第21話 大山鳴動して Ⅱ

文字数 3,350文字

 地下へ降り立ったヴァルトハイデは、深淵のような暗闇に面食らった。
 空気は冷たく、湿り気を帯び、水の流れる音だけが絶え間なく聞こえる。
 急いでいたとはいえ、灯りを持参しなかったことが悔やまれた。
「真っ暗だな……」
「そうね」
「何も見えんな」
「そう?」
 猫は目がいい。暗闇の中でも、何も困らない。ヴァルトハイデは右目に魔力を集中すると、通路の先を睨んだ。
「さて、奴らはどっちへ行ったのだろうか……」
「知らない」
「ゴードレーヴァ様を連れているはずだが……匂いで分からないか?」
「犬じゃないのよ」
 地下通路は迷路のように入り組んでいる。やみくもに行動しても迷うだけだった。
 その時、足下にネズミが走った。
「あっ、ネズミよ!!」
 嬉々としてフリッツィが追いかける。
「後にしておけ。あれだけ飲み食いしたのに、まだ足りないのか?」
 呆れたようにヴァルトハイデがいった。
 すぐにフリッツィは「違うわよ!」と否定する。
 捕まえたネズミを両手に握りしめると、尋問するように顔を近づけた。
「地下道に男たちが入り込んでるはずだけど、あなた知らない?」
 ネズミは「食べないでくれ!」と、チューチュー訴える。
「だったら、早く答えなさい!」
 フリッツィはネズミから侵入者の情報を聞き出すと、ヴァルトハイデに教えた。
「あっちよ!」
「……ホントに、そんなので大丈夫なのか?」
「間違いないわ。あたしを信じて付いてきなさい!」
「………………」
 半信半疑なところもあったが他に当てもないため、ヴァルトハイデはネコとネズミを信じて後を追った。


 地下通路にランプが揺れる。
「あと少しだ。急げ、ヘルルフ!」
 出口が近くなっていた。前を行く兄貴分が、ゴードレーヴァを肩に抱えた弟分に命令する。
 男たちは皇女殿下を後ろ手に縛ったつもりだったが、急いでいたため結び目が甘くなっていた。
 何度ももがいているうちに縄が解け、ゴードレーヴァの両手が自由になる。猿ぐつわをはずすと、地下に響き渡る大声で言い放った。
「あなたたち、止まりなさい! あたしをどこへ連れて行こうっていうの!!」
 驚いて兄貴分は足を止め、振り返って弟分を叱りつけた。
「何をしている。ちゃんと縛っておけといっただろう!」
「ゴメン、兄貴。あまりきつく縛ると、痛いだろうと思って……」
 意外と気のいい弟分である。しかし、それがあだとなった。騒がれると面倒なので、兄貴分はもう一度きつく縛り直せと命令した。
「殿下、もうしわけありません。あと少しなので、どうかいま暫くのご辛抱を」
 兄貴分がいうと、ゴードレーヴァは自分が間違って連れてこられたことに気づいた。
「……いま、殿下っていわなかった? あなたたち、もしかしてあたしじゃなくてお従姉さまをさらうつもりだったの?」
 それを聞いて、兄貴分も違和感に気づく。
「失礼ですが、あなた様はルーム帝国の皇太女レギスヴィンダ・フォン・ルームライヒ内親王殿下ではございませんので?」
「違うわよ。あたしはライヒェンバッハ家のゴードレーヴァ、お従姉さまの従妹よ!」
 いわれてみれば、本物の皇女よりも若干幼いように思われた。そういえば、シェーニンガー宮殿に来客があるという情報もあった。暗闇の中で急いでいたので、間違いに気づかなかったのだ。
「あなたたち、いったい何者なの? あたしを……いえ、お従姉さまをどうするつもりだったの!」
 ゴードレーヴァが糾問する。だが、そんなことを答えるはずがない。
 兄弟は顔を見合わせ、とんだドジを踏んでしまったと頭を抱えた。しかし、今さら宮殿へ引き返すことはできない。こうなっては証拠となるものをすべて隠滅し、そのままトンズラするしかなかった。
「……そうですか。ライヒェンバッハ家の……仕方ありません。かわいそうですが、顔を見られたからには生かしておくわけにはまいりません。恨むなら、あなた様を身代わりに立てられた皇女殿下をお恨みください」
 いうと兄貴分は短刀を取り出した。
 普段はお転婆なゴードレーヴァも、差し迫る死の恐怖に声もあげられなかった。このまま地下の暗闇の中で、皇女殿下の身代わりとなって短い人生を終えるのかと諦めかけた。
「そこまでだ!」
 暗闇に声がした。
 閉じていた目を開けると、拒絶したはずの女が立っていた。
「貴様、何者だ!」
「賊に名乗る名前など持ち合わせていない。ゴードレーヴァ様から離れろ。大人しく従えば、寛大な処置を取りなしてやろう」
「ふざけるな! ヘルルフ、やっちまえ!!」
 二人が一斉に襲いかかるが、ヴァルトハイデの敵ではない。
 剣さえ抜かず、あっというまに男たちを足下に這いつくばらせる。その姿に、ゴードレーヴァは瞳を奪われた。
「ご無事ですか!」
 ヴァルトハイデが跪く。フリッツィは動けなくなった二人をきつく、決して解けないように縛り上げた。
「レギスヴィンダ様から、ゴードレーヴァ様の御身に気を配るよう仰せつかっておきながら、このような事態を招いた責任はすべてわたくしにあります。どのようなお叱りも、お受けいたします」
「……べ、べつに、あなたの責任じゃないわよ。それに、お従姉さまが襲われなくてよかったわ。あなたたちがこなくても、これぐらいあたし一人で切り抜けられたわ!」
 素直に礼をいうのは照れ臭かった。
 強がる様子に、ヴァルトハイデとフリッツィは安心した。


 ゴードレーヴァを連れて地下の世界から帰ってくる。シェーニンガー宮殿の広間にはフロドアルトの姿もあった。
「お従姉さま!」
「よかった。ゴードレーヴァ、無事だったのですね……」
 レギスヴィンダは安堵する。従妹(いもうと)を抱きしめ、どこにも怪我がないことを確認する。
「それで、賊どもはどうなりましたか?」
 宮廷騎士団長のガイヒが訊ねる。
「地下に置いてきたわよ。きつく縛っておいたから逃げられないだろうけど、早く行った方がいいんじゃない」
 フリッツィが答えた。ガイヒは了解すると騎士を地下へ向かわせた。
 今回の出来事は宮殿を警備する上での新たな課題点を浮き彫りにした。無事にゴードレーヴァは救出されたが、人さらいを宮殿に侵入させた失態を騎士団は免れなかった。
 普段と変わらない落ち着いたしぐさでフロドアルトが歩み寄る。冷淡ともとれる厳しさで妹に語りかけた。
「ゴードレーヴァよ、我らは現在、悪なる魔女との戦闘状態にある。今回は幸運にもおまえを助け出すことができたが、いつもそうだと思うな。お前の軽率な行動が、どれだけ多くの人間に迷惑をかけ、心配させたかを考えるなら、大人しくエスペンラウプへ帰り、二度と魔女と係わり合おうなどと考えるな。よいな?」
 それだけ言い残すと、腹心らを連れてアウフデアハイデ城へ引き上げた。
 さすがに兄からの言葉は身にしみたようで、ゴードレーヴァもうつむいていた。
「なによ、相変わらず嫌な感じね。無事だったんだから、大目に見てあげなさいよ!」
 フリッツィが憤慨する。しかし、そうではないと諭す者がいた。
「そんなことないわよ。あれでも、すっごく心配してたんだから。アウフデアハイデ城から、すっ飛んで来たのよ」
 地下へ行ったヴァルトハイデらが戻ってくるまで、兄は気が気でない状態だった。その一部始終を見ていたゲーパの話を聞いて、フリッツィはフロドアルトの以外な一面を知った。
「何はともあれ御苦労でした、ヴァルトハイデ」
 改めて、レギスヴィンダが労った。
「あたしも助けにいったんですけど?」
 自分の名前が呼ばれないことに、フリッツィがへそを曲げる。
「……そうでしたね、フリッツィも御苦労様でした」
 レギスヴィンダは苦笑し、ヴァルトハイデやゲーパはやれやれといった表情を浮かべた。
「お従姉さま、ごめんなさい。あたしのせいで……」
「いいのよ、ゴードレーヴァ。それより、服が汚れてしまいましたね。新しい物を用意させます」
「あたし、なんだかお腹へっちゃった」
 安心したからというわけではないが、マイペースにフリッツィが呟いた。
「……そちらも用意させますね」
 ご褒美である。フリッツィはみんなで飲み直そうと提案する。さんざん飲み食いしたはずなのに、まだ足りないのかとヴァルトハイデとゲーパは呆れる。しかし、今夜はそれもいいかと夜明けまで付きあうことにした。
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