第49話 この腕の中に Ⅴ

文字数 2,556文字

 ランメルスベルクの剣が、つぎはぎの魔女の胸を貫いた。
「ヴァルトハイデが、魔女の呪いを断ち切ったわ……!」
 親友の勝利と、七十年に及ぶ愛憎劇に終止符が打たれたことを感じてゲーパが叫んだ。だが、その肩にとまった年長の魔女は否定した。
「いや、ダメじゃ。フクロウのせいで切っ先が狂い、わずかじゃが威力が削がれた!」
 ルツィンデのいうとおり、ヴァルトハイデにも魔女を討ったという手ごたえはなかった。
「とどめを刺すんじゃ、ヴァルトハイデ!」
 すぐさま、ルツィンデが叫んだ。いまなら容易に、つぎはぎの魔女を眠らせることができる。
 いわれずとも、ヴァルトハイデもそのつもりだった。うずくまった女の前に立つと、再び剣を構えた。
「なりません! もう戦いは終わったのです。ヴァルトハイデ、剣を下ろしなさい!」
 叫ぶように命じたのはレギスヴィンダだった。
 決着はついた。放っておいても、つぎはぎの魔女は事切れるだろう。わざわざとどめを刺す必要はないとレギスヴィンダは思った。
「優しい皇帝……最期まで、わたしに情けをかけてくれるのね。でも、その必要はないわ。わたしは想い出したわ。自分がいったい誰なのか。そして、あなたたちに何をしたのか。だから、迷わずにその剣を振り下ろしなさい。二度とわたしが目を覚まさないように……」
 つぎはぎの魔女の想いは叶った。これ以上は望むこともなく、残された時間はわずかだった。
 情け深い皇帝の言葉は身に余るものだった。それでも最期は潔く、自分と同じハルツの魔女の手にかかって眠れるのなら悔いはなかった。
 つぎはぎの魔女は目を閉じ、ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣を構えなおした。
「待って、ヴァルトハイデ! 彼女にとどめを刺すのは、もう少しだけ後にして!」
 もう一度、声が響いた。レギスヴィンダのものではない。しかし、ヴァルトハイデがよく知る相手のものだった。
「フリッツィ……」
「フリッツィ殿!」
 それは、姿を消していた黒い毛並みの使い魔だった。
「よかった、間に合った……」
 フリッツィは息を切らしていた。急いで帝都へ戻ってきたのだろう。その手に、小さな包みを抱えている。
「あなたは、フリッツィ……?」
 つぎはぎの魔女は、戸惑いながら訊ねた。黒猫の使い魔は、切なく頷いて答える。
「そうよ、オッティリア……」
 互いに見た目は変わっていた。それでも、七十年ぶりの主従の再会だった。
「ごめんね、ヴァルトハイデ。邪魔をして。でも最期に。彼女に渡したい物があったから」
 フリッツィはつぎはぎの魔女に歩み寄ると、その手にしていた物を差し出す。
「長いあいだ待たせてしまったわね。あたしが、あなたの探してる物を持ってきてあげたわ。この中に、あなたの大切な物が入ってるわ」
 レギスヴィンダは当惑する。つぎはぎの魔女が探していたのは、愛した男ではなかったのかと。
 つぎはぎの魔女が包みを開けると、誰もが、それが何かと目をこらした。
「これは……」
「そうよ。それはあなたの子供、フリードリヒが着ていたものよ……」
 包みに入っていたのは、幼児の産衣だった。他に、おしゃぶりや、古びた人形などが入っている。
「ごめんなさい。あたしが、あの時つかまりさえしなければ、あなたを呪いの魔女にしなくてすんだのに……」
 それはまだ、フリッツィが少女だった頃の出来事。大切な人たちと交わした約束の記憶だった。


 オッティリアは生まれたばかりの息子を腕に抱き、愛するレムベルトに話しかけていた。
「この子の名前を考えたの。フリードリヒはどう?」
「フリードリヒか。いい名前だ。きっと、立派な大人になってくれるだろう」
「ずっと前から決めてたの。いつか子供ができたら、男の子だったらフリードリヒ、女の子だったらフリーデリケにしようって。女の子の方は、先にフリッツィにあげちゃったけどね」
「問題ないさ。フリッツィは、わたしたちにとって子供も同じ。大切な家族の一員だ」
「ありがとう、レムベルト。フリッツィも約束してね。お姉さんとして、フリードリヒを守ってあげてね……」
 フリッツィは、オッティリアに抱かれた乳飲み子の顔を覗き込んでいた。大切な大切な人たちの声を聞きながら、いつまでも幸せな日々が続くと信じた。
 レムベルトは、生まれた子供のために帝位継承権を捨てるつもりだった。しかし、当時の皇帝はそれを許さなかった。魔女と皇太子の間に生まれた子供を取り上げるべく兵を向かわせると、それに気づいたオッティリアがフリッツィに子供を託し、ハルツへ逃がした。
 だが、フリッツィは途中でつかまり、オッティリアは子供を取りかえすため、やむなく帝国に戦いを挑んだ。
 子供は皇太子によって保護されたが時すでに遅く、女は呪いの魔女となって禍を呼び、最期は愛した男の手によって心臓を貫かれた。
 主を失った後、フリッツィはオッティリアと暮らした小屋(しょうおく)に帰り、想い出の品を大切に保管した。
 それから七十年間、黒猫の使い魔は自分の過ちが彼女を呪いの魔女へ変えたと罪の意識に苦しみ続けた。そして来るはずもない、いつかその品々を返す日を夢想した。


「ありがとう、フリッツィ。あなたは今も、わたしとの約束を守ってくれていたのね……」
 使い魔の優しさに触れたつぎはぎの魔女は息子の産衣を抱きしめ、感謝の言葉を述べた。
 ようやく探していた物を見つけることができた女に、思い残すことはなかった。
「ヴァルトハイデ、彼女にとどめを刺す必要はないわ。彼女の心臓は、七十年前に止まってるのだから……」
 フリッツィは英雄の像を見上げた。
 時を変え、形を変え、親子三人が同じ場所で眠れるのだ。これ以上、望むことなどあろうはずがなかった。
 魔力の負担に耐えかねたつぎはぎの魔女の肉体が崩壊を始める。
「さようなら、ルームの皇帝……さようなら、わたしに似た強き魔女(あなた)……これでもう、わたしが目を覚ますことはないわ。最後に一つだけ、あなたたちに伝えておくことがあるわ。わたしが消えても、呪いの連鎖が消えたわけじゃない。すべての禍の元、淵源の魔女が残っているわ。どうか、すべての憎しみを断ち切って。あなたたちなら、それができるはずよ…………」
 つぎはぎの魔女は産衣を抱いたまま瞳を閉じると、二度と目覚めることのない眠りについた。
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