第33話 公爵の望み Ⅳ

文字数 2,447文字

 レーゲラントを離れた後も、ゲーパとフリッツィの調査団は精力的に活動を続けた。しかし、菩提樹の枝の魔女に繋がる手掛かりは発見されなかった。そして五番目の事件が起きた現場に着いたころ、何の成果もあげられないまま六人目の犠牲者が生まれたという報せを聞いた。


「もう我慢ならん!」
 エスペンラウプのフロイヒャウス城にライヒェンバッハ公の怒号が響いた。
「お待ちください、お父様!」
 ゴードレーヴァがなだめるが、公爵の怒りが治まることはない。
「これ以上、指をくわえて見ていられるか! 今回犠牲になったキースリヒ子爵家は、我がライヒェンバッハ家とも姻戚関係を結ぶ名門貴族だ! その高貴なる血が薄汚れた魔女によって流がされたのだ! 仇を討たずしてルームの栄光が守れるか!!」
 これまで、帝室やライヒェンバッハ家にゆかりのある貴族が標的になることはなかった。ルオトリープがイドゥベルガに自嘲させていた。しかし、今回の事件で一線を越えてしまった。
 ライヒェンバッハ公は怒髪天に発し、その声は雷鳴となって猛り狂った。そんな父の姿を、娘は生まれてから一度も見たことがなかった。
 名医を得て、父の体質が改善されたことは大変に喜ばしかった。しかし、それとともに性格まで変容してしまったことにゴードレーヴァは戸惑い、恐怖さえ覚えた。
「ルオトリープを呼べ! わたしの体調に問題がないことを証明し次第、兵をあげる。仇討ちだ! まずは領内において魔女狩りを実行し、ルーム帝国に仇為す妖婦どもを一人残らず引っ立てる!!」
 記憶の中の父はいつもベッドに病臥していたものの、性格は温和で思慮深く、慈しみにあふれていた。
 そんな父を心から敬愛し、病を克服するためなら魔女の術にすがってもいいと娘は考えた。
 いったい、いつからこんな風になってしまったのか。ゴードレーヴァは悲しみと悔しさで胸を締め付けられた。
 信頼厚い主治医が到着する。公爵は診察を受け、精神にも肉体にも異常がないと診断される。
「どうだルオトリープよ、わたしにはまだ加療が必要か?」
「いいえ。ルペルトゥス様の病は完治され、もはやわたくしの仁術など必要ないほどに体調は整われております」
「そうか、ではわたしが兵をあげることに異存はないか?」
「ルペルトゥス様のご意志のままに」
 部屋の外で待たされる娘は、不安なまま理解していた。父が変わってしまったのはルオトリープの治療を受けるようになってからだと。そしてこの主治医は、患者が戦いを望むのであれば、それを止めはしないことも予想できた。
 部屋の戸が開くと公爵は家令を呼んで威令を発した。
「リングルフ、ベルンドルファーに命じよ、戦の準備をせよと!」
「はっ」
 ゴードレーヴァにとって最悪の結末の始まりだった。


 ライヒェンバッハ公ルペルトゥス・ゲルラハは、自らの領内において魔女とその関係者と目される者への徹底的な弾圧を開始した。
 少しでも疑いのある者は捕らえられ、収容所へ送られる。そこでは日常的に拷問が行われ、無実の者が老若男女を問わず処刑された。
 温和で誠実な人柄として知られ、領主としては理想的だったライヒェンバッハ公の豹変は人々を怯えさせた。彼こそ悪魔に魅入られたのだと、様々な噂や憶測が飛び交った。
 皇帝の御意に対する明らかな叛逆ともとれるこの行為はすぐにレギスヴィンダの知るところとなったが、年若い統治者を怒り、驚き、悩ませたのは、諸侯の多くがライヒェンバッハ公を支持し、その行為に倣いはじめたことだった。
 レギスヴィンダはシェーニンガー宮殿にヴァルトハイデとフロドアルトを呼ぶと、三者会談を行った。
「いまだに、わたくしには信じられません。あの誰よりも平和を愛し、領民の幸福を願ったライヒェンバッハ公が、このような凶行に及ぶとは……」
 レギスヴィンダにとってルペルトゥスは叔父であり、数少ない自分を支持してくれる理解者だと考えていた。
「ですが、ライヒェンバッハ公は病を患い、近年は寝たきりだったと伺っていたのですが?」
 ヴァルトハイデが訊ねた。魔女と皇帝の視線がフロドアルトに集中する。
 公子もまた、なぜ父が突然、このような行為に及んだのか理解できない様子だった。
「今回のことには、わたしも戸惑っている。先日エスペンラウプへ戻った時には、国手を得てベッドから起き上がれるまでに体調を回復されてはいたが……まさか自ら兵を率いて魔女狩りを始められるなど、いったい誰が予測し得たというのだ……」
 フロドアルトは魔女に対して一定の理解を示すようになっていた。しかし、レギスヴィンダほど、魔女との共存が成功するとは考えていなかった。それでも、父のやり方には賛同できなかった。
「ゲーパとフリッツィはどうしていますか?」
 レギスヴィンダが、ヴァルトハイデに訊ねた。
「調査のため五番目の事件が起きた場所へ向かうと報せがありましたが、めぼしい手掛かりは掴めていないようです……」
「あのような二人には、期待するだけ無駄だ。とはいっても、ここにいたとしても議論の邪魔をするだけだろうがな」
 フロドアルトは初めから二人を当てにしていなかった。そういう意味では、魔女に対する考え方は変わっていない。
 ヴァルトハイデは、忸怩たる思いでレギスヴィンダに訊ねた。
「一度、二人を帝都へお戻しになりますか?」
「……そうですね。調査が行われている間は諸侯も軽挙な行動は起こさないと考えていたのですが、わたくしが間違っていたようです。二人を呼び戻し、ライヒェンバッハ公の魔女狩りをやめさせる方法を考えましょう」
「ならば、わたしがもう一度エスペンラウプへ戻り、父を説得しよう。このようなやり方は、わたしも本意ではない。ライヒェンバッハ家の家名に(きず)を残すだけだ」
「お願いします。公子の言葉なら、公爵も聞き入れてくださるでしょう」
 藁にもすがる思いで、レギスヴィンダがフロドアルトに答えた。
 この時はまだ息子の説得が功を奏し、すぐにでも朗報が帝都へ届くだろうと信じた。
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