第40話 合意なき成立 Ⅱ

文字数 3,497文字

 太陽が地平線に顔を隠した。
 夜が森を覆い、魔女たちも眠りにつく。
 ヴァルトハイデは一人焚火のそばに腰かけ、朝陽とともにベロルディンゲンへ向かう準備をしていた。
 そこへ、ゲーパがやってくる。
「フリッツィ見なかった?」
「いや。何か、用でもあるのか?」
「そんなんじゃないけど、夕方からずっと見てないの。ご飯のときもいなかったのよ。おかしいと思わない?」
「フリッツィが食事の時間にも姿を現さなかったというのか……それは奇妙だな」
「でしょ。リカルダたちにも聞いてみたけど、みんな知らないって。何かあったんじゃないかな……」
「フリッツィに限り、森に入り込んで迷子になるということもあるまいし、熊や狼に襲われたとしても自力で追い払うだろう。で、なければ……」
 事件や事故に巻き込まれたという可能性は低かった。考えられるのは自分の意思で姿を消したということである。
 いったい何のために食事もとらず、どこへ向かったというのか。
 ヴァルトハイデは、まさかと思いつつも、一つだけ黒猫の使い魔が姿を消した目的地に見当をつけることができた。
「ベロルディンゲンへ行ったな!」
 来るなと言われれば、よけいに行きたくなるのが気ままな猫の習性である。
 ヴァルトハイデの目を盗んで先に出発したのだ。
「……わたしが甘かった。フリッツィの性格を考えれば、素直に言うことを聞くはずがなかった」
「でも、まだそうときまったわけじゃ……」
「他に考えられる可能性はない。自分の手でルートヴィナの両親を助け出そうと思ったのではないか?」
「だったら大変。今すぐやめさせなきゃ。間に合うかどうかわからないけど、あたしが連れ戻してくるわ」
「たのむ!」
 ゲーパは急いで箒にまたがると、夜空へ飛び立った。


 ヴァルトハイデの予想は当たっていた。すでにフリッツィはベロルディンゲンの近くまでやってきていた。
「ヴァルトハイデも甘いわね。このあたしが、おとなしく留守番なんてするわけないじゃない!」
 今ごろ自分がいないことに気付いて慌ててるんじゃないかと想像し、可笑しくなる。
 気ままな猫ではあるが、決してヴァルトハイデの邪魔をしてやろうという悪意や、手柄をひとり占めしたいという打算で行動しているわけではない。ここまで来たのならフロドアルトの父親(ルペルトゥス)がどんな奴なのか、一目だけでも見たいと思ったからだ。さらに、ルートヴィナの両親が無事なのかも気になった。ようは、ただの好奇心だった。
「でも、高っかい壁ねぇ……これをよじ登るのは、さすがのあたしでも一苦労だわ」
 ベロルディンゲンの城壁を見上げながら、ため息をついた。難攻不落の要塞には、ハルツの使い魔でさえ手を焼いた。
「どこか、忍びこめそうなところはないかしら?」
 猫の頭だけでも通り抜けられそうな隙間はないかと思い、城の周囲を観察して歩いた。しかし、水も漏らさぬ堅牢な城壁には、そのようなひびや傷口もない。
 仕方なく、ふらふらと城の周りを歩き回っていると、気配を殺しながら近づいてくる集団があるのに気づいた。
 ライヒェンバッハの兵士かと思ったフリッツィは、慌てて茂みの中に身を隠した。
「こっちだ。あの沢を下った滝の裏側に抜け穴がある」
 人の声が聞こえる。
 何者だろうかと耳をそばだて、様子を窺う。当初は城の兵士だろうと思ったが、聞けば聞くほど聞き覚えのある声だった。
 声の主が茂みの前を通過しようとした時だった。
「脛かじりじゃない!」
「お前はハルツの化け猫!」
 茂みから飛び出すと、相手の顔を見てフリッツィが叫んだ。相手も驚きながら叫び返した。
 側近らを引き連れたフロドアルトだった。
「ちょっと、誰が化け猫よ!」
「貴様こそ、誰が脛かじりだ!」
 二人はすぐに、それぞれの言葉尻を掴んで言い返す。双方ともに、まさかの遭遇だった。
「お二人とも、お静かに!」
 冷静だったヴィッテキントが、城の兵士に気づかれてはまずいと二人を諭す。
 フリッツィは落ち着くと、フロドアルトに訊ねた。ハイミングで謹慎中のはずだった。
「こんなところで、何してるの?」
「父上を説得しに来たのだ。貴様のほうこそ、なぜここにいる?」
「レギスヴィンダちゃんに頼まれて、あなたの父親を止めるためにアルンアウルトへ行ったのよ。そしたら、こっちのお城に移動したって聞いたから様子を見に来たの」
「レギスヴィンダに……ということは、お前の飼い主も来ているのか?」
「飼い主じゃないわよ。あたしがお供してあげてるの!」
「どちらでもいい。どうなんだ?」
「いるわよ。ここじゃないけど。クラウパッツの森でリカルダたちと一緒よ」
「リカルダというのは、例の風来の魔女だな?」
「そうよ。あなたの父親がいなくなった後に、アルンアウルトに置き去りにされてたの。ひどくやられたみたいだったけど、あたしたちが助けて仲間の所へつれてってあげたの。あなたのほうこそ父親の説得に来たのなら、こんなとこほっつき歩いていないで、ちゃんと説得しなさいよ。みんな迷惑してるのよ!」
「わかっている。だからこうして計画を立て、実行に移そうとしているのだ」
「なんの計画よ?」
「それはだな……」
 フロドアルトは口ごもる。さすがに父の主治医を暗殺するため、城へ通じる抜け穴を探していたとは言いづらい。しかし、耳のよいフリッツィはフロドアルトの言葉を聞き逃していなかった。
「滝の裏に抜け穴があるとかいってたけど、まさかお城から追い出されたんじゃないでしょうね?」
 意外な勘の良さにフロドアルトは黙り込む。いい加減なふりをしていながら、いつも痛いところを突いてくる黒猫を苦々しく思った。
「……何を勘違いしているのか知らぬが、わたしがここで抜け道を探していたのは城を追い出されたからではない。ある男を暗殺しに来たからだ!」
 フロドアルトの返答に、フリッツィは耳を疑った。想像すらしない、あまりにも意外な返答だった。
「暗殺……殺すってこと!? あなたが?」
「そうだ」
「いったい、だれを殺すっていうの?」
「ルオトリープという名の、父上の主治医だ。その男が父上に取り入り、魔女狩りを始めるよう唆した。今ではわたしの言葉も聞かず、男の言いなりになっている。奴を排除しない限り、父上は誰の説得にも耳を貸しはしない」
「それって、その男にあなたの父親が利用されてるってこと?」
「そういうことだ」
 フリッツィは、にわかには信じられなかった。しかし、事実でなければフロドアルトが城の外でこそこそと動き回っている理由がない。
 本気で父親の主治医を殺そうとしているのだと理解すると、さすがのフリッツィも思いとどまるよう言い聞かせた。
「何も殺す必要はないんじゃない? あなたの父親ってずっと病気だったんでしょ。その男を殺しちゃったら、誰がお父さんを診るの。また病気になっちゃうかもしれないわよ?」
「……分かっている。それでも奴だけは、わたしの手で始末しなければならない。でなければ父上の魂が救われることはない」
「どうして?」
「ルオトリープが、魔女の術を用いているからだ」
「魔女の術……」
 フロドアルトの言葉に、またしてもフリッツィは驚かされた。同時に矛盾のような疑問が生じた。
「ちょっと待って、ルオトリープが魔女狩りを唆したんでしょ? なのに、どうしてその男が魔女の術を使ってるの? ルオトリープって、魔女が憎くてあなたの父親を利用してるんじゃないの?」
「あの男が何を考えているかまでは、わたしにも分からない。だが、エルズィング伯爵やキースリヒ子爵らを殺害したのが、ルオトリープの研究室に出入りしている女であることは間違いない」
「その女が魔女で、ルオトリープに術を教えたっていうの?」
「他に考えようがない」
「なんだか、ややこしい話ね……」
 フリッツィは、フロドアルトの説明を十分に理解したわけではない。むしろ話を聞いて、余計に訳が分からなくなった。ならば、自分の目で確かめるしかないと思った。
「分かったわ。魔女が係わってるのなら、あなたたちだけでは手に負えないわね。ここは魔女に精通したフリッツィお姉さんが力になってあげるわ!」
 大船に乗ったつもりで任せなさいと言わんばかりに胸を張る。が、フロドアルトはあからさまに嫌そうな顔をした。
「何よ、その態度! あたしが手伝ってあげるっていってるんだから、もっと嬉しそうな顔しなさいよ!!」
 フロドアルトにとっては犬猿の仲ともいうべき相手ではあるが、こと魔女に関する知識においては認めざるを得なかった。
 こんなところでへそを曲げて邪魔をされても困ることもあり、渋々ではあるが猫の手を借りることにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み