第38話 風立ちぬ Ⅱ

文字数 3,060文字

 ライヒェンバッハ公ルペルトゥス・ゲルラハによる公告が行われてから数日後。リカルダと別れ、農夫の娘を助けに向かった女たちは無事に役割を果たした。
「もう大丈夫だ。すぐ父親に合わせてやるからな」
「有り難うございます」
 小さな収容所を解放するだけの、比較的簡単な作戦だった。
 収容所の兵士も風来の魔女集団の襲撃と知ると、はじめから敵わないと見て逃げ出すありさまだった。
 仲間に傷を負った者はなく、囚われていた者もすべて助け出すことができた。しかし、魔女たちが不安や気がかりから解放されることはなかった。この日に行われるもう一つの解放劇が決着していなかったからだ。
「どうしてるかな、リカルダ……」
 開け放たれた収容所の入り口に立ち、遠くの空を見つめながらエメリーネがつぶやく。
「心配しても仕方がない。信じろ、リカルダを。うまくやり遂げるはずだ……」
 オーディルベルタが答えた。
 仲間たちにできるのは、一人群れを離れた自分たちのリーダーの無事を祈りながら待つことだけだった。


 アルンアウルトの広場に仮設の法廷が用意される。
 本来なら屋内で審理されるところ、今回に限って蒼穹の下での開廷となったのには、いくつかの思惑があった。
 今や民衆の間にも広く知れ渡る存在となった風来の魔女集団に係わったとされる夫婦が被告人になるということで、村には多くの傍聴人が詰めかけていた。
 傍聴人たちは裁判が始まるのを待つあいだ、今回の出来事に対する趣旨や意図を様々に述べ合った。
「風来の魔女集団といえば、多くの収容所や死刑執行の現場に現れては、女たちをかっさらっていくっていう神出鬼没のならず者たちのことだろ?」
「本人たちは、そう思っていない。奴らは自分たちのことを義賊と呼んでいる。リーダーの魔女は、とてつもなく強く、帝国軍も手を焼いてるって話だ」
「でも何で、わざわざ公開で裁判なんか開くんだ。捕えた後に、すぐ処刑すればいいものを?」
「ライヒェンバッハ公としては、公平な裁判が行われたことをアピールなさりたいんだろう。オレが聞いた話じゃ、皇帝陛下は魔女に対してもお慈悲を賜れ、不当な裁判や魔女狩りを禁止されたそうだ。人と魔女が共存できる社会を目指されているとさえいわれている」
「なるほど。これは単なる言い訳づくりってことか。オレたちも見届け人として利用されたわけだ」
「それだけじゃない。公爵は被告人の夫婦を囮にして、風来の魔女をおびき寄せようとしているのさ。裁判中に現れて被告を連れ去ろうとすれば、問答無用で返り討ちにできるからな」
「なんともよく考えたものだ……」
 傍聴人の中には真実を言い当てる者もいれば、憶測を語るだけの者もいた。
 ただひとつ、彼らに共通して言えることがあるとすれば、いったいどのような人物が風来の魔女集団と係わり、ルーム帝国に敵対行為を働いたのかという、被告に対する興味だった。
 やがて準備が整い、裁判が始まる。
「これより魔女に便宜を図り、数々の犯罪行為に加担したとされる夫婦両名への審理を始める」
 判事が開廷を告げ、ルートヴィナの両親が被告席に立たされる。傍聴人たちは、口々に感想を呟いた。
「あいつらが、風来の魔女に係わっていた悪党か……」
「そんな風には全く見えんな。何かの間違いじゃないのか?」
「いや、オレは騙されないぞ。一見平凡に見える奴ほど、裏で悪事を働いてるなんてことはざらにあるからな!」
 傍聴人の意見はともかく、裁判は粛々と始められた。
 法壇にはお飾りの陪審員が並び、目つきの鋭い審問官が夫妻を睨みつける。
 被告側には弁護人もなく、どのような判決が下されようとも、再審や控訴は認められなかった。
「まずは原告側より証人尋問を行う。証人は信義に基づき、事実のみを述べよ」
 裁判官に促され、証人たちが入廷する。夫妻は証人たちの顔を見て、ハッとなった。いずれもルートヴィナが暮らしていた村の住人、あるいは夫妻のことをよく知る者たちだった。
 証人の中には夫妻と目を合わせることができず、顔をそむける者もいる。ライヒェンバッハ公は、わざわざこのために遠い村から彼らを連れてきていた。
 証人たちが語る。
「わたしは見ました。あれは真夜中、村へ帰るために馬車を走らせていた時です。被告の家から髪を振り乱し、真っ赤に目を光らせた女が箒に乗って飛んでいくのを。その翌日でした。近くの収容所が襲われ、囚人が逃げたと聞きました」
「黒き森での戦いが終わった後のことです、近くの村で羊が狼に襲われるという出来事がありました。我が家でも生まれたばかりの子羊が狙われました。なのに、あの二人が飼っていた羊だけは無事だったのです」
「あたしの家には年老いた祖母がいます。長い間腰を痛めて悩んでました。ある日ルートヴィナが……えっと、ルートヴィナっていうのは、あちらの二人の娘で、あたしの友達だったんですけど、よく効くからといって煎じ薬をくれました。その薬を飲んでからは、祖母の具合もずいぶん良くなりました。だから、こんなこといいたくないんだけど……ルートヴィナがどうやってそんな薬を手に入れたのか……すごく感謝はしてるんだけど……あたしにはわかりません…………」
 証人たちは嘘をついているわけではなかった。多少の誇張や作為的な失念があったとしても、その内容は事実に基づいている。第三者によって、手のひらに些少の金貨を握らされながらではあったが。


 証人尋問が行われているころ、広場に接する村役場の二階からルペルトゥスが裁判の様子を眺めていた。
 すでに、村の中に魔女がまぎれ込んでいる恐れもあった。そのため警戒に当たる兵士は目を光らせ、いつ襲撃があっても対処できるように緊張感を高めている。にもかかわらず、この裁判を開かせた張本人であるルペルトゥスは漫然と身構え、どこか退屈に飽きて嫌気がさしているようだった。
 広場を見下ろすルペルトゥスに、背中から兵士が話しかける。
「さすがはルペルトゥス様。これだけ形式を整えて裁判を行えば、皇帝陛下も不当だとはいいますまい。万が一にも魔女どもが怖れをなして現れなかった時にも被告らは正当に裁かれ、ルペルトゥス様の手によって正義がなされたと傍聴人たちは讃辞を贈るでしょう」
 兵士がゴマをする。完璧な計画だと絶賛する。しかし、立案者自身が不機嫌になっているとは、まさか兵士も気付かなかった。
「貴様は何をいっている?」
 ゆっくりと振り返り、ルペルトゥスが鋭い目で睨みつける。兵士は、何か気に障ることをいってしまったかと戸惑った。
「で、ですから、どのような結果になろうとも、ルペルトゥス様には非が及ばないと……」
「勘違いするな!」
「は、はい!」
 ルペルトゥスが大喝すると兵士は縮みあがる。何に対して叱られているのかわからない。
「讃辞だと? そんなものが何になる!」
「ですが、この裁判はルペルトゥス様ご自身が発案されたもので……」
「黙れ! わたしは魔女を裁きたいのではない。魔女と戦いたいのだ!!」
「も、もちろん、存じております!」
「ならば正義も讃辞も必要ない。風来の魔女が現れぬ場合は、夫婦もろともこの村を焼き払え。すべて風来の魔女の仕業にすればよい。今度こそ、わたしの命を狙って奴らも姿を現すだろう!」
 ルペルトゥスにとって、この裁判はたんなる茶番劇にすぎなかった。名もない村落の夫婦を裁いたところで、彼の欲求が満たされることはない。
 兵士にとっては常軌を逸していると思える様な命令さえ、何の躊躇いもなく下すことができた。
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