第2話 魔女の山 Ⅰ

文字数 3,449文字

 ルーム帝国の中北部にハルツ山地は位置する。
 古来より、この山には魔女が集うという伝説があり、人々は畏れ敬ってきた。
 七十年前の戦い以降、ルーム帝国内では魔女が一掃されたことになっていたが、彼女たちは密かにハルツに集い、魔女の文化と歴史を継承し続けていた。


 ハルツ山地の一隅。暖かな春の光に照らされた花畑に、女が一人立っている。
 女は精悍な顔つきをし、ほどよく背が高く、均整のとれた体つきをしている。
 足下には数多の花が咲きほこり、時おり乾いた風に揺れて香りを放った。
「ヴァルトハイデよ、準備はよいか?」
「はい、ヘーダ様」
 近くの岩に、ローブを纏った老婆が座っていた。
 高齢の魔女だ。曾孫ほども年の離れた女の実力を、これから試そうとしている。
「では、目隠しをせよ」
 老婆がいうと、ヴァルトハイデという魔女は手にした布で両目をくるんだ。
「ほれ、今日はいつもよりも数が多いぞ。すべて、避けきってみい」
 老婆が杖を振り上げると、草花の間に隠れていた剣の群れが空中に浮かびあがる。
 その数は、ざっと三十はあるだろうか。老婆は杖を使って剣を操り、ヴァルトハイデに切りつけた。
 目隠しの女は視覚を断たれながらも、聴覚を頼りに、切っ先が空を切る音を聞いて攻撃を躱す。
 その動作は洗練され、無駄がなく、上半身だけで攻撃を避ける。両足は地面につけたまま、足下の花びらを散らすことがない。
 老婆は満足気に笑みを湛えて女を称賛した。
「ホッホッホ。やるようになったの、ヴァルトハイデや。この程度では、もはや魔力を練る気にもならんか。では、これならどうじゃ!」
 老婆は容赦なく、あるいは面白がるように、さらに多くの剣を操る。その数は五十を超え、若い魔女も、一歩たりとも動かずに切っ先を回避し続けるのは難しくなった。
「さすがにつらくなってきたようじゃのう? 無理をせず、足下の物を使っても良いんじゃぞ?」
 女の苦戦を察して老婆がいう。女の足下には、一本の槍が用意されていた。
「ヘーダ様がそうおっしゃられるのでしたら、お言葉に甘えましょう!」
 ヴァルトハイデは口許を緩めて答えると、槍につま先を引っ掛け、空中へはね上げた。
 まるですべてが目に見えているかのようだった。女は槍を手に取ると、飛来する剣を次々に叩き落としていく。
 その器用さ、手際の良さに老いた魔女は感嘆し、哄笑した。
「わっはっはっ! これはまた見事じゃわい。そのような足芸どこで身につけた? わしは教えとらんぞ?」
 よくぞここまで腕を上げたものだと感心するが、褒めてばかりもいられない。魔女の先達として、厳しく後進を指導しなければならなかった。
「わしの術も、まだまだこんなものではないぞ!」
 老婆は杖を両手で握り、魔力を高めると、ハルツの山々に存在する無数の鉄器を掻き集めた。
 剣ばかりではない、薪を割るための斧や、草を刈るための鎌、あるいは錆びた鎖までもが宙に浮き、老婆の下へ飛んでくる。
 その数は百を超え、さすがにヴァルトハイデも余裕をなくす。
 その場での回避を諦め、適切な場所と体勢を確保するため、春の花々が咲き乱れる草はらの上を駆けだした。
 槍の石突が、女のかかとが、色とりどりの花びらを掻き散らす。
 まるで生気に満ちた若鹿が跳びはねるように、あるいは宙を舞う小鳥のように、軽やかに、敏捷に、しなやかな肢体を弾ませた。
 岩の上に腰を据えた老婆の胸には、遠い日を想い出すような憧れと懐旧が甦った。
 女が通り過ぎるたびに、打ち落された凶器が次々と地面に突き刺さっていく。それでも全体的な数は未だ圧倒的で、一つ一つに対処していったのではきりがない。
 ヴァルトハイデは観念し、花畑の上で立ち止まった。
 老婆は「何かする気じゃわい」と悟ったが、手加減するつもりはなかった。凶器の群れで女を取り囲み、一斉に攻撃するタイミングを見計らう。
「そいっ!」と、老婆が杖を振り下ろした瞬間だった。ヴァルトハイデは迫りくる鉄器を前に、無防備に槍を空中に手放した。
 代わりに、自由になった両手に魔力を集中させる。
「大気の精霊よ、我が手に集え。ルフト・ヴェレ!」
 手のひらから放たれた魔力の波動が、飛び来る剣や斧や鎌を咲き乱れる春の花々を散らすがごとくなぎ払った。代わりに、叩き落とされた鉄器が草はらに群生した。
 さらに、ヴァルトハイデが巻き起こした波動は空気中を伝わり、老婆の衣服をも激しく震わせる。そして、大気の振動が収まると放り上げた槍がくるくると回転し、女の手元にピタリと落ちた。
 その結果に、老婆は「見事じゃ!」と評価した。
「そんなことはありません。魔力を使用せずとも、何とかなると考えていたのですが、ヘーダ様には敵いません。こんなにも花びらを散らしてしまいました」
 目隠しを取りながらヴァルトハイデがいった。
「生意気なことをいいよるわ」
 彼女にしてみれば謙遜のつもりだったのだろうが、老婆にしてみれば、これほどの自惚れはなかった。
 それでも女の実力は申し分のないものだった。
 ヴァルトハイデが一息ついていると、上空から声が聞こえた。
「やっほー、ヴァルトハイデ!」
 見上げると、お下げ髪の若い魔女が箒に乗って浮かんでいる。親しげに手を振りながら下りて来た。
「ゲーパか、どうした?」
 ヴァルトハイデが訊ね返す。彼女の名前はゲルピルガ。仲間の魔女からはゲーパと呼ばれている。
 ゲーパは箒を降りると、パチンと指を鳴らした。箒は宙に浮いたまま、パット消えてなくなる。手品のような、彼女の得意な術だった。
「ヘルヴィガ様がお呼びよ」
 ゲーパがいった。ヘルヴィガとは、ハツルを統率する魔女たちの(おさ)である。
 ルーム帝国よりもはるかに永い歴史を刻むハルツの山々では、代々一人の魔女を指導者に仰ぎ、独自の規律や掟を守ってきた。
 現在のリーダーであるヘルヴィガは八十歳を超える高齢ながら凛然とし、より厳しい戒律を己に科すことで、他の魔女たちから尊敬と信頼を集めている。
「ヘルヴィガ様が……何の用だ?」
「知らない。すぐに呼んで来くるようにっていわれたの」
 ヴァルトハイデは顎に手を当て、どういった用件だろうかと考えたが、思い当たる節が見当たらない。
「ヘーダ様」
「うむ。すぐに行った方がよいじゃろう」
 老婆は、ヘルヴィガよりも年上である。それでもヘルヴィガをハルツの長と認め、彼女を信頼し、様々な場面で補佐や助言を行っていた。
 要件はともかく、呼ばれたからにはいかないわけにはいかない。
「分かった。ゲーパ、悪いが、これを片付けておいてくれ」
「もう、仕方ないわね。貸しなさいよ」
 ヴァルトハイデが槍を手渡すと、ゲーパは不承不承ながらも手を出して受け取ろうとした。が、
「な、何よこれ!?」
 槍を握ったとたん、その重さに耐えきれず腰が抜けて地面に落としそうになる。
 慌てて両手で握り直したが、とても若い娘が扱えるような重さではない。
「あなた、こんなの片手で振り回してたの……?」
 魔女の中には腕力を強化する魔法を使う者もいるが、ヴァルトハイデがそのような術を使用していた形跡はない。
「そんなに驚くことか? 相変わらず、ゲーパは力がないな」
「これが普通よ!」
 ヴァルトハイデはひょいと槍を取り上げた。仕方がないので、自分で片付けることにする。
「そんなことより、はよういかんか!」
 魔女のリーダーを待たせるわけにはいかない。二人がじゃれあっているのを見かねて老婆がいうと、ヴァルトハイデは「失礼します」と頭を下げて立ち去った。
「それにしてもすごいわね、あの娘。日に日に強くなってくわ」
 槍を肩に担いだヴァルトハイデの背中を見送りながら、ゲーパが呟いた。
「ヴァルトハイデがハルツへきて三年になるが、もうこの山であ奴に敵う者はおらん。ゲーパよ、お前もちょっとはヴァルトハイデを見習え。お前は楽して空を飛ぶことばかり上手くなったが、他のことはからっきしじゃ」
「いいのよ、あたしは。だって、肉体労働は苦手だもの。戦うことはひいお婆ちゃんやヴァルトハイデに任せて、頭脳労働に専念するわ」
「若い身空で何をいうておる。たまには運動もせんと、身体が肥えて空も飛べなくなるぞ。まずはほれ、このヴァルトハイデが散らかした鉄器を片付けることから始めるがよい。これも魔女の修行じゃ。それじゃあの」
「え……ちょっと、待ってよ、ひいお婆ちゃん!」
 上手く理屈をつけて自分が集めた剣や農具の後始末を曾孫に押し付けると、老婆もその場を去った。
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