第50話 最後の君命 Ⅲ

文字数 4,640文字

 ヴァルトハイデの傷が癒えたことを知ると、我も我もと各地から参内の申し出が相次いだ。
 ライヒェンバッハ家からは兄であり公爵であるフロドアルトの名代として、正式にルオトリープの討伐が行われたことを報告するため妹のゴードレーヴァが遣わされた。
「今次、騒乱の首謀者たるルオトリープは兄であるライヒェンバッハ公フロドアルトによって成敗されました。正義がなされたのは、ひとえに皇帝陛下の御威光によるもの。ライヒェンバッハ家は今後とも陛下に忠誠をつくすことを誓約いたします」
「……ゴードレーヴァ。そんなに畏まらなくても良いのですよ」
「はい、お従姉さま!」
 恭しくかしずいて拝謁する従妹に、レギスヴィンダは面映ゆくなる。少しぐらいおてんばな方が彼女らしかった。


 ベロルディンゲンからは、リカルダたちがやってきた。ヴァルトハイデの寝室を見舞う。
「身体はもういいのか?」
「皆にはずいぶん心配をかけたが、今では自力で立って歩くこともできる。少しだけだがな」
「お前には大きな借りがある。それを返すまでは、どうか無茶なことはしないでくれ」
「気にするな。お互い様だ。それより、ベロルディンゲンに残ることにしたそうだな?」
「いろいろ考えたのだが、まだ人と魔女が共に暮らす時ではない。幸い、ライヒェンバッハ公は理解してくれている。しばらくは、あの城にやっかいになるさ」
 戦いは終わり、人と魔女が傷つけあうことはなくなった。しかし、両者の間からわだかまりが消えたわけではない。レギスヴィンダが目指す人と魔女が共存できる世界は、まだその一歩を踏み出したにすぎなかった。


 ブルーフハーゲンからは、グローテゲルト伯爵夫人とルートヴィナが上洛した。
「よう、フリッツィ。今回はお手柄だったそうだな?」
 さっそくグローテゲルト伯爵夫人が、面白半分にフリッツィをからかう。
「今回だけじゃないわよ。あたしはいつもお手柄よ!」
「まったくお前は、謙虚さというものを知らないな」
 以前とまったく変わることない黒猫の使い魔に、グローテゲルト伯爵夫人は苦笑した。
「……あの、リカルダたちも帝都へ来ていると伺ったのですが?」
 二人のやり取りを見守っていたルートヴィナが、もどかしそうに訊ねた。
「来てるわよ。たぶん、ヴァルトハイデのところじゃない。あとで、行ってみるといいわ?」
「はい!」
 今はまだ、人と魔女が共に暮らすことはできない。しかし、未来への種は着実に根付いていた。


 ハルツから、エルラを箒に乗せたアーリカが飛んでくる。シェーニンガー宮殿の尖塔で待つゲーパに上空から手を振った。
「ゲーパお従姉ちゃん!」
「すごいわね。ちゃんと飛べるようになったじゃない!」
「お従姉ちゃんが帰ってくるまでに練習しとくって約束したからね」
「二人が元気そうでなによりだわ。エルラちゃんは、ハルツの生活には慣れた?」
「はい。みんながとても親切にしてくれるので、なにも不自由はありません」
「それより、ヴァルトハイデが魔女じゃなくなったってホントなの?」
「……本当よ。でも心配しないで。ヴァルトハイデは何も変わらないわ。今まで通り、あたしたちと同じハルツの一員よ」
 魔女としての力を失ったヴァルトハイデの未来は誰にも分からず、まだ何も決まっていない。だからこそゲーパは信じた。失ったものを補って余りある幸福が彼女にもたらされることを。それを望む権利ぐらい、魔女たちには残されているはずだった。


 夜にはささやかな饗宴が開かれ、客人が一堂に会した。
 華美に着飾ったドレスも、贅をつくした料理もないが、大切な者たちをもてなそうとするレギスヴィンダの心遣いが列席者たちを満足させる。
 そこでは人も魔女も地位も関係ない。皇帝が気さくに村娘に話しかけ、魔女にあこがれる公女がハルツから来た同年代の少女に箒の乗り方を教わる。あるのは互いを尊重する気持ちと、出会えたことへの感謝だった。
 まだ体調が万全でないヴァルトハイデは少し疲れたといって、レギスヴィンダとともにバルコニーに出て風にあたった。
「今夜はとても気分がいい。こんなに笑ったのは、いつ以来でしょうか。これも、レギスヴィンダ様のおかげです」
 率直な気持ちをヴァルトハイデが吐露する。以前なら、仲間と楽しみを分かち合うことにすら抵抗があった。魔女を討つ剣に、そんな感情は必要ないと自分の心に蓋をしていた。しかし、今は違う。素直に喜びを表現し、すべてを肯定することができた。
 ヴァルトハイデがそんな風に思えるようになったのも、自分のために生きていて欲しいといってくれたレギスヴィンダのおかげだった。
 それはレギスヴィンダにとっても同じ思いを共有するものであり、今の自分があるのはヴァルトハイデのおかげだった。
「わたくしに生きる勇気を与えてくれたのはあなたです。あの日、あの夜、すべてを失ったわたくしをハルツは受け入れてくれました。そして、いつもあなたがわたくしを守ってくれました……」
 ヴァルトハイデがいなければ、とっくにルーム帝国は滅んでいた。そして、自分も死んでいた。
 レギスヴィンダにとっても、ヴァルトハイデは命の恩人だった。いつも自分を支え、助け、代わりに傷ついてくれた。
 これからも二人は互いを信頼し、思いやり、人と魔女の未来のために力を合わせて理想を実現させていくはずだった。
 だが、レギスヴィンダは、そんな気持ちを口にすることができなかった。ヴァルトハイデがまた、自分の下を去っていくのを感じていた。
「また、旅立つつもりでいるのでしょう?」
 静かな夜の空気を壊さないように、レギスヴィンダが訊ねた。ヴァルトハイデは偽るそぶりもなく、「はい……」と答える。
 つぎはぎの魔女がいい残した、すべての禍が消えたわけではないという言葉が、その答えだった。
「ハルツには、その始まりの時から続く根源的な呪いと闇の連鎖があります。魔女の山を切り開いた最初の長であるヴァルプルガと、その地位を争って負けたヘルメンギルデという魔女との闘争の歴史です。ヘルメンギルデは世を呪い、これまでに何度も人の弱さに付け込んで争いの種を植え付けてきました。オッティリアを呪いの魔女に変えたのも、フレルクを操って術を授けたのも彼女です。今回の騒乱においても影で暗躍する気配を感じていました。その手がかりをようやく掴んだのです」
 数日前、ハルツから情報がもたらされた。
「七十年前にも、あと一歩というところまでヘルメンギルデを追い詰めたそうです。残念ながらヘルヴィガ様たちには、それを為すことができませんでした。それから再び、我々の手の届くところへ彼女が現れたのです。これを討たない限り、同じような連鎖は繰り返されます」
「ですが、魔力を失ったあなたは、もう魔女ではありません。なのに、それを自分の使命と考えるのですか?」
「……人も魔女も関係ありません。わたしはハルツのヴァルトハイデ。魔女を討つ剣です」
 重たく残酷な宣言だった。たとえ元の人間に戻れたとしても、運命はヴァルトハイデに平穏な日々を許さなかった。
 レギスヴィンダは、こんな試練を与える運命をこそ呪った。
「……分りました。わたくしは、あなたを引き止めはしません。その代わり、一つだけ約束してください」
 レギスヴィンダは肌身離さず身につけている帝位の象徴であるペンダントを外すと、ヴァルトハイデの首にかけた。
「魔力を失くしたあなたを、きっとこのペンダントが守ってくれるでしょう。だから、わたくしは心配しません。あなたはいつも、わたくしとの約束を守ってくれました。今度の戦いも必ず勝利し、わたくしの下へこのペンダントを返しに来てくれます。それが、わたくしからあなたへの最後の君命です」
「……お約束いたします、陛下。わたしは必ず、レギスヴィンダ様の下へ誓いを果たしに戻ってくると」
 ヴァルトハイデは恭しく御諚を宜う。
 レギスヴィンダに寂しさはなかった。彼女がいつも約束を守ってくれると知っていたから。


 パーティーは終わった。
 暗い夜が明け、新たな光がルーム帝国を照らす。
 列席者たちがそれぞれの居場所へと帰り、帝都に落ち着きが戻ると、レギスヴィンダには公務に追われる多忙の日々が待っていた。
 オステラウアーが運んでくる容赦のない書類の山も、陳情者たちが作る長蛇の列も、皇帝にとっては見なれたものになっていた。
 それでもこのありふれた日常を、飽きたり、倦んだり、価値のないものだと考えたりはしない。平凡な日々こそ、守るべき最良のものだと思えた。
 それからさらに時が過ぎ、ヴァルトハイデの傷が完全にいえたころ、三人は新たな旅立ちの日を迎えた。
「行ってしまうのか、ゲーパ。寂しくなるな……」
「ヴァルトハイデ一人を行かせるわけにはいかないでしょ。それに、これがサヨナラじゃないから」
「……そうだな。いつかまたハルツへ行く。人と魔女が共に暮らせる日を実現させるために」
「待ってるわ。あなたやレギスヴィンダ様なら、きっと叶えられるはずだから」
 オトヘルムとゲーパが別れを惜しむ。その傍らでは、ブルヒャルトは泣いていた。
 黒猫の使い魔が、皇帝に別れを告げた。
「じゃあね。レギスヴィンダ様も元気でね」
「はい。フリッツィも」
「あたしは大丈夫よ。ヴァルトハイデのことも心配しないで。だって、あたしがついてるんだから!」
 頼りになるのかならないのか分からないが、彼女の言葉には不思議な説得力があった。レギスヴィンダはこれまでに何度も、それを経験していた。
 ヴァルトハイデは迷いない、澄んだ瞳でレギスヴィンダを見つめた。
「それでは陛下、長らくお世話になりました。必ずや使命を果たし、呪いの連鎖を断ち切って参ります」
「お行きなさい、ヴァルトハイデ。そして、勝ってくるのです。ルームのため、ハルツのため、この世の生きとし生けるものすべてのために」
「はい、レギスヴィンダ様!」
 晴れ渡る空の下、三人は旅立った。
 思い返せば、七人の魔女の襲来があった夜から今日までのことが、あっという間の出来事のように感じられた。
 それでもレギスヴィンダには一生分の友情をはぐくみ、一生分の涙と笑顔を分かち合ったような気がした。


エピローグ


 数年後。
 シェーニンガー宮殿の広間に、剣を握った魔女の絵画が飾られていた。
 幼い少女が、その絵を見上げている。
「お母様、どうしてこのお城には魔女の絵があるの?」
「それはね、ラウレーナ。わたくしの大切な友人を描いたものだからです」
「魔女の友人?」
「そうです。彼女はいつもわたくしの傍にいて、わたくしを守ってくれました。そして、最後に約束を果たしてくれたのです」
 母は答えると、銀のペンダントを外して娘の首にかけてやる。
「お母様、これは何ですか?」
「これはね、代々帝室に受け継がれる皇帝の印し。人と魔女が分かりあえることを証明した、大切な絆なのよ」
 ある夜のことだった。気配を感じてレギスヴィンダが目を覚ますと窓が開いており、テーブルにペンダントが置かれていた。
 窓の外を見ると箒に乗った三人の人影があった。
「彼女は運命に打ち勝ち、このペンダントを返しに来てくれました。これは、その友情のあかし。これからは、あなたが持っていなさい」
「はい、お母様」
 未だ人と魔女が共存できる社会は実現できていない。しかし、少しずつ改善されている。
 ルーム帝国の皇帝は、いつか必ず人と魔女が分かり合える日が来ることを信じた。
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