第31話 ただいま Ⅱ
文字数 2,254文字
「それにしても、ぜんぜん変わってないわね」
懐かしい山の空気を胸一杯に吸い込みながら、フリッツィがいった。
「そうかな。あたしは、そんなに永く離れてたわけじゃないけど、すごく時間が経ったみたいに感じるわ」
感慨深いげにゲーパがいった。
「そうだな……」
ヴァルトハイデも同意する。
魔女に救われてこの山へ来た日のことも、ランメルスベルクの剣の継承者になるため己の弱さと戦い続けた修行の日々も、胸甲の魔女によって大切な恩人が奪われたあの日の出来事も、振り返ればすべて遠い過去の出来事のように思えた。
「ひいお婆ちゃんは?」
ゲーパが訊ねた。
「庵でお待ちです」
ヴァルトハイデが尊敬し、誰よりも使命を果たしたことを伝えたかった相手はもういない。それでも、ヘルヴィガがくれた温もりや慈しみは、どんなに時間が経とうとも色あせることはなかった。
「じゃあ、行こっか」
嫌々ながら、フリッツィがいった。
現在はゲーパの曽祖母であるヘーダが魔女たちの最長老としてハルツをまとめている。この日は、ヴァルトハイデたちが帰ってくるとの連絡があったので、ヘルヴィガが住んでいた庵で待っていた。
庵に到着すると、ブリュネが戸を叩いた。
「ヴァルトハイデたちが戻ってまいりました」
「入るがよい」
すぐに返事がある。
一行を迎え入れ、ヘーダが労う。
「みな無事で何よりじゃ。よくやったの、ヴァルトハイデ、ゲーパ……」
自信を持って送り出した愛弟子と曾孫だったが、不安が一切なかったわけではない。いつもは厳しい老魔女も、この時ばかりは優しい曾祖母の顔を見せた。
「……ところで、見知らぬ客人が混じっておるようじゃのう?」
訝しげな目つきでヘーダが続けた。
「あれ、聞いてなかったの? ルツィンデったら、エルラちゃんのことはわしに任せておけなんて偉そうにいってたのに。こんな大事なこと伝え忘れちゃうなんて、意外と抜けてるわね」
「何をいっとるか、おぬしの事じゃ!」
フリッツィに向かって、怒鳴りつけた。
「おぬしは、まったく成長しとらんな」
「ヘーダ様の方こそ、昔のまんまのお姿で。ご壮健そうで何よりだわ!」
「相変わらず、口の減らん奴じゃ……」
仲が良いのか悪いのかわからない二人のやりとりに、ヴァルトハイデたちは苦笑した。
ヘーダは一つ咳払いをしてから、幼い魔女に向かっていった。
「ともかく、エルラや。今日から、ハルツ がおぬしの家じゃ。歓迎するぞ」
「ありがとうございます」
「……で、奴らは仕留めたのじゃな?」
代わって、ヴァルトハイデに訊ねた。
「はい、すべて、この瞳で見届けました」
「そうか。では、剣を見せてみよ」
ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣を差し出す。ヘーダは鞘から抜いて、まじまじと白刃を見やった。
「確かに……この剣を見れば、おぬしがどれだけの困難に立ち向かい、それを乗り越えたかが手に取るように分かるわい……」
特別な力が宿るランメルスベルクの剣は所有者の魂や精神に呼応し、多少の疵やひびなどは自然に修復される。その痕跡をたどれば、剣と所有者がどのような覚悟で戦い、日々を過ごしてきたかを読み取ることができた。
「ですが、まだ戦いが終わったわけではありません」
「うむ……お前たちを魔女に造り変えた張本人が残っておったのう……」
「フレルクを放っておいたら、またヴァルトハイデみたいな娘が犠牲にされちゃうものね」
ゲーパがいった。
「そのことならば御心配には及びません。レギスヴィンダ陛下は帝国をあげて、フレルクめを見つけ出すお考えを示されております」
ブルヒャルトが答え、親書を差し出す。頼もしい言葉ではあるが、ヘーダはそう簡単に見つけられるとは思わなかった。
「おぬしは、フレルクについて何か知っておるか?」
エルラに向かってヘーダが訊ねた。
「……名前は聞いたことがあります。でも、会ったことはありません」
「すでに亡くなっているという可能性はないのですか。ヴァルトハイデ殿の妹御に手ひどく傷つけられたと聞きましたが?」
ブルヒャルトが訊ねた。意外な勘の良さだったが、ヘーダは首を振る。
「いいや、わしが占った限りでは、まだ強い恨みを残した黒い陰がこの世から消え去っておらぬ。どこかで息をひそめながら、再起の機会をうかがっとるはずじゃ」
生きていようと死んでいようと、それがはっきりするまでは、気を緩めることはできなかった。
「ともかく、長い道中で疲れたのではありませんか? 詳しい話は後にして、今は休まれてはいかがですか」
ブリュネがヴァルトハイデたちを気遣った。特に、幼いエルラにとって、帝都からハルツまでの道のりは大変な行程だったにちがいない。
「そうじゃな。エルラよ、遠慮はいらんからな。何かあったら、わしか、このブリュネにいうがよい」
「はい」
「勅使殿も、今夜はゆっくりしていかれよ。さすがに今回は、先だってのような襲撃もないじゃろうからな」
「お心遣いに感謝いたします」
「では、我々はヘルヴィガ様の下へまいります。帰山の報告をしてまいりますので」
ヴァルトハイデがいった。
ヘーダは「うむ」といってから、立ち去ろうとするヴァルトハイデを呼びとめた。
「ヴァルトハイデよ……」
「何でしょうか?」
ヴァルトハイデが立ち止まって振り返る。ヘーダは何か言おうとしたが躊躇った。
「……いや、構わん。わしらはゲーパの家におるので、何かあったらそちらへ来るがよい」
「分かりました」
ヴァルトハイデは答えると、ゲーパ、フリッツィと共に庵を出てヘルヴィガの墓へ向かった。
懐かしい山の空気を胸一杯に吸い込みながら、フリッツィがいった。
「そうかな。あたしは、そんなに永く離れてたわけじゃないけど、すごく時間が経ったみたいに感じるわ」
感慨深いげにゲーパがいった。
「そうだな……」
ヴァルトハイデも同意する。
魔女に救われてこの山へ来た日のことも、ランメルスベルクの剣の継承者になるため己の弱さと戦い続けた修行の日々も、胸甲の魔女によって大切な恩人が奪われたあの日の出来事も、振り返ればすべて遠い過去の出来事のように思えた。
「ひいお婆ちゃんは?」
ゲーパが訊ねた。
「庵でお待ちです」
ヴァルトハイデが尊敬し、誰よりも使命を果たしたことを伝えたかった相手はもういない。それでも、ヘルヴィガがくれた温もりや慈しみは、どんなに時間が経とうとも色あせることはなかった。
「じゃあ、行こっか」
嫌々ながら、フリッツィがいった。
現在はゲーパの曽祖母であるヘーダが魔女たちの最長老としてハルツをまとめている。この日は、ヴァルトハイデたちが帰ってくるとの連絡があったので、ヘルヴィガが住んでいた庵で待っていた。
庵に到着すると、ブリュネが戸を叩いた。
「ヴァルトハイデたちが戻ってまいりました」
「入るがよい」
すぐに返事がある。
一行を迎え入れ、ヘーダが労う。
「みな無事で何よりじゃ。よくやったの、ヴァルトハイデ、ゲーパ……」
自信を持って送り出した愛弟子と曾孫だったが、不安が一切なかったわけではない。いつもは厳しい老魔女も、この時ばかりは優しい曾祖母の顔を見せた。
「……ところで、見知らぬ客人が混じっておるようじゃのう?」
訝しげな目つきでヘーダが続けた。
「あれ、聞いてなかったの? ルツィンデったら、エルラちゃんのことはわしに任せておけなんて偉そうにいってたのに。こんな大事なこと伝え忘れちゃうなんて、意外と抜けてるわね」
「何をいっとるか、おぬしの事じゃ!」
フリッツィに向かって、怒鳴りつけた。
「おぬしは、まったく成長しとらんな」
「ヘーダ様の方こそ、昔のまんまのお姿で。ご壮健そうで何よりだわ!」
「相変わらず、口の減らん奴じゃ……」
仲が良いのか悪いのかわからない二人のやりとりに、ヴァルトハイデたちは苦笑した。
ヘーダは一つ咳払いをしてから、幼い魔女に向かっていった。
「ともかく、エルラや。今日から、
「ありがとうございます」
「……で、奴らは仕留めたのじゃな?」
代わって、ヴァルトハイデに訊ねた。
「はい、すべて、この瞳で見届けました」
「そうか。では、剣を見せてみよ」
ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣を差し出す。ヘーダは鞘から抜いて、まじまじと白刃を見やった。
「確かに……この剣を見れば、おぬしがどれだけの困難に立ち向かい、それを乗り越えたかが手に取るように分かるわい……」
特別な力が宿るランメルスベルクの剣は所有者の魂や精神に呼応し、多少の疵やひびなどは自然に修復される。その痕跡をたどれば、剣と所有者がどのような覚悟で戦い、日々を過ごしてきたかを読み取ることができた。
「ですが、まだ戦いが終わったわけではありません」
「うむ……お前たちを魔女に造り変えた張本人が残っておったのう……」
「フレルクを放っておいたら、またヴァルトハイデみたいな娘が犠牲にされちゃうものね」
ゲーパがいった。
「そのことならば御心配には及びません。レギスヴィンダ陛下は帝国をあげて、フレルクめを見つけ出すお考えを示されております」
ブルヒャルトが答え、親書を差し出す。頼もしい言葉ではあるが、ヘーダはそう簡単に見つけられるとは思わなかった。
「おぬしは、フレルクについて何か知っておるか?」
エルラに向かってヘーダが訊ねた。
「……名前は聞いたことがあります。でも、会ったことはありません」
「すでに亡くなっているという可能性はないのですか。ヴァルトハイデ殿の妹御に手ひどく傷つけられたと聞きましたが?」
ブルヒャルトが訊ねた。意外な勘の良さだったが、ヘーダは首を振る。
「いいや、わしが占った限りでは、まだ強い恨みを残した黒い陰がこの世から消え去っておらぬ。どこかで息をひそめながら、再起の機会をうかがっとるはずじゃ」
生きていようと死んでいようと、それがはっきりするまでは、気を緩めることはできなかった。
「ともかく、長い道中で疲れたのではありませんか? 詳しい話は後にして、今は休まれてはいかがですか」
ブリュネがヴァルトハイデたちを気遣った。特に、幼いエルラにとって、帝都からハルツまでの道のりは大変な行程だったにちがいない。
「そうじゃな。エルラよ、遠慮はいらんからな。何かあったら、わしか、このブリュネにいうがよい」
「はい」
「勅使殿も、今夜はゆっくりしていかれよ。さすがに今回は、先だってのような襲撃もないじゃろうからな」
「お心遣いに感謝いたします」
「では、我々はヘルヴィガ様の下へまいります。帰山の報告をしてまいりますので」
ヴァルトハイデがいった。
ヘーダは「うむ」といってから、立ち去ろうとするヴァルトハイデを呼びとめた。
「ヴァルトハイデよ……」
「何でしょうか?」
ヴァルトハイデが立ち止まって振り返る。ヘーダは何か言おうとしたが躊躇った。
「……いや、構わん。わしらはゲーパの家におるので、何かあったらそちらへ来るがよい」
「分かりました」
ヴァルトハイデは答えると、ゲーパ、フリッツィと共に庵を出てヘルヴィガの墓へ向かった。