第33話 公爵の望み Ⅰ

文字数 3,177文字

 帝都に急報がもたらされた。
 レギスヴィンダの御意を無視し、魔女狩りを強行したレーゲラントの領主エルズィング伯爵が殺害された。
 伯は深夜に火だるまとなり、寝室の窓を突き破って転落死する。伯が寝ていたベッドの上には菩提樹の枝が置かれていた。
「へーぇ……エルズィング伯爵が殺されたの? 死んだ人を悪くいうつもりはないけど、皇帝陛下のいうことも聞かないで勝手なことした人よね? 自業自得じゃない」
 一報を聴いた黒猫の使い魔フリッツィは、皇帝の居城であるシェーニンガー宮殿の居間にて、あっけらかんと答えた。昨日、ハルツから戻ってきたばかりだった。
 犯人が魔女であることは疑いようがなかった。その動機については、先日の魔女狩りに対する報復だろうと予想された。
 フリッツィには同情する素振りもなかったが、ゲーパはショックな様子を隠そうとしなかった。
「フリッツィの言うことは分かるわ。あたしもエルズィング伯のしたことは許せないもの。でも、こんな風に仕返しを続けてたら、いつまでたっても人と魔女が一緒に暮らせる世の中なんてこないわ。きっとレギスヴィンダ様も心を痛めてるはずよ……」
 ゲーパが思いやるとおり、若い女帝は様々な理由で自身を責めていた。
 自分に統治者としての器量が足りないためエルズィング伯爵をはじめとする諸侯が命令に従わないことも、そのエルズィング伯爵への処分もオステラウアーの意見を入れすぎたため軽いものになってしまったことも、それによって不満を抱いた魔女が今回の事件を起こしたことも、すべて自身の至らなさが招いたものだと思い詰めていた。
「真面目すぎるのよね。それがいいところでもあるんだけど、少しは肩の力を抜くことも覚えないと参っちゃうわよ。この先もっと大変なことなんて、いくらでもあるんだから」
「それは、そうだけど……」
 何度もカップを“ふーふー”しながら舶来物の紅茶をフリッツィが口に運ぶ。
 力を抜くことに関しては、積み上げてきた年季がはるかに違う。むしろフリッツィの方が、レギスヴィンダの勤勉さを見習ってほしいとゲーパは思った。
「だいたい、人と魔女なんて何百年もいがみ合ってきたんだから、簡単に仲良くなれるわけないじゃない。レギスヴィンダちゃんがやろうとしてることを否定はしないけど、焦らないで、もっとゆっくりでいいのよ」
 いいながら紅茶を飲もうとすると、フリッツィは「熱っ……」と舌をやけどする。
 ゲーパは、もっとゆっくり飲めばいいのにと思いながらも、レギスヴィンダが急ぎすぎているという意見には同意できた。
「それより、気になるのはベッドに菩提樹の枝が残されてたことよね? これって、やっぱり……」
 窓際に佇むヴァルトハイデに向かって、ゲーパがいった。
 ヴァルトハイデは黙ったまま、外を見つめている。代わりにフリッツィが答えた。
「伯爵を殺したのは、黒き森の戦いに加わっていた魔女で、自分のことを菩提樹の魔女(リントガルト)ちゃんの後継者だとアピールしてるのね」
「本人は、そんなこと望んでないはずなのに……」
「仕方ないわよ。一部の魔女にとって、リントガルトちゃんは自分たちを救ってくれるはずだった英雄なのよ。亡くなった今でも、その想いは変わらないわ。いいえ、むしろ亡くなったからこそ本当のことを歪めて、自分たちに都合のいいように利用してるのかも」
 フリッツィがいうと、ゲーパはやるせない気持ちを募らせた。
 せっかくヴァルトハイデがリントガルトを討ったのに、世界は平和に近付くどころか混迷の色を深めている。これでは、何のために姉妹が戦ったのか分らなかった。
「たぶんだけど、これだけで終わらないわよ」
 続けてフリッツィがいった。ヴァルトハイデも同じことを考えている。
 深夜の報復へ駆り立てた強い殺意は、そのままヴァルトハイデやレギスヴィンダへも向けられるだろう。ともすれば、エルズィング伯の殺害はそれ自体が目的だったのではなく、初めからルーム帝国に対する宣戦布告として企図されたものだったのかもしれなかった。


 同じころ、エスペンラウプの薄暗い研究室で、男が女の進化と発達の状態を診ていた。
「体調はどうだ?」
「何も問題ないわ。気分爽快よ!」
「そうはいっても、まだ無理をしてはいけない」
「レーゲラントのことをいってるの? あれぐらい何ともないわ。かえって力が湧きあがってくるようよ」
 イドゥベルガの魔力は劇的に強まっていた。それに伴って気分も高揚している。ここまでは、ルオトリープが受け持つもう一人の患者ライヒェンバッハ公ルペルトゥス・ゲルラハと同じだった。
「だが、まだヴァルトハイデと対峙するのは時期尚早だ。もう少し、様子を見なければならない」
「じゃあ、もっと他の人間を殺していればいいってことね?」
「ほどほどにだ……」
「分かっているわ。心配しなくても、あなたの立場を危うくするようなことはしないわ」
 これまで魔女としての地位が低く、強い魔力も持ち合わせていなかったイドゥベルガは、ルオトリープの実験に疑念と不安を抱いていた。しかし、それらは満足な結果によって信頼へと変わった。
「腕を出してくれ」
 ルオトリープがイドゥベルガに注射器を当てる。
「それにしても驚きだわ。あなたが、こんなものまで造れるなんて。父親が残してくれた研究結果を応用したとはいえ、どうやってオッティリアの首から血液を抽出して培養したのかしら?」
 静脈に注入されるどす黒い薬剤を眺めながらイドゥベルガが訊ねた。
「悪いがこれは、わたしたち親子の研究成果の根幹をなす部分だ。君にも教えることはできない。しかし、この薬が君に魔女としての力を与えてくれる。その効果は君自身が実感しているとおりだ」
「わたしは理解してるから構わないけど、可哀想なのはライヒェンバッハ公ね。何も知らず、あなたの実験台にされてるのだから」
「公爵には、これをさらに何百倍にも稀釈したものを投与している。君ほど劇的な変化はないものの、副作用もみられない。あんなに虚弱で食の細かった公爵が、今では大量の酒や肉を摂取するようになった。おかげでエネルギーを持て余し、一晩中でも馬にまたがって駆け回っているよ」
「でも、それも今のところはでしょ?」
「先のことなんて分りはしないよ。いずれにしても、あのまま放置していればベッドに縛り付けられたまま臨終するのを待つより他になかった。一時的だとしても自分の足で立ち上がり、活発に動き回れるようになった。本人だけでなく周囲の者も喜んでくれている。皆が幸せになれる方法だったと、わたしは考えているよ」
「そういう図々しさは父親と同じね。全部自分のため。本心では、あなたが何を考えているのか、わたしにも分からないわ」
「分かる必要はないさ。君は君の目的だけに邁進していればいい。わたしは全力でそれを後押しする。それが人と魔女の程よい関係さ」
 ルオトリープは注射を打ち終わり、イドゥベルガはまくった袖をおろす。
「さあ、今日はこのままおとなしくしていてくれ。わたしはこれから、公爵の下へ出仕しなければならない」
「いいわよ。今日はこのまま夜になるまでじっとしていてあげる。でも、時計の針が日付を越えたら約束できないわ。わたしには、わたしの目的があるから」
「ああ、好きにしてくれ……」
 ルオトリープは慌ただしく準備を行うと、公爵家に忠誠を誓う若き研究者の容儀を整える。
 部屋の隅にとまったフクロウに「行ってくるよ」と話しかけ、家を出た。
「あなたの飼い主も、いい面の皮だわ。あたしとライヒェンバッハ公にそれぞれ取り入りながら、決して腹の底を見せようとしない。本当に何を企んでいるのか、想像もつかないわ……」
 フクロウは答えない。イドゥベルガも、そんなものは求めてはいない。
 今はただ、互いの利益のために利用し合うだけだった。
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