第36話 解放者 Ⅳ

文字数 4,007文字

 囚人を解放する者がいる一方で、ライヒェンバッハ公を中心とした魔女狩りを支持する者たちの行為はエスカレートしていった。
 リカルダの登場は魔女たちを勇気づけ、風来の魔女集団に倣って帝国兵に対抗する者も現れた。だが、小さな抵抗はことごとく強大な力によってねじ伏せられた。
 ライヒェンバッハ公ルペルトゥス・ゲルラハは魔女と戦えることに興起し、より強力な敵を求めて進軍を続け、彼が集めた精鋭の騎士がそれを支えた。
 血で血を洗うような人と魔女の抗争が繰り返されるのを、第三者の立場で傍観する者がいた。


 暗い部屋で男と女が語らう。
「君のおかげで、ライヒェンバッハ公はご満悦だ。心身ともに発揚し、もはや医師としてわたしが為すべきことは何もない」
「わたしはただ、煮えたぎる釜の中をひと混ぜしただけ。あとは勝手に殺し合いを始めたのよ」
「皆が、それを望んでいたのさ。人も魔女も、本質は怒りや憎しみでできている。恒久的な平和などありはしない。争い合っているほうが自然体でいられるからね」
「でも、人と魔女の争いに興味がなかったはずのあなたが、なぜこんなことを始めたの?」
「始めたのは、わたしではない。患者の望みを叶えてあげただけさ」
「よくいうわね。所詮、あなたもあの男の子供だったってことよ」
「否定はしないさ。蛙の子は蛙。今頃になって、わたしも血が騒ぐのを感じている」
 ルオトリープは嘯く。この男が、どこまで本心で語っているのかイドゥベルガにも腹の底は見えない。
「どっちでもいいわ。わたしはリントガルト様の仇を討てれば他には何もいらない。帝国やあなたが、この先どうなろうと興味もないわ」
「君の願いは間もなく叶う。そのためにライヒェンバッハ公や風来の魔女集団が環境を整えてくれている。焦る必要はない。君はゆっくりと出番を待っていればいいのさ」
 二人の間に信頼という絆はない。あるのは互いを利用しようという利己的な思惑だけである。
 それでも一つだけ、確かに感じられるものもあった。ルオトリープの実験台となったイドゥベルガの魔力が、もう一人の患者の体調と同じように、これまでになく充実してきていることだった。


 城をいただく山の端に夕陽が沈む。
 エスペンラウプを離れ、魔女を求めて進撃を続けるライヒェンバッハ軍は各地で赫々たる戦果をあげた。
 望んでいた戦いの日々にルペルトゥスは生きていることを実感し、積みあがる勝利の数に自信を深めた。だが、いまだその心は満足を知らない。
 帝国に牙をむく最大の敵である風来の魔女集団に対して、なんら有効な手立てを打てないでいたからだった。
 山城へ入ったルペルトゥスは兵を休ませると、自らも食事をとることにした。
 いかな強兵も空腹には勝てない。しかし、どんなに胃袋を満たそうとも、心の渇望までは満たすことができなかった。
 血の滴る牛肉に、三分の一ほど手をつけた時だった。ルペルトゥスのもとへ、報せを伝えにくる兵士がいた。
「お食事中のところ、失礼いたします。ルペルトゥス様に目通りを願う者がまいっております」
「こんな時間にか?」
「はっ、なんでも風来の魔女集団について、早急にルペルトゥス様にお聞かせしたいことがあるとのことです」
「風来の魔女集団だと……」
 肉を切り分ける手が止まる。空腹ではあったが、それほど食欲があったわけではない。むしろ渇望は強くなっていた。
「何者だ?」
 飢えた野獣のように荒んだ目で兵士を睨んだ。
「詳しい素性は定かではありませんが、風来の魔女と行動を共にしていたと申しております」
「魔女の下から逃げてきたのか?」
「分かりません。兵の中には、魔女とともに収容所を脱獄した囚人ではないかと申す者もいます。以前、手配書で似たような男を見たことがあるといっておりました。いかがなさいますか?」
「………………」
 何ともあやふやで、要領を得ない報告である。
 黙考する公爵を前に、兵士は所在なく立ち尽くす。食事中に、つまらぬ報告をするなと叱りつけられるかと思った。
 ルペルトゥスはナプキンで口をぬぐった。
「……今夜の食事は口に合わぬ。下げよ」
「畏まりました」
 近習に命じて片付けさせる。テーブルの上が奇麗になると兵士に向きなおった。
「男を連れてくるがよい。わたしが直接会って話を聞く」
「はっ!」
 ルペルトゥスは席を立つと、城主の間で男を待った。
 兵士が男を連れてくる。男は公爵を前に平身低頭した。
「貴様か、こんな時間にわたしに目通りを願うというのは? つまらぬ用件ならば、ただではおかぬぞ」
「はっ、貴重な時間を割いていただき、恐れ入ります。手前はシュトロメックという、ケチな馬の骨でございます。公爵様があばずれの魔女集団に手を焼いていると聞き、きゃつらめを一網打尽にする秘策をもって参上いたしました」
「このわたしが魔女ごときに手を焼いているとは、聞き捨てならぬ物言いだな?」
「も……申し訳ありません! 決して、そのようなつもりでは……」
「構わぬ、シュトロメックよ。厄介な相手がおるのは事実だ。早速だが聞かせてもらおう。貴様が持参した秘策とは何だ?」
「お有り難うございます。手前はしばらくの間、訳あって風来の魔女集団に身を寄せておりました。ですが決して、公爵様や帝国に敵対していたわけではありません。魔女の目を盗み、逃げ出す機会をうかがっていたのです」
「風来の魔女集団といえば、いまや最大の朝敵。これを討たずしてルーム帝国の安泰は図れぬ。やつらの下から逃れてきたということは、その構成なり本拠地なりについて知悉しているということであろうな?」
「御名答でございます。ただ、やつらは風来の魔女集団の名の通り、本拠地のようなものは持ち合わせておりません。頭目であるリカルダに率いられ、各所を転々と渡り歩いております」
「なるほど、リーダーはリカルダというのか。で、どのような魔女だ?」
「恐るべき風の使い手で、極めて用心深く、手下の魔女どもも曲者ぞろいであります」
「それは面倒だな」
「ですが、心配はございません。本日公爵様の下へ参上いたしましたのは、リカルダの弱点ともいうべき者どもを捕えることに成功したからです」
「悪逆非道にして冷酷極まりない魔女どもに、そんな者がいるのか?」
「その者らは夫婦でして、なんともけしからん事に人間でありながら一時期リカルダを匿い、養っていたというのです。そのためリカルダはまるで自分の親のように、夫婦に懐いております」
「……なるほど、その二人を囮にし、風来の魔女をおびき出せというのだな?」
「左様でございます」
「だが、天性酷薄な妖婦どもが、そんなものにつられて姿を現すとは思えぬ」
「いえいえ、そんなことはありません。リカルダめは不遜にも、自らを義賊と称しております。恩を受けた夫婦を囮にすれば、必ず助けに現れるでしょう」
「つまり貴様は、このわたしに人質を取るような卑怯な真似をせよというのだな?」
「そ、そのようなつもりで申し上げたのではありません……夫婦をどうするかは、公爵様のご自由にお決めください……」
「まあ、よい。貴様は、その者どもを捕えているといったな?」
「はい」
「どこにいる?」
「魔女どもに見つからぬよう、手下に命じて見張らせております」
「用心深いことだな……」
「……畏れ入ります」
「いいだろう、その者たちを――」
「お待ちください!」
 ルペルトゥスが「城へ連れて来い」といいかけた瞬間、さえぎるように意見を述べる者がいた。馬上槍試合でルペルトゥスの目に留まった“熊殺しの騎士”ベルンドルファーだった。
「その者、シュトロメックはデルツェピヒ監獄に収監されていた大罪人にございます。かつて、わたくしも傭兵としてシュトロメック討伐に加わっていたので間違いありません」
 ベルンドルファーが指摘すると、シュトロメックはしどろもどろになりながら弁明を始めた。
「……き、貴様、ベルンドルファー! なぜ、こんなところにいる!?」
「久しぶりだな。今はルペルトゥス様にお仕えしている。貴様のことだ、魔女どもにたぶらかされ、ルペルトゥス様を陥れようと画策しているのだろう?」
「め、めっそうもございません! 確かに悪事を働いていた時期もありますが、今では心を入れ替え公爵様のお力になりたいと切に考えております!」
「騙されてはなりませんぞ! 夫妻などと称して城に侵入し、隙を見てルペルトゥス様のお命を狙うつもりかもしれません!」
「………………」
 一旦はシュトロメックを信用しかけたルペルトゥスだったが、ベルンドルファーの意見を聞いて思いとどまった。
「ならばベルンドルファー、おぬしが行って、この男のいっていることが事実であるかを確かめてくるがよい。もし本当に夫婦とやらが風来の魔女の弱点となり得るようであれば城へ連れ帰って参れ。その時はシュトロメック、貴様に自由と褒美を与えてやろう」
「有り難うございます。決して公爵様のご期待を裏切るようなことはいたしません!」
 シュトロメックは感謝する。ベルンドルファーには不満もあったが命令には逆らえない。手勢を引き連れると、すぐに夫婦を捕えている元囚人たちの隠れ家へ向かった。
「ここだ」
 粗末な山小屋へ案内する。ベルンドルファーが中を覗くと、縄で縛られた夫妻の姿があった。
「どうだ本当だろ? オレは嘘をついちゃいねえからな」
 二人を確認すると、ベルンドルファーも納得した。
「しかたあるまい……」
「約束だ、これでオレたちは晴れて自由の身だ!」
 シュトロメックと手下たちは「やったぞ!」と喜び合う。が、それも束の間だった。
「いいだろう。今すぐお前たちに自由をくれてやる」
 ベルンドルファーは剣を抜くと、男たちに歩み寄った。
「……な、何をする! 待て、ベルンドルファー!」
 山小屋に断末魔が響く。
 夜のしじまを真っ赤に染めると、熊殺しの騎士は夫妻だけを連れて城へ戻った。
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