第29話 ずっと二人で・・・ Ⅲ

文字数 4,771文字

 ゲーパとオトヘルムがファストラーデを救おうとしている間も、ヴァルトハイデとリントガルトは何度も激しく剣と斧を打ち合った。
 互いの力を競うだけでなく、これまでに手に入れたものと失ったもの、これから生み出すであろうものと破壊するであろうものの違いについて、どちらが正しく、どちらが選ばれるべきかを比べるように。
「アハハ、楽しいね、お姉ちゃん! ボクは、ずっと待ってたんだ。こうして誰にも邪魔されず、二人だけで殺し合える時を!!」
 魔女としての能力だけならリントガルトが優っていた。
 魔力は想いの強さに比例し、自分の力を信じられる者ほどその効果を発揮する。リントガルトの無邪気さ、無垢なる想像力、そして無限の渇望は魔力の発動を後押しするもので、躊躇いや後悔といった自己の行動に歯止めをかける感情から自由でいられた。
 特に、魔女の呪いに侵された今においては相手を傷つけ、痛めつける行為には精神的な快楽や優越感が伴い、それが残酷で苦しみを与えるものであればあるほど、本来の人に仇をなす魔女としての本領を発揮した。
 しだいにリントガルトの攻撃が威力を増し、ヴァルトハイデが押され始める。
「どうしたの? 身を守ってるだけじゃなくて、反撃してもいいんだよ!」
 妹は力の差を見せつけながら、姉を嘲笑する。
 確かに、魔力や執念や闘争本能においては、リントガルトがヴァルトハイデを凌駕する。しかし、妹に死という名の救いを与えなければならない姉は、ただ一方的に攻撃を受けているわけではなかった。
「お前の想いとは、この程度のものなのか……?」
「なに!」
「それでは、この(わたし)には通用しない……何も背負う物もなく、たった一人で戦うお前は、この剣の本当の強さを理解していない!」
 ヴァルトハイデがランメルスベルクの剣を一閃させると、リントガルトの斧は真っ二つに切り裂かれた。
 ファストラーデの魔力を吸い取って作り出した鋼鉄よりも硬い斧がいともたやすく切断されたことに、リントガルトは驚愕する。だが、すぐに体勢を立て直すと、何ともないかのように言い返した。
「本当の強さって、なんだよ? 一本斧を切ったぐらいで、いい気になるな! こんなもの、いくらでも作れるんだ!!」
 リントガルトは足下から菩提樹を生やすと、それをつかんで新たな斧に作りかえる。
 再び姉に襲いかかるが、それさえもヴァルトハイデは容易く切り裂いた。
「なんどやっても同じだ。いくら魔力を吸って成長させた菩提樹といえど、わたしたちの村に生えていた、あの神樹とは違う。それでは、この剣に勝つことはできない」
「……魔力を断つ剣だから、魔力で育った菩提樹じゃ敵わないっていうの?」
「そうだ。そして、この剣は替えのきくものではない。お前のように、人も魔女もかつての想い出さえも、わたしは自分のために使い捨てにはしない」
「………………」
 姉の言葉を妹は否定できなかった。心の中を見透かされているようだった。
「……なんだよ。結局、実力じゃなく武器の力に頼ってるだけじゃないか! だったら試してやるよ、その剣が最強かどうか! ボクの菩提樹を切れるものなら切ってみろ!!」
 精神的な痛撃を喰らったリントガルトは感情とともに魔力を爆発させる。両手を床につくと、そのすべてを菩提樹へそそぎ込んだ。
 巨大な根が地面の下でうねり始める。
 床板を砕いて幹を伸ばし、城を呑み込みながら枝葉を広げる。
「姫様!!」
 咄嗟にブルヒャルトが手を伸ばし、割れた床の間に転落しそうになったレギスヴィンダを助ける。
「ゲーパ、危ない!」
 オトヘルムは自分の身を呈し、崩れ落ちる建材からゲーパを守った。
「ちょっと、どうなってるの! いくらなんでも、こんなに大きくなるなんて……」
 フリッツィは爪を立て、振り落とされないよう菩提樹にしがみつく。
 ミッターゴルディング城は崩壊し、代わりにリントガルトの魔力を糧として育った一本の巨木だけがそそり立った。
「どうだ、すごいだろ? これがボクの本当のお城さ。いくらハルツの剣でも、これだけ大きければ切り倒せないだろ!」
 リントガルトは誇らしげに枝の上に立ち、ヴァルトハイデを見下ろした。
 それは圧倒的な魔力量によってのみなしえる業であり、リントガルトを守る最強の楯であり堅牢な要塞だった。しかし、たった一人の魔女の城としては空虚で寂しく、むしろ巨大で強固なほど、姉の目には別のものに映った。
「リントガルト……わたしにはこの菩提樹が空っぽのお前の心に見える。これほど虚勢を張り、意地を張らなければ、自分自身を偽っていられないのだと……」
「なに!!」
「わたしがいまから、そのからからに乾いた心の空洞を満たしてやる。お前自身が朽ちて枯れ果てる前に」
「悪いけど、お姉ちゃんが何をいってるのかわからないよ! ボクを動揺させて隙を作るつもりなら、そんな手には乗らないよ! 二度と偉そうな口がきけないように、残りの魔力も全部吸いつくしてやる!!」
 リントガルトは触手のような枝葉を伸ばし、ヴァルトハイデを捕まえようとした。
「ほら、早く逃げないと身体じゅうの魔力を吸いつくされちゃうよ。あそこで死にかけてるファストラーデみたいに!」
 ヴァルトハイデは絡みつこうとする枝葉を切り裂いて菩提樹の上を飛び移るが、すぐに再生した触手がどこまでも追いかけてくる。
 やがて左腕を取られ、さらに両脚、腰、首と枝や根が絡みつき、動くこともままならなくなった。
「これまでだね。楽には殺さないよ。ゆっくりと、少しずつ魔力を吸い取りながら、いたぶってやる。ボクを憐れんだことを後悔しながら死ね!」
 リントガルトは勝ち誇り、姉の命までも絞り尽くそうとした。だが、ヴァルトハイデに覚悟や観念といった感情はなかった。
 ハルツの魔女は菩提樹に捕まったのではない。敢えてその身を妹のために差し出したのだ。
「わたしの魔力でよければ、吸いたいだけ吸い取るがいい! もしも、この姉の命、すべてをかけてもお前の心の空白を埋められないのであれば、わたしが生かされた意味はない。お前を呪いの魔女へ落した罪とともに、永劫の罰を受けよう!!」
 ヴァルトハイデは全身を震わせると、菩提樹に注ぎ込むように魔力を振り絞った。
「ハァァァァァァ!!!!!!」
「なんだ、そんなもの! 逆に、すべて吸収してお前を呑み込んでやる!!」
 リントガルトも負けじと呼応する。
 まさに意地と意地、想いと想いの衝突だった。
「姫様、このままではヴァルトハイデ殿が持ちません。どうか、助太刀の許可を!」
 自分も加勢すると、ブルヒャルトが訴える。だが、レギスヴィンダはそれを認めなかった。
「なりません、これは二人が望んだ戦い。わたくしたちに許されたのは、ただ結末を見守ることだけです……」
 手出しできるものなら、レギスヴィンダ自身が誰よりもそうしたかった。しかし、この戦いを終わらせるために必要なのは結果としての勝利ではなく、呪いの連鎖に囚われたリントガルトの魂の救済であり、解放であり、納得して自身の死を受け入れさせることだった。それができるのは唯一同じ血を分けあった実の姉であるヴァルトハイデ以外にいない。どんな状態に陥ろうとも、剣を預けた魔女を信じることが皇女としての務めだった。
 見守る者たちの期待や優しさをヴァルトハイデは感じた。信じあえる仲間がいるからこそ、極限を超える力を振り絞ることができた。
「お前のために、この姉の命をくれてやる。ともに往こう、二人だけの約束の国へ!」
 妹のために死をも享受し、躊躇いなく自分自身さえも差し出すことを選んだ姉の魔力が、その瞬間、菩提樹の吸収力を上回った。
 大樹は成長が止まり、幹に亀裂が走る。
 ヴァルトハイデはやみくもに魔力を放出していたわけではない。たとえ他者の魔力を喰らって生き続けたとしても、永遠の生命などありえない。菩提樹の巨大化、成長の果てにあるのは、寿命を迎えたものに訪れる死であることを知っていた。
「うそだ、ボクの菩提樹が……」
 異変を察知したリントガルトが当惑する。ヴァルトハイデはその隙を逃さなかった。
 身体を縛る触手が枯れると、ハルツの魔女は難なくこれを脱出し、ランメルスベルクの剣を握りしめて妹へ迫った。
 魔女の瞳を移植されなかった一方の瞼の裏に、遠い日の記憶をよみがえらせながら。


 それはまだ、二人が人間の姉妹として暮らしていたころの話である。
 幼いころからお転婆だったリントガルトは、いたずらをしてはヴァルトハイデを困らせた。
 ある日、村に生える樹齢千年を超える菩提樹に登ったことがある。ヴァルトハイデは危ないからやめなさいと注意したが、怒られればかえって意地になるのがリントガルトだった。
 しかし、登ったはいいものの今度はその高さに怖くなり、助けてほしいと泣き出した。
 仕方なくヴァルトハイデも菩提樹に登って事なきを得たが、村の大切な神木にいたずらをしたとして、二人は揃って大人たちから叱られた。
 ヴァルトハイデの目には、まるであの時と同じように、意地を張って高みへ登ってはみたものの、一人で降りられなくなって助けてほしいと泣いている幼い妹が映った。


 想いをこめたヴァルトハイデの剣が、リントガルトに届いた。その時、妹の目にも姉と同じ景色が映った。

 そうだ、あの時も、こんなふうにボクの傍にいてくれたんだ――

 いつも自分が困っているとき、やさしい姉は必ず救いの手を差し伸べてくれた。
 魔女の呪いを断つ剣に斬られたリントガルトの表情から、怨嗟の陰が消えた。
「菩提樹が倒れるわ!」
 フリッツィが叫んだ。
 成長が止まり、魔力の供給源も失った幹はその巨体を支えられず、枯れゆくままに崩壊を始めた。
 足場を失った姉妹は、地上へ向けて落下する。その浮遊感、無重力状態は囚われていたものからの解放であり、記憶を遡っていくような過ぎ去りし日々への追憶に似ていた。
「ねえ、お姉ちゃん覚えてる。あの日、菩提樹の枝に座って見た夕焼けを?」
「あたりまえだ、お前と過ごした大切な日々を忘れたりなどしない」
 姉と妹は抱き合い、人間だったころの記憶の中で和解した。


 二人の魔女の想いを喰らった菩提樹は倒れた。木々の破片や城だったものの残骸が散らばる。
 倒壊に巻き込まれながらもブルヒャルトに守られ、かろうじて難を逃れたレギスヴィンダは瓦礫の間から立ち上がると、魔女の姉が妹の胸に剣を刺し、引き抜く瞬間を目撃した。
「ずるいやお姉ちゃんだけ。ボクがその剣を持っていたら、勝ってたのはボクだったよね……?」
 リントガルトはヴァルトハイデの腕の中に崩れ落ちながら、恨めしそうにつぶやいた。
「その通りだ。わたしがお前に勝てたのは、この剣と仲間があったからだ」
「……お姉ちゃんの嘘つき。ボクにも仲間はいたんだ。それをボクが壊しちゃったんだ。敵わないな、いつまでたってもお姉ちゃんには…………」
 二人は姉妹の顔に戻り、素直な心で言葉を交わすことができた。
「……寂しかったんだ。ずっと一人で暗い部屋に閉じ込められてたんだ。そこから、ファストラーデが助け出してくれたんだ。ボクは、みんなの役に立ちたかったんだ。ボクを仲間にしてくれたみんなのために……」
「罪を償わなければならないのはわたしのほうだ。お前を一人にしたわたしを許してくれ。すぐに迎えにいかなかったこの姉を」
「もう恨んでないよ。最期に会いに来てくれたんだから……」
「わたしにはまだ為すべきことがある。だが、すべてが終わったらすぐにわたしもお前のそばへ行く」
「約束だよ……」
「必ず守ろう。ずっと一緒に、あのころのように――」
 リントガルトはヴァルトハイデの腕の中で息絶えた。呪いから解放されたその表情は、安らかな少女のものだった。
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