられたフロドアルトは側近を引き連れ、街道を進んでいた。
父があそこまで息子を疑い、主治医ばかりを頼るようになっているとは思いもしなかった。フロドアルトのショックは大きく、城を去ってから黙り込んだまま一言も発さなかった。
「フロドアルト様、このままでよいのでしょうか……?」
たまらずヴィッテキントが話しかけた。
「よいわけがなかろう!」
ようやくフロドアルトが口を開いた。機嫌の悪さが伝わってくる。ヴィッテキントは、そっとしておくべきだったと後悔した。
とばっちりを受けないようにと側近たちも口を塞ぐ。誰もが、そのままハイミングへ戻るかと思われた。が、突然フロドアルトが馬をとめた。
「どうされたのですか、こんなところで?」
ヴィッテキントが訊ねた。ベロルディンゲンからは遠く離れ、振り返ってもかすかに城の尖塔が見えるばかりである。ハイミングへはさらに遠く、周囲には町や村はおろか、一軒の家さえない。他へ続く道もなく、立ち止まることに何の意味があるのかと側近たちも真意を測りかねた。
「……ルオトリープを暗殺する」
突然の声明だった。ヴィッテキントたちに衝撃が走った。
フロドアルトにとっては、突発的な思いつきではなかった。ベロルディンゲンを追い出された時から決めていたことだった。ハイミングへ戻るふりをしながら、人影がなくなる場所を探していた。
「お待ちください! フロドアルト様のお気持ちは分かります。ですが、そのように大それたことをなさっては……!」
「ダメだ。もう決めたことだ。あの男を殺す以外に、父上を正気に戻す方法はない」
ヴィッテキントが諌めたが、フロドアルトの決意は変わらなかった。眦に強い意志がこもる。
止めても無駄だと悟ったヴィッテキントは、とりあえず命令を諾うふりをして時間を稼ごうとした。
「分かりました……ではハイミングへ戻り次第、適任の者を選び、決行の準備を整えます」
今は頭に血が上っているが、時間が経てば冷静になるはずだと考えた。が、フロドアルトは、それさえも拒否した。
「ハイミングへ戻る必要はない。今夜、わたしの手であの男を討つ!」
さすがにそれは無茶である。側近たちも全員が反対した。
「なりません! いくらなんでも性急すぎます。暗殺を成功させるためには綿密な計画を立て、しかる後に必要な人、物、場所、時宜を揃えねばなりません。少なくとも、フロドアルト様が関与された証拠を残すようなことがあってはなりません!」
「そんな悠長なことをいっている時間はない。これは父上を御救いするための非常手段だ。邪道な汚れ仕事だということも分かっている。だからこそ、わたし自身で行わねばならないのだ!」
かつての公子であれば、すべて部下に任せ、自分の手を汚すことはなかっただろう。良くも悪くも、これはフロドアルトにとっての成長であり、それほどまでに追い詰められているという証拠でもあった。
ヴィッテキントは折れるしかなかった。
「分かりました……ですが、ルオトリープはベロルディンゲンにいます。あの城にいるかぎりは、手出しできません」
「心配ない。確かにベロルディンゲンは難攻不落の要塞だ。正面からでは、大軍をもってしても攻略は難しい。だが万が一に備え、城内には抜け穴が用意されている。そこからならば侵入することも可能だ」
これはフロドアルトにとっての賭けだった。成功すれば父を救えるだろうが、失敗すれば死罪を言いつけられるかもしれない。それでも危険な賭けだからこそ、自らの手で行わなければならないと思った。
さらに、フロドアルトには秘策があった。
ルオトリープには魔女と係わっているという疑いがある。城内ですれ違った時にも、女が付き添っていた。もしあの女が魔女であるならば、ルオトリープを断罪するための証拠を掴むことができるはずだった。
フロドアルトはベロルディンゲンから死角となる地点で転進し、誰にも気づかれぬよう城内へ通じる抜け穴へと向かった。
闇が迫り始めた荒野に、一羽のフクロウが舞っていた。