第26話 今なら Ⅰ

文字数 4,631文字

 斥候隊による命がけの踏査によって、レムベルト皇太子が辿ったとされる勝利の道への手がかりは発見された。しかし、この道を通りぬけることこそ困難だとフロドアルトは苦悩する。
 シェーニンガー宮殿で開かれた御前会議にて、フロドアルトはその胸の内を語った。
「黒き森に、勝利の道は開かれた。だが我らが兵を連ねて、この狭く険しい難路へ攻め寄ることは敵である悪しき魔女集団も承知しているだろう。おそらくは今回のことで、その意図がよりはっきりと伝わったはずだ……」
 黒き森は天然の要害として近づく者を拒絶する。他にミッターゴルディング城までのルートがないわけではないが、やみくもに森へ立ち入れば迷路のようなその内部に道を失い、待ち構える千人もの魔女によって手痛い逆撃を被ることになる。
 そのため、自然と攻める側はこの道に固執し、守る側はより堅固に扉を閉ざそうとする。だからこそ、リントガルトもアスヴィーネに命じて侵入者を監視させていたのだ。今後はさらに強力な手練の魔女が守りにつくと予測された。
「では、レムベルト皇太子が切り開いた勝利の道を利用することは諦めましょう」
 レギスヴィンダが答えた。議事室に戸惑いが広がる。騎士たちの命を犠牲にして確保された唯一にして確実な征途を、いともたやすく放棄してよいものかと異論や反対意見が湧き起った。
「いえ、本当に諦めるのではありません。そう思わせるのです」
 レギスヴィンダも、フロドアルトと同様の懸念を抱いていた。事前にヴァルトハイデらと協議して、他の方策を用意していた。
「まずはもう一度、斥候隊のような小部隊を編成し、黒き森へ向かわせます。これを森の周辺部に展開させ、あたかもわたくしたちが勝利の道に代わる別のルートを模索しているかのように思わせるのです。さらに諸侯からなる連合軍を四つに分け、四方から黒き森を取り囲みます。そして敵魔女集団の注意がそれらの迎撃に向けられたところで、当初の予定通りヴァルトハイデを中心とした潜入部隊を勝利の道からミッターゴルディング城へ送り込みます」
 レギスヴィンダは堂々と腹案を語った。しかし、出席者の反応は薄かった。
「そのような小細工が通用するだろうか……」
 懐疑的にフロドアルトがつぶやく。とはいえ、他に有効と思われる策がないのも現状だった。
 レギスヴィンダは強く出席者らに訴えかけた。
「わたくしは実効性のない命令を押し付けるつもりはありません。反対する者に対しても自由な意思を保障します。その代りといってはなんですが、今次決戦において、わたくしは自身の生命と帝位継承権をかけるつもりです」
 皇女の言葉に議事室がざわめいた。
「ヴァルトハイデを中心とする潜入部隊には、わたくしも同行します!」
「姫様、それはなりません!!」
 宮廷騎士団のガイヒが諫言する。が、レギスヴィンダの考えを変えさせることはできなかった。
「もはや事態はルーム帝国の存亡だけにとどまるものではありません。敵魔女集団の存在は、人類社会全体にとっての脅威なのです。ルーム帝室の命運と引き換えにしてでも、リントガルトは討たなければならないのです」
「それはごもっともではありますが、姫様自ら危険を冒して黒き森へ親征なさる必要はございません。戦いは我らに任せ、ゼンゲリングの時のようにシェーニンガー宮殿にて督戦下さい」
 ガイヒが続けた。
「いいえ、それでは人々の心を奮い立たせることはできません。七十年前、呪いの魔女に勝利しえたのは、自らを犠牲にして戦いの最前線に立ち続けたレムベルト皇太子の姿があったからです。いまこそ帝国は一つとなり、かつての時と同じように、強大な敵に立ち向かわなければなりません。そのためにはレムベルト皇太子の血を受け継ぐこのわたくしが、安全な場所に留まっていてはいけないのです。わたくしが全軍の指揮をとり、この目で戦いの結末を見届ける義務があるのです」
 ハルツで七十年前の戦いの原因がレムベルト皇太子にあったことを教えられたレギスヴィンダは、魔女たちに対して大きな罪の意識と責任を負うことになった。
 これを購うためには、自分も同じように命をかけなければならないと決めたのである。
「よいのではないか」
 レギスヴィンダの覚悟を聞いて、賛成の意を示したのはフロドアルトだった。
 ただし、他に選択肢がないといった消極的な支持であった。
「どうせ戦うのはヴァルトハイデであろう。ならばレギスヴィンダよ、お前が信じ、剣を預けた女が、どのような幕引きを行うのか、とくとその目で見届けてくるがよい」
「お従兄さま……」
 もしもレギスヴィンダに万が一のことがあれば、帝位はフロドアルトが継承することになる。ともすれば、そこまで打算してレギスヴィンダを支持したのではないかと勘ぐる者もいたが、それは大きな誤りだった。
 ヴァルトハイデが敗れ、レギスヴィンダが斃れたあと、矢面に立たされるのはフロドアルトである。果たして、そんな世界の玉座に何の価値があるだろうか。
 逆説的に考えれば、そうなる可能性を承知した上で、レギスヴィンダを送り出そうとしているのだ。後のことは自分にまかせよと、同じく英雄の血に生まれた者の義務として、フロドアルトもまた自身の責任を果たすつもりだった。
「大丈夫よ。お姫様は、あたしたちがしっかり守ってあげるから!」
 自信満々にフリッツィがいった。出席者たちにしてみれば、これほど頼りない言葉もなかったが、張りつめた空気を和ます効果はあった。
 皆が納得したところで、レギスヴィンダはヴァルトハイデを見やった。皇女の剣となった女は固く口を閉ざし、一切の発言を控えている。
 御前会議が開かれる前に、レギスヴィンダは自分の考えをヴァルトハイデに聞かせた。
 もちろんヴァルトハイデも、そんな危険な場所へ皇女殿下を連れていくことはできないと反対した。しかし、諸侯連合を動員し、リントガルトの注意をひきつけるための作戦を実行する条件が、自分も戦いに参加すること、でなければ作戦そのものを許可しないといわれては、どうすることもできなかった。
 それほどレギスヴィンダの意思は固く、この戦いにかけていた。
「ならば宮廷騎士団も総力を挙げて、殿下の護衛を勤めさせていただきます」
 ガイヒがいった。レギスヴィンダは皆の心遣いに感謝したが、それも無用と断った。
「潜入部隊は小数精鋭でなければなりません。目立つような行動は避け、魔女との戦闘も極力行わない方針で臨みます」
 敵の裏をかくのだから、大人数で行動するのは得策でない。また、レギスヴィンダにとってこの戦いの目的は魔女を掃滅することではなく、彼女たちとの和解を前提とするものだった。そのために倒すべきはリントガルト一人であり、他の魔女との間で遺恨となるような決着のつけ方はしたくなかった。
 出席者たちに、レギスヴィンダの考えは甘いと思われただろう。本人もまた、そのことを自覚していた。しかし、七十年前と同じ結末をたどるのであれば、さらに七十年のちに三度同様の悲劇が引き起こされるかもしれない。それだけは、繰り返すわけにはいかなかった。
 様々な考えの違いや意見の対立は埋めようがなかったが、帝国、そしてハルツが一丸となって立ち向かわなければ、リントガルトには勝利しえない。その認識だけは一致していた。
「わたくしはルーム帝国の帝位継承者として、英雄の血を受け継ぐ者として、この時代に生まれたことから逃れようとは思いません。わたくしに定められた運命に立ち向かい、長きにわたる人と魔女の争い。その反目と憎しみの連鎖に終止符を打ちます。どうか、そのために皆の力をわたくしに貸してください!」
 宣誓ともいうべき言葉をレギスヴィンダが述べると、誰もが感銘し奮起した。
 議論は決し、戦いの準備が始まった。


 レギスヴィンダの檄に答え、諸侯は次々と参戦を表明した。
 その兵数は二十万を超え、長い帝国史においても前例のない空前の規模となった。
 レギスヴィンダは予定通り諸侯からなる連合軍を四つに分けると、四方から黒き森を取り囲んだ。そして、ミッターゴルディング城へ通ずる新たなルートを開拓するよう命じ、リントガルトへの挑発を開始した。ただし、黒き森内で魔女に遭遇したときには戦うことなく、速やかに撤退するようにと指示を添えた。
 森の周辺部に帝国軍が集結し、何らかの意図をもって活動し始めたことは、すぐにリントガルトにも伝わることとなった。
「帝国の連中が、何かしてるって?」
「はい。黒き森の外縁部にて、しきりに侵入と後退を繰り返しています。おそらく先遣部隊が返り討ちにされたので、別のルートを探しているのではないかと思われます」
 股肱の魔女キューネスヴィトが答えた。リントガルトは脇息に頬杖を突くと、嬉しそうに表情をほころばせる。
「懲りない連中だね。まあ、いいや。好きにさせてやりなよ。どうせ帝国の連中はここまで来られやしないさ。もし、ここまで来れたとしても、ボクが皆殺しにするだけさ」
 リントガルトは特定の人物以外に興味はなかった。それでも退屈しのぎにはなるだろうと歓迎した。


 戦いの手はずが整うとフロドアルトはアウフデアハイデを進発し、黒き森の東側に陣取った。これにはゼンゲリングの戦いにも参加したアールグリム伯爵軍、エリクスハウザー伯爵軍、シュリヒテグロル子爵軍、グンデラッハ男爵軍が合流し、その兵数は四つに分けられた諸侯連合軍の中でも最大の六万八千に達した。
 とはいっても、これは見せかけの軍事力でしかなく、彼らが実際に悪しき魔女を相手に干戈を交えることはない。それでも敵方にその意図を知る者はなく、帝国軍が総力をあげて黒き森へ迫れば、魔女も迎え撃つべく警戒態勢をとらざるを得なかった。
「魔女の様子はどうだ?」
 小高い丘の上から黒き森を見据え、フロドアルトが腹心のヴィッテキントに訊ねた。
「我々の行動を監視すべく、多くの魔女が集まってきているようです。ただし、森からは一歩たりとも出ることなく、今のところはにらみ合いが続いているといったところです」
「……であろうな。いかに魔女の力が強力なものであったとしても、圧倒的な数の有利はこちらにある。森から打って出ては勝ち目がないことを理解しているようだ」
「ここまでは、レギスヴィンダ様の立案された作戦通りに進んでおります。他の三方の諸侯軍においても、同様の状態が維持されているとの報せがありました」
「我らにできることは、すべて為したといったところか……あとは計画を立てたレギスヴィンダ自身が戦いに幕を引くしかない」
「ですが、見ているしかないというのは歯がゆいものです。できれば、直接この手で魔女を討ち滅ぼしたかったのですが」
「案ずるな。まだ、その機会が完全に失われたわけではない」
「……と、いわれますと?」
「もしもレギスヴィンダが返り討ちにあうようなことがあれば、我ら全軍玉砕覚悟で森へ突入し、以って帝国の威信を示すことになる」
「た、確かに、その通りであります……」
「どうしたヴィッテキントよ。急に恐ろしくなったか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「そうか。わたしは恐ろしいのだがな。万が一にもそんなことにだけはならぬよう、せいぜいあのハルツの魔女に期待しようではないか」
 森を睨みつけるフロドアルトに冷たい風が吹き付ける。
 戦いの結末は誰にも予測することができなかった。
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