第5話 盟約と密約 Ⅰ

文字数 2,280文字

 レギスヴィンダたちは、木々の間に延びた暗く細い山道を歩いていた。
「大丈夫か、オトヘルムよ? 傷が痛むのではないか?」
 一番後ろをついて行く若い騎士を気遣って年長の騎士が振り返る。
「心配ない。これぐらい……」
「ならばいいが……それにしてもあの魔女、どこまで行くつもりだ。わしらを案内するといって歩き出してから、ずいぶん経つが……」
 振り返りもせず先頭を進むヴァルトハイデを見やりながら、騎士たちは少し不安になっていた。
 人里は遠くなり、山は不気味に静まり返る。助けてはもらったが、相手は魔女だ。本当に信用していいのかと疑わずにはいられなかった。
「きゃっ……」
 ブルヒャルトの前を行くレギスヴィンダが木の根につまずいた。
 倒れそうになった背中を騎士が支える。傷を負ったオトヘルムより、レギスヴィンダの体力が先に限界へ達しようとしていた。
「魔女殿よ、待たれよ! 卿らの集落とは、まだ先なのか?」
 ブルヒャルトが呼びかける。ヴァルトハイデは振り返って答えた。
「もうすぐだ。黙ってついて来い」
 何度、同じ質問をしただろうか。その度にヴァルトハイデは立ち止まりもせずに答えるだけで、歩調を緩めようともしない。
「姫様……」
 ブルヒャルトは、やはりついて行くのは危険なのではないかと案じた。
「……大丈夫です。行きましょう!」
 レギスヴィンダは一心に、あるいは意地になったようにヴァルトハイデの背中を追いかけた。
 その後しばらく歩き続け、ようやくヴァルトハイデが立ち止まった。
「到着しました。ここが、我ら魔女の住まう地です」
 木々が途切れ、草地の広がる丘陵地帯に出た。
 月灯りの下、ゆるやかな斜面に幾つかの民家が点在する。
 レギスヴィンダは体力が尽きるよりも先にたどり着けたことに安堵すると、息をついて目を見張った。
「ここがハルツ……」
「なんじゃ、魔女の里と聞いていたので、もっと怪しげな集落を想像していたんじゃが……」
「これでは、ただの牧羊地と変わりありませんね……」
 後ろから二人の騎士が呟いた。
 何かを期待していたわけではないが、ありふれた景色に肩透かしを喰らう。おそらく、何も知らずに普通の人間が迷いこんだとしても、ここが魔女の聖地だとは気付かないだろう。
「我々の指導者は、この先の森に庵を構えています。さあ、行きましょう。もうすぐです」
 またしても同じ台詞を繰り返してヴァルトハイデは歩き出した。
 夜が深いせいもあるだろうが、外を出歩いている者はいない。魔女はみな眠っているのか、それとも各々の家の中から見慣れない訪問者を観察しているのだろうか、レギスヴィンダには判断できなかった。
 そのまましばらく行くと、庵があるという森の入口の手前に人の姿が見えた。
「ヴァルトハイデ、無事に客人を連れてこられたのですね?」
 待っていたのは吊りあがった目に、白い頭髪から突き出た耳、さらに長い尾を備えた人ならざる者だった。
「はい。ヘルヴィガ様は?」
「庵でお待ちです。先に戻ってきたゲーパから話を聞いて、よくやったと仰られていました」
「有り難うございます」
 ヴァルトハイデと話していた女はレギスヴィンダの前まで歩み寄ると、(こうべ)を垂れて名乗った。
「ようこそおいで下さいました。わたくしはヘルヴィガ様の使い魔、人猫(カッツェフラウ)のブリュネと申します。途中、はぐれ魔女による襲撃があったと伺いましたが、わたくしどものヴァルトハイデが間に合い、事なきを得たとのこと。さっそく姫様のお役に立てて何よりです」
 レギスヴィンダは、人ならざる者と言葉を交わすのは初めてだった。人猫(カッツェフラウ)という聞きなれない言葉に困惑もしたが、恭しいその態度は礼節に適うものだった。
「頭をあげてください。突然押し掛け、命まで助けていただいたのです。こうべを垂れ、礼を申し上げなければならないのはこちらの方です」
「かたじけないお言葉、痛み入ります。我が主ヘルヴィガが、ルーム帝国の姫君をお待ちになられています。どうか、お会いになって、話をお聞き下さい」
「有り難うございます。ヘルヴィガ様のご配慮に、心から感謝いたします」
「では、お供の方はこちらへおいで下さい。傷の手当てなどもありますので。姫君はこのまま、ヴァルトハイデがご案内いたします」
「分かりました」
「姫様、お待ちください!」
「我々は皇后陛下より、姫様のお傍を離れぬようにと御諚(ごじょう)を賜っておりますので……」
 レギスヴィンダは了承したが、ブルヒャルトとオトヘルムはこれを拒んだ。二人はまだ、万が一のことを心配していた。
 しかし、レギスヴィンダはそれを認めなかった。
「ヘルヴィガ様は、皇帝陛下の名代であるわたくしとの一対一の会談を求められているのです。もしそれを断れば、わたくしたちがここへ来た意味がなくなってしまいます」
「ですが!」
 ブルヒャルトが食い下がる。レギスヴィンダは彼らを安心させるように、緩やかに微笑みながら答えた。
「心配いりません。皇后陛下には、騎士たちは何一つ命令に背くようなことはなかったと報告させてもらいます。ですから、あなた達はわたくしを信じて果報がもたらされるのを待っていて下さい」
 魔女の協力を取り付けなければならないレギスヴィンダにとって、相手を信頼することこそが最大の誠意の示し方だった。
 そうまで言われては騎士たちも従うしかない。レギスヴィンダたちは、すでに皇后ラウレーナがこの世にいないことを、まだ知らなかった。
「では、参りましょう」
 二人の騎士と別れ、ヴァルトハイデがレギスヴィンダを案内する。たった一人の皇女は、気持ちを改めてヘルヴィガの庵へ向かった。
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