第47話 わたしは待つ Ⅱ

文字数 2,935文字

 銀の冠をかぶり、顔に皮膚を繋ぎ合わせたような痕のある女が帝都に現れたころ、ゲーパは草原に立っていた。
 ハルツの牧草地だろうか。見なれた景色でありながら、知らない場所のようでもある。
「ここはどこ……」
 意識ははっきりとしていた。帝都のシェーニンガー宮殿にいたはずなのに、いったいどうなっているのだろうかと困惑する。
 茫然と立ち尽くしていると、ゲーパを呼ぶ声がした。
「大きくなったな、ゲーパ。母さんの若いころにそっくりだ」
「箒には、うまく乗れるようになりましたか? あなたは、そそっかしいから」
 懐かしいその声に、ゲーパは息を呑んだ。声の主は、亡くなった両親だった。
「お父さん、お母さん。どうして……」
 死んだ者が生き返ることはない。そんなことは分かっている。それでも目の前の景色を否定できなかった。
 ゲーパが駆けよろうとすると、両親がそれを止めた。
「あなたはまだ、こちらへ来てはいけません。あなたには、やるべきことがあるはずです」
「わたしたちは、いつもお前を見守っているからな。仲間を信じ、皆を守ってやるんだぞ」
 そういうと、二人はゲーパを残して去っていく。
「愛してるぞ、ゲーパ……」
「待って、お父さん、お母さん!」
 父と母が「さようなら」を告げると、ゲーパは目を覚ました。夢を見ていたのだと気づいた。
 ベッドに身体を起こしても、胸の鼓動が治まらなかった。
 今までに、こんな夢を見たことはない。
 ゲーパは両親が何かを告げようとしているのだと感じると、誰かにこのことを伝えなければと部屋を出た。


 同じころ、民家の屋根でオス猫と酒を酌み交わす者がいた。
「静かな夜ね。こんな時にも、どこかで悪事を企んでる人間がいるなんて信じられないわ……」
 フリッツィである。
 オス猫の喉を撫ぜてやりながら、酒のつまみに持ってきた夕食の残りを分けてやる。
 人々の感情や本心はともかく、世間において人と魔女の争いは、表面上は終わっていた。
 皇帝レギスヴィンダが魔女を許し、魔女は皇帝に服した。共存とまではいかないが、住み分けは始まっていた。
「おうちに帰らなくていいの? あなたのご主人様が寂しがってるわよ」
 少し酔ったフリッツィが、昔を想い出して呟いた。自分もこんな風に、ご主人様の隣で夜空を眺めていたと。
 フリッツィは、手のひらにブドウ酒を出した。
「あなたも飲んでみる?」
 すっかり懐いたオス猫を眺めながら、火照った身体を夜風にさらす。
 寂しいのは自分なのだと、フリッツィは思った。
 その時である。シェーニンガー宮殿から強く危険な魔力が放たれるのに気づいた。
「なに、この感じ……」
 ゾワゾワと尻尾の毛が逆立つ。酔いは醒め、心地よかった夜風が肌寒く感じた。
「これって、まさか!」
 フリッツィはじっとしていられず、足にまとわりつくオス猫を残してシェーニンガー宮殿へ急いだ。


 皇帝の寝室で、魔女が失われた記憶の一部を取り戻した。
「そのペンダントに見覚えがあるわ……」
「このペンダントに……」
 レギスヴィンダは、あきらかにつぎはぎの魔女の表情が変化したことに気づいた。
 帝室に受け継がれる銀のペンダントが、彼女の探していた物だったのだろうか。そんなはずがないと否定するも、何かの手がかりになるのではないかと思った。
「どこでそれを手に入れたの?」
「……これは先帝から受け継いだものです」
「あなたの父親?」
「そうです。父もまた、その母親から。つまり、わたくしの祖母から受け継いだと聞きました」
「違うわ。だって、それはわたしのもの。わたしが、彼にあげたものよ……」
「あなたが彼に……」
「そうよ。そのペンダントに誓ったの。ここで、あなたを待つと……彼がわたしを救いに来てくれる。孤独な暗闇から助け出してくれるのを……」
 つぎはぎの魔女の話を聞いて、レギスヴィンダの脳裏にある人物が甦った。
「彼というのは……!」
 レムベルト皇太子である。そして、その彼にペンダントを送った魔女とは、他でもない彼女だった。
「まさか、あなたは……」
「……皇帝。あなた個人に恨みはないわ。でも、あなたが危機に陥れば、きっと彼女は帰ってくる。それが、ルームと交わしたハルツの盟約。あなたには、死んでもらうわ!」
 つぎはぎの魔女は、殺意にみちた魔力を解き放った。


 部屋を出て、誰かに胸の不安を伝えようとしたゲーパは、シェーニンガー宮殿へ戻ってきたフリッツィを見つけて呼びとめた。
「良かった、いま捜しに行こうと思ってたの……!」
 フリッツィは立ち止まり、ゲーパに答える。自分も同じつもりで、急いで帰ってきたところだと。
「ゲーパも感じたの?」
「うん……何か分からない。でも、すごく嫌なことが起こりそうな予感がするの……」
 ゲーパは夢のことを話した。
「きっと、ゲーパの両親はこのことを伝えるために夢枕に立ったのね」
「これって、やっぱりルオトリープの魔女が攻めてきたってことかな?」
「他に、考えようがないわね……」
 ゲーパの両親の話を聞いて、フリッツィも確信する。緊急事態が差し迫っていると。
「それで、レギスヴィンダ様は?」
 フリッツィが訊ねた。
「寝室にいるはずよ」
「急ぎましょ。あたしたちだけで、なんとかなるとは思えないけど。やるだけのことは、やるしかないわ!」
 伝わってくる魔力の大きさから、相手がとんでもない魔女(ばけもの)だということは想像できた。
 それでもヴァルトハイデがいない今、二人でレギスヴィンダを守るしかなかった。
 二人が廊下を急いでいる時だった。皇帝の寝室から放たれるさらに強烈な殺意の波動を感じた。
「今のは!」
 思わず足をとめ、ゲーパは戦慄する。かつて戦った七人の魔女以上の魔力だった。しかも、より純粋でより明確な敵愾心に満ちている。
「レギスヴィンダ様が危ない!」
 現れたのは、ルオトリープが送り込んできた刺客の魔女で間違いなかった。それもきわめて強力な、究極の人造の魔女であると予想された。
 ランメルスベルクの剣を持つ者がいないいま、どう考えても自分たちだけで対峙し得る相手ではなかった。それでもゲーパにはハルツの魔女の一人として、ルーム帝国と交わした盟約に基づいて皇帝陛下を守る義務があった。
「行きましょう、フリッツィ!」
 自分にできることは少ない。刺客の魔女を止められるとも思わない。しかし、立ち止まることは許されなかった。なぜなら、それは盟約を結んだからではなく、別れた友人との約束だったからである。
 ゲーパは勇気を振り絞ってレギスヴィンダの寝室へ向かおうとした。だが、使い魔の黒猫はそうではなかった。
「まさか、こんなことが起きるなんて……」
 いつも心のどこかに「なんとかなるわ!」といった余裕を秘めていたフリッツィが顔色を失っていた。
「どうしたの! こんなことぐらいで怖気づくなんて、いつものフリッツィらしくないわよ!!」
 ゲーパが叱咤するが、フリッツィは尻尾を丸めて後ずさった。
「……だめよ、これ以上先へ進めない……あたし大事な約束を想い出したから、また今度にするわね……」
「ちょっと、フリッツィ!」
 ゲーパが呼びとめるも、フリッツィは踵を返して宮殿から立ち去る。そして、そのまま夜も明けきらないうちに帝都から姿を消した。
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