第42話 砕け散る Ⅲ
文字数 3,351文字
まんまとルオトリープが逃げ去ると、苦々しくフリッツィが言い捨てた。
「あいつ、自分の分身を作って操ってたんだわ!」
まさか、それが本人ではなかったなど、彼を信じ切っていたルペルトゥスや、また疑っていたヴィッテキントたちでさえ、気づくことはなかった。
「大丈夫だ、まだもう一人残っている」
たとえ男には逃げられたとしても、目の前の女を締め上げれば、行方は訊き出せるはずである。ヴァルトハイデに焦りはなかった。
「お前がわたしの命を狙っていることは知っている。しかし、そんなことをしてもリントガルトは喜ばない。あの男について知っていることをすべて話し、罪を償え。そうすれば、皇帝陛下も命までは奪いはしない」
「あたしの望みは、あなたに絶望を与えることだけ。今さら、命が惜しいなんて思ってないわ」
「ならば、この剣でお前の口を割ることになる」
「できるものなら、やってみなさい」
イドゥベルガに対話の意思はない。戦いは避けられなかった。
「気をつけて。あの娘、普通じゃないわよ」
フリッツィが警告する。
ヴァルトハイデも相手が只者ではないことは理解している。なぜだろうか理由までは分からないが、女から自分と同じ魔力を感じていた。
「聞いたわよ。あなたもリントガルト様たちと同じ、元は人間だったそうね?」
ほくそ笑みながらイドゥベルガがいった。その一言が、ヴァルトハイデに女から放たれる魔力の正体を突き止めさせた。
「そんなことまで知っていたのか……では、お前から感じるその魔力も、オッティリアに由来するものだな?」
「そうよ。だから、あたしの身体に流れるこの血潮はリントガルト様と同じもの。今もリントガルト様の魂は、あたしの中に息づいてるのよ!」
イドゥベルガは悦にいったように語る。それが事実だとすれば、フリッツィは、どうりでこの女に勝てないはずだと納得した。
「七人の魔女の他にも、ドクター・フレルクの犠牲になった者がいたとは……」
ヴァルトハイデはやるせなく呟いた。相手を憐れむように。だが、女はそうではないと否定する。
「違うわ。フレルクはもうこの世にいない。あたしに力を与えてくれたのはルオトリープよ!」
「フレルクがいないだと?」
「あの男は、自分の息子によって殺されたのよ。リントガルト様たちを道具のように扱った報いね。ざまはないわ。今は、その息子であるルオトリープが研究を引き継いでるわ」
フリッツィが睨んだとおり、ルオトリープとフレルクはつながっていた。それも、親子という関係だったということに強い衝撃を受けた。しかし、それ以上に意外だったのは、父が息子によって殺されていたということだった。
ヴァルトハイデは城に入った時からずっと、あの男に見られているような視線を感じていた。今は、消えていたが。
「ルオトリープがフレルクの息子……ならば、なおさらあの男を野放しにしておくことはできない。降服しろ。おまえの力では、わたしに勝つことはできない」
「それはどうかしらね?」
イドゥベルガは不敵に微笑する。
ヴァルトハイデとの力の差は、本人も自覚しているはずだった。まして、ランメルスベルクの剣の前には、どんな魔女も敵うはずがない。
なのに、まるで動じる素振りもない女に、なにか奥の手を隠しているのではないかと、フリッツィは警戒せずにはいられなかった。
「あたしの力を見せてあげるわ!」
イドゥベルガは両手に集めた魔力を発熱させた。その手に捕まれば人間の身体など簡単に燃え上がり、炭と化す。諸侯を殺害した術だった。
ヴァルトハイデは事前にフロドアルトから話を聞いており、イドゥベルガの術についても知っていた。いかに強力な術や魔力を持っていても、攻撃方法が分かっていれば対処法はあった。
イドゥベルガは相手の身体に掴みかかろうとしたが、その動きは単調で、落ち着いてさえいれば避けるのは難しくなかった。
ヴァルトハイデは苦もなく相手の攻撃を見切ると、無駄な抵抗はやめるよう警告した。
「今ならまだ間に合う。死に急ぐことはない。罪を償え。皇帝陛下はお前を許してくださるだろう」
「うるさい! あたしがお仕えするのは、リントガルト様ただお一人。ルームの皇帝などに許しを乞うものか!」
ヴァルトハイデには女に対する憐れみの他、少なからぬ罪の意識があった。
リントガルトに心酔し、魔女の国に夢を見た。たとえそれが歪んだ欲望だったとしても、女の希望を破壊し、絶望の淵へ突き落したのは、まぎれもなく自分だった。
しかし、不毛な執念から救ってやるのも、魔女の呪いを断つ剣の継承者となった者の使命だと割り切らねばならない。
妹が撒いた種を刈り取るのも、姉としての責任だった。
ヴァルトハイデは、どんな説得も通用しないと悟ると、女の胸にランメルスベルクの剣を突き立てた。
結末は呆気なかった。
魔女は悲鳴をあげ、苦悶の表情を浮かべる。
初めから相手の動きを見切っていたヴァルトハイデに負ける要素はなかった。冷静さが生んだ、当然の結果だった。だが、妙な胸騒ぎを感じていたフリッツィは、むしろこの仕組まれていたような勝利にこそ、異常な信奉者の罠があったことに遅ればせながら気づいた。
「だめよ、ヴァルトハイデ! その娘に剣をつかませちゃ!」
フリッツィが叫んだ。しかし、イドゥベルガはヴァルトハイデが反応するより先に両手で剣を握りしめると恍惚の声をあげた。
「ああああああぁぁぁぁーーーー……!!!! これがリントガルト様と同じ痛み、同じ痕 ! 今この身体に、永遠の忠誠の誓いが刻まれたのよ!!!!」
ヴァルトハイデが剣を引き抜こうとするが、イドゥベルガは怪力を発揮してそれを許さず、むしろ自分の方へ引き寄せる。
「……この瞬間を待っていたわ! リントガルト様の命を奪った憎き剣、それがあたしの身体に突き刺さるのを。見ていてください、リントガルト様! 今からこの魂の炎で、魔女 の希望を奪ったハルツの剣を砕いて差し上げます!!」
イドゥベルガの魔力が絶頂する。情念の炎が溢れ、体中の血液が沸騰した。
女は自らを灼熱の火床と化すと、つかんだ刃を炉に沈めるがごとく、深く深く自分の胸に突き立てた。
ランメルスベルクの剣が温度を上げて真っ赤に発熱すると、無数の女たちが泣き叫ぶような悲鳴に似た声を響かせた。
直後、法悦のまま絶叫するイドゥベルガの両腕によって、魔女を討つ剣は二つに砕かれた。地下で、フロドアルトの剣を折った時のように。
イドゥベルガは胸に切っ先が突き刺さったまま、ふらふらと後ずさった。
「ふふふ……やったわ、これでもう、あなたは戦えない……絶望の淵へ突き落してあげたわ……!」
女は満足そうに呟くと、胸に刺さった切っ先を引き抜いて投げ捨てた。
「まさか、はじめからそれが狙いだったの……?」
フリッツィは驚愕し、動揺しながらイドゥベルガに訊ねた。
「そうよ……その剣がある限り、だれもハルツの魔女には勝てない……だから、あたしがへし折ってあげたの。この命と引き換えに……」
フリッツィは完全にしてやられたと悔やんだ。何かを企んでいるのは予想していたが、まさか、こんな方法でヴァルトハイデの攻撃を封じるとは思いもしなかった。
「でも、まだヴァルトハイデは負けてないわ。死ぬのはあなたよ!」
「……それでいいのよ。あたしはリントガルト様のお傍へ行くの。そこで見ていてあげるわ。あなたたちが別の魔女に殺されるのを…………」
やはり、この女は異常だった。リントガルトに殉じることが彼女のすべてだった。そのためなら自らの命さえも惜しむことなく、ルオトリープに利用させた。
単調な動きも相手を油断させるためのもので、ヴァルトハイデは初めから女の罠にはまっていた。
「……その剣には、大勢の魔女の想いが宿っていた。でもそんなものより、たった一人の、あたしのリントガルト様への想いの方が強かった……だから、折れたのよ! 勝ったのは、あたしとリントガルト様なのよ!!」
イドゥベルガは勝ち誇ると地面に倒れ、自らの炎で焼け死んだ。
その顔は目をむき、口許は歪み、壮絶なものだった。しかし、一片の悔いさえ残していなかった。
ヴァルトハイデは折られた剣を握ったまま、身動き一つ取れなかった。
「あいつ、自分の分身を作って操ってたんだわ!」
まさか、それが本人ではなかったなど、彼を信じ切っていたルペルトゥスや、また疑っていたヴィッテキントたちでさえ、気づくことはなかった。
「大丈夫だ、まだもう一人残っている」
たとえ男には逃げられたとしても、目の前の女を締め上げれば、行方は訊き出せるはずである。ヴァルトハイデに焦りはなかった。
「お前がわたしの命を狙っていることは知っている。しかし、そんなことをしてもリントガルトは喜ばない。あの男について知っていることをすべて話し、罪を償え。そうすれば、皇帝陛下も命までは奪いはしない」
「あたしの望みは、あなたに絶望を与えることだけ。今さら、命が惜しいなんて思ってないわ」
「ならば、この剣でお前の口を割ることになる」
「できるものなら、やってみなさい」
イドゥベルガに対話の意思はない。戦いは避けられなかった。
「気をつけて。あの娘、普通じゃないわよ」
フリッツィが警告する。
ヴァルトハイデも相手が只者ではないことは理解している。なぜだろうか理由までは分からないが、女から自分と同じ魔力を感じていた。
「聞いたわよ。あなたもリントガルト様たちと同じ、元は人間だったそうね?」
ほくそ笑みながらイドゥベルガがいった。その一言が、ヴァルトハイデに女から放たれる魔力の正体を突き止めさせた。
「そんなことまで知っていたのか……では、お前から感じるその魔力も、オッティリアに由来するものだな?」
「そうよ。だから、あたしの身体に流れるこの血潮はリントガルト様と同じもの。今もリントガルト様の魂は、あたしの中に息づいてるのよ!」
イドゥベルガは悦にいったように語る。それが事実だとすれば、フリッツィは、どうりでこの女に勝てないはずだと納得した。
「七人の魔女の他にも、ドクター・フレルクの犠牲になった者がいたとは……」
ヴァルトハイデはやるせなく呟いた。相手を憐れむように。だが、女はそうではないと否定する。
「違うわ。フレルクはもうこの世にいない。あたしに力を与えてくれたのはルオトリープよ!」
「フレルクがいないだと?」
「あの男は、自分の息子によって殺されたのよ。リントガルト様たちを道具のように扱った報いね。ざまはないわ。今は、その息子であるルオトリープが研究を引き継いでるわ」
フリッツィが睨んだとおり、ルオトリープとフレルクはつながっていた。それも、親子という関係だったということに強い衝撃を受けた。しかし、それ以上に意外だったのは、父が息子によって殺されていたということだった。
ヴァルトハイデは城に入った時からずっと、あの男に見られているような視線を感じていた。今は、消えていたが。
「ルオトリープがフレルクの息子……ならば、なおさらあの男を野放しにしておくことはできない。降服しろ。おまえの力では、わたしに勝つことはできない」
「それはどうかしらね?」
イドゥベルガは不敵に微笑する。
ヴァルトハイデとの力の差は、本人も自覚しているはずだった。まして、ランメルスベルクの剣の前には、どんな魔女も敵うはずがない。
なのに、まるで動じる素振りもない女に、なにか奥の手を隠しているのではないかと、フリッツィは警戒せずにはいられなかった。
「あたしの力を見せてあげるわ!」
イドゥベルガは両手に集めた魔力を発熱させた。その手に捕まれば人間の身体など簡単に燃え上がり、炭と化す。諸侯を殺害した術だった。
ヴァルトハイデは事前にフロドアルトから話を聞いており、イドゥベルガの術についても知っていた。いかに強力な術や魔力を持っていても、攻撃方法が分かっていれば対処法はあった。
イドゥベルガは相手の身体に掴みかかろうとしたが、その動きは単調で、落ち着いてさえいれば避けるのは難しくなかった。
ヴァルトハイデは苦もなく相手の攻撃を見切ると、無駄な抵抗はやめるよう警告した。
「今ならまだ間に合う。死に急ぐことはない。罪を償え。皇帝陛下はお前を許してくださるだろう」
「うるさい! あたしがお仕えするのは、リントガルト様ただお一人。ルームの皇帝などに許しを乞うものか!」
ヴァルトハイデには女に対する憐れみの他、少なからぬ罪の意識があった。
リントガルトに心酔し、魔女の国に夢を見た。たとえそれが歪んだ欲望だったとしても、女の希望を破壊し、絶望の淵へ突き落したのは、まぎれもなく自分だった。
しかし、不毛な執念から救ってやるのも、魔女の呪いを断つ剣の継承者となった者の使命だと割り切らねばならない。
妹が撒いた種を刈り取るのも、姉としての責任だった。
ヴァルトハイデは、どんな説得も通用しないと悟ると、女の胸にランメルスベルクの剣を突き立てた。
結末は呆気なかった。
魔女は悲鳴をあげ、苦悶の表情を浮かべる。
初めから相手の動きを見切っていたヴァルトハイデに負ける要素はなかった。冷静さが生んだ、当然の結果だった。だが、妙な胸騒ぎを感じていたフリッツィは、むしろこの仕組まれていたような勝利にこそ、異常な信奉者の罠があったことに遅ればせながら気づいた。
「だめよ、ヴァルトハイデ! その娘に剣をつかませちゃ!」
フリッツィが叫んだ。しかし、イドゥベルガはヴァルトハイデが反応するより先に両手で剣を握りしめると恍惚の声をあげた。
「ああああああぁぁぁぁーーーー……!!!! これがリントガルト様と同じ痛み、同じ
ヴァルトハイデが剣を引き抜こうとするが、イドゥベルガは怪力を発揮してそれを許さず、むしろ自分の方へ引き寄せる。
「……この瞬間を待っていたわ! リントガルト様の命を奪った憎き剣、それがあたしの身体に突き刺さるのを。見ていてください、リントガルト様! 今からこの魂の炎で、
イドゥベルガの魔力が絶頂する。情念の炎が溢れ、体中の血液が沸騰した。
女は自らを灼熱の火床と化すと、つかんだ刃を炉に沈めるがごとく、深く深く自分の胸に突き立てた。
ランメルスベルクの剣が温度を上げて真っ赤に発熱すると、無数の女たちが泣き叫ぶような悲鳴に似た声を響かせた。
直後、法悦のまま絶叫するイドゥベルガの両腕によって、魔女を討つ剣は二つに砕かれた。地下で、フロドアルトの剣を折った時のように。
イドゥベルガは胸に切っ先が突き刺さったまま、ふらふらと後ずさった。
「ふふふ……やったわ、これでもう、あなたは戦えない……絶望の淵へ突き落してあげたわ……!」
女は満足そうに呟くと、胸に刺さった切っ先を引き抜いて投げ捨てた。
「まさか、はじめからそれが狙いだったの……?」
フリッツィは驚愕し、動揺しながらイドゥベルガに訊ねた。
「そうよ……その剣がある限り、だれもハルツの魔女には勝てない……だから、あたしがへし折ってあげたの。この命と引き換えに……」
フリッツィは完全にしてやられたと悔やんだ。何かを企んでいるのは予想していたが、まさか、こんな方法でヴァルトハイデの攻撃を封じるとは思いもしなかった。
「でも、まだヴァルトハイデは負けてないわ。死ぬのはあなたよ!」
「……それでいいのよ。あたしはリントガルト様のお傍へ行くの。そこで見ていてあげるわ。あなたたちが別の魔女に殺されるのを…………」
やはり、この女は異常だった。リントガルトに殉じることが彼女のすべてだった。そのためなら自らの命さえも惜しむことなく、ルオトリープに利用させた。
単調な動きも相手を油断させるためのもので、ヴァルトハイデは初めから女の罠にはまっていた。
「……その剣には、大勢の魔女の想いが宿っていた。でもそんなものより、たった一人の、あたしのリントガルト様への想いの方が強かった……だから、折れたのよ! 勝ったのは、あたしとリントガルト様なのよ!!」
イドゥベルガは勝ち誇ると地面に倒れ、自らの炎で焼け死んだ。
その顔は目をむき、口許は歪み、壮絶なものだった。しかし、一片の悔いさえ残していなかった。
ヴァルトハイデは折られた剣を握ったまま、身動き一つ取れなかった。