第38話 風立ちぬ Ⅳ
文字数 3,282文字
風が治まるとルートヴィナの両親が名前を呼んだ。
「リカルダ!」
法壇の前に魔女が立っている。
「何だね、君は!?」
裁判官が問いかけた。
「裁判が行われると聞き、高札にあったとおり異議を申し立てに参りました。わたしが、風来の魔女です」
「何だと!」
裁判官が唖然とすると、代わって審問官が席から立ち上がった。兵士に叫ぶ。
「何をしている! 奴だ! 奴が風来の魔女だ! 今すぐ捕えよ!!」
突然のことに誰もが戸惑い、呆然としていた。審問官の声を聞いて我に帰ると、兵士らはリカルダを取り囲んだ。
「おじさん、おばさん、手荒になりますが少しの間だけ我慢してください。皆の所へ帰りましょう!」
リカルダは風の術を使い、向かってくる兵士を順番になぎ払った。
弾き飛ばされた兵士の下敷きになって審問官が気を失い、裁判官が法壇の下に身を丸める。法廷の秩序は失われ、広場に詰めかけた傍聴人は逃げ惑った。
リカルダは持てる魔力の限りをつくして戦った。でなければ、たった一人でルートヴィナの両親を救いだすことはできない。自分の命さえ惜しむつもりはなかった。
決死の戦闘のすえ、広場にいた兵士はすべて片付けることができた。しかし、リカルダも無傷ではなかった。多くの魔力を消費し、身体じゅうに傷を負って、喘ぐように肩で呼吸した。
それでも、二人を救出するチャンスを作り出すことには成功した。
「さあ、この間に早く!」
新手が押し寄せる前に、広場から脱出しようと試みた。が、それよりも先に、リカルダたちの行く手を阻む者が現れた。
「そこまでだ」
手練の騎士を率いる、ルペルトゥスだった。リカルダは立ち止まり、身構えた。
「ライヒェンバッハ公……」
「いかにも。貴様が、風来の魔女だな?」
「お前たちにとっては、そういうことになる……」
「貴様に訊ねることがある。キースリヒ子爵らを殺したのも貴様か?」
「……聞いたこともない名前だ。帝国貴族に手を出したことはない。おそらく人違いだ」
「つまり、貴様以外にも帝国に弓引く愚か者の魔女がいるというのだな?」
「多くの魔女が決起した。戦っているのは、わたしたちだけではない!」
「それは朗報だ」
「なに!」
「すべての魔女は、わたしが葬る。ベルンドルファー!」
「ハッ!」
「裁判を続行する。風来の魔女と被告両名を処刑せよ!」
「ハハッ!!」
甲冑を身にまとった馬上の騎士が、リカルダに槍を向けた。その切っ先は熊をも突き殺すといわれ、魔力を消耗していない状態であっても正面から向き合うのは危険な相手だった。
リカルダは覚悟を決める。が、その前に、どうしても確かめておきたいことがあった。
「……避けられないのであれば仕方がない。だが、こちらからも訊いておきたいことがある。皇帝陛下はなぜ心変わりをされた? 帝国がその気なら、魔女 は人間との共存を拒みはしなかった」
「皇帝が変心したのではない。このわたしが、ルームの威光を守ったのだ」
「なんだと!」
「皇帝といってもレギスヴィンダはまだまだ未熟。幼稚な博愛主義などで国は守れぬということを理解できるようになるまで、誰かが過ちを正してやらねばならぬのだ」
「では貴様は、皇帝の意思に背いて魔女狩りを行っているというのか!」
「そうではない。魔女狩りこそが、偉大なるルームの意志。歴代の皇帝たちと英雄の魂に背いているのはレギスヴィンダの方だ!」
「何と愚かな……」
リカルダの耳に、ルペルトゥスの言葉は途方もない傲慢、明確な叛逆の宣言に聞こえた。しかし、その行為が皇帝の意思と反しているほど、リカルダは救われたような気がした。
「皇帝陛下は魔女を見捨てたわけではなかったのか……」
それを知れただけでも、戦ってきたことが無駄ではないと思えた。
「話は終わりだ。刑を執行せよ! 殺れい、ベルンドルファー!!」
「ハハッ! 行くぞ、風来の魔女! 我が槍を受けてみよ!!」
けたたましく土ぼこりを上げて甲冑の騎士が突進する。
リカルダは残った魔力を風の刃に変えて叩きつけるが、鋼鉄の鎧までは切り裂くことができない。ましてや、ルートヴィナの両親を守りながら戦うのには限界があった。
ベルンドルファーの突きはすさまじく、風来の魔女は攻撃を躱すだけで精一杯になる。
やがて騎士の槍が魔女の脇腹をかすめ、裂けた衣服の下からおびただしい血液が流れ出た。
たまらずリカルダが膝をついた時だった。ルペルトゥスは兵士に命じてルートヴィナの両親を捕えさせた。
「抵抗をやめよ。さもなくば、この者たちの命はない!」
「くっ……」
リカルダにとっては不覚であったが、もはやどうすることもできない。両親は死を覚悟し、リカルダの名前を呼びながら、自分たちのことは諦めて一人で逃げろと叫んだ。
「そうはさせぬぞ、風来の魔女! 我が切っ先で、貴様の心臓に風穴をあけてやるわ!!」
逃がすまいとし、甲冑の騎士がリカルダに迫った。だが、その瞬間、槍を引くよう命じるルペルトゥスの声が響いた。
「待てい! ベルンドルファー、その女を殺してはならぬ!」
戦いを欲していたはずの公爵による、真逆の命令である。
ベルンドルファーは咄嗟に手綱を引き、寸前のところで思いとどまると、どういうことかと訴えた。
「ルペルトゥス様! なぜ、この女を殺してはならぬのです!?」
今まさに騎士の槍が魔女の心臓に突き刺さろうとしていた。騎士は不満の声を上げたが、公爵は理由までは答えなかった。
「下がれ、ベルンドルファー。わたしの命令がきけぬのか!」
「ハハッ!!」
ルペルトゥスは激怒していた。ベルンドルファーは訳も分からず、命令に従う。
ルペルトゥスはリカルダに歩み寄ると、不機嫌な顔で質した。
「……風来の魔女よ。貴様は何をしている?」
唐突な問いかけだった。
相手の求めに応じ、人質を奪い取りに来たのだ。それ以外の目的などあろうはずがない。リカルダは、どう答えていいのか分からなかった。
「貴様は、本気でこの二人を助けに来たのか? それとも、この場所へ、わたしに殺されるために来たのか!」
リカルダは驚いた。ルペルトゥスに、心の底を見抜かれていた。
「答えよ、風来の魔女。貴様には、多くの手下がいるはずだ。にもかかわらず、なぜ一人で戦っている。伏兵を忍ばせているようにも見えぬ。まさか、たった一人でわたしに勝てると思ったのではあるまいな!!」
リカルダも最初から死ぬつもりだったわけではない。うまくすれば二人を救出し、仲間の下へ帰ることができるかもしれないと考えていた。
最悪の場合でも自分の命と引き換えに、夫妻を解放してもらうよう懇請するつもりだった。
しかし、すべてが甘かった。ライヒェンバッハの騎士は、それらの隙も見いだせないほど強かった。そしてルペルトゥスは正確に魔女の真意を読み取っていた。
「貴様に、もう一度チャンスをくれてやろう。今度こそ仲間を引き連れ、わたしを殺しに来い。わたしは魔女と戦いたいのだ!」
ルペルトゥスにとって、このような結末は消化不良でしかない。リカルダ一人を殺したところで、彼の願望は満たされなかった。
「ベロルディンゲンで貴様らを待つ。さもなくば、今度こそこの二人の命はない。よいな!」
一方的な通告を行うと、後腐れもなくアルンアウルトから引き揚げる。
「……待て!」
リカルダが呼び止めるが、ルペルトゥスが戻ってくることはなかった。
夫妻の救出は失敗した。ばかりか、敵の都合によって命を取り留めた。ルペルトゥスがその気なら、夫妻もろとも殺されていただろう。
風来の魔女にとって、これほど無意味で屈辱的な敗北はなかった。
誰もが立ち去った僻村に、遅れて現れる女がいた。
ヴァルトハイデだった。
静まり返った村の中に立ち尽くす人影を発見すると、駆け寄った。
「しっかりしろ、何があった?」
「わたしは負けた……ライヒェンバッハ公に勝てなかった……」
放心し、意味のわからない返答を繰り返す。女は傷だらけで、そのまま放置しておくことはできない。
より詳しく事情を聴くためにも、ヴァルトハイデは女を連れて村を離れた。
「リカルダ!」
法壇の前に魔女が立っている。
「何だね、君は!?」
裁判官が問いかけた。
「裁判が行われると聞き、高札にあったとおり異議を申し立てに参りました。わたしが、風来の魔女です」
「何だと!」
裁判官が唖然とすると、代わって審問官が席から立ち上がった。兵士に叫ぶ。
「何をしている! 奴だ! 奴が風来の魔女だ! 今すぐ捕えよ!!」
突然のことに誰もが戸惑い、呆然としていた。審問官の声を聞いて我に帰ると、兵士らはリカルダを取り囲んだ。
「おじさん、おばさん、手荒になりますが少しの間だけ我慢してください。皆の所へ帰りましょう!」
リカルダは風の術を使い、向かってくる兵士を順番になぎ払った。
弾き飛ばされた兵士の下敷きになって審問官が気を失い、裁判官が法壇の下に身を丸める。法廷の秩序は失われ、広場に詰めかけた傍聴人は逃げ惑った。
リカルダは持てる魔力の限りをつくして戦った。でなければ、たった一人でルートヴィナの両親を救いだすことはできない。自分の命さえ惜しむつもりはなかった。
決死の戦闘のすえ、広場にいた兵士はすべて片付けることができた。しかし、リカルダも無傷ではなかった。多くの魔力を消費し、身体じゅうに傷を負って、喘ぐように肩で呼吸した。
それでも、二人を救出するチャンスを作り出すことには成功した。
「さあ、この間に早く!」
新手が押し寄せる前に、広場から脱出しようと試みた。が、それよりも先に、リカルダたちの行く手を阻む者が現れた。
「そこまでだ」
手練の騎士を率いる、ルペルトゥスだった。リカルダは立ち止まり、身構えた。
「ライヒェンバッハ公……」
「いかにも。貴様が、風来の魔女だな?」
「お前たちにとっては、そういうことになる……」
「貴様に訊ねることがある。キースリヒ子爵らを殺したのも貴様か?」
「……聞いたこともない名前だ。帝国貴族に手を出したことはない。おそらく人違いだ」
「つまり、貴様以外にも帝国に弓引く愚か者の魔女がいるというのだな?」
「多くの魔女が決起した。戦っているのは、わたしたちだけではない!」
「それは朗報だ」
「なに!」
「すべての魔女は、わたしが葬る。ベルンドルファー!」
「ハッ!」
「裁判を続行する。風来の魔女と被告両名を処刑せよ!」
「ハハッ!!」
甲冑を身にまとった馬上の騎士が、リカルダに槍を向けた。その切っ先は熊をも突き殺すといわれ、魔力を消耗していない状態であっても正面から向き合うのは危険な相手だった。
リカルダは覚悟を決める。が、その前に、どうしても確かめておきたいことがあった。
「……避けられないのであれば仕方がない。だが、こちらからも訊いておきたいことがある。皇帝陛下はなぜ心変わりをされた? 帝国がその気なら、
「皇帝が変心したのではない。このわたしが、ルームの威光を守ったのだ」
「なんだと!」
「皇帝といってもレギスヴィンダはまだまだ未熟。幼稚な博愛主義などで国は守れぬということを理解できるようになるまで、誰かが過ちを正してやらねばならぬのだ」
「では貴様は、皇帝の意思に背いて魔女狩りを行っているというのか!」
「そうではない。魔女狩りこそが、偉大なるルームの意志。歴代の皇帝たちと英雄の魂に背いているのはレギスヴィンダの方だ!」
「何と愚かな……」
リカルダの耳に、ルペルトゥスの言葉は途方もない傲慢、明確な叛逆の宣言に聞こえた。しかし、その行為が皇帝の意思と反しているほど、リカルダは救われたような気がした。
「皇帝陛下は魔女を見捨てたわけではなかったのか……」
それを知れただけでも、戦ってきたことが無駄ではないと思えた。
「話は終わりだ。刑を執行せよ! 殺れい、ベルンドルファー!!」
「ハハッ! 行くぞ、風来の魔女! 我が槍を受けてみよ!!」
けたたましく土ぼこりを上げて甲冑の騎士が突進する。
リカルダは残った魔力を風の刃に変えて叩きつけるが、鋼鉄の鎧までは切り裂くことができない。ましてや、ルートヴィナの両親を守りながら戦うのには限界があった。
ベルンドルファーの突きはすさまじく、風来の魔女は攻撃を躱すだけで精一杯になる。
やがて騎士の槍が魔女の脇腹をかすめ、裂けた衣服の下からおびただしい血液が流れ出た。
たまらずリカルダが膝をついた時だった。ルペルトゥスは兵士に命じてルートヴィナの両親を捕えさせた。
「抵抗をやめよ。さもなくば、この者たちの命はない!」
「くっ……」
リカルダにとっては不覚であったが、もはやどうすることもできない。両親は死を覚悟し、リカルダの名前を呼びながら、自分たちのことは諦めて一人で逃げろと叫んだ。
「そうはさせぬぞ、風来の魔女! 我が切っ先で、貴様の心臓に風穴をあけてやるわ!!」
逃がすまいとし、甲冑の騎士がリカルダに迫った。だが、その瞬間、槍を引くよう命じるルペルトゥスの声が響いた。
「待てい! ベルンドルファー、その女を殺してはならぬ!」
戦いを欲していたはずの公爵による、真逆の命令である。
ベルンドルファーは咄嗟に手綱を引き、寸前のところで思いとどまると、どういうことかと訴えた。
「ルペルトゥス様! なぜ、この女を殺してはならぬのです!?」
今まさに騎士の槍が魔女の心臓に突き刺さろうとしていた。騎士は不満の声を上げたが、公爵は理由までは答えなかった。
「下がれ、ベルンドルファー。わたしの命令がきけぬのか!」
「ハハッ!!」
ルペルトゥスは激怒していた。ベルンドルファーは訳も分からず、命令に従う。
ルペルトゥスはリカルダに歩み寄ると、不機嫌な顔で質した。
「……風来の魔女よ。貴様は何をしている?」
唐突な問いかけだった。
相手の求めに応じ、人質を奪い取りに来たのだ。それ以外の目的などあろうはずがない。リカルダは、どう答えていいのか分からなかった。
「貴様は、本気でこの二人を助けに来たのか? それとも、この場所へ、わたしに殺されるために来たのか!」
リカルダは驚いた。ルペルトゥスに、心の底を見抜かれていた。
「答えよ、風来の魔女。貴様には、多くの手下がいるはずだ。にもかかわらず、なぜ一人で戦っている。伏兵を忍ばせているようにも見えぬ。まさか、たった一人でわたしに勝てると思ったのではあるまいな!!」
リカルダも最初から死ぬつもりだったわけではない。うまくすれば二人を救出し、仲間の下へ帰ることができるかもしれないと考えていた。
最悪の場合でも自分の命と引き換えに、夫妻を解放してもらうよう懇請するつもりだった。
しかし、すべてが甘かった。ライヒェンバッハの騎士は、それらの隙も見いだせないほど強かった。そしてルペルトゥスは正確に魔女の真意を読み取っていた。
「貴様に、もう一度チャンスをくれてやろう。今度こそ仲間を引き連れ、わたしを殺しに来い。わたしは魔女と戦いたいのだ!」
ルペルトゥスにとって、このような結末は消化不良でしかない。リカルダ一人を殺したところで、彼の願望は満たされなかった。
「ベロルディンゲンで貴様らを待つ。さもなくば、今度こそこの二人の命はない。よいな!」
一方的な通告を行うと、後腐れもなくアルンアウルトから引き揚げる。
「……待て!」
リカルダが呼び止めるが、ルペルトゥスが戻ってくることはなかった。
夫妻の救出は失敗した。ばかりか、敵の都合によって命を取り留めた。ルペルトゥスがその気なら、夫妻もろとも殺されていただろう。
風来の魔女にとって、これほど無意味で屈辱的な敗北はなかった。
誰もが立ち去った僻村に、遅れて現れる女がいた。
ヴァルトハイデだった。
静まり返った村の中に立ち尽くす人影を発見すると、駆け寄った。
「しっかりしろ、何があった?」
「わたしは負けた……ライヒェンバッハ公に勝てなかった……」
放心し、意味のわからない返答を繰り返す。女は傷だらけで、そのまま放置しておくことはできない。
より詳しく事情を聴くためにも、ヴァルトハイデは女を連れて村を離れた。