第31話 ただいま Ⅰ

文字数 2,933文字

 レギスヴィンダの即位式を見届けた後、予定通りヴァルトハイデたちはハルツへ戻ることにした。
 再び魔女の山を目指すのはヴァルトハイデ、ゲーパ、フリッツィの他、レギスヴィンダの勅使として親書を携えたブルヒャルトと、黒き森で保護した幼き魔女エルラである。
「大丈夫か? 疲れていないか? この道を抜ければハルツまでもう少しだ。頑張ってくれ」
「はい……」
 山道を登るエルラを気遣って、ヴァルトハイデが声をかける。
 姉を失い天涯孤独の身となったエルラだったが、周囲の支えによって心に負った傷を回復させつつあった。
 他に行くあてもなく、頼る者もいない魔女を受け入れてくれる場所はハルツしかない。本人もこれに同意し、ハルツからも歓迎するとの返事があった。
「それにしても、エルラ嬢が元気になられてよかったですな。オトヘルムなどは、黒き森で負った傷がいまだ完治しておらぬというのに。子供の回復力とは、いやはや大したものだ。もうしばらく帝都でゆっくりしていけばいいのにと、ディナイガーなどは寂しがっておりましたぞ」
 先を進む二人の後をついて行きながら、ブルヒャルトがゲーパに話しかける。
「あたしたちに心配かけないように、まだ無理してるところもあるみたいだけど、今はずいぶん顔色も良くなったし、夜もちゃんと眠れてるみたいよ」
「健気ですな」
 一時エルラは食事も受け付けず、不安と孤独で夜も眠れないでいた。
 アスヴィーネに仲間を殺された騎士たちでさえエルラを憐れみ、幼い魔女に敵意や憎しみの連鎖が向けられることはなかった。
「……ところでゲーパ殿、あちらはいいのですか?」
 少し離れて後ろをついてくる黒猫の使い魔を振り返ってブルヒャルトがいった。
「いいのいいの、なんだかんだ言っても、ちゃんとついてきてるでしょ? 本当は、本人も帰りたいのよ」
 聞き分けのいい幼子と対照的に、未だ魔女の山へ帰ることに納得していないのがフリッツィだった。
「なんであたしもついていかなきゃいけないのよ……エルラを送り届けるだけなら、ゲーパが箒に乗っけて連れて行ってあげればいいじゃない。ああ、もういや! こんなに坂道を歩かされたら、足にマメができるじゃない! こう見えても、あたしはデリケートなのよ……バカみたいに身体を鍛えてる魔女(あなた)たちとは違うのよ!」
 大声を上げるが、先頭を行くヴァルトハイデは振り返りもしない。
「もう少し、ゆっくり歩いてあげた方がいいんじゃないですか……?」
 エルラが気を使うが、それすらヴァルトハイデは無用と切り捨てる。
「構ってほしいだけだ。相手をしていてはきりがない」
 ヴァルトハイデは分かっていた。これはフリッツィなりの照れ隠しなのだと。ちゃんと声の届く距離を保ってついてきているのが、その証拠だった。
「もう疲れた! ねえ、少し休みましょうよー!」
 なんど叫ぼうとも、ヴァルトハイデは相手にしない。
「堪えてください、フリッツィ殿。あと少しですから」
 ブルヒャルトが立ち止まり、フリッツィが追いつくのを待ってやる。
「分かってるわよ! もう、誰よハルツなんかに村を作ったのは! これじゃあ帰りたくても、すぐに帰れないじゃない!」
 ぶつくさ言いながら、ちゃんとついてくる。ヴァルトハイデは一度だけ振り返ると、フッと笑って先を急いだ。


 ヴァルトハイデたちが帰山することは、ルツィンデが伝えている。
 山道を進み、森を抜けて牧草地に出たところだった。一行を出迎える白い影があった。
「ブリュネ様!」
 最初に気づいたのはヴァルトハイデだった。
「よく帰ってきました、ヴァルトハイデ。逞しくなりましたね」
 白い毛並みの人猫(カッツェフラウ)は鋭さの中にも親愛と懐かしさを込めた瞳で愛弟子を見つめる。
「ゲーパも、以前よりもうまく風をつかめるようになったようですね。精霊が、それを教えてくれています」
「いろいろあったからね」
 笑顔で答えるとブリュネは頷き、視線を幼い魔女へ向けた。
「その娘が例の?」
「事前にお伝えした、黒き森の魔女に囚われていたエルラです」
 ヴァルトハイデが答える。ブリュネの表情は険しくも、その言葉には愛情が込められていた。
「ハルツは、あなたを歓迎します。これからは、ここをあなたの家だと思って過ごしてください」
「はい、よろしくお願いします……」
 ぎこちなくエルラが答えると、続いてブルヒャルトが歩み出た。
「お久しぶりです、ブリュネ殿」
「勅使殿も、ようこそおいで下さいました。我々の代表であるヴァルトハイデとゲーパは、帝国のお役に立ちましたか?」
「もちろんです。何度もお二人には危ういところを助けていただきました。レギスヴィンダ陛下も大変感謝しております」
「それを聞いて安心しました。両名がこれからもハルツと帝国が結んだ盟約に基づき、人と魔女の懸け橋となって平和の構築に寄与することをお約束いたします」
「かたじけないお言葉。陛下になり替わり、御礼申し上げます」
 ブルヒャルトは深々と頭を下げた。
 ブリュネとの再会はヴァルトハイデたちにとって、ハルツへ帰ってきたことを実感させるものだった。それは送り出した側にとっても同じ思いを共有するもので、旅立った者たちが無事に帰ってこられたことに感謝と安堵をおぼえた。
 一人を除いては――
「それと……」
 一様に挨拶をすませた後、一団から少し離れた場所に佇むその一人を睨みつけると大声をあげた。
「フリッツィ!!」
「ひっ!」
 ものすごい見幕を見せ、それまでに満ち満ちていた親和的なムードを一変させる。あからさまな嫌悪と敵愾心をあらわにし、名前を呼ばれた方はすくみあがる。
「いったい今までどこをほっつき歩いていた! 貴様がいない間にヘルヴィガ様は……!」
 腰の剣に手をかけた。
「落ち着いてください、ブリュネ様!」
「ヴァルトハイデ、下がっていなさい。これは、わたしたちの問題です」
 周囲が止めるのも聞かず、剣を抜き放った。
「そこへ直れ。貴様の薄情で無責任な性根をわたしが成敗してくれる!」
「ちょ、ちょっと待って、ブリュネ! あたしの話も聞いて!!」
 ブリュネが迫ると、だから帰ってくるのは嫌だったとばかりに、その分だけフリッツィは後ずさる。
「黙れ! わたしたちがどれほどの苦労を背負い、困難を乗り越えてきたか分かっているのか!」
「分かってる……分かってるから落ち着いて…………」
「いいや、分かってなどいない! 貴様はいつもそうだ。肝心な時におらず、すべてが終わった後に何食わぬ顔で戻ってくる。わたしがどれほど心配したか、さみしい思いをしたか……貴様は何も分かっていない…………」
 ブリュネは切っ先を天へと向け、今にも振り下ろそうと凄んだ。しかし、ともに森で拾われ、ともにハルツで育てられた実の姉妹に怒りはぶつけられても、本気で拒絶することはできない。
 もどかしさにブリュネの瞳から涙がこぼれおちると、フリッツィはそっと姉妹を両手で抱き締めた。
「ただいま……」
 フリッツィも、多くのことをブリュネに押し付けてしまったことを申し訳なく思っていた。
 謝っても謝りきれるものではない。でも今は百万の言葉で許しを請うよりも、懐かしいにおいとぬくもりで互いの気持ちを伝えあえば、すべてを理解できた。
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