第5話 盟約と密約 Ⅲ

文字数 4,310文字

 七十年前のその日、二十五代ルーム帝国皇帝メルヴィン・アーダルフンスは諸侯を集め、狩猟大会を開いていた。
 当時は野心的な諸侯が多く、これに対してメルヴィン・アーダルフンスの跡取りとなるのは、白皙で線の細い、まるで争い事を好まないレムベルト一人だけだった。
 レムベルトは狩りや乗馬が得意ではなかったが、いずれ帝位を継ぐ者として諸侯から見くびられないためにも、形だけでも参加することになった。
 狩猟場に選ばれたのは、ハルツに近い荘園の森だった。
 その一帯は魔女が棲むとの言い伝えもあり、人々は怖れて近づかず、そのため獲物となる多くの野生動物が生息していた。
 レムベルトは、わざわざそんな場所を会場に選ばなくてもと思ったが、父であるメルヴィン・アーダルフンスは、ルーム帝国の跡取りとなる者は魔女にも怯えない勇者であることを示す意味もあると言って譲らなかった。
 純粋な娯楽や嗜みというよりも、諸侯に対する政治的なアピールのための催しだったのである。
 レムベルトは狩猟大会に参加するため、狩りと乗馬の特訓を行ったが、所詮は付け焼刃だった。大きな牡鹿を追って森の奥へ迷い込むと、お供の者たちともはぐれ、藪の中から飛び出したノウサギに驚いて落馬した。
 足を痛め、立ちあがることもできなくなったところへ現われたのが、大勢の人間の声を聞いて山から様子を見に下りてきた一人の若い魔女だった。
 オッティリアと名乗ったその魔女は、最初は落馬して動けなくなった貴族の若者を情けないとからかった。
 しかし、天性の人の良さか、あるいはその時すでにレムベルトに一目惚れしていたのか、日暮れが迫る森の中に置き去りにすることもできず、魔女は術を用いて皇太子の傷を癒してやった。
 レムベルトは感謝し、彼もまた宮廷にはいない魅力的で謎めいた雰囲気の妖婦に懸想(けそう)した。傷が治った後も、二人は幾度となく秘密の逢瀬を繰り返すようになった。
 そんなある日、レムベルトに縁談が持ち上がった。
 相手は諸侯の中でも特に有力な、ユングベック家のゴーデリンデだった。
 野心的な諸侯を抑え込むためにもメルヴィン・アーダルフンスは、この縁談に応じることにした。
 心からオッティリアに惹かれていたレムベルトにとって、これはとうてい認められないものだった。しかし、帝国を継ぐ者として生まれた以上、望まぬ成婚も受け入れるしかなかった。
 捨てられたオッティリアは悲しみに暮れ、ハルツから姿を消すと、呪いの魔女となってルーム帝国に牙をむいた。
 レムベルトはオッティリアを追い詰めたのが自分だと知ると、彼女に謝罪し、自らの罪を償うため、ハルツの魔女に協力を仰いだのである。


「わたしにとって、オッティリアは無二の親友でした。純粋な彼女の気持ちを弄んだレムベルトを、わたしは許すことができませんでした。ですがすべてが終わり、約束通りレムベルト皇太子の命をもらいうけようとした時、わたしは悟ったのです。彼は心からオッティリアを愛していたと。自らの過ちを償うため、潔く命を差し出したレムベルト皇太子は、あなた達にとって誇るべき真の英雄だったのです」
 ヘルヴィガは当時の事情を語り終え、最後に率直な気持ちを伝えた。今となってはレムベルト皇太子に対する恨みはなく、彼も時代に翻弄された被害者だったと考えるようになっていた。
 レギスヴィンダにとっては、すべてを受け入れられる内容ではなかったが、これまでに抱いていた違和感や疑問を解消するための答えにはなった。恐らくこれが、母が知らなければならないと言った真実なのだろうと理解できた。
「再び現れた悪しき魔女に対し、帝国と協力して立ち向かうことにハルツは異存ありません。ですが、わたしたちの目的は悪しき魔女を倒せば終わりというものではありません」
「……と、いいますと?」
「帝都を襲撃した魔女たちは、言わば操り人形にすぎません。彼女たちを生みだし、その背後で糸を引く今回の事件の首謀者を捕えることこそが、わたしたちの使命だと考えています」
「魔女を操っていた首謀者……そんな者がいるのですか?」
 レギスヴィンダが訊ねると、ヘルヴィガは「はい」と答えて話し続けた。
「七十年前の戦いの後、わたしたちはオッティリアの遺体をハルツへ運び、彼女の墓を建てました。憐れなその魂が再び目を覚まさないよう時間をかけ、心をこめて供養するために。それがある日、何者かによって墓から遺体が持ち去られたのです。そしてわたしは夢によるお告げを見ました。オッティリアの遺体から切り取られた身体の一部を移植され、彼女の意志と力を宿した魔女が生み出されるのを」
「それが、帝都を襲った魔女だったのですか……?」
 レギスヴィンダは驚きながら訊ねると、ヘルヴィガは頷いた。
「帝都が襲撃されたあの夜、はっきりとわたしは感じました。オッティリアと同じ魔力が目覚めるのを」
「……では、魔女が帝都を襲ったのは、今もオッティリアの怒りが収まらず、レムベルト皇太子を恨んでのことだというのですね?」
「恐らく、それもあるでしょう。彼女たちの心の奥には、すべてに絶望し、世界に呪いをかけたオッティリアの悲しい感情が今も棲みついています。ですが、それを利用し、魔女を使嗾(しそう)する者がいるのも事実です。その者を捕らえない限り、同じような悲劇は繰り返されます」
「その首謀者について、心当たりがあるのですか?」
 レギスヴィンダが訊ねると、ヘルヴィガはヴァルトハイデを呼んだ。
「内親王殿下、彼女の右目をご覧ください」
 いわれるまま、レギスヴィンダはヴァルトハイデの目を覗き込んだ。すみれ色の瞳がレギスヴィンダを見つめ返す。
「お気づきになりませんか? ヴァルトハイデにも、オッティリアの右目が移植されています」
 ヘルヴィガが言った瞬間、ヴァルトハイデの右目の奥に黒い陰のようなものが揺らいだ。
「……では、あなたも…………」
「わたしも帝都を襲った七人の魔女と同じく、オッティリアの血肉を分け与えられた一人にございます」
 ヴァルトハイデが答えるとレギスヴィンダは恐怖を感じ、反射的に身体をこわばらせた。
「心配はいりません。ヴァルトハイデはわたしたちが保護し、長い時間をかけてオッティリアの呪いに打ち勝つ力を身につけさせました。彼女に内親王殿下やルーム帝国に危害を加える意思はありません」
「……なぜ、悪しき魔女の一人がハルツに?」
「ヴァルトハイデが最初の実験体だったからです」
「それは……どういう意味ですか?」
「元々ヴァルトハイデは、小麦畑の広がる貧しい農村に暮らすただの人間でした。ですがある年、飢饉が村を襲い多くの餓死者がでると、彼女は口減らしのために売られたのです。ヴァルトハイデを買ったのが、オッティリアの遺体を持ち去った謎の研究者、わたしたちはその人物をフレルクと呼んでいます」
「フレルク……」
 ヘルヴィガが説明すると、後を継いでヴァルトハイデが語り始めた。
「フレルクは白髪の小柄な老人で、ルーム帝国を敵視し、この国を破滅させることを悲願にしていました。フレルクの下には、わたしの他にも多くの娘が集められ、様々な実験や研究に利用されていました。ある日、わたしはフレルクによってオッティリアの右目を移植されました。しかし体質が合わず、他の娘たちと共に拒絶反応を起こし、命を失いました。ですが偶然にもこの右目の力によって息を吹き返し、火葬場から甦ったのです。その後は呪いの魔女の本能に突き動かされ、多くの罪を犯しながら各地をさ迷いました。そんなわたしを発見し、魔女の呪いから救い出してくれたのがハルツとヘルヴィガ様でした」
「ということは、帝都を襲ったのは、あなたと同じようにフレルクの下に集められた少女たちだったのですね?」
「その通りです。ただし、実験体としてのわたしは失敗作でした。わたしが去った後、フレルクは移植の法を完成させ、わたしよりも強力で、より呪いの本能に忠実な魔女を生みだしました。しかもその数は七人。わたしは大恩あるヘルヴィガ様のため、同じ血肉を分け合った魔女と戦うことを決意しました。しかし、今のわたしやハルツの力だけでは、七人もの相手と戦うことはできません。そのためヘルヴィガ様はルーム帝国と共同でこの危機に立ち向かうべく、わたしを迎えに遣わしたのです」
「では、帝国と共に悪しき魔女たちと戦っていただけるのですね?」
 レギスヴィンダの質問にヘルヴィガが答える。
「それにつきましては、先ほども述べたとおり異存はありません。ですが、わたしたちの目的はオッティリアの肉体を植え付けられた魔女の命を奪うことではありません。たとえ結果的にそうなったとしても、あくまでも彼女たちはフレルクによって魔女へ造り替えられた犠牲者です。もしもレギスヴィンダ内親王殿下が彼女たちを恨み、復讐のためにわたしたちの力を利用したいと考えているのでしたら、お引き取り下さい」
「……ヘルヴィガ様のいわれることはもっともです。話を聞けば、わたくしも帝都を襲った魔女たちに対する一定の同情を禁じ得ません。ですが……今すぐに彼女たちを許せと、恨みを捨てよといわれれば、それは難しいとお答えするしかありません……」
「勿論、今すぐにといっているのではありません。内親王殿下のお気持ちは、わたしたちも理解しています。ですが、今回の事態を解決するためにはフレルクを捕え、持ち去られたオッティリアの遺体を回収しなければなりません。でなければ、同じような魔女が、哀れな犠牲者が生み出され続けるでしょう。わたしたちがレムベルト皇太子に対する怒りや憎しみを捨てたように、どうかレギスヴィンダ内親王殿下にも寛大なお心を示していただきたいのです」
「分りました……できる限り、そのように努めたいと存じます……」
 口で言うのはた易かった。また、七十年前の戦いの原因がレムベルト皇太子にもあるというのなら、その血を引くレギスヴィンダも負い目を感じずにはいられなかった。それでも、身勝手だと言われたとしても、簡単には心を変えることはできなかった。
 表面上だけでもレギスヴィンダが「はい」と答えたので、ヘルヴィガはそれを盟約の締結と判断した。
「では、今後はこのヴァルトハイデが内親王殿下のお傍に仕え、ハルツの代表として戦いに加わります。どうか彼女を信用し、何なりとお命じ下さい。必ず、内親王殿下のお力になるでしょう」
「ありがとうございます……」
 すでにレギスヴィンダはヴァルトハイデの実力を目の当たりにしていた。頼もしい申し出だった。しかし、様々な思いがわだかまらずにはいられなかった。
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