第25話 同盟 Ⅰ
文字数 3,610文字
ディナイガーが帰還した。
ボロボロに傷つき、疲れ果てた姿で、それでも戻ってこられたことに迎え出た仲間は安堵し、戻れなかった者たちを悼んだ。
ディナイガーは休む間もなく、アウフデアハイデ城のフロドアルトに復命する。
「……斥候隊は壊滅。不本意にも自分一人が生き残り、恥を忍んで帰ってまいりました……しかしながら、黒き森の内部では村人の指示に従って進み、たどり着いた沢の上流でレムベルト皇太子が踏破された飛瀑を発見いたしました……」
「間違いないのだな?」
腹心のヴィッテキントが念を押す。
「同じく斥候隊員であったオトヘルム・フォン・グリミングが確認しております……」
フロドアルトは報告を聞いて満足する。それがミッターゴルディング城への手がかりであると確信した。
「……分かった。よくやってくれた。卿は任務を忠実に果たし、成果をもって帰還した。なにも恥じることはない。十分に身体を休ませるがよい」
「はっ……」
ディナイガーのもたらした情報が、どれほど戦局に役立つかは定かでない。それでも彼の無事は犠牲になった騎士や、それらを送り出した者にとっての慰めとなった。
フロドアルトは、この結果をすぐにレギスヴィンダに伝えた。
「……そうですか。分かりました。フロドアルト公子には後日改めて討議を開き、帝室としての方針を決定すると伝えてください」
「かしこまりました」
レギスヴィンダは窓辺に佇み、報せを伝える侍従に毅然とした皇女の顔を崩すことなく命じた。ただ、その胸の内側では一人の魔女の友人としての顔を曇らせた。
侍従が退室すると、その意を察したようにヴァルトハイデが口を開く。
「レギスヴィンダ様……ゲーパには、わたしから話しておきます」
本来ならば、もっと早く自分の口から説明しておくべきだった。しかし彼女を心配するあまり、ずっとその責任を先送りしてきた。無事に騎士が帰ってくることに望みを託しながら。
「お願いします……」
ずるいことは自覚していた。おそらくは、よりひどく彼女を傷つけ、信頼も失うことになるかもしれない。それでも、いまはヴァルトハイデに頼るしかなかった。
ヴァルトハイデが居室へ戻ると、フリッツィとグローテゲルト伯爵夫人がいた。
「ゲーパは?」
「まだ帰ってきてないけど」
フリッツィが答えた。部屋の隅に立てかけたゲーパの箒に目をやる。
「どうかしたのか?」
グローテゲルト伯爵夫人が訊ねる。思いつめたようなヴァルトハイデの表情が気になった。
レギスヴィンダたちが斥候隊についての報せを聞いたころ、ゲーパは街にいた。買い物を終え、シェーニンガー宮殿へ戻ろうとする。そこへ、兵士たちが会話する声が聞こえる。
「斥候隊が戻ってきたそうだ。ディナイガー一人を残して、他は全滅したらしい……」
「本当なのか!?」
「間違いない。アウフデアハイデは、その話題でもちきりだ」
「やっぱり無謀だったんだ。たった五人で黒き森へ偵察に行くなんて。フロドアルト公子も、無茶な指令を出したもんだ……」
不確かな単語が飛び交う。ゲーパは兵士に近づき、訊ねた。
「あの、いまの話し本当ですか……?」
「……何だい、あんた?」
「斥候隊が帰ってきたっていう……」
「事実さ。ただし帰ってこられたのは、たった一人らしいがな。もしかして、家族か何かかい?」
「い、いえ、ありがとうございました……」
ゲーパは礼を言って立ち去る。何かの間違いだと自分に言い聞かせた。
ヴァルトハイデから事情を聞かされたフリッツィとグローテゲルト伯爵夫人は衝撃を受けた。覚悟はしていたこととはいえ、想定していた最悪の事態が現実の報せとなった。受け止めるには強い意志と冷静さが必要だった。
それから、数刻の時が経った。
「ゲーパはまだ帰ってこないのか?」
グローテゲルト伯爵夫人が訪ねた。普段に比べて、あまりにも帰りが遅い。西へ傾き始めた太陽が白亜のシェーニンガー宮殿を照らしていた。
「いつもなら、とっくに帰ってきてる時間なんだけどね……」
フリッツィが答えた。まさか事件や事故に巻き込まれたのではなかと、普段なら考えられないようなことにまで気を揉む。
「どこかで斥候隊の報を知ったのではないか?」
もう一度、グローテゲルト伯爵夫人がいった。
「………………」
ヴァルトハイデは黙り込む。その可能性は否定できなかった。
「だったら、一人にしておいたほうがいいんじゃないの? あの娘だってもう子供じゃないんだから、無理に慰めようなんてしたら、そのほうが傷つけることだってあるわよ」
フリッツィがいった。グローテゲルト伯爵夫人も、その通りだと同意する。しかし、ヴァルトハイデにとってゲーパはこの世でたった一人の心を許せる同年代の相手。親友だった。
おせっかいといわれようとも彼女を一人にしておくことはできない。もしも真実を知って立ち直れないほど傷ついているのであれば、ハルツへ帰らせることも考慮しなければならなかった。
「……少し、見回ってくる」
ヴァルトハイデがいった。
フリッツィは止めようとしたが、グローテゲルト伯爵夫人は好きにしてやれと答えた。
ヴァルトハイデは市場や広場など、ゲーパが行きそうな場所を順番に巡った。しかし、どこにも姿はなく、知り合いの兵士や行きつけの店の主人にも訊ねたが、みな知らないと答えた。
まさか、黒き森へ向かったのでは――
一瞬そんな思いがよぎったが、部屋に箒が残されていたので、それはないと頭を振る。
ヴァルトハイデは、その後も帝都中を探し続けた。そして太陽が西の大地へ沈んだ後、わずかに余光が残る戦没者墓地にたたずむゲーパを見つけた。
「こんなところにいたのか……」
大きな安堵と、多少の疑問を抱えながら歩み寄る。
「ヴァルトハイデ……」
声に気付いてゲーパが振りかえる。夜風に響いた力のない声と表情が印象的だった。
「……それは?」
ゲーパの目の前の墓石を指してヴァルトハイデが訊ねた。
「オトヘルムのお兄さんのお墓よ」
ディートライヒ・フォン・グリミングと刻まれた墓標に目をやり、なぜこんな場所にゲーパがいたのか、ヴァルトハイデは察した。
「ゲーパ、斥候隊のことは……?」
「街で、兵隊さんが話してるの聞いちゃった。ヴァルトハイデは知ってたの?」
「……すまない。一報については、昼ごろアウフデアハイデから連絡があった」
「そっか、あたしだけが知らなかったんだ」
「だが、勘違いしないでくれ。隠していたというわけではない。斥候隊についてはフロドアルト公子が決めたことで、レギスヴィンダ様も詳しくはご存じなかった……」
「それで、あたしを捜しに来てくれたの?」
「フリッツィたちが、あまりにも帰りが遅いというのでな……」
愚にもつかない言い訳をしてしまう。そんなごまかしが通用する仲ではない。
ゲーパは切なく微笑むと、静かに「ありがとう」と答える。
ヴァルトハイデは自分が相手を慰めようとしていたはずなのに、逆にゲーパに気を遣わせてしまっていることに気づいて胸を痛めた。
「お兄さんに、オトヘルムを守ってくださいってお願いしてたんだけどね。叶わなかったみたい」
もう一度、墓石のほうを向いてゲーパがいった。ヴァルトハイデは慌てて言葉を紡ぐ。
「……そんなことはない。オトヘルム殿は最後まで森に残り、仲間の撤退を援護したと聞いている。わたしたちと何度も七人の魔女と戦ってきた彼のことのだ。今回も無事でいるさ」
「だといいわね」
背中を向けたまま、ゲーパがつぶやく。
そんな可能性は極めて低い。フリッツィがいった通り、安易な同情はかえって彼女を傷つけてしまうだけだった。
「オトヘルムは立派よ。お兄さんも。自分の命を捨てて、この国やみんなのために戦ったんだもの。やっぱり、ルーム帝国は英雄の国だったのね」
ヴァルトハイデに言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのかわからない。
ヴァルトハイデは、ただ黙って聞いているしかなかった。彼女に必要なのは慰めなどではなく、自分の力で立ち直るための時間だった。
ゲーパが振り返る。
「ねえ、ヴァルトハイデ」
「……なんだ?」
「今回のことでよく分かったの。ヴァルトハイデやレギスヴィンダ様が、どんな気持ちで戦っているのか。みんな家族や大事な人を奪われながら、それでもうつむかずに立ち向かっていたのね。すごいわ」
濡れた瞳に、輝き始めた一番星が映った。ゲーパは、その星の光をこぼさないように無理やりほほ笑むとヴァルトハイデに詰め寄った。
「だから最後まで、あなたと一緒に戦いを見守るわ。あの人も、きっとそれを望んでいるはずよ。だから、ハルツへ帰れなんていったら許さないんだからね!」
「……もちろんだ」
慰められたのは、ヴァルトハイデの方だったかもしれない。
ゲーパは自分も黒き森へ行くことを決意する。そこでオトヘルムが待っているはずだと、かすかな希望を抱きながら。
ボロボロに傷つき、疲れ果てた姿で、それでも戻ってこられたことに迎え出た仲間は安堵し、戻れなかった者たちを悼んだ。
ディナイガーは休む間もなく、アウフデアハイデ城のフロドアルトに復命する。
「……斥候隊は壊滅。不本意にも自分一人が生き残り、恥を忍んで帰ってまいりました……しかしながら、黒き森の内部では村人の指示に従って進み、たどり着いた沢の上流でレムベルト皇太子が踏破された飛瀑を発見いたしました……」
「間違いないのだな?」
腹心のヴィッテキントが念を押す。
「同じく斥候隊員であったオトヘルム・フォン・グリミングが確認しております……」
フロドアルトは報告を聞いて満足する。それがミッターゴルディング城への手がかりであると確信した。
「……分かった。よくやってくれた。卿は任務を忠実に果たし、成果をもって帰還した。なにも恥じることはない。十分に身体を休ませるがよい」
「はっ……」
ディナイガーのもたらした情報が、どれほど戦局に役立つかは定かでない。それでも彼の無事は犠牲になった騎士や、それらを送り出した者にとっての慰めとなった。
フロドアルトは、この結果をすぐにレギスヴィンダに伝えた。
「……そうですか。分かりました。フロドアルト公子には後日改めて討議を開き、帝室としての方針を決定すると伝えてください」
「かしこまりました」
レギスヴィンダは窓辺に佇み、報せを伝える侍従に毅然とした皇女の顔を崩すことなく命じた。ただ、その胸の内側では一人の魔女の友人としての顔を曇らせた。
侍従が退室すると、その意を察したようにヴァルトハイデが口を開く。
「レギスヴィンダ様……ゲーパには、わたしから話しておきます」
本来ならば、もっと早く自分の口から説明しておくべきだった。しかし彼女を心配するあまり、ずっとその責任を先送りしてきた。無事に騎士が帰ってくることに望みを託しながら。
「お願いします……」
ずるいことは自覚していた。おそらくは、よりひどく彼女を傷つけ、信頼も失うことになるかもしれない。それでも、いまはヴァルトハイデに頼るしかなかった。
ヴァルトハイデが居室へ戻ると、フリッツィとグローテゲルト伯爵夫人がいた。
「ゲーパは?」
「まだ帰ってきてないけど」
フリッツィが答えた。部屋の隅に立てかけたゲーパの箒に目をやる。
「どうかしたのか?」
グローテゲルト伯爵夫人が訊ねる。思いつめたようなヴァルトハイデの表情が気になった。
レギスヴィンダたちが斥候隊についての報せを聞いたころ、ゲーパは街にいた。買い物を終え、シェーニンガー宮殿へ戻ろうとする。そこへ、兵士たちが会話する声が聞こえる。
「斥候隊が戻ってきたそうだ。ディナイガー一人を残して、他は全滅したらしい……」
「本当なのか!?」
「間違いない。アウフデアハイデは、その話題でもちきりだ」
「やっぱり無謀だったんだ。たった五人で黒き森へ偵察に行くなんて。フロドアルト公子も、無茶な指令を出したもんだ……」
不確かな単語が飛び交う。ゲーパは兵士に近づき、訊ねた。
「あの、いまの話し本当ですか……?」
「……何だい、あんた?」
「斥候隊が帰ってきたっていう……」
「事実さ。ただし帰ってこられたのは、たった一人らしいがな。もしかして、家族か何かかい?」
「い、いえ、ありがとうございました……」
ゲーパは礼を言って立ち去る。何かの間違いだと自分に言い聞かせた。
ヴァルトハイデから事情を聞かされたフリッツィとグローテゲルト伯爵夫人は衝撃を受けた。覚悟はしていたこととはいえ、想定していた最悪の事態が現実の報せとなった。受け止めるには強い意志と冷静さが必要だった。
それから、数刻の時が経った。
「ゲーパはまだ帰ってこないのか?」
グローテゲルト伯爵夫人が訪ねた。普段に比べて、あまりにも帰りが遅い。西へ傾き始めた太陽が白亜のシェーニンガー宮殿を照らしていた。
「いつもなら、とっくに帰ってきてる時間なんだけどね……」
フリッツィが答えた。まさか事件や事故に巻き込まれたのではなかと、普段なら考えられないようなことにまで気を揉む。
「どこかで斥候隊の報を知ったのではないか?」
もう一度、グローテゲルト伯爵夫人がいった。
「………………」
ヴァルトハイデは黙り込む。その可能性は否定できなかった。
「だったら、一人にしておいたほうがいいんじゃないの? あの娘だってもう子供じゃないんだから、無理に慰めようなんてしたら、そのほうが傷つけることだってあるわよ」
フリッツィがいった。グローテゲルト伯爵夫人も、その通りだと同意する。しかし、ヴァルトハイデにとってゲーパはこの世でたった一人の心を許せる同年代の相手。親友だった。
おせっかいといわれようとも彼女を一人にしておくことはできない。もしも真実を知って立ち直れないほど傷ついているのであれば、ハルツへ帰らせることも考慮しなければならなかった。
「……少し、見回ってくる」
ヴァルトハイデがいった。
フリッツィは止めようとしたが、グローテゲルト伯爵夫人は好きにしてやれと答えた。
ヴァルトハイデは市場や広場など、ゲーパが行きそうな場所を順番に巡った。しかし、どこにも姿はなく、知り合いの兵士や行きつけの店の主人にも訊ねたが、みな知らないと答えた。
まさか、黒き森へ向かったのでは――
一瞬そんな思いがよぎったが、部屋に箒が残されていたので、それはないと頭を振る。
ヴァルトハイデは、その後も帝都中を探し続けた。そして太陽が西の大地へ沈んだ後、わずかに余光が残る戦没者墓地にたたずむゲーパを見つけた。
「こんなところにいたのか……」
大きな安堵と、多少の疑問を抱えながら歩み寄る。
「ヴァルトハイデ……」
声に気付いてゲーパが振りかえる。夜風に響いた力のない声と表情が印象的だった。
「……それは?」
ゲーパの目の前の墓石を指してヴァルトハイデが訊ねた。
「オトヘルムのお兄さんのお墓よ」
ディートライヒ・フォン・グリミングと刻まれた墓標に目をやり、なぜこんな場所にゲーパがいたのか、ヴァルトハイデは察した。
「ゲーパ、斥候隊のことは……?」
「街で、兵隊さんが話してるの聞いちゃった。ヴァルトハイデは知ってたの?」
「……すまない。一報については、昼ごろアウフデアハイデから連絡があった」
「そっか、あたしだけが知らなかったんだ」
「だが、勘違いしないでくれ。隠していたというわけではない。斥候隊についてはフロドアルト公子が決めたことで、レギスヴィンダ様も詳しくはご存じなかった……」
「それで、あたしを捜しに来てくれたの?」
「フリッツィたちが、あまりにも帰りが遅いというのでな……」
愚にもつかない言い訳をしてしまう。そんなごまかしが通用する仲ではない。
ゲーパは切なく微笑むと、静かに「ありがとう」と答える。
ヴァルトハイデは自分が相手を慰めようとしていたはずなのに、逆にゲーパに気を遣わせてしまっていることに気づいて胸を痛めた。
「お兄さんに、オトヘルムを守ってくださいってお願いしてたんだけどね。叶わなかったみたい」
もう一度、墓石のほうを向いてゲーパがいった。ヴァルトハイデは慌てて言葉を紡ぐ。
「……そんなことはない。オトヘルム殿は最後まで森に残り、仲間の撤退を援護したと聞いている。わたしたちと何度も七人の魔女と戦ってきた彼のことのだ。今回も無事でいるさ」
「だといいわね」
背中を向けたまま、ゲーパがつぶやく。
そんな可能性は極めて低い。フリッツィがいった通り、安易な同情はかえって彼女を傷つけてしまうだけだった。
「オトヘルムは立派よ。お兄さんも。自分の命を捨てて、この国やみんなのために戦ったんだもの。やっぱり、ルーム帝国は英雄の国だったのね」
ヴァルトハイデに言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのかわからない。
ヴァルトハイデは、ただ黙って聞いているしかなかった。彼女に必要なのは慰めなどではなく、自分の力で立ち直るための時間だった。
ゲーパが振り返る。
「ねえ、ヴァルトハイデ」
「……なんだ?」
「今回のことでよく分かったの。ヴァルトハイデやレギスヴィンダ様が、どんな気持ちで戦っているのか。みんな家族や大事な人を奪われながら、それでもうつむかずに立ち向かっていたのね。すごいわ」
濡れた瞳に、輝き始めた一番星が映った。ゲーパは、その星の光をこぼさないように無理やりほほ笑むとヴァルトハイデに詰め寄った。
「だから最後まで、あなたと一緒に戦いを見守るわ。あの人も、きっとそれを望んでいるはずよ。だから、ハルツへ帰れなんていったら許さないんだからね!」
「……もちろんだ」
慰められたのは、ヴァルトハイデの方だったかもしれない。
ゲーパは自分も黒き森へ行くことを決意する。そこでオトヘルムが待っているはずだと、かすかな希望を抱きながら。