第1話 帝都襲撃 Ⅲ

文字数 3,249文字

 魔女と騎士が壮絶な戦いを繰り広げているころ、皇帝の居城シェーニンガー宮殿を所在なさげに闊歩する女がいた。
「まいったな……下見に来た時はそれほど大きな城に見えなかったが、内部は意外と複雑な造りになっている。どちらへ進んでいいのか全く分からん。完全に迷ってしまった……」
 銀の胸甲をつけた女は、宮廷内で迷子になっていた。
 遠くからは喊声や悲鳴が聞こえるも、女はそれらに関与することもできず、蚊帳の外に置かれたような物悲しさに苛まれた。
「皆はまだ戦っているのか。わたしだけが早く着きすぎてしまったようだ……仕方あるまい。こうなれば本意ではないが、わたしの手で皇帝を討つとしよう。しかし、どこが皇帝の寝室だ。こう部屋が多くては見当もつかない。面倒だが、一つずつ調べていくとするか……」
 胸甲の魔女は呟くと、総当たりで宮殿内の部屋をしらみつぶしにすることにした。
 女が最初に目を付けたのは、ひときわ大きく重たいドアだった。
 ノブに手をかけ、ノックもしないままドアを開け放つ。すると部屋の中にガウンを羽織り、居住まいを正して椅子に腰かける威厳に満ちた男と、その周囲を取り巻く騎士の姿があった。
「あ……」
 女は思わず声を洩らした。
 男たちは顔を突き合わせて何やら話し合っているところだった。
 何の前触れもなくドアが開いたので、一斉に男たちが女を振り返った。
「なに者だ、貴様は!」
 一拍置いてから大喝を放ったのは、宮廷騎士団のリーゴマー・マルケルト・フォン・オーバーヴァウルだった。
 椅子に腰かけた男の前に立ちはだかり、無頼な侵入者を睨みつける。
 女は騎士を無視すると、椅子に座った男に訊ねた。
「皇帝陛下でいらっしゃいますね?」
 女がいうと、男は堂々と落ち着いた言葉で答えた。
「いかにも。予が二十六代ルーム帝国皇帝ジークブレヒト・フォン・ルームライヒだ。そなたは何者か?」
 最初の部屋で、いきなり目的の相手を発見できたことに、女は内心では躍りあがらんばかりに歓喜した。が、そこは皇帝陛下の御前ということで自重し、礼節を持って返答した。
「陛下、初めて御意を得ます。わたくしめは、魔女にございます」
 女の言葉に、騎士たちは色めき立つ。それでも、ジークブレヒトはあくまで泰然自若として答えた。
「魔女がこんな夜更けに何の用だ?」
「それにつきましては、まずは夜分帝都へ押し入り、陛下の宸襟をお騒がせ奉りましたことを深謝いたします。ですが夜討ち朝駆けは用兵の常なれば、どうかご容赦ください。わたくしめの目的は、陛下の御首(みしるし)を頂くことにございます」
「予の首をか?」
「はい。ルーム帝国は我々魔女にとって不倶戴天の敵。陛下と帝国がこの地上に存在する限り、魔女は安心して生きることができません。なれば陛下の御首を頂き、ルームに代わる魔女の国(ヘクセントゥーム)をこの地に打ち()てんと考えた次第にございます。決して、他に目的はございません」
「魔女の国とは、まるで呪いの魔女オッティリアのようなことを申すではないか?」
「まさしく、その通りにございます。我々は、オッティリアの意志を受け継ぐもの。生まれ変わりと自負しております」
「呪いの魔女の生まれ変わりとは大仰な。我が祖父が何者か、知らぬわけではあるまい?」
「レムベルト皇太子の逸話は聞き及んでおります。陛下ご自身に恨みはありませんが、御身に流れるルームの血が、我々魔女を不安にさせるのです」
「魔女を討ち滅ぼすのは、ルームの血によるものではない。それを望む臣民の願いが形になったものだ。今夜ここで予の首を討ちとったとしても、第二第三のレムベルトが現れるぞ」
「その時は立ちはだかる者ことごとくを打ち倒し、オッティリアの魂に報じるつもりです。わたくしめには呪いの魔女の血肉を分け合った六人の姉妹がございます。生きる時も死ぬ時も、彼女たちとともにと誓い合った間柄。我らの宿願を阻むことのできる人間は存在しません」
「ならば好かろう。予の首を持っていくがよい。そなたにそれが出来るならば!」
 ジークブレヒトは椅子に座ったまま一本の剣を手に取ると、鞘から抜き放った。
 瞬間、魔女の表情が硬直する。
「その剣は……」
「貴様が呪いの魔女の生まれ変わりならば知らぬはずがなかろう。そうだ、オッティリアの心臓を突き刺した、勝利の剣だ」
 レムベルト皇太子の魂が宿っているとされるその剣に、恐れを抱かぬ魔女はいない。
 傍に控えたオーバーヴァウルらも、英雄の血を引く皇帝と、その剣に全幅の信頼を寄せていた。
「この剣の錆にされたくなければ立ち去るがいい!」
 ジークブレヒトが警告する。胸甲の魔女はたじろぐかに思われた。しかし、一転して白けたように語り始めた。
「わたくしめらの目的は、皇帝陛下の御命の他に、まさしく七十年前にオッティリアの心臓を突き刺したレムベルト皇太子の剣を奪うことにありました。ですが、もはや呆れて言葉もありません。その剣は、偽物でございます」
 魔女の言葉を聞いて、衝撃を受けたのはジークブレヒトではなく、オーバーヴァウルたちだった。
「妖婦め、何を血迷ったことを! 陛下の威風に恐れをなして、気が振れたか!」
 孫ほども年の離れた女に向かい、老騎士が怒声を浴びせかけた。しかし怯まず、魔女は答えた。
「わたくしめには分かるのです。その剣が偽物であることが。詳しくは申せませんが、この胸甲の下のわたくしめの心臓が、その剣を見ても反応しないのです」
「たわけたことをほざくな!」
 静かに答える魔女に対し、なおもオーバーヴァウルが反駁する。が、ジークブレヒトは魔女に同意した。
「なるほど、貴様はやはりオッティリアの生まれ変わりであるようだな……」
「陛下、何を申されるのです!?」
「あの女のいっていることは事実だ」
「なっ……!」
 皇帝の言葉に、騎士団長は絶句した。
「本当の剣は、どこにお有りでしょうか?」
 魔女が訊ねた。
「予が答えると思うか?」
「申し訳ありません。これは無粋な質問でした。陛下に頼らず、御命を頂いた後に自分たちで探すといたしましょう」
「好きにするがよい」
 ジークブレヒトはすでに覚悟していた。
「止めろ!」
 魔女が剣を抜くと、それを阻止すべくオーバーヴァウルたちが皇帝の前に立ちはだかった。
「無駄なことをするな。お前たちなど、物の数ではない!」
 胸甲の魔女は剣を振るうと、その風圧のみで騎士たちを弾き飛ばす。屈強な男たちが成す術なく転がり、壁や床に叩きつけられた。
 もはや頼る物もなく、守る者もいなくなった皇帝に、ゆっくりと魔女が近づく。それでもジークブレヒトは逃げたり命乞いをしたりせず、従容(しょうよう)と椅子に腰かけ続けた。
「陛下、お覚悟は宜しいでしょうか。できれば無用な苦痛は、与えとうございません」
「覚悟なら、帝位についた時から出来ている。レムベルト皇太子の孫である予の身が、貴様ら魔女の閨怨(けいえん)を集めるのは詮なきことだ。だが一つだけいっておく。たとえ予の首を取ったとしても、貴様らの願いが叶うことはない。人に討てぬ魔女であっても、魔女に討てぬ魔女はいない」
 遺言であろうか。ジークブレヒトが謎めいた言葉を残すと、一瞬魔女の切っ先が躊躇った。
「何をいっている。それは、我らが仲間割れを起こすことを期待しているということか?」
「好きに捉えよ。予の治世はこれまでだ。オーバーヴァウルよ、大儀であった。先にあの世で待っておるぞ」
「陛下!!」
 ジークブレヒトは目を閉じた。
 魔女は皇帝の予言めいた言葉が気になったが、最期の負け惜しみだろうと受け止め、命を奪うことにした。
「お覚悟!」
 魔女は皇帝の心臓を一突きにした。奇しくもなく、それは七十年前、英雄レムベルト皇太子が呪いの魔女オッティリアに刺した止めと全く同じものだった。
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