第8話 燃やし尽くす Ⅳ

文字数 2,559文字

 鋼鉄の糸で張り巡らされた蜘蛛の巣から脱出したファストラーデは剣を抜いてヘーダへ襲いかかった。
 ヘーダは鉄器を操ってこれを迎え討つが、その攻撃力の前に為すすべがない。
 鉄器が壁となり、ファストラーデの切っ先の威力をわずかに削ぐことはできたが、老いた魔女は攻撃の圧力に弾き飛ばされ、受け身も取れないまま樹の幹に背中から衝突した。
 尻餅をつくと立ち上がることもできず、半眼に開いた瞳で止めを刺しに来る胸甲の魔女を見やった。
「なんという恐るべき娘か……魔女としての素質はオッティリアと同等、あるいはそれ以上かも知れぬ。それだけに惜しいことよ……これほどの娘、ヴァルトハイデとともにハルツで保護できておれば、わしも悔いなく逝けたものを……」
 死を覚悟したヘーダは、人生の最後にやるかたない無念を抱いた。それでも、満足もしていた。ヴァルトハイデが生きていれば、ハルツは死なない。
 老いた魔女は退場し、若き魔女に未来を託すのも悪くなかった。
「さて、どのように止めを刺すべきか……わたしとしては、偉大な魔女の先達に手を下すのは本意でないが、戦いの場に割って入ってきたのはそちらだ。せめて楽にあの世へ送って差し上げますゆえ、お恨みなきよう」
 ファストラーデは剣を握り直すと、ゆっくりヘーダへ歩み寄った。
「お覚悟を――」
 胸甲の魔女の切っ先が、老いた魔女の心臓へ狙いを定めた時だった。巨大な魔力を感じ、止めを刺すのを躊躇った。
「貴様は……」
 魔力の方向を振り返り、戻ってきた魔女を見みて目を疑う。同一人物とは思えない異質な魔力がヴァルトハイデを取り巻いていた。
「ヴァルトハイデ、なぜ戻ってきた!」
 老いた魔女が、若き魔女を咎めた。自分の犠牲を無駄にするのかと。
「ヘーダ様……良かった、間にあった」
「何が間にあったじゃ……わしは、姫と騎士を連れて逃げろといったではないか!」
「御心配いりません。足手まといな人間どもは、森の中においてきました。そこの侵入者も、このヴァルトハイデが直ちに始末いたしますゆえ御安心を……」
「何をいっておる。お主の力ではこやつには……ヴァルトハイデ、お主まさか……!」
 ヘーダはあることを悟って息を呑んだ。
 白けたのはファストラーデだった。
「この老体にいわれたとおり、逃げていれば少しは生き長らえられたものを。わざわざとどめを刺されるために戻ってきたか……ならば好かろう。やはり貴様からあの世へ送ってやる!」
 ファストラーデは標的をヴァルトハイデに変える。大言壮語を吐いて舞い戻ってきたことを後悔させてやろうと思った。が、先ほどまでとは明らかに雰囲気を違えた相手に、何か奥の手を隠しているのではないかと警戒した。
「いかん、ヴァルトハイデ! その力を目覚めさせるな!」
 ヘーダが叫んだ。
「その力……」
 ファストラーデはやはり、奥の手を使うつもりかと身構えた。
 ヘーダの説得は手遅れだった。
 ヴァルトハイデの右目に、漆黒の陰が張りついている。三年間の修行によって閉じ込めたはずの、各地をさ迷い、罪を重ねていた頃の、呪いの魔女の本能を解き放とうとしていた。
「なんという禍々しい魔力か……これではまるで、呪いの魔女そのものではないか…………」
 ヴァルトハイデから放たれる異質な力に、ファストラーデは慄いた。と同時に、過去に交わしたフレルクとのある会話が思い起された。

「初期の実験では、オッティリアの肉体をうまく制御することができなかった。肉体と精神の結びつきが強すぎたのだ。そのため移植を行った娘たちは発狂し、悶え死んだ。お前たちに施した移植は改良され、精神への干渉が制限されている。だがその分、扱える魔力の量も制限された。それでも限度を超えて魔力を消費し続ければ、オッティリアの肉体に精神が蝕まれる。お前たちに与えた銀の拘束具がその危険を教えてくれる。銀がくすんで黒く変色したとき、お前たちの自我は崩壊する。今はまだ無理をする時ではない。疲れたのなら眠って休め。でなければ精神と肉体は悲鳴をあげ、二度と帰れぬ闇の世界へ堕ちるだろう――」

「このヴァルトハイデが、フレルクのいっていた初期の実験台にされた女だったのか……しかし女たちはすべて死に、灰になるまで燃やし尽くされたはず。まさか生き残りがいたとは。しかも、ハルツに……これではまるで、わたしが裏切ることを想定し、初めからフレルクによって仕掛けられていた罠のようではないか……いいや違う! 運命がこの女を殺せと、わたしに囁きかけているのだ! 試練を乗り越え、七人の魔女のリーダーとしての業を背負えと、わたしを試しているのだ!!」
 ファストラーデは自分に言い聞かせると、まるで大いなる意志が引き合わせたかのような目の前の強敵に立ち向かうため、フレルクに止められていた禁断の力に手を出す覚悟を決めた。
「うれしいぞ、ヴァルトハイデ! 貴様のような魔女に巡り合えて。貴様が自我を失うのが先か、それともわたしの肉体が崩壊するのが先か、勝負だ!!」
 二人の魔女は、互いの限界まで力を絞りつくす。
「ハアアアアアアア!!!!」
「ウオオオオオオオ!!!!」
 ヴァルトハイデは右目を闇に塗り替え、ファストラーデの銀の胸甲は魔力を吸って暗黒に染まっていく。
 それぞれの魔力が精神と肉体の極点に達した瞬間、両者は図らずも、まるで阿吽の呼吸で示し合わせたかのように、同時に剣を振り上げ相手へ斬りかかった。
 二人の実力はまったくの互角だった。間合いへ踏み込む速度、剣を振り下ろす力強さ、戦いにかける執念さえも、すべてが拮抗し、まるで差が生じない。
 ファストラーデが一つ傷を穿てば、ヴァルトハイデも負けじと反撃する。
 互いに切っ先と、痛みと、飛び散る血の量で己の存在を誇示するかのように、精神と肉体を削り合いながら、魔女たちの剣戟は激しさを増した。
「……なんということじゃ、こうなってはヴァルトハイデを止めることは出来ぬ。ハルツで過ごした三年間を捨てるつもりか!」
 戦いをやめさせようにもヘーダには手を出すことができない。たとえやめさせたところで、ファストラーデを撃退する術もなかった。
 見守るしかない老いた魔女は、ヴァルトハイデがギリギリの人格を保ったままファストラーデに勝利することを祈った。
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