第5話 盟約と密約 Ⅱ

文字数 3,599文字

 庵ではヘルヴィガの他、先に戻っていたゲーパと、その曾祖母であるヘーダがヴァルトハイデの到着を待っていた。
「ゲーパよ、もう一杯茶をくれんか?」
「はい、ひいおばあちゃん」
 ヘーダが曾孫にハーブティーを淹れてもらう。
 庵では、客人を迎える準備を整えていた。しかし、ゲーパが戻ってきてからずいぶん経つというのに、ヴァルトハイデはまだ帰ってこない。
「それにしても遅いわね。何してるのかしら?」
 お茶を汲みながら、ゲーパが呟く。
「……もしかして、またはぐれ魔女に襲われてるのかも!」
 不安がよぎった。
「その心配はありません。はぐれ魔女であっても、ハルツの結界の中へ入ることは容易ではありません。無理にそんなことをすれば、すぐにブリュネや山の精霊が気づきます」
 ヘーダと一緒にお茶を飲みながら、落ち着いた口調でヘルヴィガが答えた。
「そうかもしれないけど……」
「人間の足でハルツの山道を登るのはきついじゃろう。怪我人もおるというしな。心配じゃったら、もう一度見て来ればええ。もしも歩けんほどへばっとるようなら、箒に乗せて運んでやればよかろう」
 ヘーダがいうと、ゲーパは「うん」と答えて箒を手に取った。
 庵を出ようとしたちょうどその時、ドアが開いた。
「ヴァルトハイデ!」
「いま戻った。ヘルヴィガ様は?」
「奥にいるわよ。お客様は?」
「無事だ」
 ゲーパがヴァルトハイデの後ろを覗き込む。
「先ほどは、どうも……」
 レギスヴィンダが小さく頭を下げる。ゲーパは笑顔で迎えた。
「いらっしゃい。さあ、入って!」
「失礼します……」
 遠慮がちに答え、しずしずと庵に入った。
「ヘルヴィガ様、客人を連れてまいりました」
「ご苦労でした」
「では、わたしはこれで」
「待ちなさい、あなたもここにいなさい」
 役割を果たし、辞去しようとするヴァルトハイデをヘルヴィガは引きとめた。
 ヘルヴィガは立ち上がり、レギスヴィンダを迎え入れる。
「ようこそおいで下さいました。わたしがハルツの(おさ)ヘルヴィガです。全山をあげて、ルーム帝国のレギスヴィンダ内親王殿下を歓迎いたします」
「はじめまして……わたくしが二十六代ルーム帝国皇帝ジークブレヒトの一女レギスヴィンダです。突然の訪問にも係わらず、人間であるわたくしをハルツへ受け入れて下さり、真に感謝いたします。また途中、悪しき魔女に襲われた所を、こちらの二人に助けていただきました。ヘルヴィガ様には重ねて謝意を申し上げ、今後のハルツとルーム帝国の良好な関係を築くためのきっかけになればと考えております……」
 レギスヴィンダは緊張と躊躇いで固くなっていた。そんな、まだ幼いといっていい皇帝の名代を、ヘルヴィガはほほ笑ましく見つめた。
「どうぞ、おかけになって下さい」
「失礼します……」
 ハルツの長は気兼ねせず、椅子に腰かけるよう勧める。
 ゲーパがお茶を淹れ直し、テーブルへ運んでくる。ヘルヴィガはハーブティーで唇を湿らすと、まっすぐにレギスヴィンダを見据えて切り出した。
「さて、レギスヴィンダ内親王殿下が、わざわざ遠くルーム帝国の都からこのハルツまでご来駕頂いたのは、どのような目的のためでありましょうか?」
 あえて分かり切ったことを訊ねる。
 レギスヴィンダにとってヘルヴィガの第一印象は、上品で知的な老婦人だった。
 住まいや衣服こそ質素であるが、醸し出される徳や人格といったものは、どんなに着飾った大貴族にも身につけることのできないものに思われた。
 レギスヴィンダは一瞬で、この相手には嘘をつけない。すべて見透かされていると感じた。
「……先日、帝都プライゼンが悪しき魔女によって蹂躙されました。父である皇帝ジークブレヒトは騎士を率いて立ち向かいましたが、魔女の力には敵わず、母である皇后ラウレーナを介してわたくしに一つの役割を託されました。魔女に敵うのは魔女だけ。ハルツへ行き、善なる魔女に助けを求めなさいと。これはその時、母から託されたペンダントです。母がいうには、これは元々ハルツの魔女の持ち物だったそうです。どういう経緯でルーム帝室にもたらされたのかは分かりませんが、ひとまずお返ししたいと思います」
 レギスヴィンダは銀のペンダントをテーブルに差し出した。
「……確かにこれは、ハルツで作られたものです。ですが、一度ルーム帝国へ渡った物を返してもらうわけにはいきません。引き続き内親王殿下がお持ちください」
 ヘルヴィガはペンダントを一瞥し、返還を拒んだ。
 頑なとも見えたその態度に、レギスヴィンダは何か相手の気分を害すようなことをしてしまったのかと心配した。しかし、ヘルヴィガの返答は、要望自体を否定するものではなかった。
「それはともかく魔女の力を得た者たちが悪意を持って帝都を襲撃し、多くの人命を奪ったことは、ハルツとしても看過できない重大事です。これに対し、ルーム帝国と強調して問題の解決に当たることは、わたくしどもにとっても望ましいことだと考えております」
「では、協力をしていただけるのですね?」
「はい、とお答えしたいところですが、そのためには幾つかの条件が必要です」
「……もちろん、これまでルーム帝国が魔女に対して行ってきたことを考えれば、無条件で協力していただけるとは思っていません。ですが、これを機会にハルツとルームが和解し、相手を認め、互いに尊重しあえる関係になれるのであれば、皇帝陛下の名代たるわたくしの権限において、できうる限りの取り決めを誠実に実行する用意があるとお約束いたします」
「その言葉に偽りはありませんね?」
「ルーム帝国の正当な帝位継承者として、名誉と信義において誓約いたします」
「では、あなたの命を所望するとしても異存はありませんね?」
「わたくしの命をですか……?」
 それはレギスヴィンダにとって、あまりにも唐突で思いがけない要求だった。
「ルーム帝国はこれまでに多くの魔女、またその疑いのある者の命を奪ってきました。その過ちをあがなうために、内親王殿下の御命を頂きたいのです」
「それは……」
 ヘルヴィガは厳しくレギスヴィンダを見やった。一歩も引かない。妥協しないといった構えである。
 ともすれば初めから協力するつもりなどなく、体よく拒否するための口実ではないかと思わせるほどの無理難題だった。
 逡巡するレギスヴィンダに、なおもヘルヴィガが質した。
「七十年前、呪いの魔女と呼ばれたオッティリアの脅威にさらされたレムベルト皇太子は、今のあなたと同じようにハルツへ助けを求めました。わたしたちは長い協議の末、レムベルト皇太子の要請を受諾し、彼に魔女の呪いに討ち勝つための剣を貸し与えました。なぜだか分かりますか?」
 これまでの出来事から、レギスヴィンダもハルツとルーム帝国の間に、語られない秘密の歴史が存在することを感覚的に理解していた。
 母であるラウレーナがハルツへ行き、レムベルト皇太子にまつわる真実を知るのですといったことの意味が、それだったのである。
 しかし、なぜ自分の命が所望されなければならないのかまでは分からなかった。
「人々のため、命をかけて戦うレムベルト皇太子の覚悟が問われたからですか?」
 レギスヴィンダが答えた。自分にも同じ覚悟があるのかと、問われているのだと思った。
 ヘルヴィガは、即座に否定した。
「違います。わたしたちがレムベルト皇太子に協力することを決めたのは、彼がオッティリアを討ち果した後、自分の命を差し出すと約束したからです。戦いの後、その条件に従い、わたしがレムベルト皇太子の首を刎ねました。この手で、ヴァルトハイデの腰にあるランメルスベルクの剣を用いてです」
「!!!!!!!!」
 レギスヴィンダにとって、それは衝撃的過ぎる内容だった。にわかには信じられないが、これまでの出来事を振り返れば、ありえない話だと否定することもできなかった。
「なぜそんなことを……呪いの魔女と共に戦うレムベルト皇太子の命を条件にするなんて……それほどハルツ(あなた)たちはルーム帝国を恨み、憎んでいたのですか?」
 レギスヴィンダは狡猾なハルツの魔女が、オッティリアとレムベルトという厄介な二つの敵を共倒れにするため、謀略を練ったのかと考えた。
 しかし、目の前の思慮深げな魔女が、そんな卑劣な真似をするだろうかとも思われた。
 レギスヴィンダの疑問にヘルヴィガが答える。
「自らの命を差し出すことを条件にしたのは、レムベルト皇太子自身でした。彼は、オッティリアを呪いの魔女へと変えてしまった自分の罪を悔やんでいたのです」
「レムベルト皇太子が、オッティリアを呪いの魔女に変えた……」
 それもまた、レギスヴィンダにとって衝撃であり、受け入れ難い事実だった。
「オッティリアとレムベルト皇太子は、愛し合っていたのです」
「二人が愛し合っていた……」
 ヘルヴィガは頷くと、過去の遠い出来事を語り始めた。
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