第49話 この腕の中に Ⅱ

文字数 4,254文字

 魔女たちの話し合いが決裂したころ、後を追ってきたディナイガーたちが広場へ到着した。
「やはり、ヴァルトハイデ殿でしたか!」
 姿を消していた人物が帝都へ舞い戻ったと同時に、晴天に鳴り響いた雷と広場に降り注いだ雹は、よからぬ出来事の前兆と思われた。
「……いったい、何が起ころうとしているのですか?」
 戸惑いのままディナイガーが訊ねると、ヴァルトハイデは女を睨みつけながら答えた。
「つぎはぎの魔女が現れた」
「つ、つぎはぎの魔女が……!」
 ヴァルトハイデの視線の方向へ顔を向け、騎士たちは戦慄する。
「……あの女が!」
「レギスヴィンダ様の寝室にいたのではないのか!?」
「ヴァルトハイデ殿だけを戦わせるわけにはいかぬ。我々も助太刀するぞ!」
 皇帝の寝室に閉じこもっていたはずの魔女が、今頃になって出てきたのには、相応の理由があるはずだった。
 騎士たちは決戦になることを予感すると、各々も覚悟をきめて魔女に立ち向かおうとした。しかし、ヴァルトハイデはこれを断わった。
「その必要はない。あの女はわたし一人で相手する」
「……一人で? いくらヴァルトハイデ殿でも、そのような無茶をする必要はありません! 我々にも出番をお与えください!」
 ディナイガーたちにも騎士としての意地や矜持があった。いつもヴァルトハイデに頼り切り、彼女一人に負担をかけ続けてきた。
 ヴァルトハイデが姿を消していた期間は、騎士たちに改めて自分たちの価値や存在理由を自問自答させる時間でもあった。
 ヴァルトハイデは、ディナイガーたちの感情を理解できた。自分を気遣ってくれていることにも感謝した。しかし、だからこそ、これ以上他人を巻き込むことはできなかった。これは、人の手によって造られた魔女による運命を清算するための戦いだった。
「あの女は、わたしと戦いたがっている。悪いが、他の者は手出し無用に願う」
「ですが!」
「それともわたしでは、あの女に勝てないと思うのか?」
「それは……」
 そのように問われては、ディナイガーたちに反論のしようがなかった。
「心配するな。決して負けはしない。それよりも、皆は誰も広場へ近づけないようにしてくれ。他人を守りながらでは、わたしも存分に戦うことができない」
「……わかりました。そういうことならお任せください。どうか御武運を!」
 ヴァルトハイデは本心を隠し、騎士たちを遠ざけた。
 騎士たちは、これまで偉大な勝利をいくつも積み重ねてきたハルツの魔女を信じ、戦いの結末を見守るしかなかった。


 ディナイガーたちが広場の封鎖を始めると、待ちわびた魔力を感じ取ったゲーパとルツィンデが飛んできた。
「ヴァルトハイデー!」
「家出娘が、ようやく帰ってきおったか!」
「ゲーパ、無事だったか! ルツィンデ様も!」
「ヴァルトハイデの方こそ。よかった、帰ってきてくれたのね……」
「心配をかけた。だが、もう大丈夫だ。ここは、わたしに任せてくれ!」
 力強い言葉に、ゲーパは勇気づけられた。ヴァルトハイデの折れた剣と心が元に戻ったのだと。でなければ、勝てるはずのない相手と戦うために帰ってくるはずがなかった。
 だが﨟長(ろうた)けた魔女は、決然と振る舞うヴァルトハイデの心の影に、悲愴な覚悟が隠れているのを見逃さなかった。
「おぬし、ランメルスベルクの剣はどうした……?」
 いわれてゲーパも気づく。剣に鎖が巻いてあることを。
「ヴァルトハイデ、もしかして……」
「……大丈夫だ。ゲーパたちには手を出させない。つぎはぎの魔女は、わたしの命に代えても倒す!」
 ヴァルトハイデは自信に満ちた声と表情を作りながら答えた。しかしゲーパには、詫びながら「さようなら」を告げているように聞こえた。
 ヴァルトハイデは何も解決しないまま帰ってきていた。でなければ、つぎはぎの魔女によって大切な者たちの命が奪われてしまうから。それを阻止するために、自分を犠牲にしようとしていた。
 それは高潔で尊ばれるべき精神性のように思われたが、残される側にとって、これほど身勝手な理由はなかった。
「……どうして、そんなに何もかも自分一人で解決しようとするの!」
 ゲーパは責め立てるように叫んだ。
「それが、わたしの使命だからだ」
「そんなの使命じゃないわ。あなたは自分を否定しているだけ。生きていることに、ううん……生まれてきたことに罪の意識を感じて、自分を楽にしてくれる人を探しているだけよ!」
 ゲーパの言葉は、正確にヴァルトハイデの心を貫いた。
 たとえ自分が助かったとしても、大切な友人を犠牲にしたのでは意味がない。ゲーパにとっては、自分の命もヴァルトハイデの命も、同等に大切なものだった。
 ヴァルトハイデは、やはり自分にとって最も大切な理解者であるゲーパには嘘をつけないと思った。だからこそ、自分の犠牲によってゲーパが助かるのなら思い残すことはなかった。
「ゲーパ、分ってくれ。この戦いは勝ち負けじゃないんだ。わたしにできることいえば、せいぜいあの女と相討ちになることぐらい。それでも、誰かがその後にルオトリープを見つけ出し、あの男を倒しさえしてくれればわたしは報われる。それで、この戦いは終わるのだ」
「分らないわ。あなたが何をいってるのか。あなたは、犠牲になるために生まれてきたんじゃないのよ!」
「違うんだ、ゲーパ。わたしはずっと考えていた。どうすれば、この命を意味ある物に変えることができるのか。そして、ようやく見つけることができた。だから、わたしの最期の我儘を許してほしい」
 ヴァルトハイデは、つぎはぎの魔女と死のうとしていた。ゲーパには、そんなことさせられるわけがなかった。
「いや、戦わないで! あなた一人で、何もかも背負いこもうとしないで!!」
 ゲーパは必死にヴァルトハイデを止めた。だが、ヴァルトハイデはその想いを断ち切るように顔をそむけた。
「ルツィンデ様、ゲーパを頼みます」
「本当に、それでよいのじゃな?」
「そのために、わたしは生まれてきたのです」
「愚かよのう……」
 ヴァルトハイデに悔いはなかった。ゲーパに背中を向けると、騎士の方を見た。
「ディナイガー、剣を貸してくれ!」
「オレの剣を……?」
「早くしてくれ」
「あ、ああ……」
 乞われた騎士は躊躇いながらも、ヴァルトハイデに剣を投げ渡す。こんな物でつぎはぎの魔女に戦いを挑むのかと怪訝に思いながら。
「ヴァルトハイデ!!」
 ゲーパはやめてと叫びながらも、その声が届かないことを感じた。
 今のヴァルトハイデは、一本の剣を折るためだけに己の命を費やした魔女のようだった。
 自らに死を与えることを生きる目的にしたその覚悟は、強すぎるからこそ悲しく、激しすぎるからこそ儚く見えた。
 ハルツの魔女は剣を構え、つぎはぎの魔女に対峙した。
「そんなもので、わたしは斬れないわ」
 つぎはぎの魔女は、憐れみを湛えた瞳で見やる。
「だが、共に眠ることはできる!」
 ヴァルトハイデは決然と答えると、右目に意識を集中させた。みるみる魔力が高まっていく。
 その充実ぶりに迷いはなく、自分自身へ跳ね返る負担さえも顧みることはない。
 ヴァルトハイデは渾身の想いと魔力を込め、つぎはぎの魔女へ斬りかかった。しかし、ただの剣では魔女を討つことはできない。
 つぎはぎの魔女は魔力の壁を展開すると苦もなく攻撃を受け止め、興味深げにヴァルトハイデの右目を覗き込んだ。
「やっぱり似ている。あなたのその瞳、まるで鏡の中を覗いているみたい……」
「似ていて当たり前だ。これは、お前からもらったものだ。今では、わたしの魔力(ちから)の源になっている」
「わたしから?」
「そうだ。お前は知るまい。わたしはドクター・フレルクという男によって呪いの魔女の血肉を植えつけられ、人から魔女へ生まれ変わった」
「フレルク……」
「だから、わたしもお前と同じ。この身に(きずあと)を持つ、つぎはぎの魔女だ!」
「だったら、よけいにあなたの身体が欲しくなったわ。わたしに、その目を返してもらうわ!」
 つぎはぎの魔女は魔力を高めた。その負荷に耐えられず、剣は粉々に砕ける。
 ヴァルトハイデは女から距離をとると、さらに騎士たちに武器を要求した。
「ディナイガー、新しい剣を!」
 騎士のひとりが剣を投げ渡す。ヴァルトハイデはそれを受け取ると、なおも右目に魔力を集めて猛然と立ち向かった。
「わたしは、お前に感謝している。この目のおかげで魔女になることができた!」
「だったら、こんどはあなたがわたしに力を貸してちょうだい。一人で死ぬことなんてないのよ。わたしたちの探しているものを、その目で一緒に見つけましょう」
 つぎはぎの魔女は魔力を放ち、ヴァルトハイデが振り下ろした剣を事もなげに砕き折る。
 ヴァルトハイデは三度剣を要求すると、間隔を開けずに攻撃した。
 何度やっても結果は同じだった。ただの鉄の塊では魔女にとどめを刺すことはできない。今度も、つぎはぎの魔女に剣を砕かれるかに思われた。が、魔女は魔力を放出するのをやめると、ヴァルトハイデから距離をとった。
 逃がすものかと、ヴァルトハイデが詰め寄る。それでも、つぎはぎの魔女は反撃することなく、悠然と攻撃を躱す。
「あなたの考えは分かっているわ。わたしに魔力を使わせ、この身体に加わる負担を増やそうとしているのでしょう?」
 ヴァルトハイデのもくろみは見透かされていた。
「だが、そちらからも攻撃できなければ、わたしの身体を奪うことはできない!」
 相討ちを狙うヴァルトハイデに魔力を温存させる必要ないが、つぎはぎの魔女は全力を出し切ることができない。ヴァルトハイデは、この立場の違いに一縷の望みをかけた。
 つぎはぎの魔女は、悲しそうな顔をした。
「あなたは勘違いしているわ……」
 つぎはぎの魔女は立ち止まると手のひらに魔力を集中し、波動を放った。
 ヴァルトハイデは弾き飛ばされ、民家に激突して瓦礫に埋もれる。すぐには立ち上がれないほどのダメージだった。
 魔力を放ったつぎはぎの魔女の手のひらは黒くただれる。それでも、涼しい顔は崩さなかった。
「わたしもあなたと同じように、なんの犠牲もなく探し物を見つけようなんて思っていないわ。あなたのその一途な想いと、わたしから奪った右目があれば、きっと探し物は見つかる。そのためなら、手も足も必要ない。だから、わたしと一つになりなさい。その後でなら、あなたの探している物も見つけてあげるわ!」
 つぎはぎの魔女もヴァルトハイデと同じように、生きることを目的として戦っていなかった。
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