第45話 彷徨う剣 Ⅰ

文字数 2,192文字

 帝都から去った後、ヴァルトハイデは自分自身を見つめながら各地を彷徨った。
 その胸に去来するのはイドゥベルガとの戦いの記憶。なぜ剣を折られたのか、そればかりを考えた。
「剣が折られたのは、わたし自身の不覚以外に他ならない。七人の魔女を倒し、もうこの世に自分よりも強い者はいないと思っていた。すでに戦いが終わったと錯覚していたのだ……」
 客観的に分析し、己に言い聞かせる。
 確かに、油断や慢心があったのは事実である。しかし、そんな理屈ばかりを並べても、自分自身を偽りとおせるものではない。
 もっと深く根本的な部分に原因があることは、早い段階から気付いていた。だから逃げ出すようにレギスヴィンダの前から去ったのだ。


 人気のない、とある峠でヴァルトハイデを待ち構える者たちがいた。
「待て! ここを通りたかったら、身につけている物を置いていきな!」
 ならず者の集団だった。通りかかる者を見境なく襲っては殺し、犯し、無法の限りを尽くしている。
 数は十数名いるだろうか。前後からヴァルトハイデを挟み撃ちにし、中には上玉の女が網にかかったと舌なめずりする者もいた。
「消えろ。お前たちなど、わたしの敵ではない。死にたくなければ去るがいい……」
 ヴァルトハイデが警告するも、そんな言葉を真に受ける者はいない。むしろ多少の抵抗があった方が面白いと、ならず者たちの嗜虐性を刺激した。
「気の強い女だ。構わねえ、死なねえ程度に痛めつけろ!」
 ならず者たちが襲いかかる。ヴァルトハイデは仕方なく、剣に手をかけた。が、ランメルスベルクの剣は折れたままである。
 剣に頼らぬよう自分自身への戒めとして、柄に鎖を巻いて抜けないように封印していた。
「どうした、抜かないのか? その腰にあるものはただの飾りか!」
 ヴァルトハイデが躊躇うのを見ると、ならず者は嘲笑した。
「貴様たちに武器は必要ない。遠慮せずにかかって来い」
「口の減らねえ女だ。やっちまえ!」
 ならず者たちが襲いかかった。ヴァルトハイデは素手で払いのける。
 戦いはあっ気ないものだった。たとえランメルスベルクの剣がなくとも、ならず者の集団に後れを取ることはない。一方的に、易々と、短時間でけりをつけた。
「つ、つよい……!」
 ならず者たちはヴァルトハイデに怖れをなすと、這々の体で逃げ出す。実力差は圧倒的だった。だが、それが却ってヴァルトハイデを苦しめた。

 わたしが強い? ではなぜ、イドゥベルガに負けた――

 無意識の疑問が心の表面に浮かびあがる。
 ヴァルトハイデは頭を振って否定した。
「違う、負けてなどいない! 戦いには勝った。そうだ、わたしは強いのだ。ではなぜ胸を張れない……」
 むしろ実力で負けたのなら、ここまでショックを引きずることはなかった。
 折られたのが剣ではなく、自分自身だと気づいているから否定せずにはいられなかった。


 ヴァルトハイデの足は、いつしかミッターゴルディング城へ向かっていた。
 血を分けた実の妹と死闘を繰り広げた黒き森の戦場跡に佇むと、あの日の記憶がよみがえった。
「わたしにはもう、帰る場所はない。帝都もハルツも、わたしには居心地が良すぎた。お前は、こんなところで眠っているというのに……」
 地上には戦いの残骸が散乱し、空には今にも泣き出しそうな黒雲が垂れこめる。
 孤独を求めたヴァルトハイデには、死者との対話以外に感情を整理する方法がなかった。
「わたしは逃げ出したわけではない。こうする以外に、他人を巻き込まずにすむ方法が見いだせなかっただけだ。これは、わたしとお前から始まった戦いだ。だからわたし一人でルオトリープを見つけ、決着をつける。その後はリントガルト、わたしも、お前の傍へ……」
 あの日も同じことを誓ったはずだった。なのに約束を忘れて、すべてが終わったように錯覚していた。イドゥベルガとの戦いは、そのことに気づかされるものだった。
 ヴァルトハイデは空を見上げた。雲の一部がしずくとなって降り注ぎ、魔女の頬を濡らした。
「ここにも、わたしの探しているものはない……」
 突然だった。雨音の中に誰かの声がした。人の気配などなかったはずだった。ヴァルトハイデは驚きながら声の方を振り返った。
 顔に傷のある、見知らぬ女が立っている。
 ヴァルトハイデと目が合うと、女が話しかけた。
「何を泣いているの?」
 人間ではなかった。女は意識すらしていなかったが、その身体からとてつもない魔力を放っている。もしも相手がその気なら、ランメルスベルクの剣の使えないヴァルトハイデには、身を守るすべはなかった。
「あなたも、探し物をしているのね?」
 女が訊ねた。
 ヴァルトハイデは金縛りにあったように立ちすくみ、身動きすら取れなかった。
 女は相手が恐怖していることになど気づきもしない。ただ優しく、あるいは自分に言い聞かせるようにヴァルトハイデを慰めた。
「でも大丈夫よ。きっと見つかるわ。だって、あなたはわたしに似ているから……」
 女の瞳に魅入られたとき、ヴァルトハイデは生きた心地がしなかった。女は寂しげに空を見上げた。
「雨があがるわ……」
 いった瞬間だった。雲間から光がさした。
 ヴァルトハイデは顔をあげ、雲間に差した一瞬の青空を見つけると、再び地上に視線を戻した。
 すでに、女の姿はなかった。
 女は雨よりも冷たい死の予感を、ヴァルトハイデの心に降らせた。
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