第11話 猫の手も借りたい? Ⅰ

文字数 5,023文字

 諸侯連合軍を率いたフロドアルトが死者の群に敗北を喫したころ、ハルツを発ったレギスヴィンダたちは、美しき女領主として知られるフェルディナンダ・フォン・グローテゲルト伯爵夫人が治めるブルーフハーゲンにいた。
「感謝します、グローテゲルト伯爵夫人。急な申し出にもかかわらず、わたくしたちを受け入れて頂いたことを」
「とんでもありません。殿下に来駕頂いたことは、我が家にとってこの上ない誉れ。いかなる時であっても歓迎いたします」
 若くして領主の地位を譲り受けた伯爵夫人は聡明で、進歩的な人柄として知られる。
 また非常に活動的な性格で、これまでにない女性像を敢えて演出するかのように、狩猟や乗馬などを積極的に嗜んでは、男性優位の貴族社会に一石を投じていた。
 伝統的な営みを望む者たちからは批判的な意見が上がることも多かったが、同じ女として、地位を受け継がねばならぬ者として、レギスヴィンダはグローテゲルト伯爵夫人を敬愛し、姉のように慕っていた。
 そんな思いを知ってか知らずか、グローテゲルト伯爵夫人もすでに結婚適齢期を過ぎていながら特定の配偶者を選ばず、もし自分が男に生まれていたらレギスヴィンダを巡ってフロドアルト公子と争っていただろうと公言するほど、ある種情熱的で、互いを最大の理解者と認めあう間柄になっていた。
 伯爵夫人はレギスヴィンダたちを歓迎すると、もてなしのため来客用の広間へ案内した。
 レギスヴィンダ、ヴァルトハイデ、ゲーパ、ブルヒャルト、オトヘルムの五人が席に着くと、改めて伯爵夫人が事情を訊ねた。
「……ともかく、殿下がご無事で何よりでした。わたしを含め、皆がどれほど心配したことか。いったい、今まで何があったのですか?」
 七人の魔女によって帝都が蹂躙され、皇帝皇后が殺害されたという報せを聞いてからというもの、グローテゲルト伯爵夫人の心が休まる日は一日とてなかった。
 レギスヴィンダについても生死不明のまま、行方知れずになっていると伝え聞いていたので、この日突然、本人が目の前に現れた時は夢でも見ているのではないかと疑ったほどだった。
「わたくしは皇帝陛下に御諚を賜り、魔女の助力を得るべくハルツへ参っておりました」
「ハルツへ……」
 レギスヴィンダが行方をくらませた理由を語り始めると、グローテゲルト伯爵夫人は半信半疑のまま説明に聞き入った。そして、おぼろげながら全容を理解すると、何のために皇女が自分を訊ねたのかも納得した。
「……なるほど。それで我が家へ参られたのですね?」
「はい。かつてレムベルト皇太子の下にあっても相談役として、様々な助言を行ったグローテゲルト伯爵家の知見をお借りできればと思いまして」
 グローテゲルト伯爵夫人の曽祖父であるアーヴェは風変わりな人物として知られていた。
 当時も今と変わらず禁忌とされている魔術や錬金術などの研究を行っていたアーヴェは貴族社会からはつまはじきにされ、孤独で偏屈な人生を送っていた。しかし魔女との戦いが始まると、その知識を買われレムベルト皇太子の幕下に加わったのである。
 現在でもグローテゲルト伯爵家には、曽祖父の時代に集めた様々な道具や、培った技術、人脈などが受け継がれていた。
「実は殿下が来られる以前から、わたしは方々に手を伸ばし、帝都を襲った魔女について調べていました。残念ながら、その正体を突き止めるまでには至りませんでしたが、興味深い証言を行う者に接触することができました。今もその者が城下に留まっているはずなので、すぐに人をやって連れてこさせましょう」
「そのような人物がいらしたのですか……」
 レギスヴィンダはさっそく、グローテゲルト伯爵夫人の下を訪れて正解だったと思った。
「少々、風変りではありますが、きっと殿下のお役に立つと思います。お待ちいただけますか?」
「分りました。是非とも、お会いしたいものです」
「では……」
 皇女の了承を受け、グローテゲルト伯爵夫人が執事に命じようとしたときだった。
「その必要はないわ!」
 突然、広間に声が響いた。
 レギスヴィンダたちは反射的に声の方向へ顔を向ける。奇しくも全員が一致して、天井を見上げる形になった。
 頭上に吊り下がった大きなシャンデリアに、一匹の黒猫が乗っている。
 全員の視線が集まると、黒猫はひょいっと飛び降り、足音も立てずに白いテーブルクロスに着地した。
「フリッツィ、いつの間に……」
「最初からよ。こんなに強くて大きな魔力を持った娘がやってきてるのに、気づかないわけないでしょ」
 客人が当惑するなか、伯爵夫人はさも当たり前のように話しかける。人間の言葉で答える黒猫に、レギスヴィンダたちはさらに驚いた。
「……伯爵夫人、この猫がその?」
 戸惑いながらレギスヴィンダが訊ねると、黒猫は得意気な顔で反論した。
「猫じゃないわよ!」
 いうや黒猫は姿を変え、褐色の肌をした妖艶な美女に変身する。レギスヴィンダたちは、あっ気にとられるばかりだった。
「グローテゲルト伯爵夫人、この方はいったい……?」
「魔女が使役する使い魔にございます。どういうわけか我が家を気に入り、わたしが物心つく以前から出入りしていたそうです。今では使えるべき主人もいない野良猫でして、歳はゆうに百を超えております」
「誰が野良猫よ! ていうか、まだそんなに歳じゃないわよ!」
「まだ……」
 レギスヴィンダは面食らい、使い魔は憤慨した。
「こら、フリッツィ。こちらにおわすは恐れ多くもルーム帝国のレギスヴィンダ内親王殿下にあらせられるぞ。ちゃんと挨拶をしないか!」
 年下の伯爵夫人に叱られて黒猫はふてくされる。それでも、テーブルから下りると恭しく自己紹介を行った。
「はじめまして皇女様。お噂はかねがね伺っています。あたしの名前はフリーデリケ。ご覧のとおりの猫人(カッツェフラウ)でございます。皇女様には特別に、フリッツィって呼ばせてあげるわね!」
 おどけたように片目を閉じる。人を食ったような態度ではあるが、どこか憎めず、人懐っこさを感じさせる印象だった。
「驚いた、ブリュネ以外の猫人(カッツェフラウ)なんて初めて見たわ」
 声をあげたのはゲーパだった。フリッツィの目が鋭さを増す。グローテゲルト伯爵夫人が訊ねた。
「殿下は、猫人(カッツェフラウ)に会うのは初めてではないのですか?」
「ハルツにもブリュネ様という、それは大変立派な猫人(カッツェフラウ)がいました。わたくしにとっては恩人の一人です」
「あんな奴、立派じゃないわよ……」
 レギスヴィンダが答えると、拗ねたようにフリッツィが呟いた。
「ブリュネ様をご存じなのですか?」
 ヴァルトハイデが訊ねた。
「まあね。あたしほどじゃないけど、そこそこ役に立つ使い魔かしら」
「それは頼もしい。ブリュネ様はわたしの剣の師です。フリーデリケ様も、さぞや立派な猫人(カッツェフラウ)なのでしょう」
 ヴァルトハイデがいうと、フリッツィは照れながらも、まんざらでもない顔をした。
「……やめてよね。あんな奴と比べるのは。それに、フリーデリケ様なんて呼び方も気に入らないわ。あたしのことは、フリッツィでいいわよ」
「分かりました。これからも、ご指導のほどよろしくお願いします」
「任せといて。ブリュネなんかより、あたしのほうがもっと役に立つこといっぱい教えてあげるんだから!」
 生真面目にヴァルトハイデが答えると、フリッツィは自信満々に言い返した。
 黒猫の使い魔が席に加わり、改めてグローテゲルト伯爵夫人が説明する。
「わたしが調べた限りでは、帝都を襲った魔女はそれ以前からフリッツィやはぐれ魔女と呼ばれる者たちを仲間に加え、勢力拡大を図っていたそうです」
「あたしの場合は知り合いの魔女に、サバトに参加してみないかって誘われたんだけど、なんだか怪しそうだったんで断ったの。そしたら裏切り者だっていわれて、命まで狙われたのよ」
 フリッツィが補足する。レギスヴィンダは、同情するように答えた。
「……そうですか。それは大変でしたね。ところで、サバトに参加した魔女はどうなったのですか?」
「知らないわよ、そんなの」
「………………」
 興味のあること以外は、極めて淡白で無関心な使い魔だった。
 しかたなく、グローテゲルト伯爵夫人が説明を続ける。
「帝都を襲った魔女たちは、ルーム帝国を倒して自分たちの国ヘクセントゥームを創るといって、若いはぐれ魔女を誘っていたようです。まさかそんなものが実現できるとは思いませんが、甘言に惑わされ配下に加わった魔女は少なくないといわれています」
「はぐれ魔女ですか……」
 なるほどと納得しながら、レギスヴィンダはハルツでの出来事を想い出した。
「実はわたくしも、はぐれ魔女による襲撃を受けました。その時に助けてくれたのが、このヴァルトハイデです」
「ほう、彼女が……」
「へえー、あなた強いのね」
 グローテゲルト伯爵夫人と、フリッツィがそれぞれ答えた。
「強いなんてものじゃないわよ。なんたって、ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣の継承者に選ばれたんだから。そのために、三年間もハルツで修業したのよ。自分でいうのもなんだけど、あたしたちが味方についたんだから、ルーム帝国が負けるはずないわ!」
 誇らしげにゲーパが答えると、驚いたようにフリッツィが続けた。
「あなたがランメルスベルクの剣を!? どうりで強い魔力を感じたはずだわ……って、ちょっと待って。じゃあ、ヘルヴィガ様はどうなったの?」
「わたくしたちを助けるためにハルツに現れた七人の魔女の一人と戦い、残念ながらお亡くなりになりました」
「ヘルヴィガ様が亡くなった……」
 フリッツィが肩を落とすと、その意味や理由を理解できないグローテゲルト伯爵夫人が訊ねた。
「ちょっと待ってください殿下。ヘルヴィガ様とは何者なのですか? また、ランメルスベルクの剣とは? わたしにも分かるように説明して下さい」
 レギスヴィンダは改めて、ハルツでの出来事を想い返しながら答えた。
「ヘルヴィガ様とはハルツを治める偉大な魔女たちの長でした。そして、ランメルスベルクの剣とは、七十年前にオッティリアと戦うレムベルト皇太子に貸し与えられた魔女を討つ剣のことです。わたくしたちがハルツへ向かった理由の一つは、このランメルスベルクの剣を再び借りうけることにありました」
「では、帝都に保管されていたレムベルト皇太子の剣というのは……」
「あれは伝説を継承するために造られた複製です。本物のランメルスベルクの剣は、選ばれた者にしか振るうことが許されないのです」
「あの剣が偽物だったのですか……」
 魔女について誰よりも知悉していると自負していたグローテゲルト伯爵夫人も、自分の知らない真実の歴史があったことを聞いて、小さからぬショックを受けた。
「ヘルヴィガ様はわたくしたちルーム帝国の者に対しても大いなる慈悲と寛容の心を示して下さいました。その恩に報いるためにも、わたくしたちは戦い続け、勝利しなければならないのです」
 これは姫だけでなく、騎士たちにとっても同様の決意だった。
「殿下は、ハルツで帝都を襲った魔女の一人と戦われたとおっしゃられましたが、彼女たちはいったい何者なのでしょうか? フリッツィも、あのように怖ろしい魔女の存在は知らないと申していました……」
「彼女たちは……」
 グローテゲルト伯爵夫人の質問に答えかけて、レギスヴィンダは躊躇った。
 その説明をするためには、ヴァルトハイデの素性についても話さなければならなくなる。
 心を決めかねる皇女に代わって口を開いたのは本人だった。
「七十年前に現れた呪いの魔女オッティリアの遺体を細かく切り刻み、その肉片を移植されて人為的に魔女に造りかえられた人間の女たちです」
 その言葉を聞いてグローテゲルト伯爵夫人とフリッツィは驚倒し、耳を疑った。
「オッティリアの遺体……」
「人間の……本当なのですか!?」
 レギスヴィンダは頷く。さらにヴァルトハイデが答えた。
「ご覧ください、わたしの右目にも同じ物が植え付けられています」
 グローテゲルト伯爵夫人とフリッツィはヴァルトハイデの右目を覗きこんだ。その奥底で、かすかに黒い陰が揺れたように見えた。
「……いったい、誰がそんなことを?」
「フレルクと呼ばれる、謎の研究者です。伯爵夫人には、すべてお話しいたします。よろしいですね、レギスヴィンダ様?」
「わたくしは構いません……」
 本人が望むのであれば、レギスヴィンダに止める理由はなかった。
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