第7話 空へ(フリーゲン)! Ⅲ

文字数 3,669文字

 三羽の大鷲が斜面の草地に舞い降りる。
 大地に足を着けると、ラギンムンデという魔女が辺りを見渡して呟いた。
「ここがハルツか……思っていたよりも何もない場所だな」
 もう一人の魔女、マールヴィーダが答える。
「地上からだと結界に阻まれて入口を見つけるのも大変なのに、空からだと簡単に入れますのね」
「所詮、結界など人間を追い払うための子供だましだ。ハルツの魔女の程度も知れる」
 もう一度ラギンムンデがいった。
 二人に魔女の聖地へ乗り込んできたという気負いはない。あるいは、そんな様子を悟られないために、あえて軽口を叩いているのかもしれないが、二人を引き連れる七人の魔女のリーダーであるファストラーデは油断ない表情を崩さなかった。
「貴様たち、何者だ!」
 三人が到着してすぐだった。気配もなく背後から近づき、警告を発する者がいた。
 振り返ると白い毛並みの人猫(カッツェフラウ)が、吊りあがった瞳で睨みつけている。
「……魔女の使い魔か。ずいぶん訓練されてるようだな。客に対する出迎えが早い」
「その割には、歓迎されてないようですわよ。見てごらんなさい。しっぽの毛が逆立っていますわ」
 挑発するようにラギンムンデとマールヴィーダが続けた。
 招かれざる者がハルツに近づかないよう見張りを行うブリュネは、七十年前にはヘルヴィガとともにレムベルト皇太子の軍に加わった歴戦の勇士でもある。
 ヴァルトハイデにとっては剣の師であり、帝国全土を見渡しても、人であれ魔女であれ使い魔であれ、彼女に匹敵する者はわずかしかいない。
 そんなブリュネが、隠そうともしない警戒心を発していた。ラギンムンデとマールヴィーダにではなく、二人を従える銀の胸甲をつけた魔女に対してである。
「ここがどういう場所か知らぬわけではあるまい。いるべき資格のない者は早々に立ち去れ!」
 ブリュネが警告するが、ラギンムンデとマールヴィーダは意に介した様子もない。
「怒ってますわよ?」
「当然だ。そうでなくては使い魔として役に立たない。だが――」
 ラギンムンデは答えると、一瞬の動作でブリュネの背後にまわり、巨大鎌を振り上げた。
「死んでしまえば、何の役にも立たない!」
 躊躇いもなく鎌を振り下ろす。
 相手がただの人間なら、首と胴はあっけなく切り離されていただろう。だが、人猫(カッツェフラウ)であるブリュネの俊敏さと柔軟さは、ただの人間が比肩できるものではない。
 ラギンムンデよりも素早く大鎌から逃れ、安全と思われる場所まで距離を取る。
「さすがだな、使い魔。わたしの鎌から逃れられたのはお前が初めてだ!」
「でも、甘いですわよ!」
 鎌による一撃を躱しても、息つく暇はなかった。もう一人の魔女マールヴィーダが手を差し出すと、その動きに合わせて大量の殺人バチが空中を舞って襲いかかる。
 二人は巧みに連携し、連続して攻撃を繰り出した。
 剣の達人であり、すぐれた運動神経の持ち主であるブリュネも、二人の魔女を一度に相手するのは困難だった。せめてどちらか一方でも無力化できればと、猛攻に耐えながら魔女たちの能力を見定めた。
「どうした使い魔? 威勢が良かったのは最初だけか!」
 挑発しながらラギンムンデが鎌を振るう。
 その攻撃方法は大胆で、巨大な鎌に意識が行きがちになるが、本当に注意すべきは彼女の素早さだった。瞬発力を増強させる術を使い、一気に相手の間合いへ飛び込むのを得意としていた。
「むしろわたしたち二人を相手に、よく戦っていると褒めてあげてもいいですわよ!」
 もう一人の魔女マールヴィーダがいった。
 彼女はラギンムンデと対照的に、動きは少ないがそれを補うように殺人バチの群れを自在に操る。しかし、どのようにそれを行っているのだろうか。疑問が生じた。
 ブリュネは、マールヴィーダの首にある琥珀のペンダントに注目した。
 琥珀の中に女王蜂が閉じ込められている。そこから発するフェロモンに魔力を加え、蜂の群れに指示を与えているのだ。
「あのペンダントをどうにかすれば、蜂の群れは無力化できる……」
 ブリュネは術のからくりを見抜くと攻撃を躱しつつ、うなじのあたりから数本の毛髪を引き抜いた。
「……しまった、一本短い毛が混じってしまった。いや、むしろ好都合か」
 抜いた毛髪を口に寄せて吹き飛ばすと、一本一本が白い山猫の姿に変わる。その群れがラギンムンデに襲いかかり、ほんの一瞬動きを停滞させた。
「おのれ使い魔め! こんな術がわたしに通用すると思ったか!」
 ラギンムンデは鎌を振るって山猫の群れを振り払う。切り裂かれた山猫は元の毛髪に戻って消滅するが、それでもマールヴィーダに対して一対一で立ち向かう時間を稼ぐには充分だった。
 ブリュネは素早くマールヴィーダに接近する。マールヴィーダも向かえ討とうと蜂の群れを操るが、指示が伝わり群れ全体が一体となって行動するまでにわずかなロスが生まれる。
 ブリュネは、そのほんの僅かな時間差をついて、女王蜂を閉じ込める琥珀のペンダントに切っ先を突き立てた。
 琥珀は砕け、女王蜂は真っ二つに切り裂かれる。
「マールヴィーダ!」
 ラギンムンデが叫んだ。切り裂いたのはペンダントと女王蜂だけで、直接マールヴィーダの身体に切っ先が触れたわけではない。それでも蜂の群れを操る術を失った魔女には、戦闘を続ける気力も方法も残っていないと思われた。
「命まで奪うつもりはない。立ち去るならば追いはしない」
 ブリュネがいった。勿論それで魔女たちが素直に山を降りるとは思わなかったが、効果的な警告と威嚇にはなったはずだった。
 ブリュネはファストラーデの方を見た。手下の一人が術を破られ、少しは怯んだ様子を見せるかと思われたが、まるで意に介した様子はない。むしろ、そんなものかと興醒めしたかのように、二人に向かって命令した。
「その程度の相手に、いつまで時間をかけている。我々は、使い魔とじゃれあうために来たのではないのだぞ」
 二人は叱咤されると、目つきを変えた。
「ファストラーデ様、申し訳ありません……ラギンムンデ、本気でやりますわよ」
「小癪な使い魔め! 楽に殺されておけばいいものを! 貴様の頭を喰いちぎり、全身を切り刻んでやるぞ!!」
 二人の魔女は同時に魔力を高めた。その姿が、異形の怪物へ変化する。
「これは……」
 二人の真の姿を見てブリュネは怯んだ。ラギンムンデは巨大なカマキリに、マールヴィーダは蜂の姿に変化する。
「より強力な力を得るため、フレルクによって他の生物の血肉を植え付けられた憐れなはぐれ魔女たち……わたしたち七人は、そんな女の献身がなければ生きていくこともできないのが定め……ならばせめて、女たちが報われる国を創ってやろう。ラギンムンデ、マールヴィーダ、遊びの時間は終わりだ。他の魔女がやってこないうちに始末しろ」
 ファストラーデが命じると、二人の魔女は同時にブリュネに襲いかかった。


 山を降りるレギスヴィンダたちを見送りに集まった魔女たちも、巨大な魔力を持った何者かがハルツの結界を踏み越えたことを知覚した。
「……侵入者?」
 魔力を感じられないレギスヴィンダが、警戒するヴァルトハイデに訊ねた。
「それも一人ではない。三人。しかも、そのうちの一人は今までに感じたことがないほど強大な力を持った魔女です……」
「直接、ここへ乗り込んで来るとはのう……大胆な奴らじゃ!」
 半ば呆れるようにヘーダがいった。侵入者の正体は、察しがついていた。
 遠く離れていても伝わってくる強力な魔力に、魔女たちは緊迫感を募らせた。
 そこへ、別の何かが近付いてくる。
「ねえ、あれ!」
 最初に気づいたのはゲーパだった。指し示した方向から白い仔猫が駆けてくる。ブリュネが抜いた短い毛髪が変化したものだった。
 子猫は勢いあまってゲーパの胸に飛び込んだ。
「これは、ブリュネ様の……」
 仔猫の顔を覗き込んでヴァルトハイデがいった。何かを訴えるようにミャアミャアと鳴く。
「すでにブリュネが戦っておるようじゃのう……」
 仔猫の言葉は理解できないものの、状況を踏まえてヘーダがいった。
「行っておやりなさい、ヴァルトハイデ。ブリュネといえど、一人では手に余る相手です。今こそあなたの力を見せるのです」
「はい、ヘルヴィガ様」
 ヘルヴィガの許可と命令を得てヴァルトハイデが戦いの行われている場所へ向かう。
「わたくしも参ります!」
 後を追うように、レギスヴィンダがいった。
「姫様!」
「危険ですぞ。おやめ下さい!」
 二人の騎士が止める。
「いいえ、ハルツの方々だけを戦わせるわけにはなりません。わたくしもルーム帝国の皇帝の娘として、命をかける義務があります」
 レギスヴィンダの決意は固かった。
「好きにしろ」
 ヴァルトハイデは答え、一足先に戦場へ向かう。その後を、姫と騎士たちが追いかけた。
「こりゃ、お前も行かんか!」
 曾祖母がひ孫に向かっていった。
「あたしが……?」
「何かの役には立つじゃろう。ほれ、早くいかんか!」
 ヘーダに尻をたたかれ、不承不承ながらゲーパも仔猫を抱いたまま後に続いた。
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