第28話 菩提樹(リンデンバウム) Ⅱ

文字数 4,087文字

 迷路のような城内を進み、騎士と魔女が決戦の場へ到達する。
 二人が広間に現れると、リントガルトは玉座に腰かけたまま歓迎の言葉を口にした。
「やあ、ファストラーデ。まだ生きてたんだね? とっくに野たれ死んでるかと思ったよ」
 挑発し、冷笑を浴びせる。その姿を見て、戦慄したのはオトヘルムだった。
 リントガルトの左目は闇に染まり、左半身全体に呪いの陰が浮かぶ。シェーニンガー宮殿で不意討ちを喰らわせた時とは、まるで別人だった。
 ファストラーデは挑発に乗らず、己が目的だけを答える。
「あいにくだが、わたしにはまだやり残していることがある。それを為すまでは、倒れるつもりはない」
「へーえ、大変だね。昔からファストラーデはまじめだったもんね。でも、すごく顔色が悪いよ。大丈夫なの?」
「心配ない。あと一太刀、剣を振るう力は残している」
「そうなんだ。願いが叶うといいね。ボクも応援してるよ。で、今日は何しに来たの?」
「お前を殺すためだ」
「ボクを殺す?」
 確かめるまでもない。分りきった答えに、リントガルトは白々しく驚いてみせる。そして失笑した。
「もしかして、そんなことがやり残してることだったっていうの? そんなことのために、わざわざこんなところまでやってきて、仲の良かったヘルツェライデやヘルツェロイデまで殺しちゃったの? 異常だね」
「何とでもいうがいい。今のわたしを突き動かしているのは、あの日の後悔。お前を仲間に引き入れたこと……そして、お前を傷つけてしまったことだ!」
「何だよそれ。それじゃあまるで、ボクが憐れな被害者みたいじゃないか? ボクは何も気にしてないよ。全部、忘れてあげる。それより、この城を見てよ。ファストラーデも欲しがってただろ? 魔女の国のシンボルになるこの城を。ボクが完成させたんだよ。すごいだろ? そうだ、良いこと思いついた。今からでも帰っておいでよ。二人でハルツの魔女を殺して、ルーム帝国を乗っ取ってやろうよ。そしたらファストラーデにこの城をあげるよ。ボクは帝都のシェーニンガー宮殿をもらうからさ!」
「勝手なことをいうな! 神聖不可侵の皇帝宮をお前などに明け渡すものか!」
 妄想を膨らませる玉座の魔女に向かってオトヘルムが言い放った。
 リントガルトは存在すら気づいていなかった男の発言に興ざめし、白けた様子で睨みつけた。
「……なんだよお前?」
「オレの顔を忘れたか! シェーニンガー宮殿で、お前の背中を串刺しにしたルーム帝国の騎士オトヘルム・フォン・グリミングだ!」
 いわれてリントガルトは「あのときの……」と思い出す。苦々しい記憶である。
「……ねえ、ファストラーデ。どうして、そんな奴と一緒にいるの? もしかして、手下にしてあげたの?」
 都合よく解釈しようとするリントガルトに、ファストラーデは「違う」と首を振る。
「誇り高いルームの騎士は、魔女に仕えはしない。わたしとオトヘルムは、対等の関係で同盟を結んだ。お前を倒すために」
「ボクを倒す? そんな不意打ちしかできない卑怯な騎士と? お笑いだね。まさか、ファストラーデがそこまでなりふり構わなくなってるなんて思いもしなかったよ!」
 玉座の魔女は怒りを通り越し、むしろ憐れんだ。
 オトヘルムは忸怩たる思いで否定こそしなかったが、確固たる意志を持って反論した。
「その通りだ……オレは卑怯者だ。自分ではお前に勝つことができない。だから、不倶戴天の敵であるはずの魔女と手を組んだ。その想いは、他者を恨むことしかできないお前には理解できまい。人と魔女が手を取り合えば、不可能も可能にできることを!」
 七十年前レムベルトにハルツの魔女が力を貸したように、現在レギスヴィンダとヴァルトハイデが信頼の絆で結びあっているように、オトヘルムは憎しみを超えた先にある人と魔女の理解と共存の形を魔女騎士同盟(じぶんたち)に重ね合わせた。
 リントガルトは不快感を募らせると、感情的に言い返した。
「いい加減なことをいうな! ファストラーデが、本気でお前なんか相手にすわけないだろ! ねえ、そうだよね? 手下のはぐれ魔女がいなくなったから、代わりに利用してやっただけだよね!」
 リントガルトの心の中には、未だファストラーデへの未練が残されていた。
 自分以外の者を信じ、手を結ぶなどあり得ない。まして人間などが、ルーム帝国の騎士などが、七人の魔女のリーダーと対等の関係を築くなど許せるはずがなかった。
 だが、想いを寄せられる胸甲の魔女は、無情にこれを拒絶する。
「その男のいうとおりだ」
「どうして!!」
「まだ分からないのか、リントガルトよ。お前は強い。わたしたち、一人一人ではお前には勝てない。だから同盟を結んだ。互いに、足りないものを補い合うために」
「そんなの嘘だよね! ルーム帝国はボクたち魔女全員の敵だろ? またボクを騙してるんだよね?」
「嘘ではない。わたしはこの男を信用している」
「……じゃあ、本気でボクと戦うっていうの?」
「他に道はない」
「ボクが許してあげるって……この城までファストラーデにあげるっていってるのに?」
「もう城など、魔女の国などどうでもいいのだ」
「分からない……分からないよ、ファストラーデ! どうしてそんなにボクを嫌うの! そんなにボクのことが憎いの!!」
「悲しいことをいうな……今までに一度たりとも、お前を憎いなどと思ったことがあるものか。今でも大切に思っている。だからお前を殺すのだ。ルームの騎士と手を組んでまで!」
「そんなの言い訳になるか! 結局、みんなボクを嫌ってるんだ! ボクが強すぎるから、ボクを怖がってるんだろ! 一人では何もできない弱虫が、束になったくらいでボクに勝てると思うなよ!!」
 感情が昂り、あふれ出した邪悪な魔力が渦となってリントガルトを取り巻く。
「ファストラーデ、今こそこの剣を使え!」
 オトヘルムが伝家の宝刀を差し出す。ファストラーデはそれを掴むと、リントガルトに呼応するように自らの魔力を開放させた。
 玉座の間に、二つの波動がせめぎ合う。
 ファストラーデは身構えた。激情に任せ、リントガルトが攻撃してくると予測したからだ。
 残された魔力がわずかしかないファストラーデには、真正面から玉座の魔女と剣戟を交える余裕はない。しかし、最初の一撃さえ耐えることができれば、必ずその直後に反撃の機会が訪れる。
 たとえ闇に捕らわれたリントガルトであっても、オトヘルムから借りた魔女を討つ剣で心臓を貫けば無事では済まない。十分に勝機は見いだせる。ファストラーデは、一瞬のチャンスにかけた。
 が、リントガルトは玉座に腰かけたまま動こうとはしなかった。
「残念だけどファストラーデ、ボクも一人じゃないんだ」
「なに……?」
「みんな出ておいでよ。久しぶりに、ボクらのリーダーに挨拶してあげなよ!」
 リントガルトが命じると四人の魔女が姿を現す。正確には、魔女だった者たちだ。
「お前たちは……」
 ファストラーデは目を疑い、戦慄した。
 リントガルトに魔女の呪いを感染させられたスヴァンブルク、ラウンヒルト、ヴィルルーン、シュティルフリーダだった。四人に意志や感情はなく、リントガルトの意のままに動く操り人形と化している。
 ファストラーデは四人が生きているとは思わなかった。以前の城を捨てた後、リントガルトに処分されたと考えていた。
「あれは、お前の仲間だった女たちじゃないのか?」
 同じように戸惑いながら、オトヘルムが訊ねた。七人の魔女はファストラーデとリントガルトしか生き残っていないはずではないのかと。
 これでは、いくら剣を貸し与えても、あまりにもファストラーデに分が悪い。一対一で戦えば勝てるかもしれないと考えていた騎士と魔女に誤算が生じた。
「おい! オレたちは敵じゃない。戦う相手を間違えるな!!」
 オトヘルムが四人に向かって呼びかけたが、そんな声が届くはずもない。
「無駄だ。四人にはリントガルトの声しか聞こえていない。わたしが仲間だったころの記憶も、心すらも残っていないはずだ……」
「なんてこった! オレたち二人で、五人を相手にするなんて、聞いてなかったぞ……」
 責めたところで、ファストラーデにとっても予想外だった。
「いくらなんでも無茶だ。ここは、いったん引くしかない……」
 オトヘルムが撤退を提案した。
 苦渋の選択だった。このまま戦っても結果は目に見えている。森には帝国軍が来ており、レギスヴィンダやヴァルトハイデたちと合流すれば、リントガルトたちとも互角以上に戦えるはずだった。が、ファストラーデは拒絶した。
「逃げたければ、お前一人で逃げろ」
「何を言っている。強情を張るな。レギスヴィンダ様やヴァルトハイデ殿の力を借りれば……!」
「今さら、リントガルトが素直に帰してくれると思っているのか?」
「確かに、それは……」
 ファストラーデの言うとおりである。撤退しようにも、今になってはそれこそが至難の業だった。
「やれ!」
 四人の魔女にリントガルトが命令した。
 真っ先にこれを実行したのがスヴァンブルクだった。黒く染まった翼を広げ、空中から鋼鉄の羽を雨のように降らせる。
 ファストラーデは時計と逆回りに駆け出し回避するも、間髪をいれずラウンヒルトが闇色の光沢を放つ指輪をかざして相手の肉体を拘束する円環の術をしかけた。
 オトヘルムから借りた剣を使い、飛来する桎梏の輪を切り裂くが、その瞬間を狙い、つま先を滑らせたヴィルルーンが間合いの内側へ詰め寄った。
 ファストラーデの直前で前方に空中回転し、影を張り付けたような銀の靴のかかとを頭上へ振り落とす。
 剣の腹で足蹴の一撃を防ぐが、動きが止まったところを、満を持していたシュティルフリーダに狙われた。
 夜空の深淵を思わせる暗きマスクの下から、体内にため込んだ空気弾を衝撃波に変えて吐き出す。
 ファストラーデは音の障壁に全身を打ちつけられて弾き飛ばされると、背中から柱に激突し、そのまま床に崩れて沈黙した。
「ファストラーデ!!」
 静まり返った玉座の間に、オトヘルムの声だけが響いた。
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