第23話 それぞれの決断 Ⅰ
文字数 1,953文字
ルーム帝国にありながら、皇帝の支配権の及ばない土地が二つある。
その一つがハルツである。古来より魔女の棲む山と呼ばれ、人々の畏怖の対象となっていた。
そしてもう一つが、リントガルトが根拠地に選んだ黒き森である。
ルーム帝国の南西に広がる黒き森は、原始の姿をとどめた緑の迷宮である。
一度足を踏み入れれば生きては帰れないとされる複雑な地形のため、開発も調査もされてこなかった。
また帝国が成立する以前から、ならず者や戦いに負けて追われた者たちが落ち延び姿を隠す場所とされていたため、好んでこの地にかかわろうとする者はいなかった。
そんなある種の無法地帯、誰のものでもない土地に、最初に魔女の国を打ち立てようと目をつけたのがオッティリアだった。
七十年前、黒き森の奥深くに建てられた呪いの城は帝国の英雄レムベルト皇太子によって破壊され、長らく主不在のまま放置されてきた。そして再び、この地に自分たちの楽園を築こうと手を伸ばしたのが七人の魔女だった。
再建されたミッターゴルディング城の玉座に腰かけ、二代目の主となったリントガルトが意識と無意識の間をたゆたっていた。
魔女の呪いは心を解放し、躁状態を作り出す。反面、魔力の消耗が激しく、肉体に大きな負担を強いる。
結果、躁状態によって戦いを欲し、戦っては魔力を消耗して倦怠感に囚われる。そんな興奮と気だるさを繰り返していた。
「リントガルト様――」
夢幻の境をさ迷うリントガルトの意識を現実へ呼び戻す声がした。ミッターゴルディング城の主が安息を必要としている間、雑事を仰せつかることになったはぐれ魔女のキューネスヴィトである。
リントガルトは半眼を開いて答えた。
「……どうしたの、キューネスヴィト?」
「新たなはぐれ魔女を連れて参りました」
キューネスヴィトの隣に、手枷をはめられた女が立っている。
リントガルトは女の顔を見やると、キューネスヴィトに訊ねた。
「……名前は?」
「アスヴィーネと申します」
「何ができるの?」
「糸車を使って、糸を紡いでおりました」
「……それが、ボクの役にたてるの?」
「もちろんです。魔力の込められたアスヴィーネの紡ぐ糸は丈夫で美しく、人間の間でも評判になっておりました」
「へぇー……魔力のこもった糸ねぇ……」
リントガルトは脇息に頬杖を突くと、興味を持ったようにニヤッと笑った。
「じゃあ、アスヴィーネ、これからはその糸をボクのために使ってよ」
「……お断りします」
にべもなく女が答えると、リントガルトは怪訝な顔をした。
「どうしてさ? アスヴィーネも人間に無理やり働かされてたんだろ? もう、あんな奴らのいうことなんか聞かなくたっていいんだよ。反対に、ボクたちであいつらを奴隷にしてこき使ってやろうよ。死ぬまでさ!」
「なんといわれようと、リントガルト様のお仲間に加わるつもりはありません。わたしを雇ってくださった旦那様は、わたしが魔女であることを知りながらも優しく接して下さいました。わたしはただ、そんな恩に報いるために拙い術を用いて糸を紡いでいただけです。無理やり働かされていたわけではありません……」
アスヴィーネが答えると、リントガルトは不満そうに眉をひそめた。
「……そんなに、ボクの仲間になるのが嫌なの?」
「わたしは人間を恨んだことはありません。静かに暮らしていければ、それ以上のことは望みません……どうか、お許し下さい……」
「ボクより人間の方がいいっていうんだ? ボクも嫌われたものだね……」
リントガルトはキューネスヴィトを睨んだ。
「……お、お待ちください、リントガルト様。アスヴィーネは突然のことで、混乱しているのです。本心から、こんなことをいっているわけではありません……」
キューネスヴィトは取り繕うと、配下のはぐれ魔女に「例の娘を!」と命令する。
すぐに、リントガルトの前に幼い少女が連れてこられた。
「エルラ!」
アスヴィーネが少女の名前を叫んだ。
「お姉ちゃん!」
少女が不安そうに呼び返す。姉妹を見やりながら、キューネスヴィトが詰め寄った。
「さあ、アスヴィーネ。リントガルト様に、忠誠を誓うと答えなさい。お前の大事な妹がどうなってもいいのですか?」
「卑怯者め……」
「それが答えではないでしょう? リントガルト様の方を向き、跪いて誓うのです。命ある限り、リントガルト様にお仕えすると!」
「くっ……」
アスヴィーネは怯える妹の顔を見ると、いわれたとおり両膝を床につけた。
「キューネスヴィト、手にはめてる物をとってやりなよ。そんなことしなくても、アスヴィーネはもうボクたちの仲間さ。一緒に、人間を根絶やしにしようよ。期待してるよ、お姉ちゃん」
姉妹に絶対的服従を強制するとリントガルトは冷笑し、再び夢幻の狭間へ落ちていった。
その一つがハルツである。古来より魔女の棲む山と呼ばれ、人々の畏怖の対象となっていた。
そしてもう一つが、リントガルトが根拠地に選んだ黒き森である。
ルーム帝国の南西に広がる黒き森は、原始の姿をとどめた緑の迷宮である。
一度足を踏み入れれば生きては帰れないとされる複雑な地形のため、開発も調査もされてこなかった。
また帝国が成立する以前から、ならず者や戦いに負けて追われた者たちが落ち延び姿を隠す場所とされていたため、好んでこの地にかかわろうとする者はいなかった。
そんなある種の無法地帯、誰のものでもない土地に、最初に魔女の国を打ち立てようと目をつけたのがオッティリアだった。
七十年前、黒き森の奥深くに建てられた呪いの城は帝国の英雄レムベルト皇太子によって破壊され、長らく主不在のまま放置されてきた。そして再び、この地に自分たちの楽園を築こうと手を伸ばしたのが七人の魔女だった。
再建されたミッターゴルディング城の玉座に腰かけ、二代目の主となったリントガルトが意識と無意識の間をたゆたっていた。
魔女の呪いは心を解放し、躁状態を作り出す。反面、魔力の消耗が激しく、肉体に大きな負担を強いる。
結果、躁状態によって戦いを欲し、戦っては魔力を消耗して倦怠感に囚われる。そんな興奮と気だるさを繰り返していた。
「リントガルト様――」
夢幻の境をさ迷うリントガルトの意識を現実へ呼び戻す声がした。ミッターゴルディング城の主が安息を必要としている間、雑事を仰せつかることになったはぐれ魔女のキューネスヴィトである。
リントガルトは半眼を開いて答えた。
「……どうしたの、キューネスヴィト?」
「新たなはぐれ魔女を連れて参りました」
キューネスヴィトの隣に、手枷をはめられた女が立っている。
リントガルトは女の顔を見やると、キューネスヴィトに訊ねた。
「……名前は?」
「アスヴィーネと申します」
「何ができるの?」
「糸車を使って、糸を紡いでおりました」
「……それが、ボクの役にたてるの?」
「もちろんです。魔力の込められたアスヴィーネの紡ぐ糸は丈夫で美しく、人間の間でも評判になっておりました」
「へぇー……魔力のこもった糸ねぇ……」
リントガルトは脇息に頬杖を突くと、興味を持ったようにニヤッと笑った。
「じゃあ、アスヴィーネ、これからはその糸をボクのために使ってよ」
「……お断りします」
にべもなく女が答えると、リントガルトは怪訝な顔をした。
「どうしてさ? アスヴィーネも人間に無理やり働かされてたんだろ? もう、あんな奴らのいうことなんか聞かなくたっていいんだよ。反対に、ボクたちであいつらを奴隷にしてこき使ってやろうよ。死ぬまでさ!」
「なんといわれようと、リントガルト様のお仲間に加わるつもりはありません。わたしを雇ってくださった旦那様は、わたしが魔女であることを知りながらも優しく接して下さいました。わたしはただ、そんな恩に報いるために拙い術を用いて糸を紡いでいただけです。無理やり働かされていたわけではありません……」
アスヴィーネが答えると、リントガルトは不満そうに眉をひそめた。
「……そんなに、ボクの仲間になるのが嫌なの?」
「わたしは人間を恨んだことはありません。静かに暮らしていければ、それ以上のことは望みません……どうか、お許し下さい……」
「ボクより人間の方がいいっていうんだ? ボクも嫌われたものだね……」
リントガルトはキューネスヴィトを睨んだ。
「……お、お待ちください、リントガルト様。アスヴィーネは突然のことで、混乱しているのです。本心から、こんなことをいっているわけではありません……」
キューネスヴィトは取り繕うと、配下のはぐれ魔女に「例の娘を!」と命令する。
すぐに、リントガルトの前に幼い少女が連れてこられた。
「エルラ!」
アスヴィーネが少女の名前を叫んだ。
「お姉ちゃん!」
少女が不安そうに呼び返す。姉妹を見やりながら、キューネスヴィトが詰め寄った。
「さあ、アスヴィーネ。リントガルト様に、忠誠を誓うと答えなさい。お前の大事な妹がどうなってもいいのですか?」
「卑怯者め……」
「それが答えではないでしょう? リントガルト様の方を向き、跪いて誓うのです。命ある限り、リントガルト様にお仕えすると!」
「くっ……」
アスヴィーネは怯える妹の顔を見ると、いわれたとおり両膝を床につけた。
「キューネスヴィト、手にはめてる物をとってやりなよ。そんなことしなくても、アスヴィーネはもうボクたちの仲間さ。一緒に、人間を根絶やしにしようよ。期待してるよ、お姉ちゃん」
姉妹に絶対的服従を強制するとリントガルトは冷笑し、再び夢幻の狭間へ落ちていった。