第2話 魔女の山 Ⅴ

文字数 6,040文字

 日が暮れた。
 ハルツの山々にかがり火が焚かれ、祭りが行われる広場に魔女たちが姿を現す。二百名ほどいるだろうか。最盛期に比べれば、参加者はずいぶん減っている。年を追うごとに、魔女の数は減る一方だった。
 水浴びを済ませた後、ヴァルトハイデは三名の魔女の訪問を受けた。
 いずれもヘルヴィガのよき理解者であり、ヴァルトハイデの身の上を知った上でハルツへの受け入れに賛成した長老格といってよい魔女たちである。
 彼女たちの支持がなければヘルヴィガといえど、単独でヴァルトハイデを剣の継承者に指名することはできなかった。
 祭りの始まる時間が迫ると、ヴァルトハイデは老魔女が用意した衣装に着替え、広場へ向かう。
 広場ではヘルヴィガが集まった魔女たちに感謝と歓迎の意を示し、今年の祭りの趣旨を説明した。
「皆、今年もよくハルツへ帰ってきてくれました。こうして毎年たくさんの仲間と祭りを祝い、友情を深められるのは大変喜ばしいことです。ですが今年に限っては、その思いに水を差すような出来事がありました。すでに皆も存知のとおり、悪意ある魔女によって帝国の都が攻撃されたのです。わたしはこれを、ハルツと帝国の誓いに亀裂を生じさせかねない、由々しき事態だと危惧しています」
「帝国の都が攻撃されたのは、むしろわたしたちにとって歓迎すべきことではないか!」
「そうよ、これを機にわたしたちも立ち上がり帝国と戦いましょう!」
 魔女の間から声が上がる。彼女たちの中にはルーム帝国を嫌い、今回の出来事に溜飲を下げる者もいた。
 もちろんヘルヴィガは、そのような意見にも理解を示している。帝国によって多くの魔女や、魔女に疑われた女が捕らえられ、処刑された。
「バカなことをいうでない! 帝都を襲った魔女の尻馬に乗って、帝国と戦争を始めてなんになる。ハルツとルームが共倒れし、腐った死肉をハゲタカどもに貪り食われるだけじゃ」
 ヘーダが反論した。意見を述べた魔女たちは黙り込む。
 ヘルヴィガは静まるのを待ってから続けた。
「皆の気持ちはよく分かります。ですが、このまま事態を放置すれば、魔女に対する帝国の報復は、いずれこのハルツへも向けられるでしょう。そうなれば、ハルツと帝国の間で取り交わした、相互不可侵の誓いが維持できなくなります。()いては下界で暮らす罪なき魔女にも危険が及ぶでしょう。わたしは、その前にハルツから代表を選び、共に悪しき魔女を討つ同志として帝国へ遣わすべきだと考えています」
 ヘルヴィガが言い終わると、魔女たちはざわざわと口を開き始めた。
 とある若い魔女に剣を継承させようとしているのは本当だったのかと囁き合う。
「ヘルヴィガ様のお考えは伝わりました。ですが、その代表と成り得るような魔女が今のハルツにいるでしょうか?」
 敢えてとぼけるように一人の魔女がいった。多くの魔女は、すでにその存在を知りながら認めようとしなかった。
「います、たった一人」
 ヘルヴィガは臆せず答えた。そして、名前を呼んだ。
「ヴァルトハイデ!」
 魔女たちの前にヴァルトハイデが現れる。その姿は堂々とし、胸を張り、ヘルヴィガが自分を指名したことに一点の誤りもないと主張するかのように真っ直ぐ前だけを見ていた。
 すぐに魔女たちの間から異論が湧きおこる。
「お待ちください。その娘は、ハルツの正統な魔女ではなかったはず!」
「ヘルヴィガ様が保護されたにせよ、どこの馬の骨とも知れぬ娘と聞いておりますが?」
「なによりも、多くの罪を犯しているというではありませんか。血で赤く手を染めた者を、ハルツの代表に立てるのは不適切かと思われます」
「黙らんか! たとえこのヴァルトハイデが何者であれ、わしらの長であるヘルヴィガが決めたことじゃ。文句があるなら、この場でヴァルトハイデと戦い、自分の方がハルツの代表にふさわしい実力者だと示してみい。それもできんような小娘らは、黙ってヘルヴィガの決定に従っておれ!」
 ヘーダがまくし立てた。老魔女の剣幕に、若い魔女たちは返す言葉がない。
「まったく、口だけは達者な連中が増えたもんじゃ。ハルツの魔女も質が落ちたもんじゃ」
 ヘーダは憤りが治まらなかった。隣で「まあまあ……」とゲーパが諭した。
 ヘルヴィガが続ける。
「確かにこのヴァルトハイデは多くの罪を犯しました。償いきれないほどの過ちを、その身に負っています。ですが、それは彼女の中に潜む大きすぎる魔女の力が本人の意識を離れ、暴発した結果のこと。だからといって本人に罪がないことにはなりません。それでも彼女はこの三年間、常に自らの罪に向き合い、自分に出来るせめてもの償いは何なのかと考えながら生きてきました。そして見つけ出した答えが悪しき魔女を討つ、善なる魔女となることだったのです。皆には異論もあるでしょうが、どうかこのヴァルトハイデに贖罪の機会を与えてはいただけないでしょうか?」
 ヘルヴィガがいうと、魔女の一人が手をあげた。
「お待ちください。ヘルヴィガ様のいわれることが事実ならば、そのヴァルトハイデには本人の意識すら及ばない力が備わっていることになります。もしその力が再び暴発した時には、我々はどうすればよいのでしょうか? 悪しき魔女もろとも、ヘルヴィガ様は、そのヴァルトハイデを討てとお命じになるのでしょうか?」
 厳しく残酷ではあるが、確認しておかなければならない命題だった。
 ヘルヴィガは勿論そうだと、前置きを挟んでから答えた。
「ヴァルトハイデはハルツで過ごした三年間で力の使い方を学びました。再び彼女が理性を失い、暴発することはありません。もしもそのようなことがあれば、わたしもこの命をもって責任を取りましょう」
 ヘルヴィガが宣言すると、魔女たちはざわめいた。
「わたしには何故ヘルヴィガ様が、そこまでヴァルトハイデに肩入れされるのか理解できません。我々の大切な指導者を、どこの馬の骨とも分からぬ娘と引き換えにできましょうか?」
「確かに、そのような意見が出ることも想像していました。だからこそ今日この場で、ヴァルトハイデに魔女を討つ剣を手に取る資格があるかどうか、皆の目で確かめて欲しいのです」
 いうとヘルヴィガはランメルスベルクの剣を手に取った。
「ヴァルトハイデ、あなたはこの剣の所以(ゆえん)を知っていますね」
「はい、ヘルヴィガ様。その剣は七十年前、帝国の皇太子レムベルトに貸し与えられ、呪いの魔女と呼ばれたオッティリアの心臓を突き刺した剣にございます」
 ヴァルトハイデは跪いて答えた。頷いてヘルヴィガが続ける。
「その通りです。七十年前、呪いの魔女の攻撃に晒された帝国は、その圧倒的な力の前に為す術なく、敗退を続けました。彼らは魔女に対抗するには同じ力を持つ魔女に頼るより他にないと考え、ハルツへ協力を求めました。そして現れたのがレムベルト皇太子でした。わたしたちは同じ魔女としてオッティリアにつくか、人々を守るため帝国につくかで意見が分かれました。長い熟議の末、オッティリアの非道を止めるため、わたしたちは帝国の要請を受諾することにしました。ただし、魔女と魔女が敵味方に分かれて戦うからには、帝国にも相応の覚悟を示してほしいと一つの条件を突き付けました。戦いに勝利した暁には、犠牲になった人々や魔女たちの魂を鎮めるため、レムベルト皇太子の御霊(みたま)を所望するというのがそれでした。わたしたちは、彼はこの条件を拒否すると思いました。それでハルツが戦いに参加しない口実になると考えたのです。ですが、レムベルト皇太子は自分の命で戦いが終わるのならと、条件を飲みました。彼はランメルスベルクの剣を手に取ると戦いの最前線へ躍り出て、自らの運命も顧みずオッティリアを討ち倒しました。そしてすべてが終わった時、約束どおり、わたしがレムベルト皇太子の首を刎ねました。分かりますか、ヴァルトハイデ? この剣を手に取る者が、どれほどの覚悟を試されるかを……」
「はい、ヘルヴィガ様」
「では今から、あなたの覚悟とこの三年間で身につけたものを試させてもらいます。ヘーダ様!」
「うむ」
 ヘルヴィガはランメルスベルクの剣を抜くと、老魔女に合図した。
 老魔女は杖を操ってヘルヴィガが抜いたランメルスベルクの剣を空中に浮かせると、広場の中央にうず高く積まれた薪木の頂上に突き刺す。さらにそこへ、ヘルヴィガが手のひらをかざして炎を放った。
 ランメルスベルクの剣を(いただ)いた薪の山が、ハルツに灯るどのかがり火よりも赤く、激しく燃え上がる。
「ヴァルトハイデ、あなたはその身に宿るもう一つの魔女の力で、燃え盛る炎の中から復活しました。今再び、わたしたちが見守る前で、この火の中へ飛び込む勇気がありますか?」
「進んでこの身を炎に焼かせる覚悟ができております」
「では、あの火の中へ入り、その手に剣を取りなさい。ただし、その途中であなたが炎に呑まれ、再び意識を失ってもう一つの力を暴走させることがあれば、わたしがあなたの命を奪い、共にこの身をあの炎に焼かせましょう。皆も、ヴァルトハイデに剣を手に取る資格と力があるか、見届けてください」
 ヘルヴィガが言い終わると、ヴァルトハイデは立ち上がり、燃え盛る薪木の前へ歩み出た。
 すべてを浄化し焼き清める灼熱の炎は、魔女にとって最大の弱点である。どのような魔女も十字架に磔にされ、火刑に処されれば復活できない。魔女なれば、誰もが怯える光景だった。
 ヴァルトハイデは薪木の前に立つと、そっと手をかざした。
 瞬間、ヴァルトハイデの手に触れた炎が、まるで意志を持った生き物のように揺れ、後退する。
 ヴァルトハイデの覚悟と、三年間で身につけた正当な魔女の力が炎を押し返している。
 さらにヴァルトハイデは手を伸ばし、炎を押しのけ薪木の中へ踏み入った。
 その足下は裸足だった。いかに炎を押し返そうとも、(おこ)った薪を踏めば足の裏が焼ける。
 それでもヴァルトハイデは怯むことなく、薪の山を登った。
 途中、薪が崩れ、足が膝まで灰や炭の中に沈み込む場面があった。衣服は焼け、肌や髪は熱傷を負う。
 思わず、ゲーパは見ていられなくなり、目をそらした。
「お主が最後まで見届けなくてどうする?」
 ヘーダがいった。
「はい、ひいお婆ちゃん……」
 ヴァルトハイデは戦っていた。それと同じように、ゲーパも自らを励ましながら、彼女が無事に試練を達成できるようにと祈り続けた。後にゲーパはその時、自分の目からこぼれた涙の訳を、かがり火の煙がしみたからだと説明した。
 ヴァルトハイデの力や覚悟を疑っていた魔女たちも、いつの間にかその姿に心を奪われ、言葉もなく、どのような結末に至るのか固唾を呑んで見守った。
 やがて、ヴァルトハイデは薪木の頂上に達する。
 そこに突き刺さったランメルスベルクの剣は何かを伝えるわけでもなく、真っ赤な炎に焼かれている。
 ヴァルトハイデは精神を研ぎ澄まし、剣の柄へ両手を伸ばした。
 熱された金属は焼き(ごて)と同じ。柄を握り締めた瞬間、ヴァルトハイデの手のひらは焼けただれ、皮がめくれ上がる。それでも声一つ上げることなく、さらに強い力で柄をつかむと、突き刺さった薪の中から引き抜いた。
「おお!!」
 どよめきが起こった。見守っていた魔女たちが一斉に声を上げた。称賛と祝福の声だった。
 燃え盛る薪木の頂上で高々と剣を掲げるヴァルトハイデを見て、最も安堵したのはヘルヴィガだった。
 ヴァルトハイデなら成し遂げると信じていた。それでも、炎の中で雄々しく、堂々と、立派に剣を取ったその姿は、ヘルヴィガが想像していたよりもたくましく成長して見えた。
「ヘクセン・マイステリン・ヴァルトハイデ!!」
 誰かが、魔女の長を意味する言葉を添えてヴァルトハイデを呼んだ。もはや、その称号に異論を唱える者はいなかった。誰もが、ヴァルトハイデを剣の継承者と認めた瞬間だった。


 剣を手に入れた後、ヴァルトハイデはヘルヴィガの庵に戻った。
 イスに腰かけると、甲斐甲斐しくゲーパが手足の火傷に包帯を巻く。
「でもよかった。ヴァルトハイデが無事に継承者に認められて。まあ、あたしは最初から信じてたけどね」
 途中で目をそらしそうになったのを棚にあげ、調子のいいことをいう。そんなゲーパとの何気ない会話が、ヴァルトハイデには心地よかった。
「反対の手も見せて」
 ひどい火傷を負った手のひらに魔女秘伝の妙薬を丹念に塗る。安静にしていれば、すぐに傷は癒えるだろう。
 壁にはヴァルトハイデが持ち帰ったランメルスベルクの剣が鞘に戻され、誇らしげに掛けられていた。
 そこへ、ヘルヴィガとヘーダがやってくる。
「ヴァルトハイデや、よくやったのお」
 老魔女が話しかける。ヴァルトハイデは誇らしくも、申し訳なさそうに答えた。
「ですが、ヘーダ様に頂いた魔女服を燃やしてしまいました」
「構わん。あんなもの、他に幾らでも代わりがあるわ。そうじゃ、正式に剣の継承者となったお主に、我が家に伝わる漆黒のマントをくれてやろう。あれはええもんじゃぞ、弱い魔力ぐらいは簡単に弾いてくれる」
「ひいお婆ちゃんたら、またそんな古いものを……」
「お前は黙っておれ。ホントはお前にやるつもりじゃったんじゃがな。お前よりも、ヴァルトハイデの方がうまく使えるじゃろう」
「ありがとうございます、ヘーダ様」
 ヴァルトハイデは感謝し、ゲーパは不満げにプイっとそっぽを向いた。
「ヴァルトハイデ、あなたには本当に感謝しています。あなたに剣を継承させることに反対する者たちを納得させるためとはいえ、このような方法を取らなければならなかったのはわたしを許して下さい。苦しみに耐え、よく試練を乗り越えました」
 率直な気持ちをヘルヴィガが語った。
「いいえ、わたしは少しも苦しいと思った瞬間はありませんでした。ほら穴にこもってからは自分自身と向き合い、薪木の上では己の意志ですべての力をコントロールできるのを感じました。このような試練を与えてくださったヘルヴィガ様に、わたしは感謝しています」
 ヴァルトハイデもまた、偽らざる気持ちを伝えた。
「ですが、あなたにとって本当の試練が始まるのはこれからです。一度その剣を手にしたからには、志半ばで剣を置くことは許されません。あなたにとっては、その身を炎で焼くよりも辛い戦いが待っているでしょう。しかし、恐れることはありません。決して、あなたは一人ではないからです。わたしたちはもちろん、その剣を手にしてきた過去の継承者たちの魂があなたを守り、導いてくれるでしょう」
「はい、ヘルヴィガ様」
「今夜は本当に、あなたを誇らしく思います。しばらくは、ゆっくり身体を休めなさい。運命があなたを迎えに来るその時まで」
 ヘルヴィガは、庵をヴァルトハイデに貸し与えることにした。
 すぐに、次の試練が若き魔女を待ち構えている。老いた魔女は、この時すでに、自分たちの時代が終わったことを感じていた。
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