第10話 出陣 Ⅲ

文字数 3,762文字

 フロドアルトは諸侯を引き連れ、総勢三万を超える軍勢で帝都プライゼンを出陣した。
「ヴィッテキントよ、分かるか? これはわたしにとって好機なのだ」
 戦場へ向かう途中、フロドアルトは(くつわ)を並べて供をする腹心に本音を語った。
「と、いわれますと?」
「諸侯の戦意は高い。しかも、皆がわたしを支持している。いかに相手が魔女の術に操られた死人の軍勢であったとしても、精鋭ばかりを集めた我々に敵うはずがない」
「まったくであります」
「しかも戦場となるクラースフォークトは、かつてレムベルト皇太子が初陣に臨み、見事勝利を飾った場所でもある」
「諸侯軍にとって聖地ともいうべき場所でございます」
「レギスヴィンダが不在のいま、諸侯を率いて出陣できるのはわたしだけだ」
「フロドアルト様以外の何者に、この大役が務まりましょう」
「わたしは今、奇縁を感じている。天の時、地の利、人の和が、すべてわたしに味方しているようではないか」
「事実、その通りにございます」
「ならばヴィッテキントよ、今戦わずして、いつ戦うというのだ?」
「まさに、今でございます!」
「そうだ。わたしは今、運命的、いや必然的な宿命に試されているのだ。皇帝不在のルーム帝国にあって、誰がこの国難に立ち向かえるのか、誰が次代の英雄に相応しいのか、それがこのフロドアルト・フォン・ライヒェンバッハであることを示せと、この身に宿る宿命の血がわたしに命じているのだ」
 フロドアルトは口にこそ出さなかったが、ジークブレヒトの後を継いで皇帝となるのは自分だと豪語した。
「今さらレギスヴィンダは必要ない。帝都へ帰ってきたところで居場所など在りはしないのだ。魔女の災禍から帝国を守ることができるのはわたしだけだと、その事実をこの一戦を以って証明する!」
 フロドアルトは野心に燃えた。いや、彼にしてみれば、自分や諸侯の意見も聞かず、勝手にハルツへ向かったレギスヴィンダこそが裏切り者であり、魔女にたぶらかされた皇女を排除するのは、英雄の血を継承するもう一方の一族の使命であると信じた。


 フロドアルトがクラースフォークトに到着した時、古戦場には無数の死人が溢れ、異臭とうめき声を漂わせていた。
 当初は戦意を高揚させていた諸侯も、さすがに不気味なその姿を目の当たりにしては尻込みせずにはいられなかった。
「なんというおぞましい光景だ。この世のものとは思えぬな……」
 布陣を終えたフロドアルトも、さすがに平原を埋め尽くした亡者の群れには気後れする。
「このままでは兵士が怯え、戦いになりません。一度撤退し、策を練られてはいかがでしょうか?」
 ヴィッテキントが進言するが、フロドアルトはこれを拒否した。
「バカなことをいうな。ここまで来て引き返せるか!」
 本心からいえば、自分も逃げ出したい気持ちだった。だが、野心と打算がそれを上回った。
 フロドアルトは騎馬を駆って全軍の前に進み出ると、兵士を鼓舞した。
「皆のものよく聞け! 我らは亡き皇帝陛下からこの国を守るよう遺命を帯びている。我らが退けば、誰がルームの勝利と栄光の歴史を引き継ぐのか! この剣を見よ! この剣こそはかつてレムベルト皇太子が振るった魔女を討つ剣! この剣の下で戦うからには、我らに敗北はない。必ず英雄の御霊が我らに味方し、帝国に害をなす悪しき者どもを討ち滅ぼすであろう! 勇敢なる兵士たちよ、わたしに続け! ともにルームの勇名をとどろかせ、勝利の祝杯を挙げようではないか!!」
 高々とフロドアルトが剣を掲げると、兵士は「おお!!」と声を挙げる。それまで縮こまっていた軍勢に士気が注入された。
「全軍、突撃!!」
 フロドアルトの号令とともに、兵士が死人の群れに切り込んだ。
 相手は冥府から甦った復活者(ヴィーダーゲンガー)である。その脳は腐り、知恵も心も判断力もない。ただ術によって動かされ、生命の匂いに引きつけられて襲いかかるだけである。
 恐ろしげな見た目を除けば、とるに足りない木偶だった。
 諸侯は手柄を争い、縦横無尽に戦場を駆けた。ただし、彼らには本来の意味での連帯という価値観はなかった。
 国家のため、民衆のため、正義のためといった大義はあっても、事実は誰が最も多く敵を倒し、フロドアルトに次ぐナンバー・ツーの座を奪い取るか、その競争でしかない。
 しかし、それがかえって功を奏し、次々と死者を泉下(せんか)へ追い返した。術で操られた遺体も、手足を分断されては動きようがなかった。
 戦いの火ぶたが切られたとき、フロドアルトの下には死霊の群れを倍にしても足りないほどの軍勢が集まっていた。
 時が経つほどその差は大きくなり、やがて勝敗の行方は火を見るよりも明らかとなった。
「たわいない。これが魔女の軍勢か?」
 勝利を確信したフロドアルトは、督戦しながら呟いた。
「これもフロドアルト様の指揮なればこそ。兵は命を預けられる指導者の下でなければ、存分に戦うことはできません」
「よくぞいった、ヴィッテキントよ。わたしだからこそ全軍の先頭に立ち、兵を鼓舞することができたのだ。レギスヴィンダに同じことができようか? まして、ハルツの魔女などに?」
「いいえ、他の何人にも代わりは務まりますまい。この国の英雄は、フロドアルト様お一人です」
「まったく、その通りだ!」
 この戦いは、フロドアルトにとって一か八かの賭けだった。
 レギスヴィンダ不在のうちに、諸侯を束ねられるのが誰なのかを実力を以って示しておかなければならなかった。でなければ野心と猜疑心に満ちた諸侯は、すぐに自分の下を去っていくだろうと不安視した。
 フロドアルトは満足げに自画自賛すると、このまま亡者の群れが掃滅されるのを待ち望んだ。だが、圧倒していた諸侯軍の快進撃の前に立ちはだかる者たちがいた。
「……やるではないかルームの兵士も。七十年前の勝利も、まぐれではなかったようだな?」
「当たり前だ。ルームの騎士は一騎当千のつわものばかり。血の通わぬ腐肉の集団などに後れをとるはずがなかろう」
「だが今は我らもその集団の一部。かつて同じ旗を仰いだ者と斬り結ばねばならないというのは、どういう気分だ?」
「なにも感じぬ。貴様も同じであろう?」
「……そうだな」
「しょせん我らは術によって偽りの魂を宿された戦うための道具でしかない。記憶は残っていても、心がなければ他人事もおなじ」
「戦いに感情など不要ということか……変わらぬな。いつの世も……」
「不満ならば、我らを蘇らせた術者にいえ」
「不満など、あるはずもない。そんな感情も七十年前に捨てている」
「ならば行こう。かつて仕えたルーム帝国を滅ぼすために」
「術者の命令には、逆らえぬのだな……」
 二人の死者が戦場に加わると、それまで圧倒していた諸侯軍の勢いは陰りを見せた。
「どうした、我が軍の進撃の足が止まったではないか?」
 旗色の変化は、すぐにフロドアルトも気づくところとなった。
「どうやら新たに加わった死人の軍団が、戦場をかき乱しているようです」
 ヴィッテキントが状況を報告する。
「本隊とは別に、伏兵を潜ませていたというのか……?」
「各諸侯軍とも功を争い、敵中深く進みすぎた所を狙われたのでしょう」
「まんまと誘い出されたというのか……肉の塊どもが小癪な真似を!」
 死者の群れに知能などないと高をくくっていたフロドアルトは、思わぬ計略にはめられたことに気色ばんだ。それでも兵数においてはまだ諸侯連合がはるかに上回っており、一時的な混乱をしのげば互角以上に戦えるはずだった。
 だが次にもたらされた凶報が、政戦両面をにらんでいたフロドアルトの目算を根底から破壊した。
「申し上げます。クルムシャイト侯爵が討ち死になさいました!」
「何だと!?」
 クルムシャイトといえば帝国貴族の中でも有数の権門で、積極的にフロドアルトを支持していた。今回の戦いにおいても諸侯連合軍の主要な一角を担っており、侯爵の死による大幅な戦力の低下は避けられなかった。
「おのれ、亡者どもめ! どこまでも、このわたしに仇を為すか! こうなれば自らの手で、立ちはだかるものことごとく成敗してくれるわ!!」
 フロドアルトは他人を当てにするのに限界を悟ると、剣を抜いて戦場へ駆け出そうとした。
「お待ちください、フロドアルト様! クルムシャイト侯爵を手に掛けたのは白骨馬に跨った黒金の騎士と、真っ赤な鎧に身を包んだ首なしの魔女であったと報告されております。この両名は、例の伏兵を率いる死霊の頭目でございます。ここは諸侯に対しても無理をさせず、陣容を整えるためにも一旦兵を引くよう命じられるのがよろしいかと存じます」
「黙れ、ヴィッテキントよ! わたしでは亡者どもに太刀打ちできぬというのか!!」
「そうではありません! 冷静におなり下さいと申し上げているのです!」
「もうよい! 貴様は下がっていろ! 戦場に尊い帝国貴族の血が流されたのだ! 相応の報いを与えずして、引き下がることなどできるか! 兵士たちよ、よく聞け! 命を捨てでもルームの栄光を守り抜く意志のある者だけがわたしについてこい! クルムシャイト侯爵の仇を討つのだ! 今こそ、レムベルト皇太子が残されたこの剣の威力を思い知らせてくれる!!」
 フロドアルトはヴィッテキントの諌言を無視し、戦場へ駆けだした。
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